皆さまのコメントで水を得た鯛の御頭が喜び飛び跳ねると、砂糖の神様が降臨されました。
濃いコーヒーかお茶を片手にお楽しみください。
(・∀・)つ旦~~
与党の神田議員が一高に来校するのは、4月25日の土曜日になったと黒羽家から達也に情報が入った。マスコミを引き連れて視察という名目のパフォーマンスだろう。
彼の論調は魔法師の権利擁護を名目に、軍に魔法師が入ることを一方的に悪と決め、魔法師が軍に関わることを遠ざけている。
彼の主張が通れば魔法師は防衛大に進むこともできず、国防軍に入隊することもできない。魔法師は職業選択の自由を奪われ、さらに魔法師が軍や国防に興味を持つことすら禁じる思想統制にも繋がりかねない。
その主張に反論するため、一高の魔法教育が軍事利用以外にも役立っている。そう大々的に示すために達也が考え出したのは、加重系魔法三大難問の一つ、常駐型重力制御魔法式熱核融合炉の実験だ。
昨年の論文コンペで市原先輩が発表した研究は、常駐型重力制御魔法式
そして今回達也が披露しようと考えているのは
魔法師を単に戦争の道具としないあり方の一つであり、自然エネルギーに頼らない社会の実現に関わる実験だ。神田議員の来校を知った五十里先輩と中条先輩も達也の意見に賛同し、生徒会主体で実験を行うこととなった。
授業カリキュラム以外の魔法実験は部活動であれば所属の顧問が、それ以外の活動であれば担当教官に申請することになっている。担当教官のいない二科生の場合は事務室に届け、その後職員内で担当者が協議される仕組みになっている。
今回は発案者である達也が、魔法工学科の担当教官であるジェニファー・スミス教諭に申請し、最終的に校長まで決済され、実験の許可が下りたそうだ。
熱核融合とあって当然核被曝の可能性もある。そのため、監督として廿楽教官が立ち会うそうで、わざわざ生徒会室に足を運んでもらっていた。私も実験の実施については聞いていたが、実験全体の概要は知らないため、生徒会室に呼ばれていた。
「実験の計画書を見せてもらいましたが、面白いアプローチだと思います」
ピクシーが運んできたお茶で喉を潤した廿楽先生は続けた。
「それで司波君。役割分担はどのように考えていますか」
「まず、ガンマ線フィルターですが、光井さんにお願いしようと思っています」
「私ですか?!」
いきなり名前が挙げられたことに、ほのかは素っ頓狂な声を上げた。
「電磁波の振動数を制御する魔法において、ほのかの右に出るものを俺は知らない。引き受けてくれないか」
「わかりました! 頑張ります!」
達也からのお願いとあって、実験の詳細を聞いていないにもかかわらず目に見えてほのかは張り切っていた。
「クーロン力制御は五十里先輩にお願いしようと思っています」
五十里先輩が頷いた。廿楽先生も納得した様子で頷いた。
「中性子バリアは一年生に心当たりがあるので、彼女にお願いしてみようと思います」
「一年生にですか? 大丈夫なのですか」
廿楽先生も不安を禁じえなかったようで、思わず口を挟んだ。
「名前は桜井水波。自分の従妹で対物障壁においては天性の才能を持つ子です」
廿楽先生は前のめりになっていた体を椅子の背に着けた。達也が自信をもって天性の才能と言い、さらに深雪の従妹となればそれなりに魔法力においては信頼できるのだろう。
「要となる重力制御は妹に任せようと思います。
「九重さんでも難しい魔法ということですか」
廿楽先生は実験計画書で使用する魔法式にしても把握している。私の実力を知っているのであれば、得意分野の放出系に該当する魔法が難しいとはどういうことかと疑問に思っても仕方がないだろう。
「実験を計画している25日には図書・古典部全体で大学の研究発表の場に呼ばれていますので、当日の参加は難しい可能性があります。担当者が見つからなければ、発表の方は欠席も仕方ないと考えていますが、今の段階での欠席は好ましくないそうです」
議員の来校予定の日は、前々から招待を受けていた魔法科大学の研究発表の日と重なっている。図書・古典部のOBであり、その縁もあって招待された。出欠については既に連絡が大学側にしてあり、古典部の顧問である墨村先生に確認をしたが、体調不良というわけでもなく、後から入ってきた実験でもあり苦い顔をされた。
正直、一高校生とはいえ大学側としては出席者に九重の名前欲しさも見受けられたが、発表者は九重の遠縁でもあり、今回の発表も私がいるから呼ばれたようなものだ。九重ではほぼ末席に位置するとはいえ、部員の今後も考えると私が出ることの価値はあるのだろう。
神田議員の来校が午前中ならば参加できるのだが、午後からの発表に合わせて出かけるので、私を欠く場合もある。その可能性を考えると、最初から別の人材を選ぶ方が賢明だ。
「そうすると、
「会長には全体のバランスを見てもらおうかと思っています」
「なるほど。その方が適切ですね」
廿楽先生は自分の提案を引っ込め、思案顔になった。
「あの、もしよろしければ、
「私達というのは香澄と泉美の二人ということかい」
「はい。私一人では力不足かもしれませんが、私達二人ならばきっとお役に立てるはずです」
二人で一つの魔法を使うということがどういうことなのか、ここにいるメンバーで分からない者はいない。
魔法式に魔法式は作用できない。これは現代魔法、古式魔法に共通する通説だ。
古式魔法の場合、例えば九重神楽のように一つの魔法を使用するにも雅楽、詠唱、歩法によってそれぞれ魔法干渉の領域を分けているので、一つの場に発生する魔法は相克を起こさない。もしくは膨大な魔法式を祭壇や詠唱等を回路に用いて重複しないように層別化し、複数で一つの魔法式を作り、大規模魔法を発生させるという手法もある。
だが、現代魔法の場合、同じ物体に同じ魔法を二人の魔法師がかけようとすると、魔法力の強い方の魔法のみが作用する。同じ魔法でも複数の魔法師が発動する魔法の存在はむしろ邪魔にしかならない。
首を傾げたり、疑問の表情が多い中、達也と廿楽教授は特に表情を変えず、むしろ納得顔だった。泉美ちゃんはまさか達也にも知られているとは思わず、やや身構えた。
「廿楽先生はともかく、司波先輩にも知られているとは思いませんでした」
「その話は別の機会にしようか。
―――廿楽先生。光井さんと七草さんは実験の詳細を知りません。確認の意味も含めて、一通り説明したいと思うのですが」
「はい。構いませんよ。私も資料でしか詳細は知りませんので、ぜひそうしてください」
廿楽先生の同意を得て、達也は恒星炉の説明を開始した。こうして、実験の第一歩が始まった。
恒星炉の準備は議員到着までをリミットとすると、論文コンペと比べ圧倒的に短く、さらに全校生徒の協力が得られるわけではない。
あくまで課外活動の実験であり、生徒会と有志の協力しか得られない。
しかも私たちは野党議員が来校することを知らない上でこの実験を行うこととなっている。
しかし論文コンペのように実際に実験装置を動かすわけではないので、達也は十分に準備可能と判断した。達也が五十里先輩と中条先輩を除く5人分のCADを調整し、実験が目に見えた形で整ってきたころには不安を抱く者はいなくなっていた。
有志の中には十三束君や巻き込まれる形で不服ながら十三束君の手前、実験準備に手を貸している平河さん、達也に憧れて一高に入学してきた魔法工学技師志望の
そして迎えた4月24日、火曜日の放課後。
本番を明日に控え、最終リハーサルが行われた。
尤も、本来魔法式が正しく作用するか、期待している結果が得られるかは今日の実験ですでに判明している。明日はマスコミ対策と、加重系魔法の三大難問に挑戦とあって見学をしたい生徒には見学を許可しているらしい。
私は実験には参加せず、七草姉妹のフォローをしたり、細やかな雑事をしていた程度だ。
この日も少しだけ部活に顔を出し、実験終わりを見計らって私と雫は生徒会室で達也たちが戻ってくるのを一緒に待っていた。
風紀委員の部屋と生徒会室は中でつながっており、雫も渡辺先輩や千代田先輩同様、生徒会室に入り浸っている。配膳機を含めた諸々の設備などは生徒会室の方が良い物が揃っており、加えて言えば男所帯の風紀委員室より雫も気が楽なのだろう。
「雅、今日って達也さんの誕生日だよね」
「そうよ」
今日は達也の17歳の誕生日だ。プレゼントはまだ渡していないが、夜は深雪たちと一緒に祝う予定になっている。
「ほのかから誕生日プレゼント、渡させようと思うけどいいかな」
「友人からのプレゼントを断れというほど私は嫉妬深くないわよ」
「………雅はほのかの気持ちを知っているんだよね」
ほのかが達也に友人以上の気持ちを抱いていることは知っている。
婚約者という私の存在があってか、表立った行動はないが、視線が達也を追っていることは知っている。その瞳に込められた感情は焦がれる思いを乗せている。
「例えそうだとしても、思うことすら禁じるのは酷よ」
ほのかの思いが片思いの内なら、それについて私に口出しする権利はない。
私だって未だに片思いなのだ。
私と達也の関係は、あくまで家が決めたことであり、達也が私のことをどう思っていたとしても家の決定がなければ覆されることはない。私と彼を縛る形式染みた関係は、他人の力で最初からなかったかのように解くことだって可能だ。
緩やかに縛られた関係に甘えれば、時々私に現実を突きつけて喉を締め上げる。それでも、達也が全く私を思っていないとは思いたくない。私に向けられる笑みや瞳に、優しく触れる手に、それらに籠る感情が全くないとは思えない。
「達也さんが浮気するかも、って思わないの?」
「もし、そうだとしたら私、泣くわよ」
達也の感情が色鮮やかに彩られていくことは、喜ばしいことだ。
穏やかで、柔らかな日差しと徐々に眩しくなる緑の季節。雪解けの水は大地に染み渡り、厳しい冬を越えた堅い種から柔らかな芽を出し、花や木々の栄養となる。まどろみのように全てが優しい日差しに守られている生命の輝く季節。春の嵐も雨のたびに夏を迎えるように日差しは強く、緑は逞しく濃くなっていく。そんな春のように淡い感情だとしても、得られないと絶望した日々を思えば奇跡のような出来事だ。
しかし、それが私ではない誰かに彼が微笑む日が来ると考えると、私の心は春の嵐のように黒く染まる。
「それはあり得ない。達也さんは雅を好きでしょう。誤解はあっても浮気はないよ」
自分から浮気を疑わないのかと聞きつつ、あり得ないと雫は断言した。
雫からは少なくとも私たちは
困ったように笑う私に、ちょうどよく、生徒会室のドアのインターホンが鳴った。
扉に近かった雫が立ち上がり、ロックを開ける。
「おかえり」
「お疲れさま」
最終実験をしていた達也たち7人が生徒会室に戻ってきた。
「遅くなってすみません、お姉様。雫もありがとう」
「特に何もなかったよ」
特別連絡や部活動関係のトラブルも持ち込まれず、平穏な放課後だった。
達也たちもそれほど疲れていないようだったが、どことなくそわそわとしているほのかが目についた。
「ほのか」
雫がほのかに声をかけた。ほのかの肩がピクリと跳ねる。
おそらく、先ほど話題に出ていた誕生日プレゼントだろう。
ここで渡してしまわなければ、ズルズルとほのかは渡すタイミングを逃してしまうのが目に見えている。
雫は強引に達也とほのかを向かい合わせると、勝手知ったほのかの鞄の中から小箱を取り出し、ほのかに差し出した。私と深雪の目がある中でだが、ウロウロさせた目を閉じ、意を決したように、小箱を達也に差し出した。
「達也さん、今日お誕生日でしたよね」
ほのかは緊張してか、声も堅く、早口になっている。
「気に入ってもらえるかわかりませんが、一生懸命選びました!」
「ありがとう」
一瞬、深雪から刺すような冷たい視線が送られたが、すぐにそれは勘違いだったかのように霧散し、達也もそれを指摘することなく、ごく自然にその小箱を受け取った。
背後から香澄ちゃんが「司波先輩と光井先輩ってそんな関係だったの!?」と驚愕の声を上げた。
もしかして、彼女たちは達也と私の関係を聞いていないのだろうか?
私の立っている位置は達也たちより、中条先輩や七草姉妹の方が近いので綺麗に聞こえた。
「私とほのかの連名だよ」
五十里先輩たちの手前か、雫がそう付け加えた。
「司波先輩ってモテるんですね」
そんな様子を見てか、意外な様子で整った眉を歪めながら香澄ちゃんが言った。その呟きを聞き取っていた五十里先輩は一瞬首を傾げた後、納得したように小さく頷いた。
「ああ、七草さんたちはまだ知らなかったんだね」
「何がですか」「何でしょうか」
七草姉妹が同時に尋ねると、遅れて中条先輩も分かったようでニコリと頷いた。
「あ、そうですね。てっきり真由美さんから聞いていると思っていました」
「司波君、九重さんと婚約しているよ」
私が口を挟む間もなく、五十里先輩から暴露されてしまった。
2,3年生には知れ渡っていることだから、1年生である二人の耳にもいずれ届くことだろうが、なにも異性からプレゼントをもらっている場面で言わなくてもいいだろうに。
「「え?」」
「雅先輩と?」
「司波先輩が」
香澄ちゃんは私と達也に視線を往復させ、泉美ちゃんは絶望した表情で私を見上げていた。
「嘘ですよね」
「雅先輩!!」
「司波先輩と婚約だなんて嘘ですよね」
縋りつくように私の制服を掴む二人に内心ため息をつきながら、事実を告げた。
「本当よ」
二人して同じ顔で私にしがみついたまま、達也を睨んでいた。まるで親の仇を見るかのような顔つきであり、いつ達也はそんな恨みを二人から買ったのだろう。
実験には協力的なので、本心から嫌っていないだろうが、これでは明日の実験に心配が残る。複数の術者で行う実験であり、CADも達也が調節しているだけあって信頼関係は大切だ。
一触即発とは言わないが、不穏な空気が生徒会室に漂い始めた。
睨まれている達也はいつも通りのポーカーフェイスで、深雪もお淑やかなままだ。中条先輩とほのかは二人そろって、どうにかしなければという顔をしながら混乱していた。水波ちゃんと雫は不干渉を貫いている。単に面倒ごとに巻き込まれたくないのだろう。
「そろそろ、閉門時間になるので帰ろうか」
そんな混沌とした空気を変えるために、爆弾を落とした
「そっ、そうですね。生徒会役員がいつまでも残っていたら他の生徒にも示しがつきませんからね」
時間も差し迫り、先輩に言われてか二人も鞄を持ち、9人は生徒会室を後にした。
下校途中、深雪の提案で達也は雅とデートをしていた。時刻もそれほど遅くはないが、夕食前とあって1時間ほどウインドウショッピングをして帰った。
基本的に雅も達也も学生とはいえ、放課後や週末は予定が入っていることが多く、久々のデートとあって雅は終始機嫌が良かった。
連名とはいえ、ほのかから誕生日プレゼントを受け取ったことに対してやや引け目があったが、雅は全くと言っていいほど気にしていないようで釣られるように達也も短い時間を楽しんでいた。
雅と一緒に司波家に戻った際に、いつもなら深雪か水波が出迎えてくるのだが、それがないことに疑問を感じた達也がリビングの扉を開けると、パンッという音と共に紙吹雪が降ってきた。テーブルには二人の力作であろう色とりどりの料理が待っていた。
「つまりこのための時間稼ぎか」
あきれ顔の達也に、雅と深雪が揃って笑って目を逸らした。
「気持ちは嬉しいよ。ありがとう」
要するにびっくりさせたかった、ということだろう。誕生日ケーキに歌と手拍子までついたパーティは、少人数ながら賑やかに行われた。
終始ハイテンションな深雪に乗せられて、達也も雅も騒いでいたが、今は達也は自室で寛いでいた。明日の発表を前に、達也の気分転換にと気遣ってのことだろう。
ふと達也は鞄の中に入れっぱなしになっていたプレゼントを思い出し、机の上に置く。丁寧に紺色のラッピングをはがすと、手のひらに乗る程度の木箱が入っていた。
その蓋を開けると、中に入っていたのは銀製のゼンマイ式懐中時計だった。このような時計は実用品としてではなく、美術品として愛好されている。達也が普段着けているとあるメーカーの腕時計は九重からの贈り物であり、同じ時計を贈るということは雅への対抗意識もあるのだろう。
かなり高価なものだが、雫が連名といった証拠に、箱の裏には雫の父が経営する企業グループのコーポレートマークが刻まれていた。
蓋の裏側には写真が入れられるようになっていたが、そこは流石に空になっていた。雫ならここにほのかの写真を仕込むことくらいやっていただろうが、流石に婚約者のいる相手に対して、それは憚られたようだ。
達也は椅子に背を深く預けた。
雅の気持ちにすらまだ答えられていない自分には、ほのかの気持ちは正直持て余すものだった。ほのかに対して、答えは既に去年の夏に伝えてある。それでも一度芽吹いた思いに、ほのかは区切りをつけられていない。
横恋慕だと分かっていても、理性的になれないのがこの感情の厄介なところなのだろう。
「お兄様。深雪です。少々お時間よろしいでしょうか」
思案する達也に囁くように、ドアの外から深雪がギリギリ部屋の中に届く程度の声量で問いかけた。水波や雅を憚ってのことだろうかと、達也は静かに椅子から立ち上がり、部屋のドアを開けた。
そこには華やかにドレスアップした二人の美少女がいた。
深雪は淡い桜色にレースをふんだんに使い、ローブ・デコルテのワンピースは背中と胸元を大胆に露出している。
対して雅は鮮やかな光沢のあるチェレステカラーのホルターネックのワンピース。首元はリボン結びで留めてある。線の細い白い肩が惜しげもなく、晒されており、正面からでは分からないが、おそらく背中も露出したデザインなのだろう。
二人とも髪もしっかりセットされ、薄く化粧も施している。
「あの、お兄様」
沈黙している達也に深雪が不安げに声をかけた。
普段とは違う華やかな出で立ちに、達也は不覚にも見とれてしまっていた。
「ああ、ゴメン。入って」
達也は横にずれ、二人を中に招き入れた。
二人は手ぶらではなく、雅はトレーに乗せた足つきのグラスを三脚とハンドバック。深雪はボトルと同じくハンドバックを持っていた。
「ありがとうございます」
二人はトレーとボトルを机に置き、雅はグラスを並べた。
「ほのかと雫からのプレゼント?」
「ああ」
机の上に置きっぱなしにしていた懐中時計に目に留め、雅が尋ねた。
「上品なデザインね」
「そうだな」
雅にそのつもりはなかっただろうが、自分の不義を咎められているような、どことなく間の悪さを感じた達也はそれを箱ごと机の引き出しにしまった。
「それで、これは?」
壁面収納に納められた予備のスツールを雅と深雪に勧め、三人で膝を突き合わせるように座った。
「せっかくですから、三人での時間が欲しくてお姉様にも協力していただきました」
深雪が協力と言っていることから、この衣装もすべて深雪の発案だろう。
肌の露出を好まない雅が、深雪のお願いとあって結局は断り切れず、このドレスを着るまでの様子が目に浮かぶようだ。雅の髪も化粧もすべて深雪が念入りに仕上げたことだろう。
「シャンパンか」
「アルコールはほとんど入っておりませんよ」
ボトルを手にしてラベルの表示を見れば、確かにそれほどアルコール度数は高くない。一度、チョコレートのアルコールで酔った経験のある深雪にはあまりよくないだろうが、グラスのサイズから一杯程度なら問題ないだろうと達也はボトルを戻した。
「お兄様、乾杯しませんか」
「ああ」
深雪がボトルを手に中々栓が抜けず四苦八苦していると、達也はボトルを取り上げ、コルク栓を飛ばすことなく、簡単に栓を抜いて深雪にボトルを返す。
三人分のシャンパンを注ぐと、深雪は達也と雅にグラスを渡す。
深雪が右手でグラスを掲げると、達也と雅も同じ高さにグラスを掲げる。
「お兄様……ハッピー・バースディ。お兄様がここにいてくださることに、感謝します」
「誕生日おめでとう、達也。この日を祝えることを幸せに思うわ」
「ありがとう」
チン、と澄んだ音が響く。
三人は同時にグラスを傾けた。
深雪は最初の一杯に留め、残りは達也と雅で処理していた。
元々分解能力が高い達也はアルコールに対して耐性が高く、雅も家柄上酒宴の多い家系とあって、人並み以上にアルコールには強い。
爽やかなシャンパンは舌の上でしゅわりと弾けて、喉を通り抜けるのを楽しみながら、話に花を咲かせ、夜は更けていく。
時刻が10時の手前になったころ、深雪が優雅に席を立ち、一礼した。
「それでは、お兄様、お姉様。深雪は一足先にお休みさせていただきます。お姉様はどうぞお兄様とお過ごしください」
明日も学校があるため、雅も遅くならないうちに失礼しようと席を立とうとしたが、深雪に目でにっこりと微笑まれれば、浮かせていた腰を落ち着かせるしかない。
達也と部屋で二人きりになることはもちろん初めてではないが、妹分に気を使われているとあってどことなく気恥ずかしい思いが雅にはあった。
「お兄様」
深雪が部屋を出て、扉から半分だけ顔をのぞかせて悪戯気に笑った。
「明日の朝食はお赤飯がよろしいですか」
「深雪!」
滅多に大声を出すことがない雅が驚きのあまり、上ずった声になってしまっていた。
くすくすと楽し気な笑みを携え、深雪は達也の部屋を後にした。
「あの子、酔っていたのかしら」
雅は頬に手を当て、ため息をついた。
からかわれているとは知りつつも、薄っすらと雅の頬は赤くなっていた。
同級生や先輩から言われるなら冷静に取り繕えるが、妹に近い深雪に言われるとあれば身内の恥ずかしさもあるのだろう。
二人きりになった部屋で雅は達也に視線を向けた。話したいことは、デート中に大方話してしまっており、沈黙が部屋に流れる。
「そういえば、一つ欲しいものがあるんだが」
先に沈黙を破ったのは達也だった。
「欲しい物?」
プレゼントは先ほど、深雪と雅から贈っている。
深雪は写真の入れられる月と星と太陽をモチーフにした金色の円形のロケットペンダント、雅からはマネーカード用の財布だった。
紙やコインの貨幣は存在するが、先進各国では基本的には端末での引き落としが多く、それ以外は定額式やチャージ式のマネーカードが多い。春に財布を変えるのは縁起が良いとされ、達也も専ら端末とマネーカードを使用していたが、やや古びてきたため丁度良かった。シックなこげ茶色の本革の財布は新品ではあるが、手によくなじみ、使っていけば革製品独特の味が出てくる良品で、見た目に反してスキミング防止の機能も取り入れられている。
二人からの贈り物を気に入らなかった素振りはなく、外れだったかと雅はやや心配そうに達也に尋ねた。
達也は首を横に振った。達也が欲しているのは厳密に言えば“物”ではない。
右手の人差し指でトントン、と自分の唇を叩くと、その手を雅の頬に伸ばし、するりと細い輪郭をなぞるように滑らせると、人差し指は唇に、他の指は顎を捕らえた。
「誕生日、だろう」
柔らかな声に少しだけ意地悪な笑みを浮かべ、達也は微笑んだ。
雅は言葉を飲み込むのに一拍置いた後、達也が欲しているものを、求めている”もの”を理解した。雅は言葉の意味を理解すると同時に、心臓は早鐘を打ち、頬には熱が集まる。
「えっと……」
表情を取り繕う余裕もなく、雅は視線だけを彷徨わせた。
これからすることは今回が初めてではない。
ただ今まで改まって求められるようなことはなく、その場の雰囲気というものがあったが、今回は雅から動かなくてはならない。痛いほど心臓が高鳴る中、それほど長い沈黙ではなかったが雅の頭は混乱しつつも決意を固めた。
ただ緊張しているのか、雅はまっすぐ達也を見ることもできず、伏し目になりながら小さく息を呑んだ。
「目、つぶって」
蚊の鳴くような声ではあったが、静かな部屋、それも至近距離の達也はその音をよく拾っていた。
達也は思わず笑みが零れた。
その笑みは冗談やからかいではなく、いつもと違って声もろくに出せないほど冷静ではない雅が新鮮であり、達也にはうれしい発見でもあった。
笑われたことを非難する余裕すらない雅はゆっくりと椅子を立った。
達也は少し顔を上げ、目を閉じた。百面相をしているだろう雅の顔を見てみたい半面、達也も内心照れくさい部分はあった。
こんなことを求める柄ではないことは自分自身、よく分かっていた。
それでも今日は特別な日であると、大して感慨深くもない17回目の誕生日に意味が見いだせるのであれば幸いだと思った。
雅はゆっくりと達也の肩に手を置いた。
吐息も聞こえる距離が徐々に縮まっていく。
よく知っているはずの、よく知っている唇が、やけに今日だけ目についてしまう。
近づいて、あと数センチの距離で恥ずかしくなった雅は目を閉じ、残り僅かな距離をゼロにした。
ほんの一瞬。
それだけで逃げようとする雅の後頭部を達也は支えると、再び唇を重ねる。一瞬だけ雅の体が硬直したのをいいことに、達也は椅子から立ちあがり、雅の腰に手を回す。
吐息ごと唇を食み、角度や強弱を変えて、何度も唇を重ねる。
羞恥心からか、突然の達也の行動に驚いてか、首を振って逃げようとするが、後頭部を支えていた達也の手が顎を捕らえ、逸らすことを許さない。
唇で甘噛みするように唇を捕らえ、ワザと唇が離れる音を立て、吐息交じりに低く雅の名前を呼ぶ達也に、雅の頭は沸騰しそうだった。
自分がどうやって立っているのかも分からなくなるほど、どうやって息継ぎをしたら良いのか分からなくなるほど、雅は与えられた感覚にただ溺れるしかなかった。恥ずかしくて顔を逸らしたい、未知の感覚に怯えるように逃げる雅に達也が背骨をなぞるように指を滑らせれば、ゾクリと雅は震える。羞恥心からくるイヤもダメも、全て達也の唇が邪魔をして、発することはできない。
どのくらいの時間だっただろうか。少なくとも雅が羞恥心でへたり込みそうになるほどの時間、雅は達也に翻弄されていた。
どんな意図があって、達也がこんなことをしたのか。
雅は睨み付けるように達也を見上げ、息を呑んだ。
知らない。
蜂蜜を煮溶かして固めたように甘く、それでいて春の木漏れ日のように柔らかな笑みを達也は雅に向けていた。
雅は、こんな達也を知らない。
達也の笑顔自体、何度も見てきた。
それでもこんなに頬も緩み、目じりも眉も下がって、幸せそうな笑みを浮かべる姿を知らない。
激情を白紙化され、恋愛感情一つ持つことが叶わない達也に、まるで愛しいと言われているような、そう錯覚してしまうほどだった。
その行動の訳を尋ねる言葉も、その心に秘める感情を問う言葉も何一つ出すこともかなわず、雅は達也の胸に飛び込んだ。
願わくば、この夜の出来事が夢でないことを祈りながら、達也の胸に縋った。
|д゚) リア充末永く幸せに爆発しやがれ!!
書いてるこっちが恥ずかしいぜ。
深雪さんの心情としては、先にお姉様LOVEだったので、お兄様もLOVEになってからは、二人が一緒なここは天国かしら(*゚∀゚)=3
って感じです。