恋ぞ積もりて 淵となりぬる   作:鯛の御頭

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ちょっと今回は短めです。
若干グロい場面もありますが、苦手な方は飛ばしてください。


横浜騒乱編3

論文コンペまで一週間となった。

実験装置は完成したが、演出面等も考えられ、調整が続いていた。発表者以外にもまだまだ働き手は忙しくしていた。

 

また、コンペ当日の会場周辺の警備のために体育会系の部活を中心に警備隊が結成された。

他校からも警備隊は選ばれるが、総隊長には十文字先輩が選ばれている。

今回の模擬戦も10対1でするとは言いながら、十師族次期当主と戦えと言われれば尻込みしそうなものだ。沢木先輩から吉田君も誘ったようで、今頃訓練に汗を流している頃だろう。

 

美月も美術部の手伝いが終わったようで、途中から警備隊への差し入れ部隊に駆り出されていた。

 

風紀委員として校内の巡回を行っていると、闘技場の方から美月が走って来た。

 

「あら、美月。どうしたの?」

「み、雅さん」

 

美月は顔を真っ赤にさせ、目を潤ませていた。

 

「雅さん…」

 

美月は私に抱き付いた。

咄嗟に受け止めるが、彼女の目からは涙が流れていた。

 

「よしよし。ちょっと移動しようか」

 

はい、と小さく頷いた美月を連れ、私は図書館の方に移動した。

 

 

 

 

 

 

図書館近くのベンチに座り、遮音壁と認識阻害の結界を張る。

途中の自販機で買ったカフェオレを美月に渡し、一息ついた。

 

「すみません。風紀委員のお仕事の途中だったんでしょう」

「女の子が泣いていたらそれは事件よ」

 

少し芝居じみて言えば、美月はくすりと笑った。

 

「ふふ。キザですね」

 

美月はカフェオレを飲んでから、ポツリポツリと話し出した。

 

「すみません。ちょっと、驚いただけなんです」

 

話を纏めると、警備隊の訓練の休憩時間に闘技場に差し入れに行った時に吉田君がいた。

おにぎりとサンドイッチを配るまでは良かったがそこが最後だったため、給仕部隊もそこで休憩となった。

美月は知らない男子の先輩ばかりで緊張しており、闘技場という場所のため正座をしていた。普段慣れていない正座で足がしびれてしまい、立ち上がった時にバランスを崩してしまった。

倒れそうになったところを吉田君が支えようとしてくれたのだが、運よくと言うか、運悪くと言うか胸を掴まれてしまったらしい。

 

驚いたのと、恥ずかしいので混乱した美月はそのまま闘技場から走り出して逃げてきてしまったらしい。

 

「それは、災難だったわね」

 

美月も、吉田君も、とは言わなかった。

 

「あの、逃げてきてしまったんですが、どうしたらいいんでしょうか」

 

美月は恥ずかしそうに視線を彷徨わせた。

美月も吉田君もこういったハプニングには弱そうだ。

特に今、闘技場に取り残された吉田君は針のむしろ状態だろう。

 

「美月は今回の一件で、吉田君を軽蔑したとか、もう絶交する、とは思っていないのでしょう」

「そんな!そもそも私が倒れたのが悪かったので、吉田君はなにも悪くないんです」

 

興奮する美月を落ち着けるように、私は美月の肩を撫でた。

 

「ええ。分かっているわ。

だったら、美月がすることは一つ。これまで通り、仲のいいお友達でいること。

きっと吉田君は真面目で責任も感じているだろうから、明日あたりきちんと謝罪に来ると思うわ。下手に意識すると吉田君もきっといつまでも引きずってしまうだろうから、謝罪を受け入れてあげて、それ以上このことについては話をしない。それが後腐れなくていいと思うわ」

 

「けれど、落ち着いていられるでしょうか」

 

「今日はまだ美月も吉田君も混乱しているから、少しだけ時間を空ければいいのよ」

 

私は少し温くなったカフェオレを魔法で温め直した。

心配する美月に再度、彼女の背を撫でた。

 

「大丈夫。きっとうまくいくわ」

「雅さん・・・」

「ね?」

 

念押しするように言えば、美月はぐっと手を握りしめた。

 

「分かりました。明日、頑張ってみます」

「その意気よ」

 

笑顔が戻った美月に私も一安心した。

 

「もし何かあったらエリカと一緒に吉田君を懲らしめてあげるから」

「雅さん、やっぱり頼もしいですね。流石は深雪さんのお姉さんって感じです」

「ありがとう」

 

末っ子なのにあまり妹らしくないと言われるのは、きっと深雪も達也もいたからなのだろう。

それ以外にも親戚で小さい子はいたから、自然と私はお姉さんだった。

その日は達也と深雪に断りを入れ、美月を送って帰ることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日曜日の放課後

 

論文コンペのために多くの生徒たちは登校してきている。

朝聞いた話によれば、美月と吉田君は無事に仲直りをしたらしい。

吉田君はご丁寧にも長い謝罪文の手紙を持ってきた様で、少しだけ身構えていた美月も毒気抜かれてしまったらしい。

 

私はといえば、渡辺先輩と共に平河さんの入院先に来ていた。

 

「ああ。君が九重さんか」

「初めまして。御高名は兼ねてからお聞きしております」

 

そこにはもう一人、男性が来ていた。

 

千葉修次

エリカの兄でもあり、近接戦闘では魔法師の中で5本の指に入ると言われる天才剣士。ちなみに、渡辺先輩の恋人でもあるそうだ。

 

「そう言えば、君のお兄さんにはお世話になったから、改めてお礼を伝えておいてもらえるかな」

「タイでは随分とご活躍されたのでしたね」

「九重の次期当主に頼み事は易々とする物ではないと身に染みたよ」

 

彼は乾いた笑いを浮かべた。

私も兄から聞いた話では、兄が九校戦に来ていた時に偶然二人は出会ったらしい。そこで兄が悩んでいる彼に一つ簡単な占いをしたそうだ。

その対価として求めたのがタイの王室に縁のある品で、それを手にするために王室の親衛隊隊長と一騎打ちをしたらしい。

 

「なんだ、シュウは雅の兄と知り合いだったのか?」

 

渡辺先輩は少し不機嫌そうに尋ねた。

折角会えた恋人が後輩ばかりと話しているのが面白くないらしい。

いつもは颯爽としているのに、この人も年相応に女性として可愛らしいところもあるのだと再認識した。

 

「九校戦の時にちょっとね。九重の光源氏は摩利も聞いたことあるかい?」

「見たことはないが、世に二人といない絶世の美丈夫なんだろう」

「ちょっとした占いをしてもらったんだ。女々しいかと思うけれど、将来的にも良い結果だったよ」

「そうなのか」

 

渡辺先輩は照れくさそうにしていた。

将来的にというところが特に嬉しかったようだ。

 

甘い雰囲気を出す二人に居心地の悪さを覚えた。

はっと思い出したように私を見て、渡辺先輩はわざとらしく一つ咳をついた。

 

「シュウ、すまない。忙しいのに来てもらって」

「いや、そんなに忙しいわけじゃないよ。

早朝の出発だけれど着くまでは砲術科と操縦科の連中の仕事だからね。

着いてからの方が忙しくなると思うよ」

「そうか」

 

今日来た目的というのは、入院している平河さんのお見舞いと称した尋問だ。

 

私は本来なら彼女を刺激するために来ないほうが良かったのかもしれないが、胸騒ぎがしていたため渡辺先輩にお願いしてここにきている。

式神や精霊を放って敵の侵入がないか探りたいのだが、大学病院内とあって、魔法感知のセンサーもいくつも置かれているためそれもできない。

 

「ひとまず、平河さんの用事を終わらせて、後はお二人の時間を作れるようにしましょう」

「な、雅!」

「はは、お気遣い有難う」

 

顔を真っ赤にする渡辺先輩に対して、千葉さんはこの程度の冷やかしなら慣れているようだった。

いつも達也をからかっていることに比べたら可愛いお返しだろう。

 

 

 

和やかな午後の病院のロビーに、突如として警報が鳴り響いた。

 

「シュウ!」

「火災ではない。これは暴対警報だ」

 

嫌な予感が的中してしまった。

しかもそれが4階となれば、彼女が入院している階だ。

ここまでくれば嫌でも想像がついてしまう。

 

3人とも自己加速術式を展開し、階段で4階へと駆け上がった。

 

「何者だ!」

 

4階に到着すると大柄な男がまさに病室のドアノブを壊そうとしているところだった。

 

そこにいたのは思わず鳥肌の立つような濃密な殺気を纏った男。

 

「人食い虎、呂剛虎(リュウ・カンフウ)」

「幻想刀、千葉修次か」

 

近接戦闘で世界五本の指に入ると言われる実力者たちが対峙していた。

千葉さんは折り畳み式のナイフを取り出し、戦闘を開始した。

相手は素手だが、鋼気功で纏った鎧で斥力の刃に対抗していた。

 

「九重、お前は逃走経路を塞げ」

「分かりました」

 

此方に攻撃した時に迎撃できるようにCADを構えていたが、それを渡辺先輩が制止した。

 

千葉さんの援護は息の合った先輩に任せることにした。

繰り出される攻防は一撃一撃に殺意が籠っており、どちらも引いていなかった。

 

高速かつ高度で繰り出される魔法の応酬に、渡辺先輩は攻撃の機を窺っていた。

 

私はその隙に逃走防止用の結界を張り巡らす。影からこちらを覗く気味の悪い視線を遮るように逃走経路を障壁で封鎖した。

 

千葉さんが肉を切らせて骨を立つべくして攻撃し、渡辺先輩が追撃を食らわせた。わき腹に深手を負った相手は階段に転がり落ちようとした。

しかし、それも障壁に阻まれ叶わない。

 

「チィッ」

 

障壁を作ったのが私と分かると隠遁術で姿をくらませた。

 

「消えた」

「しまった」

 

天井に一瞬の痕跡、姿を現した時には私の目の前に肉薄していた。

 

「雅!!」

 

渡辺先輩の悲鳴にも似た叫びが響く

ニヤリと笑う呂は勝利を確信しているようだった。

だが、私があれだけの間に障壁だけを組んでいたのではない。

私の姿を捉えたと思った呂の手が空を切った。

 

「?!」

 

空振りをした瞬間、私は彼の背後から至近距離で特化型CADを体に打ち込んだ。纏う鋼気功ごと体を貫通し、廊下の先まで焦がした。

腹を狙って打ったが、流石は世界屈指の魔法師

咄嗟に体を捻り直撃を避けたが、わき腹に風穴を開け、肉の焼ける焦げ臭いにおいが広がった。

 

苦悶を顔に浮かべているが、まだこちらを殺そうと体をこちらに向けてきたので意識を完全に落とすためにスパークを食らわせた。

人の体も電気信号で動いている。

ガードの緩くなった体に高圧電流は容赦なく意識を刈り取った。

呂の倒れた廊下には血だまりが広がっていた。

 

「殺したのか?」

「死んではいませんよ。ここが病院なので手早く処置すれば問題ないはずです」

 

内臓はいくつか焦げてダメになっているだろうが、即死のものではない。多少神経系に麻痺が現れるだろうが、敵の素性を吐ければ問題ない。

 

「呂の攻撃は当たっていたように見えたんだが、空を切った。怪我はしていないのか」

「大丈夫ですよ、渡辺先輩」

「しかしどんな魔法を使ったんだ?」

「摩利」

「あ、スマン」

 

渡辺先輩は千葉さんから諌められた。

相手の使う魔法について聞くことはマナー違反だ。

 

「どんな術かは言えませんが、九重八雲に師事していますと言えば分って頂けるでしょうか」

「なるほど、忍術の類か」

 

千葉さんは感慨深げに頷いた。

伯父も九重だが、京都の九重とはたまたま同じ名字だっただけだ。

 

私は障壁を解除し、階段の方を見た。

もう一人、潜んでいた人物は呂が倒れるや否や姿を消した。

式神を付けて追跡したが、古式魔法に精通しているのか、すぐさま姿をくらました。隠遁術か遁甲術の一種だろう。

 

逃げられたことは痛手だが、呂を捕まえただけでもお釣りがくるだろう。

すぐさま院内の警備兵が駆けつけ、血まみれで倒れている呂を見て狼狽えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

千葉さんの治療と事情聴取ということで、私たちは一旦警察に拘束された。相手が相手だったため、過剰防衛とは取られなかったのだが、事件が事件だけに長く拘束された。

千葉さんは軍関係者で明日以降の訓練があるため、早々に解放されたのだが、私は都合が良かったのか、何時までも話を聞かれていた。

 

ようやく解放されたのは夜の8時を過ぎてからで、流石に疲れも溜まっていた。ロビーに向かえば既に人は少なくなっていた。

切っていた端末を見れば、深雪と達也から連絡が入っていた。

二人も事件の顛末は聞いていたのだろう。

今日は司波家ではなく、自分の家の方に戻ろうとしたところで精霊のざわめきが変わった。

 

「やあ」

「・・・どうしてここに?」

「んー、仕事の関係でね」

 

正面玄関から入ってきたのは京都にいるはずの次兄だった。

兄の美貌にやられてか、老若男女からの視線がこちらに集っていた。

 

「詳しい話は車の中でしようか」

 

いつもの柔和な笑みに女性陣から黄色い悲鳴が上がった。

だが、私には彼の到来は嵐の前兆にしか思えなかった。

このタイミングでわざわざ兄が動くと言うことは相当なにか大きなことが起こるのだろう。

 

「分かりました」

 

私は兄の後に続いて、兄が持ってきた自家用車に乗り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

車の中で粗方の話は聞いた。

響子さんが計画している狐狩りの材料も大方揃っているそうだ。

実際に動く猟犬は警察なのだが、そこは手柄を挙げたということで帳消しにされるだろう。

 

遅い時間ではあったが、車は九重所有の家ではなく、司波家に向かっていた。内容が内容なだけに連絡が早い方がいいのだろう。

 

「お姉様、おかえりなさい。悠お兄様、いらっしゃいませ」

「こんばんは、深雪ちゃん。夜遅くに悪いね」

 

司波家に着くと深雪が出迎えてくれた。

普段、深雪は来客があるならも少し落ち着いた服装なのだが、今日はいつもと変わらずミニスカートだった。

兄ならば身内に入るので構わないと言う事だろうか。

 

「いえ、どうぞお構いなく。御夕食はお済みですか?」

「二人ともまだなんだ」

「そう思って、温めておきました」

「深雪ちゃんの手料理とは楽しみだね」

 

深雪は嫌な顔一つせずにリビングへと私たちを招いた。

達也もリビングにおり、その表情は少しだけいつもより固く見えた。

遅い時間なので軽めの夕食に舌鼓を打ち、食後のコーヒーの時間となったころ、兄が重い口を開いた。

 

「さて、楽しくないお話の時間だ」

「悠さんがこちらまで出てくるのに値することですか」

 

達也の眼が一段と鋭くなった。

兄は何時もの柔和な顔を顰め、同じく意志の強い目で達也を見返した。

 

「そうだよ。一応表の仕事もあるけれど、今回は血なまぐさいことになるからね」

 

深雪もその雰囲気を感じ取ったのか、緊張した雰囲気が窺えた。

 

「単刀直入に言えば、10月30日。論文コンペの当日、大亜連合の工作員が横浜を攻撃する。といっても、こちらは陽動で本当の目的は戦争に備えた前哨戦っていうところだね」

「まさか開戦するのですか」

 

深雪は口元を押さえていた。ただの産学スパイと思っていたら、これから戦争に発展すると言われれば当然の反応だ。

彼女の脳裏には沖縄の一件も思い出している頃だろう。

 

「大亜連合の港には一個大隊が集結している。

軍事演習の通達もないし、事実上の戦争準備と言っても良いだろう。

実際は国土を焼くような開戦にはならないが、しばらく軍は騒がしくなることだろうね」

「軍関係者にこのことは?」

「リークはしているが、動くのはもう数日後だろうね」

「それを見越して話をするのが【千里眼】なのではないですか」

「証拠もないのに軍は動かないことは君が良く知っているだろう」

 

達也と兄の間に鋭い視線が飛び交う。

緊迫した雰囲気に深雪も目を逸らさずに聞き入っていた。

 

「それで、それを俺に教えてどうするのですか」

「情報があるのとないのと大違いだろう。一〇一も出動するだろうし、魔法協会の関東支部も攻撃対象だ。当日はウチからも何人か出る予定だけれど、軍が駆け付けるまでの時間稼ぎだからね」

「それは、お姉様もですか」

 

深雪は思わず立ち上がった。

 

「そうでなければ【鳴神】の名の意味がないだろう」

 

深雪の顔は蒼白になっていた。

冷徹な言い方だが、実際有事になれば私も駆り出される。【鳴神】の名を頂いたその時から、私は既に彼女の家臣であり、配下であり、軍門であり、子どもであった。彼女が滅ぼせと言うならば、私はこの身を鬼神と化してでも任を果たさなければならない。

それだけの力を私は彼女の庇護下で受けている。それが九重の、四楓院家の使命だった。

 

深雪は唇をかみしめていた。

 

「---深雪、雅。席を外してもらっていいか」

「お兄様」

 

達也は柔らかく深雪に微笑んだ。

 

「後で何を話したか伝える。雅も疲れているだろうから、少し休んだ方がいい」

 

兄からあらかたの事はここに来るまでに聞いている。

当日まであと3日しかないが、下準備は兄達が進めているはずだ。

 

「わかりました。お姉様」

「行きましょう、深雪」

 

顔色の悪い深雪の肩を抱くようにして、私達はリビングを後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

雅は深雪を落ち着けるために、司波家で借りている部屋にいた。

お互いに話すことはなく、ただ雅は深雪の背を撫でていた。

 

縋りつく深雪だが、決して行くなとは言わなかった。どれだけ自分が言ったところで雅は戦場に出ていく。

【千里眼】である悠が断言したのなら、それは間違いない未来だ。

なぜ姉がそんな道を選ばなければならないのか。

今にもあふれ出そうになる涙を必死に堪えていた。

 

しばらくそうしていると、不意に部屋のドアがノックされた。

雅が扉を開けると、少し申し訳なさそうな悠が立っていた。

 

「雅、達也の所に行ってくれるかい」

 

先ほどのヒリヒリと焼けつくような気配はなくなり、いつもの兄としての顔に戻っていた。

雅はちらりと深雪を見るが、深雪は無言で頷いた。

 

「分かりました」

 

雅は静かにリビングへと下りた。

 

 

部屋に沈黙が訪れる。どちらも口を開かない。

 

「深雪ちゃん」

 

先に沈黙を破ったのは悠で、彼はベッドに座った深雪の前に膝を付いた。悠は握りしめられていた手に自身の手をゆっくりと重ね、落ちついた声で語りかけた。

 

「大丈夫。君の所にちゃんとお兄さんは戻ってくるし、雅も怪我一つしないよ」

「本当ですか」

 

深雪は震える声でそう聞き返した。

 

「本当。【千里眼】は見えたことに嘘は言わないよ。君はドンと構えて、見送ってあげればいいんだ」

 

悠は柔和に、しかし少し悲しげに微笑んだ。

 

「けど、待つのはつらいね」

「いえ。大丈夫です。お兄様とお姉様が無事帰ってきてくださるなら、深雪には怖いものはありません」

 

深雪は二度首を横に振った。

兄がどれだけ苦難の道を歩いているのか、それを自分が強いているのか、深雪自身良く理解していた。

彼女にとって世界とは兄と姉がいる世界だった。

その二人がいなくなること。それが何より怖いことだった。

 

悠は懐から一本のリボンを取り出した。

白地に藍色の牡丹と桜が描かれている。

 

「お守り」

 

それを深雪の手に握らせた。肌触りの良さから絹だと思われる。

 

「君もきっと戦火の中で友人たちを守るために動くことになる。

君の身に万が一はないと知っているけれど、着けてくれると嬉しい」

 

「悠お兄様…」

 

深雪はギュッと手にしたリボンを握りしめた。

 

「もしかして、趣味じゃなかった?」

「そんなことありません。大切にします…」

 

深雪の言葉に悠は嬉しそうに微笑んだ。女性でも、それが絶世の美少女と言われる深雪でも見惚れるような美しい笑顔にしばし、彼女の思考は停止した。

 

 

 

 

 

 

 

深雪たちを部屋に残し、私はリビングに下り、静かに扉を開けた。

 

「達也」

 

達也は一人掛けのソファーに座っていた。

リビングの椅子からこちらに移動したようだ。

自分の考えている手法とは異なるアプローチの論文に、連日の産学スパイ、継母から命じられた聖遺物の解析。物事を考えるのは一人の人間で、一つの頭だ。いくら達也でもオーバーワークだった。ここにきて大亜連合が攻めてくるとなれば、一旦頭を整理したいのだろう。

 

私は静かに達也の前に立った。

 

「綺麗ごとだと分かっているが、雅も深雪も手を汚す必要はない」

 

懇願するように達也は私の手を取った。

深雪の様に綺麗ではない

訓練でできた傷も豆もいくつもある。

人の命を奪ったこともある手だ。

達也の手は私以上に固くなっていた。

決して綺麗ごとでは済まない世界に私たちは身を置いている。

 

「本当はゲリラを殲滅する方法もあるわ。秘密裏に全部なかったことにしてしまうこともできる。けれど、それをしないと兄達が決めたことに意味があるのだと私は思うの」

 

魔法師にとっての転換点。大きく世界が動くことになる。兄はそう言った。一羽の蝶の羽ばたきも世界を壊す台風となることがある

 

「大丈夫。私が弱くないことを達也は知っているでしょう」

 

空いた手で達也の髪を梳いた。出来るだけ笑おうとするが、どこか私もぎこちなかった。

 

「雅」

 

達也が私の手を引き、額を合わせた。

不思議と心臓の高鳴りより安心感を覚えた。

握っていた手を離し、達也の手が私の髪を撫でた。

言葉はいらなかった。

ただ、時間だけがゆっくりと流れていた。

永遠はないけれど、これからどれだけ残酷なことが待ち構えていても、刹那の幸せを私は噛みしめていた。

 

 

 




雅が呂の攻撃を躱したのは『パレード』です。
九島と血縁があると言うことで、雷、電子、パレードの要素は同じにしています。

次から論文コンペの発表になります。
戦闘シーン苦手ですが、頑張ります。

追記:誤字脱字酷過ぎますね。訂正していただき感謝です。

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