恋ぞ積もりて 淵となりぬる   作:鯛の御頭

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お兄様、伝説になるそうですよ。


ダブルセブン編3

西暦二〇九六年四月八日

 

達也、深雪、雅、水波の四人は第一高校の入学式準備のために、入学式2時間前に登校していた。

水波は本来、入学式に合わせて向かえばいいが、ガーディアンとしての立場もある以上、家に一人で待っているのも気が引けたので、同伴することになったのだ。

 

「なんだ?」

 

朝からにこにこと笑顔で機嫌の良い雅に達也は問いかけた。

 

「似合っているわよ」

「デザインはほとんど変わっていないが」

 

達也の胸元には昨年度とは異なり、八枚の花弁を取り囲むような歯車を図式化したエンブレムがあった。今年度から設立された魔法工学科所属を表すシンボルだった。

 

「去年より晴れやかに見えるわ」

 

達也にとってはまだ違和感の強い制服だが、似合っているという言葉なら素直に受け取っておいた。だが、雅が言う様に気分が晴れやかかと言われれば、さして変わらない気がする。

入学初日は確かに、エンブレムがないことを自分が意外と意識していたことに対して苛立ちも感じたが、日が経てば慣れたものだった。二科生という劣等生のレッテルも事実、魔法実技の成績が良くない自分には仕方がない(・・・・・)と割り切っていた。

たがが制服一つでそう人の中身が変わるものでもないと、達也は新しい制服と学科に対して冷静に受け止めていた。

 

「そうですよ。お兄様。お兄様にとっては些細なことかもしれませんが、深雪は大変誇らしく思います」

 

深雪は先日、ファッションショーのごとく達也に新しい制服を着せて、ポーズをとらせ、満足げに眺めていた。昨年度、兄の胸元にエンブレムがないことで酷く鬱憤の溜まっていた深雪にとって、新しい制服を着た兄の姿は実に晴れやかだった。

達也にはいまいち納得のいく理解はできなかったが、ひとまず、妹たちが楽しそうなのでそれでいいかと結論付けた。

 

 

 

 

 

入学式の準備に駆り出されている生徒たちは一度、見回り班も含めた全員が講堂に集まり、当日の連絡と確認事項を伝達し終わると各自持ち場に散らばった。

生徒会のメンバーはリハーサルの打ち合わせを行うために講堂に残り、会場準備の担当は名簿など最終的な受付の確認をしていた。

部活連のメンバーである雅は、打ち合わせ通りに校内の見回りを行っていた。

 

如何せん、魔法科高校は高校と呼ぶには設備も敷地も規模が大きい。

案内板や誘導の生徒が立ってはいるが、敷地の奥の方にある講堂までは距離がある。

仮想型の携帯端末が禁止されているので、スクリーン型に慣れていない者にはやりにくいだろうし、LPSアプリを使った道案内でも迷う人は出てくる。似たような建物も点在しているので、新入生も入学してから案内図なしに目的の教室に行けるようになるまではしばらくかかる。

まだ式には30分以上時間があるが、ちらほらと新入生と保護者がやってきていた。

 

 

雅は土地神様が祀られている祠へ挨拶を済ませると、敷地内の見回りへ向かった。

基本的に学内の食堂やカフェテリア、図書館なども今日は休みであり、中に入ることはできない。

基本的に情報を含めた会場のセキュリティは万全だが、春にテロ組織の下部組織が活動していたこともあり、外部の人間が敷地内に出入りするこの日の警備のレベルは引き上げられている。人数は多くはないが部活連の見回りの生徒ですらCADの携行を許可されている当たり、その点がうかがえるだろう。

 

満開の桜は麗らかな春の日差しを受け、静かな風に揺れていた。桜は花が咲くとすぐ散ってしまうことが多いが、この100年でさらに品種改良が進み、以前より長く桜を楽しむことができるようになっている。白く舞い散る花びらも、浮足立つ祝いの場に(いろどり)を添えていた。

 

雅が講堂へと続く桜並木の近くを見回っていると、新入生が興味深そうに休みとなったカフェテリアを覗いていた。

 

「へー。カフェまであるんだ」

「今日は混乱を避けるためにお休みだそうですよ」

 

肩にエンブレムがあるのが見えたので、どうやら一科生の女子生徒のようだった。二人は同じくらいの背格好であり、おそろいの黒と白のストライプのリボンをつけていたのでよほど仲がいい友人なのだろうと雅は思って見ていた。

 

「ストロベリーチーズケーキフラペチーノだって。おいしそうだよね。今だけホイップクリーム増量が無料だって」

 

ショートカットの少女は女の子らしく甘いものには目がないようで、カフェのメニューをキラキラと目を輝かせて眺めて談笑していた。

 

「太りますわよ、香澄ちゃん」

「いいんだよ。その分運動するから」

 

可愛らしく微笑ましい新入生のやり取りに雅はくすりと笑みをこぼした。

昨年、自分たちが入学してきた日が1年前に思えないほどあっという間だったと雅は思い返していた。自分も同じ時期、達也と深雪と同じ学校に通えることに心躍らせていたことが懐かしく思えた。

 

「あっ」

「おはようございます」

 

カフェのガラスに反射していたのだろう。後ろを歩いていた雅に二人は気が付き、舞い上がっていた姿を見られて少し恥ずかしそうに挨拶をした。

 

「おはようございます。新入生ですね」

 

雅はにっこりと緊張感を相手に与えないよう柔らかい笑みを携えた。

 

「講堂の場所はご存知ですか」

「はい。大丈夫です」

 

振り返った二人の女子生徒は髪型がショートカットと肩で切りそろえられたボブガットで異なるが、顔立ちは一目で二人が双子とわかるほど似ていた。近くに保護者の姿は見えないが、魔法科高校は全国で九校しかなく、高校生でも一人暮らしをする生徒は珍しくない。

交通の便が良くなったとはいえ、仕事もある平日なので保護者同伴ではなくとも珍しくはない。魔法師は親子の情が少ないといわれている現状もあり、高校ともなると保護者の出席率はそれほど高くはない。 

 

 

「もうすぐ開場ですので、良い席に座りたければ、早めに行かれることをお勧めしますよ」

 

ひとまず迷子ではないことは確認したので、雅は開場時間を告げ、見回りに戻るべく足を進めた。

 

「あの」

「はい」

 

だが、歩き出そうとしたところでボブカットの少女がやや緊張気味に雅を呼び止めた。

 

「もしかして、九重雅さんでしょうか?」

「ええ」

 

雅が肯定すると、少女は目は嬉し気な瞳でほほ笑んだ。

 

「初めまして。(わたくし)七草泉美(さえぐさいずみ)と申します」

「同じく、七草香澄(さえぐさかすみ)です」

 

ボブカットの少女、泉美はお淑やかに、ショートカットの少女、香澄はハキハキと自己紹介をした。髪型や雰囲気もあるが、泉美の方はおとなしい文学少女、香澄の方は活発な体育会系といった雰囲気を感じさせる。平均よりやや小柄な体格や、顔のパーツは確かに彼女たちの姉である真由美とよく似ていた。

真由美はお茶目な様子が垣間見えるお姉さんといった雰囲気だったが、年下の二人の初々しい様子は雅にとって新鮮だった。昨年度一悶着あった『七草』の名前を前に、雅は表情を崩すことはなかった。

 

「ひょっとして七草先輩の妹さんかしら」

「はい。姉がお世話になりました」

「お世話になったのはこちらよ」

 

この二人が数字持ちの中では「七草の双子」と何のひねりもなく呼ばれる二人なのかと、雅は冷静に彼女たちを見ていた。雅の言った“お世話なった”にはさまざまな意味合いも含まれていたのだが、彼女たちが『九重』と『七草』の関係を知っているのか、どのように当主から言い聞かせられているか知らない以上、必要以上に警戒せず、あくまで一人の先輩として接していた。

 

「私も九重先輩の話は姉から常々伺っております。とても気品のある美しい方で、文武両道の才女でいらっしゃると。九校戦の試合も拝見いたしましたが、大変素晴らしかったです。あの、よろしければ雅先輩とお呼びしてもよろしいですか」

 

泉美は頬を桃色に染め、熱のこもった潤んだ瞳で雅を見上げた。

 

「どうぞ。私は泉美ちゃん、と呼んでも?」

「はい」

 

返事をした泉美はまるで恋する乙女のようにキラキラと目を輝かせていた。

 

雅はいきなり初対面の少女に舞い上がって熱っぽい視線で見られても驚くことはなかった。雅が九重神楽で男装舞をするようになってから、女性からある種の憧れというか、恋にも似た視線を向けられることは珍しくない。

泉美は九重神楽を観覧したことはないのだが、目の前にいる一つ年上の先輩がとても大人の女性に見え、お近づきになりたいと思っていた。実際に会った雅は九校戦でモニター越しにみた姿より何倍も美しく、纏う空気が清廉であった。

ピラーズブレイクでのA級魔法インフェルノ、フェアリー・ダンスの優雅で飛行魔法を披露した奇跡の体現のように美しく気高い司波深雪という先輩も、泉美にとっては会ってみたい先輩の一人ではあったが、対面した泉美に柔らかく春のように微笑む雅の得も言われぬ和の雰囲気の美しさに感動していた。この学校に入学した甲斐があったと、泉美は早くも上機嫌だった。

 

「ボクも香澄って呼んでよ。雅先輩」

「ええ」

 

片割れの熱しやすさに呆れながら、香澄は砕けた口調で話しかけた。礼儀を知らないわけでもないし、敬語を使えないわけではないが堅苦しいのは苦手な彼女は自分に対して甘い人間を見分けるのも上手い。少々口うるさい姉に聞かれたら咎められるかもしれないが、幸いにしてその姉とは別行動中だった。

 

「今日はご両親も一緒かしら」

「いえ。姉が一緒なんです」

「七草先輩が?」

「はい。あちらに」

 

泉美と香澄が視線を桜並木の先に向けると、スーツ姿の女性とそれとやけに距離の近い男子生徒――達也の姿があった。

 

「まあっ」

「あーーー!!」

 

姉の姿に小さく泉美が声を漏らすのとは対照的に、香澄は叫びながら桜並木の一本道をまっすぐに走っていった。

 

「こらー!お姉ちゃんから離れろ!!ナンパ男!」

 

駆けていった先は達也とスーツ姿の女性、七草真由美だった。

突然の叫び声に驚いたのか、真由美はヒールだったのが災いして振り向いた瞬間に足を滑らせ、体勢を崩した。無様に転んで尻餅をつくようなことはなく、すぐに達也に肩を支えられたが、それは香澄の誤解を加速させた。

 

「離れろって言ってるだろ、ナンパ男!」

 

香澄は叫ぶと同時にふわりと空中に浮かび上がり、空中で加速しながら膝蹴りの格好で達也の顔面めがけて突っ込んでいった。

達也は慌てることなく片手を顔の前に出して、彼女の膝を掴み、運動の方向を上に変えた。避けられたり、ガードされたりするならまだしも、突然、不安定な掌の上にバレリーナよろしく持ち上げられた香澄は当然のごとくバランスを崩した。

 

それを見ていた雅はすぐさまブレスレットタイプのCADに手をかけたが、隣の泉美が魔法を発動しようとしていることに気が付き、呼び出していた魔法をキャンセルした。

香澄はソフトコートの舗装とはいえ、堅い地面に顔から落下することなく、重力を軽減するようにふんわりとその体が落下するスピードが落ちた。

泉美が香澄にかけた減速魔法の効果だった。普通、他の魔法師に魔法をかけることはその人物が無意識に展開している情報強化の防壁、エイドス・スキンを破壊するため、高い魔法力が求められる。だが、泉美がかけた魔法はまるで自分に魔法をかけた時と同様にエイドス・スキンを損なうことはなかった。

香澄が無傷で軟着陸すると、達也はすぐさま後ろに大きく飛び3mほど距離をとった。

 

「香澄ちゃん、大丈夫ですか」

 

着地に合わせて香澄に寄り添うように、泉美は駆けだしていた。

 

「ケガはないかしら」

「ありがと、泉美。助かった。雅先輩、ケガはないよ」

 

雅も遅れず走り出していたため、泉美と同じく香澄の隣に立っていた。

 

「こいつ、ナンパ男のくせに強いよ」

「えっと、香澄ちゃん?!」

 

メラメラと燃えるような、今にも達也に噛みつかんばかりの香澄の様子に、泉美は確かに姉に近づいていた男子生徒を不審に思いながらも片割れのことの方が気になった。

 

「ちょっと、落ち着いたら……」

「ボクの直感が叫んでる。こいつ、ただ者じゃない」

 

香澄が地面に膝をついたまま、達也をにらみ上げた。香澄は左袖を上げ、ブレスレットタイプのCADを操作すべく指にコンソールを走らせようとした。だが、そのCADの上に静かに別人の手が重ねられ、発動を制止された。

 

「香澄さん」

 

香澄の隣にしゃがみこんだ雅の声はいつもより低く、彼女の名前を呼んだ。雅の顔は怒ってはいない。しかしながら、発せられた声によって空気が重さを帯びているようだった。

 

「CADの使用についてお父様から教わらなかったかしら」

「止めないでよ、……雅、先輩」

 

香澄の声は最初だけ威勢がよかったが、終わりになるにつれて徐々に小さくなっていった。香澄を見る雅の瞳に香澄は呑まれていた。

射干玉のように黒く、黒曜石よりも美しい瞳が、笑みを携えたまま香澄を咎めていた。香澄は途端に重ねられた手が石のように重くなったように感じた。一瞬、息も忘れてその瞳に射竦められてしまった。

 

「いい加減にしなさい!」

 

沈黙する空気の中、今まで事態を呑み込めずに呆然としていた真由美が、烈火のごとく容赦なく香澄の頭に拳を振り下ろした。香澄は痛みで声にならない声を発しながらうずくまった。

 

「……いきなりなんなのさ、お姉ちゃん」

「それはこっちのセリフです。香澄ちゃん、いきなり何をしているの」

 

真由美は本気で怒っていた。意味ありげな言葉と笑顔に本音を隠す彼女にしては珍しく、直情的に怒りを露わにしていた。

それをみて香澄の表情は赤から青へと変わっていった。

 

「魔法の不適正使用は犯罪だって言っているでしょう。それを入学当日から……一体どういうつもり!」

 

真由美は腰に手を当て、声もいつもより荒らげながらまくして立てていた。香澄は萎縮しながらも、小さな声で反論した。

 

「で、でも……そいつがお姉ちゃんにヤらしいことしようとしてたから」

「や、ヤらしい?!」

 

今度は真由美が絶句する番だった。

 

「私たちはそんなことしていません。何を言っているのですか、貴方は」

 

結局は火に油を注ぐだけで、真由美の怒りは収まらなかった。

忙しい両親に変わって真由美が入学式に連れてきたらしいのだが、どうやら二人があちこち見ている間に達也と真由美は話していたらしい。

 

「ごめんなさい。達也君。妹がとんでもないことをしてしまって。香澄ちゃん、貴方も謝りなさい」

 

真由美は達也に対して深々と腰を折った。

香澄も心の内は別にしても、潔く頭を下げた。

 

「申し訳ありませんでした」

「私からもお詫び申し上げます。司波先輩。香澄のご無礼をお許しください」

 

加えて当事者ではない泉美も丁寧に頭を下げた。

三人の美少女から謝られている達也は居心地が悪かった。

奇跡的に膝蹴りの場面を目撃していたのは雅だけだったが、今はこちらを見ている生徒の姿もちらほらとある。これではまるで達也が彼女たちをいじめていると誤解されかねない。

 

「顔を上げてください。結果的に何もなかったから気にしていませんよ」

 

達也が気にしていないのは本当だが、本音を言えば野次馬の目線が気になるから、さっさとこの場から離れたかったのだ。

 

「七草先輩」

 

それに助け舟を出したのは冷静に状況をみていた雅だった。

 

「お久しぶりですね」

「あ、ごめんなさい。雅ちゃん、挨拶が遅れて」

 

顔を上げた真由美は眉を下げながら、小さく頭を下げた。

 

「いいえ。突然のことでしたから」

 

雅も苦笑いで答えた。彼女としては最初から目撃はしていたが、下手に手を出して香澄にケガを負わせるより達也が回避する可能性が高いと思って状況を見守っていた。結果的に誰もケガをせず、香澄が真由美に叱責されるだけで済んだ格好になっている。

 

「あのね、達也君、雅ちゃん」

 

神妙な面持ちで真由美は声を潜めた。

 

「何でしょうか」

「本当だったら職員室に報告しなきゃいけないんだけど、この通り。二人とも今回のことは私に免じて」

 

パンと両手を合わせて真由美は頼み込んだ。

 

「この程度のことに騒ぎを大きくするつもりはありませんよ」

 

達也にしてみればこの程度のことで指摘されていたら、深雪も達也も補導された回数は去年1年間で両手を超えるだろう。達也にとってはお互いさまのようなものだと思っている。

 

「それに寸止めにするつもりだったことは分かっていますから」

 

起動式を読み取れる達也にしてみれば、容易いことだった。あの膝蹴りは本気で相手を攻撃するのではなく、あくまで威嚇目的。達也の手前10cmで停止するように設定されていたし、そうでなければ達也もあれほど穏便に対応はしていない。減速と停止の位置が分かっていたから、停止直前のタイミングで魔法を強制終了させ、片手で受け止めるという方法に出たのだった。

 

「……流石ね、達也君」

 

感心した様子の真由美の横で、香澄はなぜそれが分かったのだという愕然とした表情を浮かべながら達也を見ていた。

 

「それより、先輩。俺たちは見回りがあります。講堂は開いていますので、どうぞお入りください」

 

達也は話を切り上げ、言外にこれ以上話すつもりはないという意味を込めて会場へと三人を促した。

何か言いたげな、今にも噛みつかんばかりの雰囲気の香澄ではあったが、姉に怒られた手前素直に入学式の行われる講堂へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

「…………一応言っておくが、誤解だ」

 

講堂に入っていく三人の背中が小さくなったところで、達也が弁解した。

達也の横に立つ雅は相変わらず凛と静かだった。

 

「わかっているわ。七草先輩、パーソナルスペースが狭いもの」

 

達也に必要以上に近づいていてまるで恋人のような距離感ではあったが、後輩をからかっているだけの真由美に悪気はないため、雅も怒るに怒れず、かつ新入生の手前とあって表面上は穏やかに繕っていた。以前の雅だったら辛そうに笑ってごまかしていただろうが、今の雅は春の穏やかな空気に似つかわしくない少々不満げな表情を浮かべている。

 

可愛いと、達也は思った。

素直に妬いていると言葉には出さずとも、長い付き合いの達也にはわかっていた。例えばここに居合わせたのが深雪ならばその後どうご機嫌をとるのか考えていただろうが、珍しく素直に感情を露わにする雅に対して達也はもう少し見ていたいという欲の方が出てくる。

 

演じることに長けている雅は感情をその演技の下に何重にも隠してしまう。名だたる家だけあって、それ相応に社会的地位の高い人物とも話す機会が多く、喰われてしまわないように幼いころから負の感情を表にださないように教育されている。達也の前では素直に拗ねてみせるのはそれだけ雅に気を許されていることでもあり、分かりにくい雅の甘えでもあった。

 

先ほど香澄が攻撃を仕掛ける前、達也は真由美と話していたが、その際に達也が自由になった顔をしていると言われた。去年、二科生の制服を着ていた時の自分と今の自分は全然違う顔をしていると。制服に対する劣等感だけではなく、“自由になった”という言葉に達也は真由美の観察眼の鋭さに驚かされた。

 

「見回り、一緒にするか」

「そうね」

 

この感情をどう伝えるべきか、達也には悩ましい問題だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

入学式は(つつが)なく終了した。

新入生代表で答辞を読んだ琢磨の挨拶も無難なものであり、昨年度のように会場全ての視線を釘づけにするわけでもなく、一昨年のように在校生だけではなく新入生もハラハラするようなものではなかった。

入学式終了後に来賓として招かれていた国会議員に深雪が少々長い間、話に付き合わされていたことを除けば、概ね問題なしといってよかっただろう。

雅が見回っていた講堂の外も部活の新歓時期のルール違反等なく、単に案内役としての役目だけで終了した。

 

達也、深雪、雅、ほのか、雫、幹比古、水波の7人は入学式の帰り道、アイネブリーゼで昼食をとり、いつも通りコーヒー片手に談笑していた。

 

「そういえば、新入生の生徒会への勧誘はどうなったの?」

 

ふとした会話の切れ目に、雫が問いかけた。

例年、新入生総代は生徒会へ勧誘する慣習となっている。去年は深雪、一昨年はあずさが生徒会に勧誘され、そのまま生徒会役員として活躍している。

 

「だめだった」

 

自分のせいではないのにもかかわらず、がっくりと肩を落とし、ほのかは項垂れた。

 

「本人は部活を頑張りたいと言ったらしいな。他にやりたいことがあるなら仕方ない」

 

達也の言い方は気落ちするほのかに気にするな、と言い聞かせている意味合いが多かった。

 

「部活連が今年から1年生を入れることになったから、こちらに来るかもしれないわね」

「え、そうなのかい」

 

驚いたように声を上げたのは幹比古だったが、雫やほのかも初耳だという表情をしていた。部活連以外にはまだ公表していない事実であり、幹比古たちが知らなくても不思議ではなかった。

 

「服部先輩が早くから人材育成を取り組む必要があると判断したみたい。教職員推薦枠で風紀委員に行く可能性もあると思うけれど、主席を放っておくことはないと思うわ」

 

部活連の役員は早くても1年の後半から選出される今年度は組織改革の一環として一年生を登用することが計画されている。入学主席ならば申し分ない人材だろう。

 

 

「それより、生徒会に新入生が誰も入らないというのも後々を考えると都合が悪い」

 

達也が真面目な顔で頷くと、深雪が思いついたように手を打ち鳴らした。

 

「そうだ。水波ちゃんを役員にするというのはどうでしょう」

 

深雪の発言に水波は顔を強張らせた。ただでさえ、ほぼ初対面の2年生に囲まれて無言で気配を消していた水波はいきなり注目され、居心地が悪そうだった。

 

「深雪、それでは水波がかわいそうだよ。主席を生徒会に誘うことが慣例なら、代わりの人も成績で選ばなければ」

 

水波がほっとした表情を浮かべた。達也に意見を却下された深雪はにこにことしており、どうやらからかい半分のアイディアだったようだ。

 

「次席はだれなの?」

「えっと、七草泉美さん。七草先輩の妹さんだよ」

 

雫の問いかけに、生徒会書記として入試成績を把握しているほのかが答えた。端末をみなくても、上位の順位はしっかり覚えていたらしい。

 

「三位が七草香澄ちゃんで、同じく七草先輩の妹さんよ。今年は一、二、三位が僅差で、その三人が突出した成績だったのよ」

 

同じく入試成績を把握している深雪がほのかの説明を補足した。

 

「じゃあ、七草先輩の妹さんのどちらが生徒会に入ってもおかしくないということですよね」

「順当にいけば泉美さんの方じゃない」

 

幹比古の発言に淡々とまるで興味がないように雫が突っ込んだ。深雪は少々いやそうな顔をしており、それに気が付いた雅は疑問に思った。

 

入学式後、真由美と一緒にやってきた泉美、香澄の二人は現生徒会役員に挨拶をした。その際、泉美が女神のように美しい深雪に感動し、やや熱狂的で崇拝的な様子を呈していたことに対し、深雪はやや苦手意識を感じてしまった。そのことについてはまだ雅は聞かされていなかったので、雅が深雪の表情に疑問に感じすることは自然だった。

 

「決めるのは会長だが、最終的には本人の意思だろう」

 

深雪の感情を(おもんばか)ってか、達也は簡潔に話を纏めた。

 

 


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