難産でした。
ゴールは見えているのに間が詰まらなくて、四苦八苦していました。
今回は入学式前の春休み編と番外編です。
ダブルセブン編1
九重神宮で行われる九重神楽は年に数度、観客を入れた観覧が行われる。
それ以外はすべて神前のみ行われる非常に閉ざされた神事であり、秘匿性の高い舞である。
その数少ない公開の中でも最も美しく、最も名高いのが春の園だった。
九重神宮は桜の名所として知られており、京都に数ある名所の中でも指折りの人気だ。
ソメイヨシノの並木道だけではなく、樹齢1000年を超える枝垂桜も優劣つけがたく、さらに外苑に植えられた山桜や八重桜も美しい。
四季折々、様々な色合いを見せる庭の中でも咲き誇る満開の桜の下に行われる、九重神宮の中でも特別華やかな行事だった。
天気は晴天。
蒼穹の空には白い雲がゆったりと漂い、心地よい春風が吹いていた。
京都では九重神楽が行われる日は雨が降らないと言われており、外出の指標にしている人もいるほどだった。
大勢の花見の参拝客に交じって、続々と観覧者が訪れていた。
観覧を許されたのは九重と縁の深い家々に限られている。
一筋縄ではいかない名家の当主、夫人などが揃う中、少年とも呼べる年齢層の者はどうやら今回も達也たちだけのようだった。
「楽しみですね」
「そうだな」
その日の深雪はいつにもまして麗しい装いだった。
薄い水色に控えめながら手の込んだ刺繍の訪問着と、黒髪の美しさが際立つように結い上げられた髪はいつもより深雪を大人の女性に見せていた。
流水紋に花と千鳥の図柄は清廉さを際立たせており、完璧とも呼べる美貌をより芸術的なまでの美しさに昇華していた。
この場にいるべくして、呼ばれるべくして呼ばれたといえるほど、所作も美しい深雪は女性たちからも視線を奪っていた。
隣にいる達也は流石に深雪と比べると華やかさは劣るものの、まっすぐに伸びた背筋と仕立ての良いスーツのおかげで場に浮くことはなかった。
二人が案内された位置に座り、開始時間を待っていると、会場がややざわめいた。
「お隣よろしいですか」
若い声に深雪が顔を上げると、そこには達也も瞠目せざるを得ない美少年がいた。
麗しい美形と言っても女性らしさはない。
しいて言うならば典型的な美少年がそこに立っていた。
柔らかそうな髪は春の風に揺れ、風に吹かれて舞い散る桜がその姿を彩っている。
華奢ではないが、どこか儚さを感じさせる雰囲気を醸し出した少年はまさしく奇跡的なバランスで成り立っていた。
卸したてのようなスーツは少年らしい、少し背伸びをした少年と青年の間の微妙な時期の上にうまく調和していた。
このような美貌を持つ男性を達也も深雪も知っている。
九重悠
雅の兄であり、【千里眼】を持つ次期九重当主。
現世の光源氏と名高き麗しの青年が、数年前まではこのような美少年だったことを達也は思い出した。
「こんにちは、達也君、深雪さん」
そんな彼の後ろから、二人がよく知っている人物がいつもとは違った装いで訪れた。
「藤林さん。いらしていたのですね」
「ええ。彼の付き添いでね」
普段のかっちりとした軍服姿とは違い、大人らしい気品の漂う訪問着姿だった。白と若草色を基調とした着物に色の濃い帯は、流石名家の令嬢という彼女に納得の着こなしだった。
「司波深雪さんと司波達也さんですよね。初めまして。九島家当主、九島真言の末子、
「そうなんですね」
「光宣君、いつまでも立っていると深雪さんたちが疲れてしまうわよ」
藤林にそう指摘され、光宣は恥ずかし気に失礼しますと、一言断って達也の隣に座った。
達也は一瞬、光宣の視線が鋭くなったのを感じた。
深雪も藤林も気が付かないほどの一瞬。
さて、どうした理由か、達也にはいくつかその答えに当てを付けていた。
彼が九島の秘蔵っ子だとしても、達也と深雪の素性を知るには至っていないはずだ。
彼らの真の情報は国家レベル以上に秘匿されている。彼らのことを探れば探るほど十師族とは縁がないという結果に行きつくように工作がされている。
同じ十師族だからと言って、易々と漏れることはない。
とすれば、この視線の意味は悠から以前受けていた忠告に当たるものだろう。
「今日の演目をご覧になったことはありますか」
光宣は人当たりの良さそうな表情で達也たちに問いかけた。
「確か、10年以上前に一度行われた演目だそうですね」
「ええ。その時も同じ桜の見ごろの春だったそうですよ。春を守護する青龍に捧げるのにふさわしい舞だったと聞いています」
「青龍が春?」
深雪の疑問に光宣は頷いた。
「四神にはそれぞれ天を守る方位と司る季節があり、東を守る青龍。東は春で青春。南を守る朱雀は夏。朱夏。西を守る白虎は秋。白秋。北を守る玄武は冬。玄冬。といった具合に五行信仰の一つとして数えられています」
深雪の問いかけに光宣は丁寧に答えた。
「お詳しいですね」
「いえ、とんでもない」
少し照れたように謙遜する様子も微笑ましく見えるだろう。
今回の演目は神楽殿ではなく、庭園にある巨大な池の上で行われた。
今日のためだけに用意された特設のわずか1m四方の石の上で、白い狩衣を身にまとった男装姿の雅は手に白い反物を持っていた。
それをゆっくりと端から解くと、まるで意思をもっているかのようにゆっくりと宙に布が浮き始める。
反物はまるで薄絹のような軽さと薄さであり、空気に溶けるようだった。
その長い布を見事に操りながら優雅に舞えば、次第に反物は龍へと姿を変えていく。
その場全てが神域であるかのように、空気が変わる。
力強くも透明な竜笛の音色と琴の音色が春の庭に彩を添える。
龍と共にある姿は神との対話のようで、感嘆のため息すら漏れる間もなく、神々しいまでの神楽は盛況のうちに終わった。
初めて体感した観客は陶然とした様子で席から離れられず、何度も観覧に訪れたものでさえ口々に筆舌しがたい光景に名前を付けようと必死になっていた。
感動の空気が少し落ち着き、徐々に会場から人が去り始めるころ、深雪と達也も席を立った。
「すみません、達也さん。少しお話をさせていただいてもよろしいですか」
光宣は申し訳なさそうに達也を呼び止めた。
この提案に大きくは表情を変えなかったが、藤林も驚いているようだった。どうやら『九島』からの話ではなく、彼個人の話なのだろう。
「構わないよ」
「ありがとうございます」
達也は深雪に視線を送ると、深雪は一礼して藤林と一緒に観覧席から少し離れていった。
達也と光宣も席から庭の隅の方へと移動した。
深雪たちの姿は視界にあるが、会話が聞こえない距離は十分とられていた。
「それで、話しとは?今日の神楽の感想、というわけではないだろう」
「それもぜひ語り合いたいところではありますが、それはまたの機会にしたいと思います」
どうやら勿体ぶるつもりはない様だ。
光宣は一呼吸置いた。
美少年が桜の下で息つく姿はそれだけで一枚の絵画のようであり、これで向かい合っている相手が女性なら告白の一場面のようだろう。
もっとも、二人の間に流れる雰囲気は甘いとは、冗談にも言えないものだった。
「今日、神楽を観に来たのは本当です。でも、それ以上に一度、会ってみたかったんです」
静かな声だった。それでいて、その言葉の力は強い意志を持っている。
春風が桜を浚う。
ふわりと舞う甘い香りと、柔らかな風とは裏腹に目の前の少年の瞳はどこかピリッとしていた。
「恋敵に」
彼は達也の目をまっすぐに見据えて、断言した。
「僕は彼女が好きです。確かに血が近いという欠点はあるでしょう。ですが、世の中で反対されるほどの近さではありません」
その瞳は嫉妬。そして挑戦。
「貴方には負けるつもりはありません。確かに千里眼が結んだ縁は強力だけれども、それが世界のすべてではないことを彼女はもちろん知っています」
現在過去未来を見通し、この世に
千里眼の予言が外れたということを達也は見たことがない。多くを語らないことはあっても、決して的外れな回答はない。
達也と雅の縁も先々代の九重当主の決定だ。
不確定な未来だとしても、それを前提とした話が行われる。
「僕は彼女がいい。彼女が僕の隣に立つ未来がほしい。もちろん、彼女の気持ちを最優先にしますが、これからも譲る気も、諦める気も、アプローチをしないつもりもありません。
なので、そのつもりでいてください」
明確な宣戦布告。
彼は雅を好きだと断言した。
これからも譲る気はないということは、これが昨日今日の想いではないということだ。
九重直系の姫宮ということで、雅は幼いころから様々な家から婚姻の話が舞い込んでいる。
神楽の舞台に立つ回数が増えるにつれ、その申し込みは増えているのだという。
彼女は人を惹きつける。
それは神楽という舞台だからではなく、彼女という人柄に惚れる男性は少なくない。
淡い想いで終わるだけなら良いが、婚約者の存在を知りながらも、それを覆そうとする存在を達也は聞いている。
「生憎と、こちらも譲るつもりはない」
だが、達也は雅を手放すつもりはない。
それは勿論深雪のためであり、達也にとって深雪は命令の最優先として位置付けられている。
彼女のガーディアンとして、兄として、『四葉』という家で、『九重』の名前の重さを知っている。
「わかりました。お二人も待たせていることですし、今日はここまでにしましょう」
達也の威圧に怯むことなく、光宣は話を切り上げた。彼も十師族の端くれだけあって、この程度のプレッシャーなど受け慣れているのだろう。
観覧終了後、達也と深雪は九重の本家に招待されていた。
婚約者ともあれば、本家に立ち入りを許可される身分であり、古き良き日本を彷彿とさせる庭には立派な枝垂桜が満開を過ぎ、風に揺られて花びらを散らしていた。
その、本家の客間にて、達也と深雪は悠と対面していた。
「今日はお招きいただき、ありがとうございます」
深雪は丁寧に悠に一礼した。
「こちらこそ、遠方からよく来てくれたね」
悠はにこりと人当たりがよいながらも、気品あふれる笑みを浮かべた。
麗しさでは深雪も劣らないが、春が綻ぶような笑みに深雪は頬をわずかに染めた。
「今回の神楽舞はどうだった?」
「大変素晴らしかったです。言葉で言い表すと平凡な言葉しか並べることができませんが、美しく、清廉で、心が洗われるようでした」
「雅にもぜひそう言ってやってほしい。桜はあの子の季節だからね。今回は随分と気持ちがこもっていたから」
【九重の桜姫】
舞い散る桜の中で、誰よりも美しく気高く清廉に舞うことからそう名付けられた雅の二つ名だった。
春の園には彼女の舞がなければ成立しないといわれているほど、17歳を前にその実力は九重神楽の演者の中でも卓越している。
「そういえば、夜の部は悠さんが主役だとお聞きしていましたが、準備はよろしいのですか」
「主役はバタバタせずに休んでいろと、邪魔者扱いされてしまってね。これでも一応次期当主なんだけれど」
悠はやれやれと大げさに肩をすくめた。
どこまで本当の話なのかは分からないが、九重次期当主が二人の接待をするだけのために舞台の当日に場から離れることはまずない。
簡単な連絡や接待ならば当主の母か、通信等でもよいはずだ。
にもかかわらず、直接話す必要があるということに、二人は並々ではない内容だと意識していた。
「さて。楽しい話はひとまず置いておいて、『九重』から『四葉』に対して、情報提供をしようと思う。が、その前に。一つ、達也。君に苦言を呈そう」
苦言と聞き、深雪の表情に緊張が走る。
達也も一瞬身構えるが、あくまで悠の雰囲気も姿勢も変わらない。
静かにそこに座しているだけなのに、九重次期当主であると言わしめる風格がある。
呼吸一つ、視線一つ、声色のみで相手を制することができる。
だが、そんな二人の緊張をよそに、悠は先ほどと同じくふわりと微笑んだ。
「達也、君は許されているよ」
それはまるで原罪に対する赦しのようだった。
「九重も四葉も、君と雅の関係を認めている。だから君が躊躇う必要も、自分を卑下する必要も、諦める必要もない。残されたのはただ一つ。君自身が君のことを認めることだ」
「おっしゃる意味がよく分かりませんが」
核心的なことを何も語らない、それでいながら何を示しているのか達也も深雪も理解することのできる内容だった。
悠は困ったように笑ってみせた。
「そこまで君が鈍感とは僕も思っていないよ。あくまでわからないというのなら、考えてもいい。例えば雅が君以外の男性を選ぶ未来だ。
その笑顔を向けられるのも、その手に求められるのも、その腕に抱く子も全て君以外に許せるのかい?」
達也の脳裏にはふと、先ほど会った九島光宣の姿が浮かんだ。
彼の口ぶりから彼と雅は遠縁以上に親しい関係にあることは明らかだ。
雅ならば、彼を弟のように見ているかもしれないが、そんな彼女に甘えるように彼は少しずつ彼女に近づいているはずだ。
それくらいのことなら、彼はすんなりとやって見せるくらいのことはできる口ぶりだった。
達也はギリっと机の下で拳を握りしめた。
「君たちは素直じゃない。お互いがお互いを思っているのに、指先が触れるか触れないかの距離で怯えている。一歩と言わない距離にいながら、核心には決してお互いに触れない」
それは弱さだ。そう、悠に言われているようだった。
「君にとって名前の付けられない感情の正体を、きっと君は肯定するのを恐れている。その恐れは未知に対する恐怖か、失うことへの恐れか、どちらだろうね」
「お兄様……」
深雪は心配そうな瞳を浮かべ、達也の拳に手を重ねた。達也は安心させるべく、わずかに微笑んで机の下で深雪の手を握った。
「そう心配されなくても、雅が一途なのを誰よりもご存じなのではないですか」
不遜とも、自信ともとれる言葉は、達也がどう彼女を思っているのか、ということは一切語っていなかった。
悠は仕方ないねと、ため息をつき、本題の方を切り出した。
京都からの帰りのリニアの中で、達也は背もたれに体を預けた。
「お兄様、お疲れですか?」
「そうだな。流石に衝撃だったとしか言いようがないな」
心配そうに視線を落とす深雪の頭を達也は撫でた。
千里眼はこの国を滅ぼそうとする害悪の芽を許さない。それがたとえ身内と呼べる相手であろうとも、国益に反することに対しては敏感だ。
悠からもたらされた情報は、九島がパラサイトを使ったヒューマノイドの開発を行っているということだ。
今回神楽の会場で鉢合わせた九島光宣の祖父、いまだ軍関係者にも強い影響力を持つ九島烈が主導して行っていることらしい。
魔法師が兵器としてあるのではなく、魔性をベースに兵器を作る手法を大陸系の呪術師の力を借りて秘密裏に進めているそうだ。
そしてその実験場に、夏の九校戦が計画されているという段階まで来ている。
九校戦では、昨年度の実績から当然深雪も雅も出場することがほぼ内定している。
それを実験場に使うということは、二人を危険にさらすということに直結する。
今後国防や魔法の発展を担うであろう魔法師の雛鳥を実験台にすることが、本当に国のためになるとは到底思えない。
どのような形で会場や競技に妨害されるのか、競技内容が発表されていない以上、断定はできないが、千里眼の予想は外れない。
その絶対的な情報源を前に、達也の頭はこれから訪れる障害を排除する算段を付けていた。
「大丈夫。お前達のことは、俺が絶対に守るよ」
「お兄様……」
深雪は達也の言葉に、嬉しそうに頬を緩ませた。それは兄にそう言われて、舞い上がっているのではない。
「お兄様、気がついていらっしゃいますか?」
「なにがだ?」
先ほどの不安そうな様子とは一転、声色にも嬉しさが滲む深雪に達也は分からず問い返した。
「今、お兄様はお前“達”とおっしゃいました。それは私だけではなく、お姉さまのことも含めているのではありませんか」
ふふっと深雪は笑った。
それは達也にとって全くもって無意識だった。
達也にとって深雪の安全は至上の命題だ。
彼の使命であり、生きる理由であり、生かされている理由でもある。
魔法によって家族愛以外の感情を抹消された達也にとって、深雪以外の他人の命は二の次だ。
それを守ろうとするのは深雪が悲しむから、という理由に基づいている。
だが、今、達也はごく自然に二人を守るという意味で“お前達”と言った。
「不謹慎ですが、深雪は嬉しいです」
達也の頭の中は妹が喜んでいるということ以上に混乱に占められていた。
頭に浮かんでは消している感情の名前に、達也はあり得ないと否定した。
0から1は誕生しない。
ベースはあったとはいえ、白紙化された激情の場所には魔法の仮想演算領域があり、キャパシティがそこにはない。
だが、この胸に渦巻く混乱の原因の名前が世間一般でどう呼ばれるものなのか、達也も知識として知っている。
自分は例外だと思いながら、確かに感じた思いは偽りではない。
そこから結論付けられる結果に、達也は困惑した。
番外編~とある少女の回想~
私はいわゆる霊感があるという部類に入る。
母の先祖が拝み屋だか祓い屋だか、そんな類の職業をしていたこともあり、大した力はないがなんとなく嫌な感じというのはわかる体質だった。
なんとなく嫌な気配がある通りや場所だと思ったら大事故があったとか、昔墓地だったとか、そんなところだ。
時々変なものも見えることがあったが、たいてい無視をしていれば問題はない低級のものばかりだった。
科学の進んだ現代社会で胡散臭いこと極まりないが、魔法師だってつい100年前までオカルトの領域だったのだ。
拝み屋だって、呪殺師だって、憑き物筋だっていてもおかしくないだろう。
まあ、母もその祖父母も一般人の感覚しかなかったが、私はちょっと変わった子だという周りの認識はさておき、普通の学生生活をしていた。
まあ、魔法科高校に通っているので一般でいう普通の学生とは少し違うだろうが、二科生の私は特にやっかみを受けることもなく安全な生活を送っていた。
この学校には酷い人が何人かいる。
決して多くはないが、背中に何かを背負っていたり、気持ち悪い何かを腹の中で飼っていたり、潔癖のようで酷く歪んでいたり、普通とはいいがたい日常を送ってきただろう人がいる。
それは一科生や名家と呼ばれる家の人達に多く、その中でも特別酷いのが司波兄妹だ。
特に兄の方。
あれは酷いという言葉でしか言い表すのも足りないくらい、歪んでいる。
司波君本人は二科生の中では評判はいいし、魔法工学に関しては天才の域で、魔法理論だけでいえば学年1位をたたき出している。
特に十師族とかかわりがあるとか、名家出身ということではないらしいが、きっと嘘だろう。
正当な血は引いていなくても、間違いなく血みどろの世界を知っているはずだ。
彼を初めて見た日は、とてもじゃないがまともに眠れなかった。
怨念と執念と妄執と嫉妬と怨嗟と憎悪を煮詰めて溜め込んだようなものをまとっているのを見たときは、思わず卒倒しかけた。
間違いのないように言うが、これは恋だとかいう感情ではない。
久々に恐怖で眠れないという感覚を味わった。
どうやったらあれだけ人の負の感情を背負えるのかというほど、彼には黒いものがまとわりついていた。
まとわりついているというより、魂にこびりついたかのようだった。
司波さんも、司波さんでどこか謂われある家の出なのだろう。
彼女が背負うものも何処となく仄暗いものがある。
二人とも家系的にどれだけ悪行を重ねてきたのかわからない。
知ってしまえば、口にしてしまえばそれこそ私の身が危なくなるほど、二人の存在は私にとって恐ろしい。
だが、それも一瞬で吹き飛ばされてしまうことがある。
それが九重さんだ。
彼女はこの二人とは別の意味ですごい。
家は古い神社だと聞いて納得したが、あの司波君の背負っている悪霊みたいなものを一瞬にして消してしまう。
彼女がそばにいるときはあの怨念たちは彼に近寄ることができない。
圧倒的に清廉な気配を持っている。
彼女は特別だ。
悪霊も怨念も憎悪の視線も、彼女の前ではその影さえ表すことができない。
たまたま道端にいた浮遊霊や地縛霊ですら一瞬で払ってしまう。
まるで神嫁のように彼女には濃密で絶対的な加護があるのだろう。
ちょっと運のいい人や九死に一生を得る人、そんな人は守護霊がついていたり、信仰の厚い人だったりする。
そして、時々いるらしいが神様に好かれた人も幸運に恵まれることがある。
あの大学の研究の舞台のときにそう思った。
彼女は神様なのだ。
神様に愛され、神様の加護を受け、神様のモノなのだ。
だから、ただの人間の思念のカスには近づけない。
悪霊だろうと怨霊だろうと、邪気だろうと彼女の前には存在することすら不可能なのだ。
だからこそ、あれだけ美しく、あれだけ神々しく、あれだけ絢爛で、どこか懐かしくも切なくなるのだろう。
その切なさは命の儚さに似ている。
そう感じた。
番外編:少しだけ世界の見え方の違う魔法師(モブ)のお話し。