灼熱のハロウィンから1週間が過ぎた。
テレビでは若干熱は冷めたものの、未だに朝鮮半島で起きた謎の大爆発のニュースが取りあげられている。
テロリストの犯行、大亜連合内部の分裂、はたまたUSNAの陰謀説まで出ている。
論文コンペで横浜にいた私たちはテロリストと交戦したため、事情を聴かれることもあったが、普段通りの学校生活を取り戻していた。
達也は風紀委員の見回り、深雪はこの間の論文コンペの関係で生徒会の仕事をしている。
三高のプレゼンが出来なかったので、研究成果の発表をどうするのか、調整を行っているらしい。
今日の所は部活もなく、私は行きつけの古書店に足を運んでいた。
手袋をはめ、茶色くなった古めかしい本をめくる。
祈子さんから紹介してもらったこの店は駅から学校までの大通りから少し脇道に入った場所にあり、一高生徒でも知っている人は少ない。
日本は何でも記録するのが好きな民族らしい。
海外に行って写真ばかり取っているアジア人がいたら日本人だと思えと言われるほど、ありきたりな物でも写真に残す人が多い。
それは様式の異なる昔の日本でも同じことで、下らない笑い話や噂話ののった江戸庶民の日記も多く残っている。
電子化された現代では150年分くらいの出版物は電子媒体で購入できる。
絶版も無縁の存在となり、多種多様な本が電子化されることは購入のしやすさという面からみればいいことなのだろう。
しかし、紙の本には意思が宿ることがある。
それは持ち主の強い感情だったり、書き手に惹きつけられた精霊だったり、付喪神となったものまでいろいろだ。名立たる経典や魔導書の一部には霊獣や魔法生物が宿るというのだから現代魔法から言えば眉唾な話でもある。九重の神社には奉納された文献も数多くあり、中には悪さするために封じられているものもある。
曰くつきの文献は重要に保管されているが、ごくたまに古本市に流れることがある。
古式魔法師の目に留まればいいが、扱い方を間違えた一般人が持っていると不運を招くこともあり、取り扱いは慎重にしなければならない。
この古書店でも何冊か霊子が集まったものに目星をつけ、購入し、実家に送る。
今すぐお祓いをしないと危ないものはなかったが、素人が下手に扱うより専門家に聞くのが早いだろう。
古書店から出て表通りに戻り、駅までの道を歩く。
この道を通うのも半年となれば、随分と早い気がする。
いつもは深雪や達也がいるが、一人で歩く道はなんだかやけに長い気がした。
もうすぐ冬を迎える秋の空は高く、街路樹も葉を散らせ、少し物悲しげな様子だった。
「雅ちゃん」
後から声を掛けられ、振り返ると七草先輩が手を振っていた。
三年生は既に自由登校になっているが、今日は来ていたようだ。
立ち止まって先輩が追いつくのを待った。
「今帰りよね?」
「部活はないですし、何かお困りごとですか?」
「暇だったら、お姉さんとお茶していかない?」
七草先輩はにっこりと笑った。
何で私を誘ったのかという疑問より、この人受験生なのにいいのだろうかというのが第一に浮かんだ。
七草先輩が大学に落ちるようなことがあると言えば、それこそこの間のような侵略か天災に見舞われない限りないだろう。
先輩は先輩で家や勉強の愚痴の一つでも零したいのかもしれない。
同級生は受験勉強で忙しいし、中条先輩にはあまりアンダーグラウンドの話はしにくい。
その点、私ならば古い家で何かと人のあれこれを見てきた分、問題はないと判断したのだろう。偶然体の良い後輩が捕まったともいえる。
「あまり遅くならなければ大丈夫ですよ」
仕事で出向いていた次兄は明日京都に戻るため、夕飯を一緒に食べることになっている。
仕事といっても、横浜の一件とは無関係に神職としての仕事だ。
私の返答に七草先輩は満足げに頷いた。
「そう。じゃあ行きましょう」
七草先輩に少なくともこの時は裏など感じられなかった。
七草先輩の案内で行きつけだという喫茶店に入った。
駅から学校へ行く道とは反対方向の店で、私は初めてくる場所だった。
チーズケーキの美味しいお店ということで、渡辺先輩や市原先輩とも立ち寄ることがあるそうだ。
話は案の定、七草先輩の愚痴やおしゃべりに付き合うものだった。
最近の様子や勉強の事、家族の事や魔法のことも話題になった。
灼熱のハロウィンの事も話題に出たが、私もニュースで出ていること以上の事は知らないと通した。
あの日、私の姿は横浜にあったが誰も所在は知らない。
即日、生徒全員に安否確認の連絡がなされたが、その辺は適当に誤魔化した。
カメラ映像を出せと言われているわけでもないし、いざとなれば適当に響子さんに協力してもらえばいいことだ。
七草先輩も引き際を弁えているのか、あまり深く聞くことはなかった。
家の愚痴については詳しくは語られなかったが、七草先輩も十師族で色々と
「へー。雅ちゃん、お兄さんいるのね」
「兄が二人いて、私は末っ子ですね」
「そうなの。私も兄は二人と妹が二人いるわ。双子で、来年入学してくるからよろしく頼むわね」
【七草の双子】は【妖精姫】とはまた別に有名な存在である。
来年入学であれば、どちらかが主席である可能性は高いだろう。
「七草先輩の妹さんなら心配はないと思いますよ」
「そうかしら。結構二人ともそそっかしいというか、子どもっぽいところが多くて」
「頼れる姉がいるからこそ、子どもらしく甘えているのではないでしょうか」
「そうかしら。ああ、でも深雪さんと雅ちゃんを見ているとそんな気がするわ」
クスクスと笑う七草先輩に私もつられるようにして笑った。口をつけたコーヒーはアイネブリーゼのマスターの方が美味しい気がした。
喫茶店に入って30分ほどしたころだろうか。七草先輩の携帯端末が鳴った。
七草先輩は端末に表示された名前を見て、一瞬顔をしかめたものの、直ぐに笑顔に戻った。
「ちょっと外すわね」
「ええ」
端末を持って先輩は一旦外に出ていった。
多少興味はあるが、所用でもあるのだろう。
手持無沙汰だったので、個人用に古書店で買った古本を開く。
魔法がファンタジーだったころの洋書で、児童文学にしては意外と面白いと店主から勧められたものだった。それほどまで七草先輩も電話に時間を取られないだろうから、パラパラと捲るだけにしておく。
しばらくして再び扉を開けて店の中に入って来た七草先輩は深刻な顔をしていた。
「雅ちゃん、悪いけど一緒に来てくれる?」
「分かりました」
理由はこの場で聞かない方がいいのだろう。
支払いは七草先輩がテーブルで済ませており、店の外には既に七草家のものと思われる車が止まっている。
本を鞄に戻し、喫茶店から出て七草先輩に続いて車に乗り込む。
「雅ちゃん、多少荒っぽいことになるかもしれないから覚悟してね」
車が発進すると同時に後ろから後続の車が付けてきた。
相手は自動運転ではない。完全マニュアル仕様の改造車だった。
こちらとの距離をある程度は取りながらも、スピードは既に規制速度を超過している。
通常、一般車ならば規制速度を越えないように自動制御が働く。
この車も速度超過しているが、七草家という家柄であれば不思議ではない。
「しつこいわね」
七草先輩はCADを待機状態にした。町中にサイオン感知レーダーが配置されているが、緊急事態ならば魔法の発動は許可されている。
「お嬢様、増援はしてあります」
「到着は?」
「あと3分ほどお待ちください」
名倉さんは焦る様子もなく、車を自在に操っている。
追跡者との距離は未だ開いたままだが、しびれを切らしたのか、相手は窓から銃を持ちだしてきた。しかもアンティナイトによるキャストジャミングも併用してきている。
七草先輩も頭を押さえ、顔を歪めた。
魔法師にとって天敵ともいえるアンティナイトだが、その希少性から流通しているのはごく一部だ。よほど力のある組織が攻勢を仕掛けてきたのだろう。
「ああ、もう」
七草先輩が苦々しく、背後の車を睨みつけた。当然、この車は防弾使用であるためロケットランチャーでもない限り、ダメージを与えることはできない。
だが、魔法師の使うジャミングは非魔法師の使うジャミングに比べて持続時間、範囲、効力共に上回る。
遠距離魔法の世界屈指の使い手を相手に準備は入念にしているようだ。
こうしている間にも車間も詰められたように感じる。
「なんで交通量が多いのよ」
七草先輩が苛立たしげに進行方向を睨みつける。帰宅ラッシュの時間とも重なっているのか、下手に魔法を発動させて相手の車を攻撃すれば周りにも被害が及ぶ。
渋滞するほどではないが、車と車の間を縫うようにしてスピードを出している状態だ。
私は鞄から札と特化型CADを取り出し、安全装置を解除した。
「雅ちゃん、どうするつもり?」
「車を止めます」
札を窓ガラスに張り付け、ジャミングをシャットアウトする。
頭の中の金属音が止み、追跡している車に魔法を投射する。
追跡していた車は徐々にスピードを落し、停止した。
七草先輩が目を丸くしていた。
「あれだけジャミングがある中で、どうやったの?」
「力技ですよ。キャストジャミングを上回る干渉力で、魔法を発動しただけです」
私達周囲のジャミングは札で結界を張り、影響が無いようにしている。
ジャミングの波はさながら波を貫く弾丸のようなイメージで乗り越え、追跡者の車の電子回路を破壊した。
「雅ちゃんってそんなに干渉力高かったの?」
「ジャミングの波と波の間を貫くような感じでしょうか。
七草先輩もジャミングのない場所からの攻撃ならば、届きますよ」
キャストジャミングの対策として、ジャミングの有効範囲外からの攻撃は対抗策として有名だ。物理的に攻撃するのも一つの手だが、360度全方位にジャミングがめぐらされていなければ、ジャミングの影響のない位置の情報を改変すれば魔法は発動できる。
ただし、自身にジャミングが浴びせられていたら、そもそも魔法発動自体が難しいので、必ずしも使えるわけではない。
「お嬢様、このまま本邸に戻ります」
「ええ。分かりました。悪いけど、雅ちゃんにももう少し付き合ってもらうわね」
「ええ」
後方を振り返れば既に七草家の増援が追跡車に張り付いており、容疑者の取り押さえを行っていた。
車のロックシステムも破壊していたはずだから、内部から鍵を開けることもできず、閉じ込められた格好となっていたのだろう。
札を剥がし、特化型CADを鞄にしまう。
十師族が一角、七草家。
これ以上何もなければいいがと邪推してしまうが、果たして鬼が出るか蛇がでるか見ものだった。
七草家本邸は一目で豪邸と呼ばれる規模だった。
私の実家も広い方ではあるが、それでもまだ広いですまされる規模だ。
七草家は広大と呼べる規模であり、聞けばスピードシューティングの練習場まであるらしい。
応接間に通され、出された紅茶に口を付ける。
名倉さんの話では付けてきたのはおそらく七草先輩を狙った誘拐犯の類であり、先日の横浜襲撃の残党兵らしい。今は警察と協力して主犯格の炙り出しも行っているそうだ。
今日は兄と夕食の予定だったが、これは迎えに来てもらった方がいいのだろう。
「巻き込んでごめんなさい。遅くならないうちに家まで送るわ」
「大丈夫ですよ」
「念のためよ」
七草先輩は語気を強めた。確かに今回の襲撃は七草先輩を狙ったものかもしれないが、私も顔が割れているかもしれない。
「今夜は兄と食事をすることになっているんです。兄に迎えに来てもらいますから、構いませんよ」
四葉本邸ほどではないが、この家の雰囲気もあまり好ましくはない。
外観も内装も意匠が凝らされ綺麗に整えられているのに、どこか仄暗いオーラがしていた。
七草先輩が渋い顔をしていると、部屋の扉がノックされた。
扉の向こうからの名乗りはなかったが、名倉さんがドアを開け、背筋を伸ばし一礼した。
「失礼する」
入ってきたのはスーツ姿の壮年男性だった。50歳には届かず、細身の体躯のビジネスマンといった風貌だが、その目は野心的だった。色つきの眼鏡の奥には動かない左目があった。
その姿と名倉さんの態度に彼がこの家でどのような立場にいるのか理解した。
「お父様、どうしてこちらに」
「九重さんにお話があってね。真由美、少し席を外してくれないかい」
困惑する七草先輩に七草家当主は言葉こそ丁寧だが、有無を言わせない声色でそう言った。
名倉さんは既に扉を開いて待っており、退出を目で促していた。
「彼女は私の都合に巻き込んでしまっただけなのですが、お話とはいったいなんでしょうか」
「真由美」
引き下がった七草先輩を容赦なく隻眼が射た。
その眼光に七草先輩は一瞬体を固くした。
「お邪魔しております、七草家ご当主様。
御在宅とは存じ上げず、挨拶が遅れましたこと大変失礼いたしました」
私は椅子から立ち上がり、出来るだけ丁寧に一礼した
「面白いお話はできませんが、『九重』に『七草』からどのようなお話を聞かせていただけるのでしょうか」
私はゆっくりと唇に弧を描いた。
私の問いかけに当主は笑みを深めた。
七草先輩が部屋を出ていった後、新しい紅茶が私たちの目の前に運ばれてきた。
先輩が部屋を出ていく直前まで当主を睨みつけていたのは見なかったことにしておいた。
「初めまして、九重の姫君。七草家当主、七草弘一です。今日はこちらの事情に巻き込んでしまい、大変申し訳ありませんでした」
七草家当主は人のよさそうな笑みを浮かべていた。
先ほどまでの野心的な目は一旦身を潜め、獲物を狩る準備をしているようだった。
「下手人は既に捕らえておりますので、どうぞご安心ください。不謹慎ではありますが、九重の桜姫が我が家に来ていると耳にいたしまして、こうして機会を設けさせていただきました」
「それは光栄です」
私の返答に満足げに七草当主は紅茶に手を付けた。
「そういえば」
自然と1トーン下がった声が、静かな応接間に響いた。
「長兄は結納も済まされ、次兄も北の方を見つけられたとか。司波達也は生まれながらして貴方の婚約者という誉れを授かっていると耳に挟みました。九重は縁起の良いことが重なりますね」
「ありがとうございます」
「どのような縁を紡がれたのか、お聞きしてもよろしいですか」
横浜の一件から随分と調べが早いことだ。
ただの高校生である達也や深雪の動きは七草家当主なら把握しているのだろう。
しかも深雪は七草家のヘリに同乗していたので、『コキュートス』までは知らなくても、精神魔法を使ったことは知られているかもしれない。
「九重は名門中の名門、歴史にその名を刻む素晴らしき系譜だと心得ております。次期当主の伴侶となれば、それ相応の家から嫁がれるのでしょうね」
「何かと制約の多い九重当主が唯一自由を許されているのが、婚姻相手の選定です。残念ながら私にもお相手が誰なのか教えてくださいませんが、兄が選んだ者を私は信じます」
九重の光源氏と呼ばれる兄の相手は何時しか『北の方』、『紫の上』と陰ながらに呼ばれている。私も誰を選んだか知らされていない。ただ、それとなく話を聞いてみたらこれから自分色に染め上げると言っていたので、私は心の中でその相手に合掌した。
ぽやぽやと浮草のような兄だが、根付かれたら今世は離してもらえないだろう。
「ご存じないのですか」
「ええ。薄情な兄です」
ため息交じりに言えば、七草家当主は顔色を変えずに矛先を私に向けた。
「では、貴方と司波達也の縁はどうなのでしょうか。彼は二科生ながら規格外の優秀な成績を修めていると聞いています」
達也にまで目を付けているのか。
確かに、九校戦では圧倒的なエンジニアとしての才能を見せつけ、モノリスコードで一条将輝に勝利し、論文コンペに1年生で参加していれば、嫌でも目に付くだろう。
深雪も含め、家系的な因子を探られても不思議ではない。
私の婚約者ということで四楓院家の子飼いだと思われるならばいいが、十師族の系列だと思われるのは厄介だ。
「彼が選ばれた理由はただ一つですよ」
私の言葉に期待するように、七草当主はやや姿勢が前のめりになった。達也には興味を持っているのが見て取れる。
これは何度も自問自答してきた答えだった。
どうしてこんなにつらく苦しいのに、達也が嫌いになれないのかと。
好きになってもらえない現実が苦しい。
報われることがないと知って、諦めようとしたこともあった。
「私がいて、彼がいた。それが縁の全てです」
ある意味必然の出会いで、縁だった。
かつて曾祖母に尋ねたことがある。
それでもただ曾お婆様は優しく語りかけるだけだった。
互いの縁が互いを生かしている。
この赤い糸が切れれば、どちらも生きてはいなかった。
私には見えない、千里を見通す目がそう語った。
だから、お互いの存在自体が生きている理由で、これからも生きていく理由なのだと曾お婆様は語った。
私はそれを信じることにした。
隠すことはあっても偽らない【千里眼】を信じ、何より達也を大切にしたい気持ちを大切にしたいと思ったのだ。
「おや、随分と詩的な表現ですね」
私の答えに七草当主は失笑した。
確かに運命論だなんて、ロマンチスト気取りの気障な言葉だろう。
「私が語るのも烏滸がましいですが、本来婚姻とはそれだけで十分ではありませんか」
「そうありたいと願えども、そうなれないのが人の世の辛いところです」
当主は一瞬眉をひそめ、その瞳の奥に燃え上がる物を見た気がした。
以前、会長の事を話したら兄がそっと呟いたことがあった。
彼女の名からは忘れられない初恋の香りがするらしい。
「真夜」と「真由美」
よく名前に使われる字であり、偶然だとしても、邪推してしまうのは人の性だろう。
沈黙が部屋を支配する中、外に控えていたメイドがインターホンを鳴らした。
「失礼いたします。当主様、九重悠様がお見えです。雅様のお迎えだそうですが、外でお待ちです」
どうやらタイミングよく、兄が迎えに来たようだ。
待ち合わせ場所の変更も連絡もしていないが、今回の事も兄にとっては目の届く範囲の出来事だった。
「外で?」
七草当主は怪訝な表情を浮かべた。
客人を迎えに来たにしても、相手は九重の次期当主。
応接室にまでは通すのが礼儀だとこの家の者は理解しているはずだ。
「『色々と見られても困るものがあるでしょう』とのことでした」
当主はその言葉に眉間の皺を深めた。
私の手前とあって一瞬の事だが、千里眼の力がどれほど見通せるのか分からない中で家の中に招き入れるのは得策でないと判断したのだろう。
玄関ホールまで当主に見送られ、七草先輩は外までついて来た。
兄に事情の説明と挨拶をするためだと言っていたが、兄の事なら私が連絡せずともここにいたことは知っていたし、事情もさらに深くまで知っていただろう。
名倉さんまで付いてきているのは使用人として客人を見送るためなら仕方ないにしても、兄がいることに対する警戒心もあるのだろう。
門を開けてもらい、外に出ると壁沿いに車が横付けされていた。
外では兄が普段通りの着物で立っていた。
「待たせて悪かったね」
「お迎えいただきありがとうございます」
兄は気さくに手を挙げ、私は一礼した。
七草先輩は兄を見るなり茫然としていた。
確かに兄は目を疑うような美丈夫で、美しいを通り越して麗しいといえる。
絶世の美少女と称される深雪や、儚い美少年の光宣君が隣に並んだとしても霞む事の無い均整の整った顔立ちは見る者の目を奪う。
同じ親から生まれたとは思えないほど整いすぎた兄だが、平成の光源氏と呼ばれた曽祖父の隔世遺伝だろうと言われている。
長いまつげに縁取られた瞳が柔らかく微笑んだ。
「こんばんは、七草の御嬢さん。はじめまして、雅の兄です」
「こ、こんばんは。七草真由美と申します」
七草先輩は淑女らしく丁寧に頭を下げた。声が上ずったのは仕方のないことだろう。
同じ家に住み、幼いころから見てきた私ですら時折恐ろしく感じる美貌だ。初対面ならば衝撃も理解できる。
「今日は危ないところをありがとうございます。後日、改めてお礼をお送りしますので、お世話になりましたお父様方にもよろしくお伝えください」
「いえ、こちらこそ巻き込む形となって申し訳ありませんでした。父にも申し伝えます」
にっこりと笑った兄の目は笑っていなかった。
これは予想以上に黒い思惑が当主にはあったのかもしれないと掌に汗が滲んだ。
「それでは、これで失礼いたします」
兄が助手席の扉を開ける。自分で助手席位開けられるが、なんだかエスコートされている様で微妙な気分になった。
「七草先輩」
乗り込む前に一度七草先輩を振り返った。
「誘拐犯は身内の様ですよ」
「えっ」
「今日は美味しいお茶を御馳走様でした。またの機会はないと思いますので、よろしくお父様とお兄様にお伝えください」
何のことかと言いたげな様子の先輩を無視して、私は車に乗り込んだ。
予定通りレストランでの食事を終え、兄に家まで送ってもらった。
今日は司波家ではなく、マンションの方に帰る予定にしていたがいつのまにか進路を司波家に向けていた。念のために一緒にいた方がいいというが、兄がそう言うなら七草がこの車を付けていると言うこともないのだろう。
残念なことに明日は平日だが、七草先輩は自由登校であるし、学校で会うことはないかもしれない。
司波家には事前に連絡していたため、深雪がお茶の準備をして待っていた。
「テロの残党を騙って狂言誘拐とは、随分と手の込んだ招待の仕方ですね」
「雅の実力を見たかったんだろう。女子で九重神楽を舞い、四楓院に名を連ねるのは100年ぶりだからね」
今日の誘拐犯、ただ事ではないかと考えていたが、どうやら七草家の自作自演だったようだ。
先日の意見も考えて手の込んだ訓練に偶々私がいたため、七草当主は好機とばかりに話を持ちかけたようだ。
「達也。七草は今後も警戒しておきなさい。君たちの素性も怪しまれている。達也と一〇一大隊との関係を探ってきているのは既知かな」
「軍との関係が探られていることは知っていましたが、七草だとは初耳です」
達也は灼熱のハロウィンの一件で軍との接触を四葉当主に禁じられている。
達也が軍属であることを七草先輩が対外に漏らすことはないだろうが、ボディガードの名倉の主人はあくまで七草当主だ。
言葉さえ気を付ければ、当主に情報を渡すこともできる。
「七草家がお姉様を狙っているということでしょうか」
深雪は心配そうに眉をひそめた。
「正確には四楓院の直系として目を付けられているようだ。
京都と違って煩わしい相手も少ない分、味方も少ない。君たちは頼りにしているよ」
「分かりました」
「お任せください、悠お兄様」
達也は真剣な表情で頷き、深雪も誇らしげに首を縦に振った。
「それじゃあ、そのお礼に一つ面白い情報をあげよう」
口を付けていたカップをソーサーに戻し、兄は指を立てた。
達也の顔が強張る。深雪も息を呑んでいた。
【千里眼】からもたらされる情報の意味が軽くないことは重々承知の上だった。
「3学期に来訪者があるが、君たちとも浅からぬ縁になるとだけ言っておこうかな」
USNAが灼熱のハロィンの原因は質量分解によるエネルギーではないかというところまで推測している。直接的に関わりがあった私達に直接探りを入れてくることは不思議ではない。
魔法師の保護のために、海外渡航は厳しく制限されているが、同年代の魔法師が訪日してくると言う事だろうか。
「軍関係者ですね」
「これ以上は追加料金だよ」
本心の読めない笑みに達也はそれ以上言及しなかった。
時間も遅くなったことで兄はマンションに一泊してから帰ることにしたそうだ。
明日は休みにしていたので、それほど仕事には支障がないらしい。
深雪は兄を玄関まで見送っている。
私が本当であれば見送るべきなのだが、疲れているだろうから良いと深雪が出てくれた。
「疲れたのか?」
「うん。少しね」
あまり褒められた格好ではないが、ソファーにもたれかかる。
達也は私の隣に座った。
眉が少し下がっており、心配してくれているのが分かる。
「ねえ、達也」
私も色々と気疲れしているのだろう。
もしかして不安だったのかもしれない。
あまり思考の働かない頭で、普段は絶対に聞くことはないことを聞いてしまった。
「私のこと……」
達也の動きが止まった。
それと同時に私の頭も一気に冷えた。
何を聞いているんだ、私は。
そんなの分かりきった、答えられない問いではないか。
「ごめんなさい、困らせるようなことを言って」
私は達也の手を掴んだ。
焦りで心臓が早鐘を打っている。
「大丈夫よ。少し疲れただけだから、気にしないで」
声が震えた。
達也の顔を見ることができなかった。
口の中が急速に乾いていく感覚がした。
「雅」
「少し早いけれど、休ませてもらうわ」
達也は何も言わない、これが正しい答えだ。
縋るように掴んでいた達也の手を離す。
だが離れていく私の手を達也は掴み、引き寄せた。
達也の腕が私の背中に回る。
痛いほどの抱擁に私は戸惑うばかりだった。
「達也?」
抱きしめられているので、彼の顔を窺い知ることはできない。
悲しんでいるのか、これもただの慰めなのか、私には読み取ることができなかった。
「・・・・すまない」
達也の口から小さく漏れたのは謝罪だった。
それは何に対しての謝罪か。
改めて意味を聞くまでもなく、私の胸を引き裂くには十分な言葉だった。
私は達也の胸を押し、彼から離れた。
顔を上げることはできなかった。
逃げるようにしてリビングから出て部屋に駆け込んだ。
知っていたはずなのに、理解していたはずなのに、改めて現実を突きつけられると涙があふれてきた。
どれだけ強がっても、私はきっと彼に愛されたいのだ。
四葉本邸
ここは『四(死)の魔法師工場』と呼ばれている四葉の中枢だ。
その屋敷の主人である、四葉真夜が優雅に紅茶を嗜んでいた。
これから来客を予定している。
客といっても、彼女にとっては油断ならない相手だった。早々に会ってしまい別の仕事に取り掛かりたいのはやまやまだが、一旦気分を落ち着ける必要があった。
世界から最強の魔法師として畏怖されている自分が身構えてしまう相手。
魔法的にも物理的にも相手が一人でこの屋敷にやってくる以上、戦うことになっても勝率はこちらが圧倒的に高い。
もし命を脅かそうともこれから訪れる人物は優雅に微笑んだままだろう。
それに対し、薄気味悪いと言うより、どこか畏れを感じてしまう。
圧倒的な力を持ちながらもそれを私欲に使うことはない。
鉾がこちらに向いてくることがないとはいえ、大義名分のもとに力が解放されてしまえばその力は強大だ。
おそらく彼にはこちらがこうして思案していることすら御見通しなのだろう。
「真夜様、そろそろお時間です。御通ししてもよろしいですか」
「ええ、どうぞ」
四葉家筆頭執事の葉山は主人の気持ちを慮りながらも執事としての仕事を全うしていた。
外にいた女性の使用人に客人を招くように伝え、自分は真夜の紅茶を一旦片づけ、新しいものを入れ始めた。
「あの一件で色々と面倒が増えているのに、また面倒事が舞い込んでくるのかしら」
真夜はソファーに身を預け、深いため息をついた。
灼熱のハロウィンの一件で、大亜連合艦隊とその基地は壊滅ではなく消滅した。
出撃のために軍港にいた十三使徒の一角も巻き込まれ、戦死している。
USNAが爆発の原因の尻尾も掴んでいるし、達也たちが目星をつけられているのも既知のことだ。国防軍には達也との接触をしばらく禁じたが、近いうちにUSNAからスパイか何かが接触してくる可能性も高い。
「上手くいけばこちらも有益な情報がもたらされますよ」
「そうね。でもそれは虎穴であることは変わりないでしょう」
その名を四葉に知らしめたのはおよそ30年前の事。
真夜によっても大きな意味合いを持っていた。
忘れたくても忘れられない記憶。
絶望と凄惨と憐憫と悲哀に満ちた日々と幸福と慈愛を与えてくれた人の記憶。
今でも真夜の心の奥底に残り、ほろ苦く甘い記憶となって甦る。
真夜が追憶の波に浸っていると、扉が静かに叩かれた。
「失礼します。九重悠様をお連れいたしました」
青年の声に葉山が真夜と視線を合わせ入室の許可をだした。
真夜は姿勢を正す。
優雅で気品のある貴婦人としての笑みを浮かべ、来客を待ち構えた。
「こんにちは、悠さん」
「ご機嫌麗しゅう、真夜様」
背筋が凍りつくような美丈夫は優雅に微笑んだ。
深雪の絶世の美貌を知っている真夜や葉山ですら、一瞬見惚れる笑みだった。
「お茶はいかが?いい茶葉が入ったのよ。」
「ああ、それは楽しみですね」
【千里眼】の鬼がもたらすのは吉か凶か。
優美な笑みの下、お互いの眼は静かに炎を浮かべていた。
大漢事件の一件も少々改変が入っています。
後々語ることになると思います。