恋ぞ積もりて 淵となりぬる   作:鯛の御頭

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18巻買いました。
まだ読んでません(´・ω・`)



来訪者編4

達也は九重寺で八雲との鍛錬を行っていた。

体術は互角。

駆け引きは達也が何手も及ばず。

ゆえに手数で達也は八雲と渡り合っていた。

距離を取られた後、距離を詰め達也が相打ち覚悟で繰り出した掌底は空を切り、関節を押さえ込まれるように地面に倒された。

 

「いやー、焦った、焦った。『纏いの逃げ水』が破られるだなんて思わなかったよ」

 

八雲は押さえ込んでいた手を外し、冷や汗を拭う動作をした。

口で焦ったとは言いながらも、まだまだ底の見えない実力と余裕を見せていた。飄々とした様子は若く見えるが、実年齢は達也の父親よりも上だ。

 

「師匠、あの術は普通の幻術ではありませんね。『纏いの逃げ水』と言うんですか」

「やれやれ、君の目は厄介だね」

 

嘆息する八雲だったが、愉快そうに唇の端が歪んでいた。おそらく達也に見せたということは隠すつもりはなかったのだろう。

 

「視ただけで相手の術式を読み取ってしまう君の異能は相手にとって脅威そのものだ。だが、それを逆手に取る方法がないわけではない。

君はよく知っているはずだし、今まで見たことあるはずだよ」

 

考えてみろという問いかけに、思考の海に入る。

可能性を上げては絞り込んでいく中で、ふと達也の脳裏に桜の中に翻る装束が浮かんだ。

 

「九重神楽ですか」

 

達也は何度も九重神楽の舞台に招待されている。

雅は13歳からは男装をして臨んでいるが、時折元の年齢や性別とあまりにかけ離れた容姿をしていることがある。化粧技術と服装によるものだと思っていたが、確かにそれだけでは言い表せないこともある。

宗教儀式であると同時に、魔法の詮索はマナー違反。特に古式はその秘匿性が強いため、達也も興味がありながらもその本質に触れることはなかった。

 

「そう。あれも人と八百万の神々の眼を楽しませ、誤魔化すためのものだよ」

「誤魔化す?単に奉納目的ではないということですか」 

「いいや。奉納の意味合いが強いよ。ただ、姿を変えていないと女性は神様に魅入られてしまうからね。君だって雅君が君以外のところに嫁ぐのは不本意だろう」

 

八雲のからかいも達也はいつものことと流した。

八雲は達也の連れない反応も織り込み済みで、言葉を続けた。

 

「纏いも九重神楽もこの世ならざるモノのためにあるんだ。

纏いは異能への対抗手段、九重神楽は神様への奉納。

互いに意味合いは違っても起きている現象は近いものがあるよ」

 

完全な変身は物理学上も魔法科学上も不可能と言われているが、光波干渉系魔法で外見の印象を操作することはできる。先ほど見せられた纏いも九重神楽も座標を偽るという意味では同じだった。

だが、それ以上に達也には八雲の発言の中に気になる言葉があった。

 

「師匠、今この世ならざるモノとおっしゃいましたか」

 

正解だと言いたいような顔つきで八雲はうなずいた。

 

「ああ、僕たちが相手にするのはなにも人間ばかりではないし、それほど珍しいことではないよ」

 

八雲が明確に答えを言わないことはいつものことだ。

自分で答えを出してみろと言っているのだろう。

達也は妖怪の存在は信じていないが、ただの人間ではない者がいないとも信じてはいなかった。

 

「・・・おや、雅君。練習は終わったのかい」

 

達也が八雲との問答を続けていると、境内の奥から雅が姿を現した。

その髪は汗でぬれており、肌も上気していた。

冬の寒さも相まって汗が冷えてしまうが、その点は寒気を遮断する魔法を作り出して体を冷やさないようにしている。

 

「ええ、ありがとうございました」

 

彼女は彼女で舞の練習があり、境内の一部を借りていたところだった。

九重神楽の練習はどこででもできるわけではない。

たとえ練習であったとしても精霊を喚起してしまうため、サイオンレーダーに引っかかる場所ではできない。

術式の秘匿性もあり、練習風景を見られるわけにもいかない現状がある。

そうするとある程度広さがあって、なおかつ外部からの侵入も偵察もない場所となればおのずと場所は限られてくる。

 

「容易いことだよ。さて、待っている間に答えは出たかい」

「意図的になら人ならざるモノに遭遇はできるということ、ということですか」

「うーん、君のような知恵者でも先入観と予備知識の罠から逃れるのは難しいか。君は今まで何度も遭遇しているし、隣で使っているのもよく見ている。君たちがSB魔法とよぶ魔法は一体何を媒体としているかい」

「あ・・・」

 

達也は思考の穴を突かれた感覚がした。

それは確かに今まで何度も遭遇しているし、雅や幹比古が使っていたのを見てきた魔法だった。

 

「『生体を持たない』という点ではこの世ならざるモノだよ。ウイルスや細菌と同じく意思を持たなくともそれらは人体にとって害をなす『生き物』に異論はないはずだ」

「現象から切り離された孤立情報体の『精霊』もまた『この世ならざるモノ』だということですね」

「ああ。それに精霊に意思がないだなんて誰が確認したんだい」

「それは誰もいませんね。千里眼なら知っているかもしれませんが」

 

達也はちらりと雅の方を見た。

雅は困ったよう苦笑いを浮かべる。

彼女としても考えはあるにしてもここで口を挟むつもりはない様だ。

 

九重の流派をはじめ神道系の魔法師の中には精霊に意思があると思っている者もいる。岩や森、海といった自然界の者にも霊が宿ると言われるアニミズムも古くから受け継がれ、現代の日本人の根底に根付いている。

 

「現代魔法では精霊は自然現象に伴ってイデアに記録された情報体が実体から遊離して生まれた孤立情報体と定義されています。精霊はもとになった情報を記録し、それに指向性を持たせることで情報から現象を再現できるとされています。では人の幽体に寄生して人間を変質させるパラサイトは何に由来した存在なのでしょうか」

 

「パラサイトか。イギリス風の言い方だね。さて、雅君はどう思うかい」

 

八雲は雅の考えを問うた。彼女は途中からしか話は聞いていないが、大よそ話の流れはつかめているだろう。

 

「パラサイトは人の精気を喰らい、乗っ取る。

精霊が現実の現象から離れた存在なのだとしたら、精神の現象に由来していると考えるのが理論としては成り立つ気がします」

 

思案する間もなく、雅は回答を述べた。

八雲は雅の回答に満足げにうなずいた。

 

「僕も同意見だよ」

「つまり、妖魔も悪霊も何かしらのもととなる精神情報体が存在するということですか」

「そうだね。現実現象に由来する精霊がこの世界と背中合わせの影絵になっているように、精神現象に由来するパラサイトも精神現象世界から来た影絵になっているんじゃないかな。ロンドンに集まった連中からしたら異端の解釈なのだろうけれど、僕はそう考えているよ」

 

久しぶりに見せた古式魔法の大家としての意見に達也は珍しく感心した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西城君のお見舞いの日から二日

現在、吸血鬼討伐のために動いているのは3つのグループである。

 

日本版FBIと公安を加えた警察当局、内情(内閣情報管理局)をバックアップにつけた七草、十文字の十師族の捜査チーム、そして千葉が組織し吉田家の協力を仰いだ私的報復部隊だ。

どうやらエリカの弟子である西城君がやられたということでエリカが黙っていなかったらしい。

エリカと吉田君には“個人的に”吸血鬼対策の知恵を施して、今夜にも捜索に向かうそうだ。

 

私は古典部と大学の研究発表で遅くまで学校におり、司波家に帰ったのは夜10時を過ぎていた。

自宅マンションにも日用品は揃っているし普通に生活できる空間なので、夜遅いこともあって今日はそちらに帰ろうと思ったのだが、達也から話があると司波家に向かった。

 

「おかえり。随分と遅くまでかかったんだな」

 

いつもなら出迎えは深雪がしてくれるのだが、どうやら彼女は手が離せないらしく、達也が出迎えてくれた。

 

「ただいま。来週には発表だから、しばらくは遅くなるわ」

 

4月に見つけた魔導書の解析に加え、私は大学で演者がいないということでそちらの研究に移籍することになった。研究自体は大学の方で進められているので、私はその研究をもとに演技をするだけだ。

 

詳しい話は着替えてからということで、部屋に戻りコートと制服から普段着に着替える。

リビングに降りると、達也が紅茶をいれて待っていた。

冬の夜となればそれなりに外は寒く、じんわりと温かさが体に広がった。

 

「それで、話って?エリカと吉田君が吸血鬼と遭遇したのかしら」

「その通りだ。二人とも無事だが、その場にはスターズも居合わせていた」

 

予想通り、今日エリカたちは行動を起こしたらしい。

エリカはシリウスと、吉田君は吸血鬼と交戦したらしい。

達也は吉田君から連絡を受けて増援に向かったが、エリカが負傷し、吸血鬼にも逃げられたため今日の捜索はそこで打ち切られたらしい。

エリカの負傷も鎧下(正確には防刃、防弾の合成ゴムのアンダーウェア)をつけていたため、軽症で済んだとのことだ。

 

「幹比古は根付けが砕けたと嘆いていたぞ」

「身代わりになったならそれでいいわ」

 

吉田君には妖魔対策も兼ねて、九校戦のときに渡した根付けを持っていくように言っていたのだが、どうやら一撃をもらったのか、身代わりになって砕けたらしい。

安物ではないが、命には代えられないものだからそれほど壊れたことには気にしていない。

 

「それで、リーナはシリウスだったの」

「ああ、可能性は高い。今回の件で確信に変わった」

「そう」

 

達也の目は単に『精霊の目』があるから優れているのではない。

並外れた観察眼は九重の千里眼と体術の師である八雲から教え込まれたものであり、動きから個人を断定することは彼にとっては苦でもないことだった。

 

「目的はUSNAからの脱走兵の始末らしい」

「確かにスターズの一等星クラスなら隊長自ら出向く理由はあるわね」

 

裏切り者の始末は徹底しなければならない。

たとえ正式に除隊したとしても、ほぼ一生涯に渡る管理を魔法師は受けることになる。特に機密情報も扱う軍部ならば半ば監視といっても差し障りないだろう。

 

「それで、話したかったことの本命は?」

 

このくらいのことなら電話でも十分な内容だった。私の端末もこの家の端末も情報セキュリティでいえば、最高レベルに値する。

よほど外部に知られたくない私的な情報や重要機密が関わることでなければ、わざわざ直接でなくともよかったはずだ。

 

「やれやれ、雅にはお見通しか」

 

達也は困ったように苦笑いでため息をついた。

 

「少なくとも達也が私に助言を求めるときは自分の知識の範囲外か、よほど自分と相性が悪いときでしょう」

 

達也から頼りにされることはそう多くない。

私の名前で動かせる人材は多くないが、裏にも表にもコネクションは多いので少なくとも足手まといにもならないし、協力はいくらでもできる。

私自身も守られる存在として達也から頼りにされないのは少し不満な部分であるのだが、そこは男としての矜持だからと言いくるめられてしまった。

 

「雅は『仮装行列(パレード)』を使えるか」

 

それは疑問ではなく、確認だった。

『仮装行列』。その名前は九島家の秘術と言われている。

だが、元になった術は『纏いの逃げ水』であり、私はどちらの術も使うことが可能だ。

 

「シリウスが『仮装行列』を使っていたのかしら」

「ああ。雲散霧消(ミスト・ディスパージョン)が外された」

 

雲散霧消は物質の構造情報に干渉することにより、物質を元素レベルの分子に分解する魔法であり、軍事機密にも規定されている殺傷ランクAの魔法だ。

対して仮装行列は魔法の照準を仮装の情報体にすり替えることで術者本人にかけられた魔法を躱すことができる。偽情報体に雲散霧消を作用させても、そこには実体のない空っぽの虚像があるだけなので、結果的に魔法は作用できない。

 

「結論から言えば使えるわ」

「それを俺に対して見せることは可能か」

 

達也が念入りに確認をするのは正しいことだ。

いくら婚約者だからと言って、家のことも含めてすべて打ち明けることができるかと問われればノーだ。特に四楓院に関わる事情は達也はおろか、京都九重の血を継いでいない母にも私からは話すことができない。

秘術の類も秘匿される理由があるから秘術なのであり、力であると同時に外に漏れれば不利益を被る可能性が高い。

それを見せることができるのか、と達也は問うている。

 

今後遠くない未来、シリウスと対峙するにあたり、有効な手立てを考えるためには実物と対峙してみることが一番だ。

 

ぬるくなった紅茶をソーサーに戻し、私は暫し思案した。

 

「私から術に関する概念、発動方法、弱点、その他術式に関連する全てのことを説明することはできない。でも、見せるだけなら構わないわ」

 

彼の目があれば解明されてしまうかもしれないが、どの道リーナで見ているのなら理解されるのも遅いか早いかの差だ。リーナが自分から術について漏らすことはないだろうし、八雲も多くは語らないだろう。

そうなれば私が達也に術を見せたところで九重が不利益を被ることはないだろう。

 

「いいのか」

「むやみやたらに術式を広めるなら問題だけれど、対抗手段を考えるだけでしょう。術そのものを教えるわけではないから、問題ないはずよ」

 

最近、情勢が不安定なのも兄なら見越して私をこちらに進学させたのかもしれないとホケホケと笑う次兄を思い出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

司波家の地下実験室

地下三階分にも相当する広さの空間は戦艦砲が撃ち込まれてもびくともしない強度を誇っている。二人とも動きやすい服装に変え、部屋の中央で5mほど距離を空けて向かい合う。

 

「達也と手合わせって久しぶりね」

「そうだな」

 

叔父と二人まとめて相手にされることはあるが、神楽の練習も今年は多かったので、達也と手合せをするのは本当に久しぶりだ。

私が帰宅していた時にシャワーを浴びていた深雪はお兄様とお姉様が戦われるならこの目に焼き付けておかねばと見学に来ている。

流石に危ないので、防弾ガラスでできた観測室にいてもらっている。

 

「合図はいらないわよね」

「ああ」

 

試合と違って戦闘は準備も掛け声もなく始まる。

部屋の照明も夜間の戦闘である可能性が高いため、星明り程度まで落としてある。私も達也も物理的な光源を絶たれても見える手段はあるため、さほど問題はない。

武器を使用しても構わないということで、ホルスターには投擲ナイフ、鉛玉、棒手裏剣と、拳銃型の特化型CADをそろえた。飛道具を中心にしているのは、これから見せる術を意識してのことだった。

 

達也は愛用の特化型CADをホルスターから抜いている。

 

勝負は達也が私を捕まえれば勝ち。

私は時間まで逃げ切れば勝ちだ。

簡単に言えば魔法を使った鬼ごっこだ。

 

手始めにパチンコ玉ほどの鉛玉を投げればそれをすぐさま避けて達也は距離を詰めてくる。私も同じく自己加速術式を使って、バックステップで距離をとると同時に棒手裏剣を時間差で5つ投擲する。

刃は潰してあるとはいえ、魔法によってスピードが強化されているため、当たり所が悪ければ致命傷になる。

達也はもちろん暗がりでもそれが見えているようで、一つ、二つと避けていき、三つ目、四つ目は分解しようとしたが術は発動しなかった。

驚きを浮かべる間もなく、時間差で三つめが肩に、四つ目、五つ目がわき腹と太ももに掠ったのが見えた。

 

「こんな使い方もあるんだな」

 

パレードで偽ることができるのは自分の情報だけではない。物に付随する情報を偽れば、偽情報体を持った攻撃を相手は視認してしまう。

回避、迎撃したと思っても、時間差で実体を持つ攻撃が襲って来ればそれだけ隙が生まれる。

 

感心した様子で達也は体制を立て直すと、臆することもなく距離を詰めた。

仮装行列も万能ではない。実体を掴ませなければ攻撃位置がずれることで相手を翻弄できるが、実体が消えているわけではない。

近接格闘で手や足を掴まれれば、居場所が分かってしまう。

 

だから、私はひたすら距離を稼ぐ。今までの達也は肉眼での視界と心眼での視界でみる世界が異なるという経験をしたことがなかった。

見ただけで情報体を理解してしまう彼の目は裏を返せば、情報が偽りだと気が付けなければ誤魔化すことは可能なのだ。

私はゴム弾が装填された銃を構え、弾にもパレードをかける。

サイレンサー付きの銃を放てば達也もまたCADを構え、分解を行使する。

今度は座標設定を広くし、ゴム弾を分解した。

ピンポイントにゴム弾に術の座標を設定しなくても、ある空間に存在すると定義すれば確かに魔法式は正しく作用する。

見えない相手への広範囲攻撃は確かに有効だった。

 

確信を得たのか、達也は私を捕まえるべく、自己加速術式を使う。

フラッシュキャストを使っているので、その速度は一級だ。

認識以上の速度で迫る達也が私の腕を腕を掴むが、その位置もまた偽り。

実際は達也の横にいて、するりと部屋の中央まで逃げる。

 

「予想以上に厄介だな」

 

再び距離が開いていることに気が付いた達也は一息ついていた。

五感全てを惑わす情報に彼の脳の処理が付いていけていないのだろう。

 

「お兄様、あと1分です」

 

鬼ごっこ終了までの時間が深雪から告げられた。

達也は再び私に接近した。どう逃げようかとワクワクしていると、不意に背後から肩を掴まれた感覚がした。

 

『おや、鬼事かい』

 

聞き覚えのある、艶のある女性の声に私の意識は遠退いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

残り1分が告げられ、多少焦っていた達也は嫌な気配を感じ取った。

かなりの運動をして体が温まっているにもかかわらず、地面を這い背筋が凍るような寒気が襲ってきた。

『精霊の目』で見てもなにも変化はない。

物理的に室温が下がったわけでもない。

根源的な恐怖がせり上がるように、空気が変わった。

 

暗闇にいる雅はにんまりと笑った。

その笑顔がいつもとは違う気がしていた。

妖艶に唇を歪ませ、楽し気に笑っていた。

だが、どこか薄ら寒い笑顔だった。

 

不審に思いながらもこれも幻影かもしれないと達也は五感に頼らずに実体を探していた。

 

だが、手を伸ばしてもすり抜け、伸ばした手は空を切る。

実体、幻影の差が分からない。

まるで舞を舞っているかのように軽やかに達也から逃れる。

術の発動速度が速いのは言うまでもなく、どことなく遊ばれている感じがしていた。

元々足音がしないのはそういう訓練を雅が続けてきたからであるが、加えて床に伝わる振動まで偽装されている。

自分の五感はすべて騙されながら、相手の実体を捕まえる。

語るは易く、行うは難かった。

 

雅の目は雄弁にもう終わりかと語りかけてくる。

ヒラリ、ヒラリとつかんだと思っては消えるその姿と艶やかな笑みに、なるほどこれでは魔性も魅せられると納得していた。

賭けに出て幻影とは全く異なる場所に不意に手を伸ばした。

 

その手は雅の腕をとらえ、引き寄せると達也の腕の中にすっぽりと実体が捕まえられた。

 

それと同時に終了のブザーが鳴った。

 

「あれ?」

 

雅はなぜ達也に捕まえられているのかよく分かっていないようで、首をかしげていた。

 

「雅?」

「ごめんなさい、夢中になってたみたい」

 

夢心地で雅はそうつぶやいた。

残り1分になってからどことなく雰囲気が違ったが、あれがいわゆるゾーンとかそのような状態だったのだろう。朝も早くから神楽の練習、大学でも研究の手伝いをしていれば疲労は溜まる。半ば無意識に魔法を発動していたに違いない。

 

「ありがとう。今日はもう休んだ方がいい」

 

フラフラと足取りのおぼつかない雅を支えるよう達也は雅を先に促した。

雅を見ても疲労以外に見られる異変はない。

いつもと変わらない声色で、目つきも変わらない。

気のせいだと思い込みたかったが、達也の脳裏にはあの魔性のような笑顔が離れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

盆地で底冷えのする京都には雪が舞っていた。

星の見えない灰色の空から、音もなく白い雪は静かに積もっていた。

風の音もなく、古都京都に降り注ぐ雪は街を趣深いものに変えていた

 

だが、その幻想的な雰囲気にも関わらず、顔をしかめる老女と憂い顔の青年がいた。

 

「お婆様」

「・・・時間がないようだね」

「ええ」

 

二人の目には同じ情景が見えていた。

それはこれから起こるであろう試練の時を見通していた。

彼女が生まれたときから決まっていた運命がついに歩み出した。

 

「達也はまだ決めかねているようだね」

 

老女が仕方のない様子でため息をつく。

周囲の人間がいくらその感情に気が付いているとはいえ、本人が自覚して行動しなければ意味がなかった。

性格を変えることは容易ではない。

それは生まれと環境で左右されるが、彼の育ってきた環境はお世辞にも心を育てるのによいとは言えなかった。

 

「その色に気が付くのも時間の問題だけれど、少しお節介は焼いてあげなさい」

「分かりました」

 

 

 

 




蕾はまだ芽吹かない。
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