恋ぞ積もりて 淵となりぬる   作:鯛の御頭

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辛い時ほど悲しい恋の話が浮かびます。




追憶編3

達也の部屋でCADの調整を見ていると、部屋の扉の前に誰かが立つ気配がした。桜井さんかと思ったが、精霊の反応からすれば深雪だろう。

 

「どうしたのかしら」

「わからないが、俺が行くよ」

 

達也は半分分解状態のCADをそのままに、扉を開けた。

予想通りそこには深雪がおり、急に扉が開いたことに戸惑いと怒りを見せていた。

前者は声を掛けてもいないのに気が付かれたこと、後者は私が達也の部屋にいたことに対する感情だろう。

 

「どうされたのですか?」

「あの・・・」

 

深雪はしばし、思案していた。

彼女が達也を訪ねてくるだなんて今まで無かったことだ。

私がこの部屋にいることは知らなかったはずだから、彼女は文字通り達也の部屋に用事があって来たのだろう。

 

「あの、お邪魔しても良いですか」

 

その言葉に驚いたのは私も達也も同じで、戸惑いながらも達也は深雪を部屋に招き入れた。

 

 

 

「それで、何のご用でしょうか」

 

達也の問いかけもそこそこに、深雪は部屋に入ると物珍しそうにCADのワークステーションを見ていた。ディスプレイには複雑な起動式が羅列されており、机には工学機材が並んでいる。

深雪は達也がCADをいじっているところを見るのは初めてのようだ。

 

 

「お嬢様?」

「お嬢様なんて呼ばないでください!」

 

深雪が悲鳴のような声で叫んだ。

驚いたのは私も達也も、そして叫んだ深雪自身も同じだった。

 

「あの、その、そうです。普段から慣れておかないと、いざというときにボロが出るでしょう?」

 

深雪の言い訳に、達也は不審そうな目をしていた。

確かに昨日、深雪は基地見学の上で達也から深雪と呼ばれていたはずだ。それでもそれはその場限りの事で、普段から達也は深雪の事はお嬢様と呼んでいる。

血を分けた兄弟であっても、使用人と当主候補ほど地位の開いた二人には明確に大人たちによって区別が付けられていた。

 

「私の事は深雪と呼んでください」

 

深雪はそれだけ言うときゅっと目をつぶった。まるでこれから怒られる子どものような仕草だった。

 

「わかったよ、深雪。これでいい?」

 

達也の言葉は普段のものから幾分か砕け、友人に接するような、妹に接するようなものと変わりなかった。優しい声で優しい瞳で深雪を見ていた。

 

「………それで、結構です」

 

深雪は目を潤ませた。

深雪は逃げるようにしてこの部屋から出ていった。

 

取り残された私たちは顔を見合わせた。一体どうしたのだろう。

 

 

「泣かせてしまった・・・」

 

達也は流石にショックだったようで、肩を落としていた。

彼にとって深雪は掛け替えのない存在だ。

そう思うように彼はできている。

私は痛む胸を抑え込むように、達也の肩を叩いた。

 

「深雪は少しずつだけど達也との距離を縮めようとしているよ」

「そうか」

 

その笑顔に悲鳴を上げたいほど胸が締め付けられた。

私には見せた事の無い戸惑いながらも、嬉しそうで、幸せそうな笑顔。

ドロリとしたどす黒い感情が私の頭を支配する。

 

『独占欲』と『嫉妬心』

 

今までの深雪は達也を兄としては見ていなかった。

少しずつだけどこの旅行を通じて深雪は達也を理解しようとしている。

達也も戸惑いながらも、それを嫌がるようなことはなかった。

無条件に愛される深雪が羨ましかった。

私を映してほしい瞳は一つ年下の可愛い妹を映していた。

私だけを見てだなんて、構ってほしい子供と一緒だ。

 

 

 

深雪を慰めてくると言い訳を付けて、私は達也の部屋から逃げ出した。

どうして大お婆様は私と達也の縁を結んだのだろう。

もし私が彼の妹ならば、無条件に愛されたのかもしれない。

芽吹いたばかりのこの感情は私を何時だって振り回して、縋って泣き叫びたくなるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

少しだけ私も部屋で落ち着いてから、深雪の部屋を訪ねた。

 

「深雪。私よ」

 

ノックをして声を掛けるが、返事がない。

 

「………入るわね」

 

本当は入室の許可も得るのがマナーなのだけれど、今回は仕方ないだろう。

深雪はベッドの枕に顔を埋めたままだった。

 

「深雪?」

「お姉様・・・」

 

深雪はゆっくりと顔を上げた。

目元は赤くはれていて、目も潤んだままだった。やはりここで泣いていたのだろう。

 

「どうしたの?」

 

深雪は体を起こし、私は彼女の横に座った。

 

「私にも分からないんです。ただ、あの人が私に向けた言葉も冷たい計算の内なのだと思うと、悲しくて…」

 

ぽろぽろと静かに涙を流す深雪に私はハンカチを差し出した。

慰めるために私は深雪を抱きしめた。

深雪は私の胸に縋って、また泣いた。

 

 

 

この時の私の思いは一つだった。

 

なんて狡い。

なんて羨ましい悩みなのだろうか。

 

無条件に達也から愛情を受けられる唯一の存在なのに、それに気が付いてもいない。

いくら私が努力しても、必死に足掻いても、彼の強い感情を引き出すことはできない。

どこまで行っても私の存在は達也の中で友達以上になりえない。

大切だと思いたいと思ってくれているのは知っている。

それでも、『大切だと思っている』とは言ってくれない。

達也が本当に命を掛けても守りたいのは深雪だけ。

 

私がどれだけ好きになっても、どれだけ隣に立てるように努力しても、私に手を伸ばされることはない。あれだけ深雪が邪見な態度をとっても、達也は深雪を嫌い、愛想を尽かせるようなことはない。

それは彼に掛けられた魔法の力だったとしても、その事実は私にとって何より理不尽だった。

 

女の子はお姫様だ、なんてチープなCMが言っていた。

けれど、王子様はきっとお姫様がいてこそ王子様になれるのだ。

舞台で一人踊る私は、きっと三流の喜劇役者なのだろう。

 

いっそ、この立場も思いもたち全て放り出して笑い話に出来たらいいのに

いっそ、深雪の事も、達也の事も、嫌いになって、ただの私を好きだと言ってくれる人がいればいいのに

いっそ、記憶も全て無くなって、何も知らないころの幼い私に戻れたらいいのに

 

在りもしない現実を思いつく私が何より、私は嫌いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

沖縄旅行6日目

 

その後の深雪たちはいつも通りだった。

深雪が振り回して、達也が付き従う。

それこそ私や深雪が勉強しているときは深雪も心静かにいられたようだが、長年の関係は早々に改善されるものではなかった。

 

私は明日の朝、一足先にバカンスを終え、家に帰ることになっている。

流石にお盆の時期をそのまま何も家の手伝いをしないわけにはいかない。

 

今日はなにをしようかと話し合っていると、テレビから突如告げられたのは残酷な現実だった。

国籍不明の潜水艦が西方海域より侵攻。

宣戦布告もなく、すでに攻撃が始まっているとのことだった。

精霊が騒がしいと感じていたが、まさか敵が直接攻めてくるだなんて思ってもみなかった。

 

すぐさま真夜様の計らいで、恩納空軍基地に避難させてもらうことになった。

基地には私たちの他にも民間人が避難していた。

おそらく政府高官か、たまたま視察か見学に来ていた人達だろう。

 

 

 

通された部屋で待っていると、銃の発砲音が部屋の中に響き渡った。

それと同時に達也と桜井さんが立ちあがった。

どうやらアサルトライフルが乱射されているようだ。

結界魔法が施されていて、中から外を魔法で探索するのは難しい。

式神も放っているが、上手く視覚同調もできない。

 

深夜様は達也に外を見に行くように命じた。

達也は状況の分からない中、深雪を置いていくわけにはいかないと反論したが、深夜様に身分をわきまえろと冷淡に言われた。

深夜様は達也が深雪の名を呼ぶことを許さなかった。

胸が締め付けられるようだった。私は同じように苦しみを感じている深雪を抱きしめた。

 

「達也君、私がこの場を引き受けます」

 

桜井さんが口を出し、その場をとりなした。

 

「分かりました。状況を確認してきます」

「達也、気を付けてね」

 

私がそう言えば、達也は静かにうなずき、外に出ていった。

 

「お姉様…」

「達也なら大丈夫よ」

 

外では戦闘が続いて居るのか、銃声が鳴りやまない。

まさか基地内部にも敵が侵入しているだなんて、敵はどれほどの戦力で侵攻してきているのだろうか。

もしかしてスパイがいた?

大亜連合ならば休戦協定も結んでいないし、宣戦布告なしの攻撃だってあり得る。

物量にものを言わせてこの島に既に上陸しているかもしれない。

嫌な考えばかり頭に浮かんできてしまう。

 

 

あれこれ考えている内に部屋に迎えの人が来たみたいだ。

どうやらシェルターまで案内してくれるようだが、達也がまだ戻ってこない。

迎えに来た若い兵士たちのマシンガンは熱を持っており、全員がレフト・ブラッドと呼ばれる人だった。

達也が残っているからとシェルターに行くのを拒む深夜様に、迎えに来た兵士たちは苛立っていた。

それは本能的なものだったのか、精霊の声だったのか私にも分からない。

だけれど、この人達を信用してもいいのか疑問が頭に浮かんで消えなかった。

 

命令口調でシェルターに向かうように言う兵士たちに、外から別の兵士が迎えに来た4人に向かって発砲した。

 

 

「なぜ軍を裏切った!」

「ジョー、お前こそなぜ日本に味方する」

 

話から推測されるのはレフト・ブラッドの確執。

よそ者扱いされ、フラストレーションがたまっていた兵士たち。

それを焚きつけられ、侵攻の手助けをすることになったようだ。

ジョーと呼ばれた男性が魔法師だったためか、一人がアンティナイトを持ちだした。

頭の中にガラスを引っ掻いたような嫌な音が響く。

アンティナイトを使ったキャストジャミングだった。

 

「深夜様!」

「お母様!」

 

深夜様は胸を押さえて、蹲っていた。

サイオン感受性の高い深夜様は若い時の無理の影響で、体調を崩している。

何とかしなければと思うが、下手に動けばこちらにも攻撃が飛んでくる。

 

ジャミングが弱まるのを待っていると、深雪がアンティナイトを持った男性を凍りつかせた。

CADを構えていなかったので、おそらく精神を殺したのだろう。

 

だが、敵は一人ではない。

私達が魔法師だと知った敵は銃口をこちらに向けた。

桜井さんが障壁を展開するが、私は考えるよりも早く深雪を押し倒していた。

咄嗟に障壁を張ればとか、相手をスパークで気絶させればとか、倒れながら頭の中には浮かんでいたが、それよりも早く、銃弾が私の体を打ち抜いた。

 

激しい衝撃が襲い床に倒れる。

一番熱かったのはお腹だった。

肩や足も撃たれ、発狂しそうな痛みが全身に駆け巡る。

悲鳴すら上げることができず、私は自分の血が流れ出ていくのを感じていた。

 

 

「お姉さ、ま………」

 

薄らと目を開けると、深雪が目を見開いていた。

 

「みゆ、き・・・大丈夫?」

「深雪は傷一つありません。お姉様、血が………」

 

彼女の手は真っ赤に染まっていた。

ここに流れているのは私の血なのかと思うと、身体が寒くなった。

私の頭に死が過った。

 

「そう、良かった…」

 

けれど、私は特に怖くはなかった。

深雪が無事だった。

それでこの命は十分価値があったと思えた。

あれだけ妬んでも結局私は深雪の事が好きなのだ。

 

大切な妹。

達也の守りたい子。

それが守れただけで十分だ。

 

「お姉様、いけません。お姉様!」

 

瞼が重くなってきた。

深雪が体をゆするが、目を開けてられない。

耳はよく聞こえているから、泣いているのが分かった。

 

「お姉様、嫌です。お姉様、目を開けてください」

 

小さくなりだした深雪の声。どうやら血が足りなくなって頭が働かなくなっているのだろう。

もう指一本動かすのも億劫だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

真っ暗になった視界。

ただただ暗くて、誰もいない場所に私は立っていた。

どこに行ったらいいのか分からず、歩き出す。

足元に地面があるのかもわからない場所だった。

いや、歩けているのだからあるのだろうけれど、暗い中なので自分の足すら見えなかった。

 

しばらく歩いていたら梔子(クチナシ)の花の香りがした。

その香りの方に私は引き寄せられるようにして進んでいった。

なにか、嫌な感じがする。

にぎやかだけど、どこか寂しくて、苦しそうな感じがしていた。

それでも私の足は私のものではないかのように、止まることはできなかった。

 

嫌だと思っていると、ぼんやりと人の姿が見えた。

 

『おや、我が子や。迷子かのう』

 

紅を引いた唇が、にんまりと吊り上った。

誰だろう?

一人の女の人だった。

昔の着物、十二単よりもっと前の、中国の影響が大きかったころのひらひらした服を着ている。

怖ろしく左右が整った顔立ちに、暗闇の中でも光を反射して艶めく黒髪。

雪のような白皙の美貌。

 

兄や深雪のように人間離れした美しさを持つ人は今まで見たことがある。

それでもこの人は別格だった。

背筋が凍るほど美しい顔をしていた。

 

どこか妖艶さもあるその女性は私に手を伸ばすと、肩に両手を添え、歩いてきた方向に戻した。あれだけ自由に行かなかった足がいとも簡単に動いた。

 

『あちらはまだ早い。ぬしにはまだ働いてもらわねばならぬ』

 

その人は私の頭を撫でた。

どこか懐かしくい手だった。

母の手とよく似た、優しい手だった。

 

『封は私が解いてやろう。存分に暴れるが良い』

 

その人は私の額に手を伸ばした。

プツンと何か糸のようなものが額の前で切れる感覚がした。

 

その人の姿をもう一度見ようと振り返ろうとしたら、意識が浮上した。

 

 

 

 

「…え?」

「雅!」

「お姉様!」

 

目を開けば、達也と深雪がいた。

あれ、私は撃たれて死んだはずではなかったのか。

恐る恐るお腹を見れば、そこには傷も血の跡すらなかった。

傷が治っている?

驚いて達也を見れば、私のかわりかのように達也は額に脂汗を浮かべている。

走って戻ってきたせいではない。

痛みに堪えるように眉をひそめている。

 

「達也、貴方が…?」

「ああ」

 

高度な治癒魔法ではない。

治癒だとしても、汚れた服はどうしようにもならない。

傷を負ったことがまるでなかったかのようになっていた。

私は私の身に起きたことが信じられなかった。

深雪は私の無事を確かめるように抱き付いた。

彼女にも同じく傷一つなかった。

 

「お姉様!」

 

深雪は肩越しに泣いていた。

その暖かさに私は自分が生きていることを感じた。

だが、私は動悸が止まらなかった。

 

私は確かに一度死んだ。

完全に息絶えてはいなくても、死の淵にいた。

それがこの場に五体満足で生きている。

私が見たあの暗い世界も、梔子の香も、人ならざる美しい女性も、全て死の淵でみた夢だったのだろうか。

 

私は空いた手でそっと額に触れた。

当然そこにはいつも通りの自分の額があるだけだった。

 

達也は深夜様と桜井さんの所にいた。

彼が左手のCADを使うとその姿は傷を負う前の状態に戻った。

達也は情報体を遡り、その情報を自身の演算領域にコピーし、対象が傷を負う前の状態を現在の状態に張り付けている。

 

『再生』

 

達也に与えられた魔法の一つ。

実際に目の当たりにするのは初めてだった。

 

 

 

茫然とする私だったが、乱暴なまでに荒々しい気配に顔を上げた。

精霊が一気にざわめきたつ。

私は抱き付いていた深雪の肩を押さえ、私の背に隠した。

 

「お姉様、いかがなさったのですか」

 

深雪が心配そうにそう聞いた。

 

「気を抜かないで。何か来ているわ」

 

風が慟哭をあげている。

いつもよりなんだか感覚が敏感になっている気がする。

精霊と視覚を同調させて、基地の様子を窺い見る。

いつの間にか部屋は天井が無くて、反乱兵も消えていた。

ざわめきが大きい部分に精霊を向けると、誰かがこちらに駆けているのが見えた。

人数は5人ほどで、戦場には不釣り合いの白い羽織とそれぞれ顔を覆うお面を全員が着けていた。

お面は狐だったり、隈取がしてあったり、猫だったりと様々だが、羽織は統一された白で、背中を見れば四葉楓の印。

私はその羽織に見覚えがあった。

 

 

 

 

5人の内、一人がこちらの部屋の前に到着した。

 

「雅」

 

白い羽織を風になびかせ、緑色の鬼の面をした人が私の名を呼んだ。

空軍基地という場に、戦場には不釣り合いな、まるで祭りのような出で立ちだった。

深雪が私の背中でギュッと服を握った。

 

「深雪、敵ではないわ」

 

警戒する深雪に出来るだけ優しい声で語りかけた。

ゆっくりと立ち上がる。

貧血も起きていない。手も足も動く。魔法も問題なく使える。

 

「初陣だ」

 

お面の男性からは馴染みのある声が発せられた。

遂にこの時が来てしまった。

予想より早いが、成長を戦争は待ってくれはしない。

この道を選んだからにはどの道避けては通れないことだ。

 

「分かりました」

「お姉様、どちらに向かわれるのですか」

 

深雪が私の袖を掴んだ。

縋るような深雪の手に私の手をゆっくりと重ねて振りほどいた。

 

「終わったら、説明するから待っていて頂戴」

「お姉様、行かないでください」

 

振り絞るような深雪の声が心苦しい。

だが、戦況はそれを許さない。

 

「征きましょう、叔父上」

「ああ。ここでは【嵐】と呼べ」

「分かりました」

 

悲痛に歪む深雪の顔を最後に、私は基地を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・深雪・・・

 

空軍基地の指令室に通された私たちはモニターに映し出された戦況を見ていた。

お兄様が右手のCADを敵に向ければ、銃弾も、戦車も、兵士も塵となって消える。

お兄様が左手のCADを味方に向ければ、致命傷を負った兵士はまるで一瞬で再生したかのように戦場を駆ける。

味方にとってはこの上なく頼もしく、敵にとっては言いようがないほどの不安と恐怖に駆られる存在だ。

まるでSFXのような、まるで作り物の映像のような現実感のない光景だった。

 

お兄様が持つ二つの魔法。神のごとき魔法によって私達は救われた。

 

『分解』と『再生』

 

この二つの魔法にお兄様の魔法演算領域は占領されており、情報を書き換える普通の魔法が使えなかった。

それをお母様が人工魔法演算領域をお兄様の精神に埋め込んだことで、お兄様は人並みとは言えないが普通の魔法も使えるようになった。

しかし何の犠牲もなく演算領域を確保することはできない。

お母様の手によって、お兄様の激情の部分にその演算領域を埋め込んだ。

残された激情は私に向ける兄妹愛だけだった。

 

お母様は私といる時間が長いからだと言ったが、その時にはお姉様は婚約者だったはずだ。

未来の婚約者より、四葉家次期当主を護るために妹を選んだ。

 

「お姉様はお兄様の事をご存じなのですか」

 

「知っていて、すべて受け入れて、それでもあの子は達也を手放すことはないのよ。

無論、【千里眼】は最初からこうなることも知った上で雅を達也に宛がわせたようだけれど、私にはなぜそこまで達也に固執するのか理解できないわ」

 

私が兄は姉の相手として相応しくないとお姉様に言えば、困ったように笑っていた。だけれど、その笑みは本当に困惑だけだったのだろうか。

 

お兄様が愛情を持てるのは妹の私だけ。

お姉様の思いは決して届く事の無い想いだった。届いたとしても決して報われることのない愛だった。

 

「お兄様はお姉様を大切に思っていらっしゃらないのですか」

「そうね。あの子は貴方だけを妹として大切にできるわ。無論、一時の感情に流されることも、不確かな恋愛感情に溺れることもないわ」

 

姉は知っていた。

だからこそ、あんなにも困ったように、否、悲しそうに笑っていたのだ。

愛されない人を、愛してしまった。

愛されないと知ってもなお、愛すことを決めた。

それはどれだけ苦しく、悲しいことだろうか。

 

「お兄様がお姉様を愛することはないのですか」

「ええ。仮に深雪さんに牙をむくようなことがあれば、達也は躊躇なく雅を殺すでしょうね」

 

お母様の容赦のない言葉に私は小さく悲鳴を上げた。

喉が焼けるように痛かった。

お母様の施術によってお兄様は激情を奪われた。人らしい感情を最低限だけ残し、魔法師にさせられた。

それが四葉で生きるためにお兄様に課せられた運命だった。

だが、お兄様は間違いなくお姉様を大切にしている。それは私の目から見ても明らかだ。そうでなければあんなに泣きそうな顔をしてお姉様を助けたりはしない。

 

 

私は涙で滲む視界を画面に向けた。

お兄様が敵を殲滅させていた。

まさに神のごとき力だった。

私にできることはなんだろう。

 

私がお兄様とお姉様にしてあげられることは何があるのだろう。

私のこの命ですら、お姉様とお兄様に頂いたものなのに・・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

敵を壊滅状態に貶めた風間たちの部隊は別の命を受けた。

捕虜となった大亜連合軍の兵士を引きつれて内陸部に撤退することだった。

敵の砲撃距離はおよそ20km

連射可能のフレミングランチャーは射程範囲に入れば、その場は焦土と化す。

並の魔法師以下では耐えられない攻撃だ。

 

達也に撤退を命じる風間に達也は算段があると言った。

そのために達也は長距離攻撃が可能な特化型CADを求めた。

風間は撤退する部隊を柳に任せ、達也と共に残ること決めた。

 

その到着と共に、達也は銃弾一つ一つに魔法式を込めた。

どんな魔法が作用しているのか、ただ強力だと言うこと以外には真田と風間には推測できなかった。

 

ガサリと近くの茂みから物音がした。

 

「誰だ」

 

真田は音のした方に銃を向けた。

そこには戦場とはかけ離れた服装の二人がいた。

一人は服の上からでも分かる鍛えられた体つき。

一人はまだ少なくとも成人はしていないと思われる体躯の少女。

どちらも揃いの白い羽織を着ていた。

その羽織には傷一つなく、いっそ返り血の一つも付いていないのが不気味だった。

男の手には大太刀が握られており、少女は不釣り合いな拳銃タイプのCADを所持していた。

 

「久しいな、風間」

「四楓院家の【嵐】か」

 

風間が手をかざし、真田に銃を下ろさせた。

 

「困ってるみたいだな」

 

人を馬鹿にしたような言い方に真田は眉をあげたが、風間は状況を知っていることに特に驚いてはいなかった。

 

「知っていると思うが、砲撃艦が接近している」

「こっちの攻撃も向こうの射程圏内じゃないと現段階では届かないんだろう」

 

男は大太刀を鞘に仕舞った。

視線を少女に向ければ、既に彼女は動き出していた。

 

「調整し直します」

 

達也は一旦左手のグローブを外し、少女と手を繋いだ。

少女は空いた手をCADにかざす。

サイオンの輝きが二人の側からあふれ出す。

 

「これは…」

 

設計した真田は驚愕していた。

自身の設計したCADに組み込まれた起動式が凄い速度で書き換えられている。

通常は専用の機器に接続して何時間もかけて調整するものだ。

それをただ手と手を触れあわせるだけで、使用者のパーソナルデータを読み込み、魔法によって直接CADの起動式のプログラム領域にアクセスし、CADをパーソナルデータに合せて最適化した。

 

通常CADは手にしている場合、魔法による干渉を受けにくい。

それは無意識に使用者が持つ情報強化によって守られているからだ。

技術者からすれば非常識な、魔法工学の常識を覆すような光景だった。

 

「起動式のアレンジはできるか。威力は無視して、飛距離を伸ばしたい」

「やってみる」

 

達也の要望に少女は静かに魔法を発動し、調整を続けた。

その間にも真田たちは接近する巡洋艦の情報を集めていた。

予想よりやや早いペースで接近しており、おそらくあと5分と掛らず射程範囲に入る。

真田は焦れる気持ちを抑えながら、調整を待っていた。

 

「焦らんでもいいぞ。」

 

側に控えて海を見ていた男は飄々とそう言った。

 

「この状況で呑気なものだ」

「信じて良いぜ。四楓院が付いてんだ。これは勝ち戦だよ」

 

真田は四楓院の名に目を見開いた。

敵に対する体の良い噂でしかないと言われていた四楓院家。

この国に災あるとき、黄泉の世界からこの地を護るために使わされた軍団の名だった。

この男が実際に黄泉の世界から、死した人間かどうかは分からないが、少なくとも油断ならない相手というのは分かっている。敵ではないが、味方でもないかもしれない。

 

少女が閉じていた目を開いた。

仮面越しでも目の動きは分かったが、真田は仮面の奥の瞳に底知れぬ深い色を見た気がした。

 

「調整終わりました」

 

その声に真田は現実に戻った感覚がした。

戦場に立っているのに、砲撃が迫っていると言うのに、真田には目の前の少女と得体のしれない男しか映っていなかった。

真田は軍人失格だなと奥歯を噛みしめた。

 

「試射します」

 

達也はグローブをはめ直し、銃を上方45度に構えた。

筒の先端に仮想領域が展開される。

射出された銃弾は設計飛距離を大きく超える距離で飛んでいた。

 

「20kmを越えました」

「これでいけるか」

「いや、短いだろう」

 

真田の期待を込めた声は鬼面の男が首を振って否定した。

敵も既に試射を始め、砲撃距離を測っていた。

陸には到達していないが、海面には水しぶきが上がっている。

この場に爆弾が降り注ぐのも時間の問題だろう。

 

「ギリギリまで引きつけて撃ちます」

 

達也は銃を構えたままの姿勢でそう言った。

 

「こっちが攻撃される可能性は度外視か?」

「四楓院なら神風くらいおこせるでしょう」

 

男の問い賭けに対して達也の返答は不遜な物言いだった。こんな時に運頼み、神頼みとは何とも勝算のない賭け事だ。

 

「ははっ、良いぜ。おい、お前も詠え」

 

だが、達也の物言いが気に入ったのか、男は大太刀を抜き、少女も腰に差していた小太刀を抜いた。一体射程どころか、攻撃範囲も狭い刀剣で何をするのか、真田にはまったく理解できなかった。

 

神風とは言ったが、それはあくまで歴史上のことだ。

かつて元の国から攻め入られた九州北部は神風によって敵を退けたことが有名だが、季節風の影響としか言えないことだ。

あるいは黄泉の者なら人ならざる力を持って風向きすら変えることができるのかと風間と真田は離れた位置で見守っていた。

男と少女は向かい合い刀を交え、祝詞を紡いだ

 

 

『“太古よりこの地を護りし精霊よ

我らが呼びかけに答えよ

水の精霊

風の精霊

地の精霊

火の精霊

金の精霊

この地を荒らす災いを葬ろう

この地を護り安寧を取り戻そう

我らはイザナミの系譜

我らはこの国の守護者

今、この地に神風をもたらせ”』

 

二人が祝詞を終え、海に向かって互いに刀を向けた。

その瞬間、真田たちの背後から突風が吹き荒れた。

まさかと思い確認すれば、風向、風量共に射程を延ばすことができるバランスであり、この風が続けば敵の射程に入る前に攻撃が可能となる。

 

「本当に貴方たちは人間ですか?」

「ん?人間だと名乗ったつもりはないぜ?」

 

驚きを通り越して呆れる真田に鬼面の男は仮面の奥で目を細め笑った。

 

 

 

 

 

そして敵巡洋艦が射程範囲に入る前に達也は続けざまに4発の銃弾を放った。その内の一発が巡洋艦4隻の中央の上空に達した。

達也は精霊の眼を通じて得た情報を元に、右手を突き出し、開いた。

 

質量分解魔法『マテリアル・バースト』

 

後に戦略級魔法と認定されるその魔法が初めて使用された瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 




追記:誤字訂正しました。

感想いつもありがとうございます。

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