恋ぞ積もりて 淵となりぬる   作:鯛の御頭

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私はこのシーンを書くために、この話を作ったといっても過言ではない話です。
ですが、当初の予定より砂糖加重積載です。
これもそれも、世間の荒波にもまれている鯛の御頭に、皆さんが砂糖水のごとく感想をくれるからです。

中々報われないものがあっても、認められないことがあっても、褒められないことがあっても、私はここに救われています。
ありがとう。





後編

先日の土曜日に行われた十三束君と七宝君の試合は、予想通りというか十三束君の圧勝だった。達也と深雪が生徒会として立会人になっており、試合の様子を教えてくれた。

 

七宝家のお家芸であるミリオン・エッジも、紙が体に当たる前に十三束君が身に纏っている想子の鎧――接触型の術式解体――で魔法式を解体され、ただの紙切れにしかならなかった。

そのあとは、十三束君が一撃で七宝君を沈めると、十三束君は達也に試合を持ち掛けたらしい。七宝に実力者同士の戦いを見せてほしい、と十三束君が達也にお願いしたそうだ。二人の試合は白熱し、特に近接戦闘を含めた魔法の応酬は手に汗握るものだったと深雪が興奮気味に語っていた。

結果として達也が勝利したが、間違いなく強敵だったと達也自身も語っていた。

 

七宝君が上級生の実力に触発されて、自分の器の小ささを思い知って大人しくなってくれればいいが、昨日の今日では流石にその変化はすぐには見えてこない。

ひと月後には九校戦のメンバーの選定も控えており、彼は間違いなく実力はあるので選手に選ばれるだろうから、それまでに落ち着いてくれれば部活連としても助かる。

 

 

 

演習林で鎧塚先輩の研究発表に携わった後、部活は閉門時間までに終了し、解散となった。その後は特に伯父の元での体術の稽古や、神楽の稽古もなかったので、まっすぐ司波家に戻った。基本的に帰りが遅くなる場合は、迷惑をかけないように自宅として登録しているマンションに帰宅するようにしている。

 

司波家で今回の古典部の研究発表を話題にしながら、夕食を終え、シャワーで体を清めた後、地下の作業部屋で、いつも通り週に1度のCAD調整を行っていた。

衣服が少ない分、より正確に調整できるとはいえ、下着姿で調整台に乗りサイオン等の計測するのは、例え達也はモニターを向いていて直接体を見られていないにしても、慣れるものではないし、緊張してしまう。

 

しかも、目立つようなものでもないが、私の体や腕にはいくつか傷跡が残っている。神楽の稽古で失敗をした時のものだったり、武術、剣術の訓練でできたりしたものだ。

九重に生まれ、さらに四楓院としての名をもらった以上、そのことに後悔はしていないが、深雪のように傷一つない玉のような肌に憧れるのは仕方がないかもしれない。醜いと思われていなければいいが、あいにく達也の本心まで見えるほど私の目は優れていない。

 

測定が終われば、私は重い溜息を吐き出さないようにして、浴衣を羽織る。達也は私が着替え終わるまで振り返ることは無いが、年頃の男女がこのような状況で何もないとは枯れていると世間的には言われるかもしれない。

 

尤も、何かあっても私も困るのだが、魅力的に見えないのだろうかと時折心配になる。浴衣をはだけさせたまま、後ろから抱き着いてみようかと一瞬(よこしま)な考えが浮かび上がったが、すぐさま理性がはしたないと歯止めをかける。その一方で、『お姉様まで奥手でどうしますか!』と頭の中で深雪が叱咤したので、いつもよりほんの少しだけ緩めに胸元を合わせ、帯を締めた。

 

 

 

達也が出してくれていた予備のスツールに座り、達也の隣で調整している画面を見る。膨大な数字とアルファベットの羅列にしか見えない生のデータから、私の状態に合わせて達也はCADを最適化していく。

ちらりと盗み見た横顔は真剣なもので、私の羞恥心なんてまるでお構いなしだった。心臓の音や脈を診てみればわかるかもしれないが、作業をしている傍らそんなこともできず、私はモニターを見つめた。

 

測定の値は、1年近く達也が調整してきたのを傍らで見ていたので、悪くない結果だということは私にも分かる。むしろ神事に関わった後の方が、魔法力は消耗しているはずなのに、良い結果が出ることが多い。

達也も気分的なものだろうと納得していないにせよ理由付けはしているが、その真実を語るだけの覚悟が今の私にはできていなかった。

 

「そういえば、舞い終わった後、鎧塚先輩と墨村教諭と何を話していたんだ?」

 

ふと、達也が作業の手を止めずに、質問した。

 

「噂は(あなが)ち間違いではなかった、って言ったところね」

 

一瞬だけ、キーボードを叩くスピードが遅くなったものの、達也はそのまま調整を続けた。

 

「犬か?」

「達也にも見えていたの?」

「いや、美月が巨大な犬を見たと言っていた」

 

やはり美月の目は凄いと改めて思う。その目は望む、望まないに関わらず多くのものが見えてしまう。きっと苦労をしてきたことも多いだろうが、特に古式の家からすれば喉から手が出るほど魅力的な目だろう。

今は美月自身が目立つようなことがないから安全に過ごせているのだろうが、もし広く古式の家々に露見すれば穏やかな学生生活は送れなかっただろう。

 

「正確には犬は犬でも、犬神の失敗作といったところかしら」

「犬神って、あの犬神か?」

「ええ。術自体完全なものじゃなかったのが、幸いだったわね」

 

犬神とは、犬の神様ではなく、呪術の一種だ。

犬を首だけを土の上に出した状態で生き埋めにして、目の前に食べ物を置き、餓死する直前で首を刎ね、その首を辻道に埋める。人々がそれを知らず知らずに踏んでいると、やがて怨念を増した霊となり、それを呪物とする蠱術の一種だ。

犬の首を用意するのは学校以外でも構わないので、首だけ埋めるなら短時間の作業で済む。校内と違い、演習林は隠しカメラもなく、さらに人がいても一定の場所に長時間留まることはないので、人目につかずに作業ができただろう。

 

「まさか、昨年の九校戦のように、外部の誰かが埋め込んだのか?」

「いいえ。大方あそこの演習林を使う部活動や生徒を恨む人物がこっそり埋めたもの、という見方が強いわ。術のやり方は図書館かインターネットで簡単に調べられるからね。首の方は念のために辺り一帯を消毒して、然るべき施設に埋葬されるそうよ」

「内部犯となれば、犯人の目星はついているのか?」

「詳しくは調査中ね。ただ、場所が悪いのよね」

 

一高の土地神様は狼の姿をしている。

犬は眷属も等しい存在だ。

犬を用いた呪術は、仕掛けた本人が意図したにせよ、せざるにせよ確実に怒りを買っていた。

私が滅却してしまったので、埋めた本人には呪い返しというほどのものは降りかからないだろうが、確実に土地神様は実行犯の正体をつかんでいるだろうから、しばらくは不幸が続くことだろう。

 

「人を呪わば穴二つ、だろう」

「そうね」

 

問えばその正体を教えてくださるだろうが、私もわざわざ意図的に呪いを持ち込んだ生徒を助けるほど慈善家ではない。

 

 

 

 

いつも通り、素晴らしい速さで調整されたブレスレットタイプのCADを左腕に装着し、待機状態にする。

 

「どうだ?」

「問題ないわ。いつも通り最高の仕上がりよ」

 

特殊なものでなければ自分でもCADの調整はできるが、やはり達也の調整の方が自分には合っている気がする。魔法の発動にタイムラグや違和感なく、CADにアクセスしたときの反応も良い。

世界最高の魔工師との呼び声も高いトーラス・シルバーの片割れに毎回調整してもらえるなんて、確かに測定に多少の羞恥心があることも贅沢な悩みかもしれない。

 

「里帰りは6日までで戻ってくるんだよな」

 

明日は学校が終われば、そのまま京都行きのリニアに乗り、実家に戻る予定になっている。5月6日は私の誕生日だが、昨年は四楓院の一員として認められるための儀式があったし、今年は当然のように神楽の稽古だ。夏祓に向けた稽古で、みっちりとした練習と、合間にも神職としてのお勤めが待っている。

 

「6日も午前中だけ稽古をして、リニアで戻ってくる予定よ。ただ去年に続き、今年も一緒に過ごせないのは達也があんまりだろう、ですって」

 

流石に疲労も溜まるだろうということと、気を利かせた兄が口添えしてくれたので、午後にはこちらに戻ってくることができることになった。

 

「それなら、雅の誕生日、残りの時間を俺にくれないか」

 

少し期待はしていたが、いざ誘ってもらえるとなると、足元からふわふわと浮き上がりそうなほど嬉しい。達也とのデートが待っているなら、実家でのどんな厳しい指導にも耐えられる気がした。

 

「喜んで」

「どこか行きたい場所はあるか?」

 

ショッピングでもと思ったが、当日既に体力を使っているだろうから、歩き回るようなものは避けた方が無難だろう。遠出もできないだろうから、場所は都内か近郊がいい。

 

「プラネタリウムって、どうかな?」

 

たしか横浜の有名なプラネタリウムがリニューアルしたとニュースで報道されていた気がする。

博物館や科学館に設置されているのではなく、施設自体はショッピングや映画館などの複合施設なので、終わった後もしばらくは色々見て回ることができるだろう。私の提案に達也は二つ返事で、了承した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そして迎えた5月6日。

 

衣装合わせと、軽めの稽古を終え、昼食もそこそこにして、私は東京行きのリニアに飛び乗った。着替えやお土産などの嵩張る荷物は宅配サービスで配送してもらうので、ハンドバック一つで事足りていた。

目に見えて浮足立っていたようで、当然兄たちからは揶揄われたが、上の兄も新婚でお熱い様子だし、下の兄も星巡りが見つかったとかで、二人とも人のことを言えない。

 

今日の服装は白いシフォン生地の膝丈フレアワンピースと紺のカーディガン、靴は歩きやすさ重視のウェッジソールにしている。

母と義姉から可愛いとお墨付きを貰えたので、大丈夫だろう。

 

横浜で降りて、そこからはキャビネットで待ち合わせ場所へと向かう。

改札を降りると、初夏の眩しい日差しに目を細める。春から夏に向け、街路樹も緑が徐々に濃くなっている。五十年前ほどに起きた寒冷化の影響もあり、日差しはあるものの、風は穏やかで爽やかな空気が流れている。

大亜連合が引き起こした横浜事変で一時は足が遠退いていた横浜だが、その後迅速に復旧作業が行われ、かつての賑わいを取り戻している。

 

「ごめんなさい、待ったかしら」

 

待ち合わせ時間より数分早めに到着したが、改札を出たところで達也が待っていた。

黒のジャケットと、白のシャツに襟ぐりが深めのブルーグレーの薄手のニットベスト。身長があるのと、姿勢がいいのもあってよく似合っている。達也はシンプルな着こなしが多いので、カフスボタンとか、落ち着いたデザインのラペルピンでもあると映えるだろうと今日の服装を見ながらふと思った。今日のショッピングのルートに入れてもいいかもしれない。

 

「いや。それほど待っていない。雅こそ、連日稽古だったんだろう。疲れていないか?」

「今日のためを思ったら、なんだって平気だったわ」

 

朝は6時から境内の掃除と朝拝があり、昼は神楽の稽古、夕拝ののち、再び稽古と学校の課題を仕上げるという密度の濃い日々だった。

京都に戻っての三日間、稽古は体力の限界まで舞うことの繰り返しで、何度となく意識がない時もあった。いつにもまして難易度の高い術に挫けそうだったが、それでも何とか及第点を貰えるまでに成長したことは救いだった。少なくともこれから2か月間でどこまででできるか、自分の限界を伸ばすための挑戦になる。

連日の疲れが顔に出ていなければいいが、今日はそれほど歩き回る予定でもないので、大丈夫だろう。

 

「それじゃあ、行こうか」

 

自然と伸ばされた手に、頬が緩んだ。

達也の手を取り、目的の施設の方へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

施設内の最上階、ドーム型のプラネタリウムは国内でも有数の規模を誇る。

 

リニューアルされたとあって観覧に来た人は多かったが、予約をしていたことと、達也は優待チケットを持ってきていたことで待ち時間なく入ることができた。チケットの出所はというと、この施設自体、フォーリーブステクノロジーが一部協賛していたようで、その関係者に配られるものだった。

 

なんでも、達也が牛山さんに連休中の予定を根掘り葉掘り聞かれた際に、ここに行くことを答えたら、任せろと言って取ってきたらしい。ここの協賛自体、CADの研究開発に関わる第三課とは別部署の管轄だったが、そこは業績を上げている牛山さんのゴリ押しで通ったそうだ。持ってきてもらった以上、有り難く使わせてもらうことにした。

 

「プラネタリウムって小学校以来かな」

「俺もそうだな」

 

理科の学習の一環で見たことはあるが、個人的に来ることは初めてだった。プラネタリウムは、宇宙の成り立ちと夏の星座にまつわる神話がメインのプログラムになっていた。

 

近年の宇宙開発の分野は、寒冷化と第三次世界大戦の影響もあり、一時停滞していた時期もあるが、魔法研究とも歩調をとり、太陽光エネルギーを軸としたエネルギー研究や、特に放射性物質の研究の分野での発展が著しい。実際、クルーの一員として魔法師は宇宙に上がり、宇宙ステーションにおける放射線被曝量の軽減や無重力状態での重力魔法の研究などにも取り組まれている。

 

国際宇宙ステーションのように、各国が協力して研究を行っている施設もある一方、宇宙での魔法研究の部分では各国が独自に行っている現状がある。魔法は未知の部分が多く事故の可能性が排除できないことに加え、魔法の研究開発はどうしても軍事面から国家間の争いにもなるため、共同歩調がとりにくいからだ。

今回は近年の宇宙の研究開発のというより、どちらかと言えば娯楽向けの上映内容となっている。

 

 

 

最新の映像技術を使い、臨場感のある立体的な天体が映し出される。

最初はビックバンからの宇宙の誕生について説明が行われる。

モニターだけではなく、空中にも映写されたり、足元にも宇宙の映像が映し出されるなど、とても迫力のある演出になっていた。

 

 

星座と神話については、夏の大三角と言われる、わし座、こと座、白鳥座のことから話が始まっていく。

こと座はオリュンポス十二神の一角、アポロンが息子のオルフェウスに渡した琴がモチーフになっている。

琴の名手、オルフェウスは結婚したばかりの妻、エウリデュケを毒蛇に噛まれて亡くしてしまう。嘆き悲しんだオルフェウスは冥界まで降り、冥界の神ハデスに琴を弾きながら、エウリデュケを返してくれるように懇願する。琴の音に感動したハデスは、冥界を出るまでの間、決して振り返ってはいけないという条件を付けたが、オルフェウスはそれを破ってしまう。エウリデュケはそのまま冥界に連れ戻され、オルフェウスは川に身を投げて死んだ。その時に流れた琴をゼウスが拾い上げ、空に上げて星座にしたとされている。

こと座の一等星、ベガは織姫星とされており、七夕伝説の元になっていることも説明されていた。

 

面白いことに、各地に残る神話や迷信には共通性が見られることがある。

この話も、日本神話に登場する黄泉平坂を通り黄泉の国へ伊弉冉(イザナミ)様を迎えに行く伊弉諾(いざなぎ)様の話と似ている。

また、ギリシャ神話にも死した人は船に乗り川を渡るため、コインを渡し守に渡すという言い伝えがあるが、仏教でも三途の川の運賃として六文銭を持たせるという話がある。

流石にそこまでの説明はなかったが、人工的な星空の雄大な景色に疲れも自然と抜け落ちていくようだった。

 

 

 

夕食を近くのレストランで終え、私と達也は施設に併設された観覧車に乗っていた。

 

施設の目玉でもある観覧車は一周およそ15分、関東でも有数の大きさを誇る。直径100mを超える観覧車からは、昼は水平線の彼方、夜は都会の暗闇を照らす色とりどりのイルミネーションが見られるとあって人気のスポットとなっている。連休最終日のこの時間帯は並ぶほどでもないが、恋人同士で来ている人が多かった。

 

4人乗りのゴンドラに、私と達也は向かい合って座っていた。ゴンドラにはめ込まれたアクリルガラスは、他のゴンドラから中の様子が見えにくい加工がされており、それも人気の一つになっていた。

 

「今日はありがとう。楽しかったわ」

「戻ってきた当日だが、疲れてないか?」

「大丈夫。楽しかったから、あっという間だったわ」

 

プラネタリウムもそうだったが、楽しい時間は自分が感じている時間以上に早く過ぎてしまう。

 

「神楽の稽古で連日大変だったんだろう」

「夏の大祓は『風神雷神』の演目が控えているし、来春までに鳳凰まで舞えるようになるのが目標かな」

「雷神役か?」

「ええ。風神は梅木の叔父様の予定よ」

 

九重神楽で二人で舞台に上がるとなれば、魔法のコントロールはいつも以上に精度の高いものが求められる。

風神を演じる叔父は、父の弟であり、【嵐】の名前を頂いている。荒事の舞に関しては卓越した技術と才能を持っており、40代後半なのに衰えを全く知らない。

 

神楽も魔法を使わないものならば、60代を過ぎても舞うことはできる。

しかし、九重神楽は体力と高い魔法力が求められるものであり、年齢が上がるにつれ、引退をして楽師に転向する者も少なくない。その中で現役を続ける叔父は、規格外と言えた。

 

「随分と豪勢な舞台だな」

「それだけ今年は厄が大きいみたい」

 

千里眼が見通した未来では、今年中に京都に大きな厄が来るとされている。それを防ぐためのものであり、結界のような役割も果たしている。

今年は論文コンペが魔法協会本部のある京都で開催なので、もしかしてそれに合わせて昨年のようなことが起きないとは限らない。

どのような厄なのか、私には知らされていないが、防げる部分は兄たちが秘密裏に手をまわしているだろう。

 

「ひとまず、何か起こるにしても7月以降だから、それまでは国内も静かだそうよ」

「あの九島が考えているアレも、次の九校戦で出てくるなら静かにもしていられないだろうな」

 

達也が言わんとしているのは、九校戦でパラサイトを使ったヒューマノイドのことだ。リーナが態々海を越えて追いかけてきたパラサイトは、最終的に達也たちの手により大方は破壊され、一部は四葉と九島の手に渡った。

中でも九島家はパラサイトの戦闘力に着目し、魔法師に代わる兵器として利用しようと考えている。その実証実験に九校戦を充てることにしているそうだが、日本の高校生相手に兵器の性能実験なんて、はっきり言って本末転倒な気がする。

 

 

「荒っぽい話はこれで終わりにしよう。せっかくの誕生日なんだ」

 

達也の方から、これ以上は不要だと話を切った。

今日は私の誕生日。

世間の裏にある荒事については、ひとまずお休みだ。

 

達也がジャケットのポケットから取り出したのは、紺色のリングケースだった。レザーに金の刺繍の入ったシックなデザインのものであり、サイズは比較的小ぶりのものだった。

指輪のケースに一瞬ドキリとするが、ケースを開けて中に納められていたのはクラウンをモチーフにした華奢な作りのピンキーリングだった。

ちょっとだけ期待した自分と安心した自分がいる。

 

「まだ薬指には嵌めてやれないのが、口惜しいな」

「えっ」

 

私の心を読んだかのようだったが、それ以上にプロポーズを匂わせる言葉に心臓が高鳴る。

達也は私の左手を取ると、リングを小指に嵌める。

サイズの確認はされていないが、当然のようにピッタリだった。

 

「可愛い……」

「気に入ってもらえたのなら、なによりだ」

 

指輪に視線を落としながら、本当は達也の顔を見られないくらい恥ずかしい。普段から達也は素っ気ないわけでもないし、全く私に触れないこともないが、こうもさらりと恋人らしく扱われると照れてしまう。

顔が熱い。耳まで赤くなっていないか、心配になる。

本当にズルい。

惚れた方が負けだなんてよく言うけれど、敵いっこないと思い知らされる。

 

 

 

ゴンドラは静かに頂上付近へと向かっている。

建物が徐々に小さくなり、イルミネーションが暗闇に散る宝石のように輝いて見える。

向かい合わせに座っていた達也が静かに席を立ち、私の隣に座る。

 

 

「雅……」

 

甘く深く、囁くような声で私の名前を呼ぶ。

脳髄まで痺れるようで、お酒は一滴も飲んでいないのに私の頭は酩酊したようだった。

私の右手に達也の大きな手が覆うようにして重なり、絡められた指が優しく私を捕らえる。

視線が交わる。

時が止まったように、私は目を逸らせない。

空いた手で私の髪を梳き、頬に手が添えられる。

この観覧車がいくら他から見えにくいとはいえ、こんな場所でと理性がブレーキをかける。

しかし、私の体は私のものではないかのように自由にならず、ゆっくりと近づく達也に私は目を閉じるしかない。

 

 

あと少し、呼吸が聞こえるような距離に私は達也のシャツを握りしめる。

唇が触れるか触れないかの距離で、突如として、観覧車の明かりが消える。慌てて目を開けると、他のゴンドラも明かりが消えているようで、観覧車全体が暗くなっていた。

 

「停電?」

 

こんな時になんでと思う反面、安堵してしまった。

まだ心臓がうるさい。

達也の顔が不満そうに見えたのは、私の願望であってほしい。

 

 

『お客様にお知らせいたします。ただいま、当観覧車は停電のため、運転を一時見合わせております。安全のため、しばらくそのままでお待ちください』

 

 

 

観覧車の中は非常用の明かりが足元を照らす程度で、地上からの距離もあるため薄暗い。幸い風もなく、ゴンドラが揺れるようなこともないが、どことなく不安になるのは仕方ないだろう。

 

「見たところ、電気系統の故障が原因のようだ。しばらく待てば復旧するだろう」

 

達也は精霊の目で確認したのだろう。どうやら大きな事故や危険はないようなので、ほっと肩をなでおろす。

 

達也の魔法ならばこの位置からでも電気系統の故障なら直せるだろうが、いきなりそんなことが起きても怪しまれる。静かに待っておくことの方が賢いだろう。

 

なんだか、先ほどのことで一気に疲れた。

私は達也の肩に頭を乗せる。

重ねられた少し体温の低い達也の手が心地よい。

 

どんな縁が私たちを導くに至ったのか、曾御婆さまは教えてくださらない。例え達也との関係が名前だけの仮初であったとしても、私は今が幸福だとはっきりと言える。

きっと憧れることも、ありもしない仮定を望むことも、これから先、何度となく繰り返すだろう。

報われない恋だと、人は言う。

それでもいいと、それでも愛そうと思った。

達也以外の隣に立つ自分も、達也以外を想う未来も、私には想像できなかった。

達也には重い荷物にしかならないだろうこの感情も、想うことを許してくれるだけで私は救われている。

そう思わせてくれた。

それだけで、今日は満足だ。

 

 

 

 

「“昔は物を思はざりけり”」

 

 

静かな観覧車の中、ぽつりと達也がそう呟いた。

 

「え……?」

「上の句は言わなくてもわかるだろう」

 

ふわりと優しく笑う達也に、私は言葉がすぐに出てこなかった。

 

「………ねえ達也、私、自惚れてしまうのだけれど」

 

かすれそうな声で私は問い直す。

もしかしてと願う気持ちに、何度そう願って涙を流したのだと、過去の自分が歯止めをかける。

だって、達也は恋をすることも、深雪以外を本当の意味で愛することもできない。そんなこと、ずっと昔にわかりきったことで、心の底から望んでも手に入らないものだと知っている。その魔法は達也を四葉に縛る鎖で、私を苦しめる杭のようでなもので、深雪を守るための何よりも堅牢な盾のはずだ。

 

 

「自惚れではないよ」

 

達也が首を振る。

 

「俺に残された本物の感情は兄妹愛。唯一、情を抱くのは深雪への兄妹愛だけのはずだったんだ。雅も確かに大切にしたいと思いたいと思っていた。けど、そうじゃないんだ」

 

達也は一つ一つの言葉を噛みしめるように語る。

 

「雅への思いは少なくとも友人でも家族でもない。ただ一人、雅だけに抱く感情だ。それをどう表現すべきなのか、なかなか答えが出なかった。

いや、気が付かないふりを無意識にしていたのかな」

 

瞳に、仕草に、吐息に、笑顔に、言葉はなくとも愛とはそこに存在している。何より愛しいと心が叫んでいる。

そう気づいたのはいつの時だろうか。

積もり積もった年月。白紙化された激情のその場所に名前の無かった感情が淡く色が付きだした。

 

「雅」

 

この恋にもう泣くことはしないと誓っていた。

それでも、私の目からは涙が止まることがなかった。

だって、こんな幸せなことが、こんな奇跡のようなことが、あっていいのだろうか。

 

「泣かせるつもりはなかったんだが……」

 

達也は困ったように笑い、私の頬を両手で包む。

一生叶わない願いだと思っていた。

一生叶う事の無い想いだと思っていた。

 

「俺は何度、雅を傷つけたのか分からない。まだ足場も定まっていないし、深雪より優先することはできない。それでも、俺といてくれるか」

「はい」

 

長い冬は終わり、芽吹きの春が訪れた。

蕾はようやく、花を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

静かな夜。

星と月だけの明るさで、縁側に腰を掛けた青年は月見酒を楽しむ。

赤漆の盃には月が浮かび、それを青年は飲み干す。

 

「“稲妻”と言うように、雷は稲に実を付けるという信仰があった。

また“(イカズチ)”は“(いか)()”に由来し、昔は鬼や蛇など恐ろしいものを示す言葉で、自然現象の中でも特に神との関わりが強いカミナリを表すようなった。

つまり、“雷”は文字通り“神鳴り”であり、豊穣の化身と言う考えがあるんだ」

 

青年が独り言のように呟く。

傍らで月を見上げる少女はよくわからないと言いたげに首を傾げる。

 

「実り豊かになること。達也の感情が雅との関わりによって活性化されたとしても可笑しくはないことだよ。まあ、結局どう裏付けをしたとしても言えるのはね、愛の力は偉大だということだよ」

「愛?」

 

青年の言葉に少女は問う。

不確かで時に不誠実で、普遍的で、傲慢で、幸福で、心が満たされるもの。

 

「そう。愛だよ」

 

青年は緩やかに目を細めて笑う。

 

「君も愛されて生まれてきたんだ、輝夜姫」

 

 




前編後編の作中で、達也が意味していた『天津風』と『昔は物を思わざりけり』、タイトルである『恋ぞ積りて』について
天津風(あまつかぜ) 雲の通ひ路(かよひじ) 吹き閉ぢよ をとめの姿 しばしとどめむ
・逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり
筑波嶺(つくばね)の 峰より落つる 男女川(みなのがは) 恋ぞつもりて (ふち)となりぬる

内容については、ぜひ調べてニヨニヨしてください。次回、答え合わせというか、個人的な解釈をします。
自分で書いていて、可笑しなことですが、心を持たない(正確には激情を持てない)達也が昔はものを思はざりけり、とは感慨深いですねえ
そういえば、この小説を書きだしたのは丁度、超訳百人一首と明言している『うた恋』に触発されてのものでした。
31字のラブレターに込められた思いがどれだけ深かったのか、勉強になります。
ちなみに恋とは元々、目に見えない対象を求める(乞う)ものだそうです。
あとこれは、正しいのかわからりませんが、恋とは()しいと()しいと言う心(戀:旧字体)なのだそうです。


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