多趣味なので、筆は遅いですが、今後も頑張ります。
感想、誤字脱字の指摘ありがとうございます。特に感想はニマニマしながら読んでます(。・ω・。)ゞ
6月30日
日本各地の神社では夏越の祓の神事が行われる。
一年の折り返し、半年分の厄や穢れを祓い、残り半年を無病息災で過ごせるように祈る行事であり、心身を清めて盆を迎える行事でもある。
多くの神社では茅の輪くぐりが設けられ、これを八の字に三回くぐると厄払いができるといわれている。また、地方によっては名前を書いた
一般的には新年を迎えるにあたっての大祓の方が有名であり、夏越の祓はそれほど有名ではない地方もある。
しかし、寺社仏閣が多く現存する京都一帯では今でも脈々と続く伝統行事であり、特に厄払いの神様を祭る九重神宮では多くの参拝客が訪れる。
九重神宮のお膝元の商店街も活気にあふれており、水無月と呼ばれる小豆の乗った
そんな商店街の喧騒とは離れて、九重神宮の一角では着々と舞台の準備が進められていた。神職たちが足早に通り過ぎる中、演者や楽師は静かに出番を待っていた。
「全く、ひどく陰鬱としたお
緑の衣を身にまとった壮年の男性、嵐は不遜な笑みを浮かべ、空を見上げた。
天気は曇天。夏を前にジメジメと生暖かい風が吹き、普段は日差しを受けて眩しい緑の木々も鬱蒼としている。一般的にはよい天気とは言えないが、この日の演目には似合いの天候だった。
「梅雨ですからね」
白い衣を身にまとい、金の腕輪と足環をつけた高雅は冷静に答えた。
「雨が降らないのは主神様のご加護だろうな。んで、そっちの出来は?」
「ここにいることが全てでは?」
大舞台を前に調子を聞く嵐に、当然と言わんばかりに高雅は言った。
「そりゃそうだ」
吐き出すように嵐は笑った。
九重神楽だけではないが、神楽や舞楽は楽師と演者の一体感が重要となる。特に九重神楽の場合、演者が二人以上ならばよりその合わせが重要になり、舞台上で魔法が相克しないように細心の注意を払わなければならない。
しかし、この日行われる『風神雷神』の演目は本番まで雷神役と風神役が一切、合わせを行わない。楽師との合わせはそれぞれ行うが、稽古も含めて舞台までは二人が互いの演技を見ることは無く、本番一発合わせになる。それだけあって、他の神楽に比べて難易度も一段上になる。
九重神楽の中でも特に荒々しいと呼ばれる舞台であり、それを祓に持ってくるのは今年この国に訪れる厄が大きいことを暗示していた。
この日も多くではないが、観覧客が招待されていた。九重の古くからの信者を中心に、地元の名家や政財界の関係者が多数を占めている。
達也と深雪は都合が合わず、観覧には訪れていない。
そもそも土曜日である今日は通常通り学校であり、雅は欠席して今日の神事に臨んでいた。
まず舞台に上がったのは風神役の嵐。
風神はイザナミとイザナギの間に生まれた神ではあるが、民間伝承では邪気を運ぶ邪神や妖怪としての側面もある。風神は寒暖の隙間、物の隙間から入り込み、人々の口に黄色い風を吹きかけて病をもたらすと言われている。
そんな風神はまさに舞台でも傍若無人。唯我独尊。
荒々しく舞台を踏みしめれば風は轟轟と吹き荒れ、空を流れる黒雲は流れる速度を増し、今にも雨が降りそうな天候を作り出す。両手に持った風を集める袋には言い伝え通り、黄色い風の流れが見て取れる。
刮目しろ。私が神だ。天候を操り、病をもたらす邪神である。
恐れ、
深い新緑のような衣には黒雲に似た文様が浮かび上がり、背筋の凍るような、底冷えのする冷たい風が観客にも届く。厄災の権現であるかのような恐ろしさに、観客たちは逃げ出すこともできず、ただ椅子に縫い付けられたかのように舞台に釘付けになる。
普段は軽やかな音色を奏でる横笛は、甲高く、大気を切り裂く風の音を演出する。低い音で鳴り続ける琵琶の音も人々の不安を煽るように体に響いている。
舞台全体に漂うのは迫力ではなく、威圧。まるで今年の大厄が巡ってくると言わんばかりの様子だった。
風神の独壇場かと思われた舞台だが、突如として目を覆うばかりの雷光と地響きのような雷鳴が響く。観客の目が眩しさから回復すると、そこにいたのは、白い肌と色素の薄い金に近い髪と金の瞳が印象的な少年だった。
まるで稲妻に乗って来たかのように一瞬にして舞台に現れ、ふわりと重力に反するように、長い髪は一部が浮き上がり、やがて静かに背中に落ちる。
背負った電電太鼓にはパチパチと紫電が迸り、白い衣は雷光を受け、青い稲光を模した紋様が浮かび上がっている。背は決して高くないが、悠然とまるで人など視界にないかのような瞳は不遜な神のごとき雰囲気があった。
観客は年下にしか見えない雷神の光溢れる神々しさに風神とは別の意味で息を呑んだ。
曲に合わせた軽やかで重さを感じさせない流麗な舞に反して、舞台の床を一歩踏みしめるとともに響く音は、まるで低く轟く雷鳴のようだった。電電太鼓が雷に合わせて鳴るかのように楽師の奏でる太鼓の音は響き、一瞬の光と共に高い鈴の音が鳴る。
観客にまるで見せつけるかのように舞う風神に対して、雷神は人など全く見向きもしていなかった。雷光溢れる舞台は決して観客には危険はないと分かりながらも、その迫力たるや、無意識に手が震えるほどだった。
軽やかに跳ねるような動作に、着地に合わせて重々しい太鼓が鳴る。雷を起こすとともに、雷神自身が雷であるかのような舞だった。
雷神の登場に、今まで大人しくしていた風神が突風を吹き荒らす。静かに舞と共に揺れていた袖はバタバタと乱暴に風に揺れ、それに反応した雷神の周りにはバチバチと雷が迸っていた。
二神はまるで舞競うかのように、左右に分かれて雷と風となって舞う。
風神は雷神を意識しているようだが、雷神はまるで視界にないと言わんばかりに視線は下界を見ていた。
雷と暴風がぶつかる威圧そのままに、雷鳴と風音が大気を震わせる。
神と神がぶつかるその様はまさに天災だった。観客の中にはその構図に、彼の有名な風神雷神図屏風を幻視した者もいた。
舞台が佳境に差し掛かると、ひと際大きな術をそれぞれ発動させる。濃密な風と雷がぶつかり合い、突風が観客を襲う。舞台にこれまでにない緊張感の糸が張りつめる。まるでここが世界の終末であるかのように、これが神の領域であるかのように、類まれなる自然の衝突に人間の小ささを実感する。
そして、二神がぶつかった後の舞台は音がなくなったかのように驚くほど静かだった。世界は天災に見舞われ、そして平穏が訪れた。
二神は舞っていた位置そのままに、向かい合っていた。
そして音もなく口元に小さく笑みを浮かべ、二神の足元が淡く薄れていくと、その姿はやがて金の粒となって天上に立ち上って消えていった。
二人が消えると同時にしとしとと静かに小雨が降り出す。しかし黒雲からは光がのぞき、青い空が見えていた。
呆然とする者、静かに涙を流す者、ため息をつく者、九重神楽を何度か見てきている神職たちですら思わず息を重く吐き出した。九重の魔法師は、九重神楽は天候まで変えてしまうのかと呟く者もいた。
あれほどまで恐ろしく、威圧される舞台であったにもかかわらず、観客たちの心にあるのはどこか晴れやかな気持ちだった。文字通り厄を祓い、浄化されたともいえるような光景だった。自分たちのケガレはすべて美しく強い神に吹き飛ばされ、浄化されてしまったかのようで、まさに厄祓いにこれ以上ないほど相応しい舞台だったと言えるだろう。
口々に感動を述べて、喝さいの響く舞台の裏。観客の前では汗も呼吸の乱れも一切見せない演者だが、それは舞台上だからだ。光学系の魔法を使い、観客たちに一切気付かれることなく舞台から降り、控室に戻った二人は息も絶え絶え、椅子に座り込み、呼吸を整えていた。
「おい、息があるか」
まだ苦しいながらも息のできている嵐は、ゼーゼーと荒い息をしている高雅に携帯型の酸素ボンベを渡す。
「…………何度、か……死ぬか……と思い、ましたよ」
ボンベを口に当て、高雅は時折咳込みながら息も絶え絶えに答える。普段は伸びた背筋もこの時ばかりは力なく、椅子に寄りかかっている。
「そんだけ喋れるなら、上出来だよ」
ミラージ・バッドがフルマラソン相当の運動量だと言われるが、九重神楽は演目によってはそれ以上の魔法力と体力を消耗する。
加えて、決して舞台上では息を乱してはいけないどころか、呼吸音すらご法度。どれだけ動こうとも額に汗が滲んではいけない。人ならざる役ならば、徹底的に人間らしい生理現象は排除しなければならない。
九重神楽の演者の中でも大ベテランと呼べる嵐の魔法力に食われないように、高雅は舞台上では涼しい顔をしながらも必死だった。お互い予定されていた動作と魔法ではあるが、一発本番の緊張感はそれだけで精神的な疲労感を生む。
特にこの演目に初挑戦の高雅は嵐が繰り出す容赦ない荒々しい舞に、自分が優位な立場を演じているにもかかわらず、まるで余裕はなかった。
「これで今年は大人しくなってくれるといいけどな」
「京都はどうかわからないですけれど、富士は今年も荒れるそうですよ」
背もたれに体重を預けながら、高雅は少し落ち着いてきた息ではっきりと答えた。
「じじいがヤバイこと計画しているんだったか?ついに耄碌したか」
「日本の将来を案じてとのことですが、雛鳥を巣から落とすような本末転倒な計画ですよ」
「まあ、ウチとしては手を切るいい理由ができたな」
勢いよく、しかし動作はあくまで静かに嵐は水を煽った。二人とも額からは滝のような汗が流れ、雨に打たれたかのように髪も濡れている。
魔法の折り込まれた衣は当然、それなりの厚さがある。衣装の重さとこの季節柄、着ているだけでも汗が滲む代物だ。それを身にまとい魔法を使うことがどれだけ消耗することか、言うまでもないだろう。
「で、化け物退治は大黒天の仕事か」
「正式にウチから依頼するでしょうね」
「それくらいしなけりゃ、本家の姫はやれんだろう」
ニカニカと笑う嵐に高雅は無関心を決めていた。
雅は高雅として立っているとき、雅として思考はしないようにしている。役になりきる前に、高雅としての役を身にまとっている。女性の残り香もなく、動作も声も見知った間柄の者にさえも女性であることを忘れさせるその立ち居振る舞いは、九重の三男と呼ばれるほど完成されていた。
今回の舞台でもこれが17の小娘が演じていただなんて、誰も思わなかっただろう。こりゃ、もっと化けるだろうなと嵐はガシガシと高雅の頭を乱暴に乱しながらそう思った。
九校戦の種目が各校に正式発表される7月2日、月曜日。
全国の魔法科高校は衝撃に包まれていた。
毎年大会一か月前までに運営委員会から競技が発表される規定だが、今年は三種目も競技の変更が行われたのだった。ここ数年は競技やルールの大きな変更がなかったとはいえ、いきなり三競技も変更とはどこの学校も予測していない事態だった。
大会側からすれば規定通りの対応だが、実際に本番まで1か月ほどしかない中で新競技に向かう生徒たちの心境は計り知れない。
今大会ではバトルボード、クラウドボール、スピードシューティングが廃止され、新たにロアー・アンド・ガンナー、シールドダウン、スティープルチェース・クロスカントリーの三競技に変更になった。
更に今までは競技の掛け持ちが一人二種目まで許可されていたが、今年はスティープルチェース以外の掛け持ちはできない。しかも、スティープルチェースは2年生以上の選手なら全員出場が可能だ。
モノリスコードとミラージ・バッドは男女それぞれの競技であることに変更はないが、本戦には他にもロアー・アンド・ガンナー、シールドダウン、アイス・ピラーズ・ブレイクではペアとソロの部門ができた。
男女別に試合が行われる点は昨年度とは変更はないが、新人戦は競技数のせいか、上級生と比べれば魔法に不慣れなためかソロのみの競技となっている。
新競技について簡単に説明すると、ロアー・アンド・ガンナーは漕ぎ手とガンナーに分かれ、無動力のボートに乗り、水路上に設置された的を撃ち、その撃破数とゴールまでのスピードを合計した得点で競われる競技だ。ソロが設けられているので、漕ぎ手とガンナーの兼務したものもある。この競技はUSNAの海兵隊の陸上支援訓練として行われていたものがベースとなっている。
シールドダウンは盾を使用した格闘戦であり、相手の盾を破壊するか、場外に落とすか、相手の盾を奪うことが勝利条件となる。
直接相手の体に魔法をかけたり、体に触れる攻撃を行ったりすることは禁止だが、それ以外に対しての魔法の使用は許可されている。自分の盾で相手の盾を破壊してもいいし、自分の拳や魔法で相手の盾を壊したり、相手選手を風圧等で場外に押し出しても有効だ。今回のルールでは相手が5秒以上盾を手放せば勝ちとなる。
そして問題なのはスティープルチェース・クロスカントリーだ。スティープルチェースは障害物競走という意味で、クロスカントリー、つまりそれを今回は山道で行うということだ。
これも軍事訓練の一環として各国軍隊で取り入れられているものであり、当然道中には魔法、非魔法のトラップが仕掛けられている。
順位が上の選手に高得点が与えられることは他の競技と変わりないが、一時間以内にゴールできれば順位に関わらず得点がもらえる。
つまり各校2年生以上の全選手が出場可能で、仮に全員出場となれば最大108人が一斉に山道を駆け巡ることになる。
競技変更に伴い、新種目は昨年度に増して軍事色の強い競技となっている。昨今の社会情勢を見れば、軍上層部としても魔法の有用性は認めているところであり、マスコミが囃し立てたような魔法科高校生が軍人として育成されていると言われても仕方のない状況になっている。
国際社会の情勢からみれば、今年度から急いで取り入れる必要があるかと言われれば、そうとも言えないが、横浜事変が契機となったことは言うまでもないだろう。
稽古帰りの雅は、司波家で達也から今年度の新競技についてそう説明を受けていた。
「九島が新兵器の実験に使う舞台はスティープルチェースだそうだ」
「ただでさえ危険な競技なのに、それを実験場にするなんて……。そこまで浅はかな考えをする方ではないはずだけど、今回ばかりは理解できないわ」
雅も兄から九島の工作については聞いていたが、どうやら達也の方にも匿名という名前で藤林から今回の一件についての連絡があったらしい。
「達也に情報を流すということは、藤林家は九島の計画に反対したってことかしら」
「いや、そうとも言えない。表立って反対することもできないから、俺に情報を流したのだろう」
藤林家は古式魔法の名門だが、勢力的にも九島家の方が上だ。表立った造反は一族から反感を買うが、彼女は軍人。この国に害なす存在であれば、たとえ身内であっても切らなければならない時が来る。
「このことについては明日、師匠のところへ行く予定だ」
「私もお邪魔して良いかしら」
「ああ。そのつもりで話をしている」
九島家をはじめとした第九研究所のテーマは古式魔法と現代魔法の融合をテーマにしており、先代の九重寺の住職も関わっている。
古式魔法の家々には因縁のある名前でもある。
かく言う雅の実家も当時、九島家と古式魔法の家々との対立が目に見えて激化していた時代、牽制も兼ね九島家へ嫁を出した経緯がある。
「今回の一件についての九重からの正式な依頼状よ。本当は身内の恥なんて達也に処理させたくないんだけど、どうしても九重は動けないから……」
雅は申し訳なさそうに眉をひそめ、今は珍しい和紙の手紙を達也に手渡した。特殊な組紐で結ばれており、達也がそれに想子を流すと紐はひとりでに解けた。
「あの報道の過熱を見ると仕方もないか」
立地的にもこの問題は既に情報を仕入れている九重が動く方が、事は楽に片付くだろう。しかし、九重と九島は縁戚関係にあり、更に四楓院の名前もこの国に害をなす対外勢力の掃討のために振るわれる。
たとえ将来ある若者の未来が掛かっていても、国内の事情には基本的には干渉しない。国力を削ぐために対外勢力の息が掛かった者がいれば動く理由はできるが、まだそれが明確ではない以上、手出しはできない。
加えて、今年の九重は表の行事が立て続けにあり、動かせる人材は多くない。7月に行われる京都の祇園祭では毎年伝統芸能の奉納が行われ、九重神宮も今年は演目を披露することになっている。
しかも、どこの手の者が裏で操作をしているのか、達也もはっきりとは把握していないが、現在、美しすぎる神官として悠はSNS上で話題となっていた。春に行われた流鏑馬神事で、その見事な馬裁きと類まれなる容貌も相まって神がかり的な美しさを醸し出しており、合成や写真加工だという噂も飛び交っていた。
しかし、この報道やネット上の拡散の裏には、とある筋との婚約が噂されている悠の動きを牽制する目的もあった。
その婚姻を好ましく思わない家、とりわけ魔法師だけではなく、その家との結婚を避けるべく表の権力も形振り構わず使っている者たちがいた。
九重家から雅を通じて達也に送られたこの依頼状は、達也の行動を保証するものでもあり、達也が四葉家や八雲の手を借りるための強い効力を発揮する。
同じ家に住みながらも、同じ高校生でありながらも、達也と雅ではこのことに向かう立場が違っていた。
そして迎えた、7月3日の朝。
夏の朝らしい眩しい日差しの下、達也、深雪、雅の三人は九重寺を訪れていた。
三人とも今日は稽古の予定であったが、昨日達也のもとに送られてきた情報の相談をするため、今日の稽古は中止となっていた。
中止と言っても寺までは普段通りのトレーニングを兼ねて魔法を使っての移動を行うため、スポーツウエア姿である。
そして、三人の師匠は九重八雲。
中止と言っていたにもかかわらず、山門をくぐれば、門人達が襲い掛かってくるのはあくまで想定の内だった。この程度の運動は稽古の内には入らないだろうと八雲なら飄々と言いそうだと、達也はこの後の相談時間を鑑み、手早く、つまり一片の容赦なく門人を叩き伏せた。
「おはようございます、師匠」
「やあ、おはよう」
仕掛けた八雲は悪びれもなく、門人たちが簡単にねじ伏せられたのもまるで気にしていなかった。多少、彼らの師として思うところはあるだろうが、いつもの何を腹の内で抱えているかよくわからない笑みを携え、三人を僧坊へと案内した。
僧坊の中は窓もすべて締まっており、真っ暗だった。
人が入ると勝手に扉が閉まり、木製の見た目に反して自動なのか、外から門人の誰かが閉めたのかわからないが、入り口からの光もなくなり闇が濃くなる。
閉まるとほどなくして、壁一面の蠟燭が灯る。強い匂いが漂ってきたのは、蝋に練りこまれた香油か何かだろう。もちろん、明かりを灯したのは八雲の魔法だ。
「これは結界ですか?」
精霊には好む香りがあり、精霊魔法や魔法薬学では一般的に用いられている。好みがあれば嫌いな香りも当然あり、想子情報体が嫌う香りがあることを達也は知識として知っていた。
「内緒話だからね」
四葉を含め、この寺に八雲に気付かれずに入り込めるのはおそらく四楓院くらいなものだろうが、八雲が必要というならばそれに従うのが筋だろう。
「深雪、頼む」
「かしこまりました」
深雪はCADを起動し、電磁波と音波を遮断する障壁を展開した。
「師匠、この度は面倒ごとを持ち込んでしまい、申し訳ありません」
達也が頭を下げるのに合わせて、深雪もそれに一礼する。開口一番、達也は先制とばかりに八雲の助力前提で謝罪をした。
「九島も随分と危険なことを考えたね」
八雲の方も話を聞いていた時点ですでに協力する心算だったのか、いつものように無駄話を挟まずに核心を突いた。
「今更言う必要もないが、スティープルチェースは危険な競技だ」
「やはり先生もそうお考えなのですね」
深雪の声は静かに怒りに震えていた。
魔法競技には事故や怪我は付き物だ。それは一般のスポーツ競技にも言えることであり、程度の度合いはあれ、最大限注意を払っていても、人間である以上ミスは生じてしまう。
従来の競技でもミラージ・バッドやモノリスコード、バトルボードは魔法喪失のリスクのある競技だ。しかし、スティープルチェースの危険度は一段違う。
「その新競技の場で新兵器の実験をしようだなんて、正気を疑うよ」
一般人からすれば狂気としか思えない荒行を一般的に行う八雲からでたこの言葉には重みがあった。
「師匠は九島家が計画している新兵器について、何かご存知ですか?」
達也が藤林からの連絡を受け、八雲に今日の約束を取り付けたのは昨日の夜8時。京都の九重から何か情報を得ていれば別だが、話の通りが良すぎると達也は感じた。
「P兵器という名称は知っているけれど、残念ながら詳細は不明だ。達也君は既に何か聞いているのかな」
「パラサイトをヒューマノイドに憑依させたパラサイドールを九島は開発し、九校戦で高校生を相手に試験させる予定です」
「なるほど。これは厄介だね」
達也の包み隠さない答えに、八雲はにんまりと瞳の鋭さを変えないまま、笑みを深めた。
「九島が相手ならば京都の九重は直接手を下しにくい。雅君が富士に行かない以上、いや、行かせないと言った方が正しいのかな」
「京都九重として、この一件は彼に一任することになりました」
沈黙を守っていた雅が口を開いた。
雅の出場辞退は表向きは神事のためだが、九校戦に九重を出場させるだけの価値がないと暗に示している。九重の方針に対して、関西の魔法師の各家では魔法科高校に通う子どもを九校戦に出場させるかどうか頭を悩ませていた。
軍事色の濃い内容の九校戦に対しての反対を示す意味合いもあり、すでにいくつかの家から九校戦の競技に対しての抗議文も送られている。
「なるほど。四楓院は出てこないのかな」
「パラサイドールの研究に大陸の術師や横浜の一件で取り逃がした術者がいれば関わる理由はできますが、動くにはまだ理由が足りません」
「四楓院も中々縛られた立場だからね。それで、相手がわかっているとはいえ、九校戦に出る前に潰すに越したことは無い」
八雲は目を薄く見開いた。その瞳は何時になくやる気に満ちているようにも見える。
「……奈良に行くべきだろう」
「第九研究所ですね」
八雲の提案に達也は即座にその意味を理解した。第九研究所は九島の息が掛かった場所であり、八雲にとっても因縁の場所だ。
「案内はこちらから出しましょう」
雅は速やかに協力姿勢を見せた。立地的にも九重の息のかかったものが多くいる地域だ。人数が多すぎるのも隠密行動には向かないが、土地勘のあるものがいた方がある程度動きやすい。
こうして、九重寺、京都九重、四葉の対パラサイドールの協力体制が秘密裏に築かれていた。
※投稿時にお題を書いていたのですが、ご指摘をいただきまして削除しました。大変申し訳ありません。