恋ぞ積もりて 淵となりぬる   作:鯛の御頭

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『スティープルチェイス』と『スティープルチェース』は後者の方が正しいそうです。発見次第、直していきます(;・∀・)


最近寒いですね。もっふもふの毛布にくるまれて、眠りたいだけの人生だった。_(:3 」∠)_


スティープルチェース編4

 

月曜日の朝。

 

達也は九重寺を訪れていた。いつもなら付いてくる深雪は達也に言い包められて、雅も昨晩遅くに京都から戻ったばかりとあって、共に不在だ。

門人たちが敷地に足を踏み入れた瞬間に襲い掛かってくるのもいつも通りであり、達也は面倒に思いながらも一撃で倒していった。

僧坊内に結界を張り、八雲と達也は向かい合っていた。

 

「わざわざ、京都まで足を運んだ甲斐があったよ」

 

八雲はケーブルを使い、達也の端末にデータを発信した。

八雲は土曜日から日曜日にかけて、九重神楽の観覧と合わせて情報収集のために京都へ出向いていた。

四葉とは別口、それこそ彼独自のルートで調べた情報網は達也も全容は把握していないが、その情報が偽りだったことは今までない。

達也と深雪の正体のように掴めないものはあっても、間違ったものを掴まされたことはない。例え間違った情報だとしても、そこから推理をし、正しい情報にたどり着く。まさしく忍びの如く、諜報能力は非常に優れている。

 

今回八雲が達也に見せた情報は、顔写真と簡単な身上書だった。名前も顔立ちも漢人風の三人の男だ。

 

「これは、亡命してきた大亜連合の方術士ですか」

「先週密入国した方術使いだよ」

「タイミングが良すぎるように思われますが」

 

身上書には、彼らの得意魔法まで記録されていた。

彼らは木や石、金属で作った傀儡を操る術者であり、その術は達也が黒羽から受け取ったパラサイドールの操作の術式と方法が似ている。傀儡とは仮初の意思を与える孤立情報体、それに働きかける精神干渉系魔法をベースにしている。

更に特記事項として、他の術者のコントロール下にある孤立情報体を奪い取る術、孤立情報体を制御から切り離して暴走させる術に長けていると記述されていた。

 

「偶然じゃないだろうね。今回の実験を利用しようとする者に招かれたのだろう」

「利用する?彼らを招いたのは九島家の意図するところではないとのこと……ああ、そうか」

 

達也の八雲への質問は、途中から独り言へと変わった。

今回も一筋縄ではいかない相手のようだ。

通常、兵器を暴走させることに九島の利はない。

しかし、それが敵ならば、おかしくはない。つまり、九島家は意図しない形で敵を招き入れてしまったということになる。

 

「それについては神楽の見物ついでに悠君から話を聞いてきたよ」

 

どうやら、最初に動いたのは国防軍の強硬派であり、九島のパラサイドールはそれに便乗した形になる。

強硬派は、昨年の横浜事変と灼熱のハロウィンでの一件で結ばれた大亜連合との講和に反対する派閥だ。

総艦隊の三割を失って弱体化しているこの機に、長期的な侵略の脅威を取り除くという名目で、大亜連合との開戦に踏み切ろうとしていた。横浜事変以前はそれほどまで強い意見ではなかったが、それ以降は講和を結んだことで、強硬派の結束を強めることとなってしまった。

 

この勢力は国防軍幹部も無視できない範囲まできてしまっている。魔法協会に対する圧力は容認されたものの、今年の九校戦が軍事色が強いのは強硬派に配慮してのことだった。

 

「これが今回の九校戦に関する軍内部のイザコザの顛末だよ。最も、九島の意図するところは、別のところにあると僕は考えている」

「別のところ?」

 

達也は訝しげに眉を寄せた。

 

「悠君の推測もあるけれど、老師はどちらかと言えば、魔法師の軍事利用に反対している。彼自身の従軍経験がそうであり、また彼には多くの家族がいる。最初から魔法師を兵器とするのではなく、魔法を使ったパラサイドールに魔法師がやられるところを見せつけて、軍事的にはパラサイドールの開発を進める方が有益だと思わせたいんじゃないかな」

「言いたいことは理解しますが、有効な方法だとは思いませんね」

「あくまで推測だからね」

 

八雲はいつも通りの笑みを浮かべた。

 

魔法の軍事利用については、未だ議論が尽きない大きな課題だ。各国がその戦力を保持している以上、日本だけが軍事面で魔法を排除することはできない。戦時下における魔法の有効性については、昨今の横浜事変で明らかになった。

彼が今後の魔法師の未来を憂いて今回の一件を企てたのだとしたら、多少の犠牲など長い目で見れば些細なものだと思っているのかもしれない。

しかし、達也はそれを看過することはできない。

最愛の妹がその標的となっている以上、達也はそれを排除する責任があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

九校戦を控えた学期最終日。

 

全校生徒を集め、九校戦選手団の発足式と壮行式が行われる。

 

魔法科高校では実験や実習、体育などを除き、標準的な学習速度は決められているものの、およそ座学は授業自体が各自のペースによって進められる。そのため、上級生ほど休み時間と授業時間の区別が無視される傾向にある。それが全校生徒をわざわざ集めるとなると、それだけ学校側が九校戦を重視しているかがわかる。

 

選手にはテラード型のスポーツジャケット、技術スタッフにはブルゾンが配布され、ID用の紀章を壇上で付けてもらうことになっている。昨年度の進行役は生徒会長であった七草先輩が、選手に紀章を付けて回る担当は深雪だった。

 

今年も同じく深雪が紀章を付けている。

昨年度同じように出場した選手もタジタジとしながらであったのに、まして初めて九校戦の選手に選ばれた一年生は心臓が爆発しそうなほど緊張していた。普段は遠巻きにしか見ることができない絶世の美少女が手の届く距離、それも紀章を付けるためとはいえ自分の胸元に手を添えているとあれば、男子も女子もソワソワと落ち着かない様子だった。

 

「去年もこんな感じだったの?」

「まあね。去年は達也君のメンバー入りが気に食わない輩もいたから、もうちょっとピリピリしていたのよねー」

 

呆れたように小声で雅とエリカは話していた。九校戦代表者以外の生徒の席割りは自由のはずだが、自然と一科生が前、二科生は後ろという暗黙のルールができていた。

 

しかし、去年は一科生や上級生が占めている周りの白い目も気にせず、E組の生徒が前を陣取っていた。言わずもがな、二科生唯一かつ、一年生初の技術スタッフとして達也が選ばれたことを応援するためだった。

それを企画したエリカの中にはエリート意識を逆なでしようとする愉快犯的な意識もあったが、それを雅に言ったところで反感を買うこともなく、流されてしまうのだろうとエリカは分かっているので、口にはしなかった。

今年は達也が魔法工学科の生徒として、エリカやレオとは別のクラスになったため、大人しく全体の中ほどの席で見ている。

 

「けど、あの女がこれ見よがしに勝ち誇ったように見下しているのは、気に食わないわね」

 

エリカは壇上でこちらを愉悦感に浸りながら見てきたある女子生徒をにらみ返した。

雅が出場を辞退した事情をどれだけ知っているのか、知らずにやっているのか、エリカにはわからないが、それでも友人が嘗められて平然としているほどエリカは薄情ではない。

ある程度離れていても、エリカの目つきは死線を潜り抜けてきた経験から来る鋭さもあり、一般市民の女子生徒には過剰な圧力だったようで、あからさまに視線を逸らし、拳を握りしめながら平静を装っていた。

 

「流石に九校戦の邪魔はしないと思うから、それでいいわ」

 

雅はさらりと気に留めていないことを告げた。

エリカは本人以外が怒り散らしても仕方ないと、もやもやとした気持ちは残りながらも渋々ながら怒気を沈めた。

 

虚仮にされて平静でいる雅が不思議だが、きっと彼女はこの程度は慣れっこなのだと何となく察してしまった。古い家であれば、それだけその縁に群がろうとしてくる大人たちも多くいるだろう。それを妬む輩も当然あるだろうが、いちいち腹を立てていてもきりがない。

 

達也と深雪に告げ口してやろうかと考えたが、威を借る狐のようで、エリカはその考えを打ち消した。

 

そうこう思っている間に壮行式はつつがなく終了し、最後に技術スタッフの一年生の名前が呼ばれたところで、講堂は選ばれたメンバーに向けられた拍手の音に包まれた。

 

 

 

 

 

 

その日の放課後。

 

部活連では、九校戦に向けた最終確認が行われていた。

部活連の主な役割は選手選出に関わる部分だが、昨年度は呪物が本部の地下に埋め込まれたり、電子金蚕が仕込まれたりと、予想外の出来事が多かったため、今年はローテーションで警備を組むことになっている。

本部には生徒会メンバーをはじめとした生徒が待機しており、基本的には無人にならないようにタイムスケジュールが組まれている。

明日の出発を控え、部活連では予定の再確認と有志でプチ壮行会を企画していた。

 

今日は各自、最終調整で練習も無理をしないようにと通達されているため、息抜きも兼ねて毎年行われているそうだ。

ちょっとしたお菓子とジュースの用意された親睦会のようなものだ。部活連の役員は基本的に部活動でも成績上位者から選ばれているので、九校戦の出場者は多い。

 

特に服部先輩や十三束君は上位進出が期待されている。七宝君も学年主席なので、先輩から励ましの声を掛けられ、得意気だった。

例年は男子生徒の多い部活連だが、今年は女子生徒も半数近くいる。

服部先輩が掲げた方針だが、思ったよりうまく機能している。

非魔法系の文化系競技が蔑ろにされていた、とまではいかないが、校風的にもどうしても魔法競技系の部活動の発言力が強くなる。服部先輩が取り入れた体制になってから、少しはそれが是正されたと上級生から聞いた。

 

十文字先輩はよく言えばカリスマ性がある、言い換えればワンマンタイプだったが、服部先輩はうまく周りの意見を集約し、妥協点を詰めていっている。例えば、例年取り合いになる体育館や運動場の使用日や、生徒会との予算の折衝なども、生徒会で揉まれたノウハウがあってか、上手に処理している。

 

今年は安泰だなと、私は先輩たちの話に相槌を打ちながら、こっそりと時間を確認した。一応今日で一学期は終了なので、私は明日の早朝に京都の実家に戻る予定になっている。適当なところで、そろそろ切り上げた方がいいだろう。

 

 

「でも、九重さんが出場辞退って、何事かと思ったわよ」

「すみません。今年はどうしても、外せない行事が多くて…」

「いいのよ。それだけ今年は凄いことするんでしょう」

 

部活連に女子生徒が増えたとはいえ、男子は男子、女子は女子で固まっている。かく言う私も女子の先輩や同級生と話をしている。

この二人も九校戦には出場しないので、どちらかと言えば九校戦のことは蚊帳の外だ。ボランティアとしては参加するそうだが、ボランティアはあくまで自主的な参加なので、仕事は正規スタッフに比べると少ないが、夏季課題は免除にならないので、それについても愚痴っていた。

 

「でも、司波兄妹は寂しがるんじゃない?」

「そうそう。応援も来れないんだっけ?」

「そうですね。深雪には泣きつかれました」

「へえ~」

「ちなみに司波君は?」

 

先輩の発言に、他のグループでも聞き耳を立てている人がいる。

部活連に入ってから揶揄われることは減ったが、今日は無礼講的な雰囲気も出ているため、二人も踏み込んできたのだろう。面白い回答は返せないと思いながら、私が口を開きかけた途中で横から口を挟まれた。

 

「無計画に子どもを作って、出場辞退だなんて九重は良い身分ですね。しかも、相手は司波先輩ですか」

 

七宝君は私を見て、嫌悪感をむき出しにしてそう言った。七宝君の発言の内容に、私たちだけではなく、部屋一帯が静まり返った。

 

「子ども?私が?」

 

訳が分からないと問い返すと、七宝君はとぼけるなと怒気を強めた。

 

「妊娠中なんでしょう、先輩。九校戦なんて危なくて出場できないのは当然でしょうね」

「本当か、九重」

 

あまりの事態に服部先輩が事実確認をした。部屋にいる他の人たちもざわざわと、本当かどうかと野次馬めいた目を私たちに向けている。

 

「いえ。そんな事実はありませんし、そんなデマは一体誰が?」

 

正直、全く身に覚えがない。

九重では女性が神職としてあるためには、男装をすることと、純潔でなければならない。バイトの方たちは違うが、神楽を舞うような正式な巫女は未婚の女子だけだ。

 

私と達也は婚約者という間柄だが、当然そこまで進んだ関係ではない。

七宝君の発言から、私と達也が交際関係にあることは先ほど知ったようだし、なぜ私が“妊娠して九校戦に出場できない“なんて突拍子もない考えに至ったのか理解できなかった。

 

「誰って、先輩本人がそう言っていたじゃないですか。2月が予定日なんでしょう。ベビー用品のこととか、性別のこととか、ヘラヘラと話していたじゃないですか」

「………あっ」

 

ベビー用品と2月ということで私には真相が理解できたが、私の反応にほら見ろと勝ち誇ったような七宝君の姿に、事実だったのかとざわめきが広がる室内。

しかし、彼はとてつもない勘違いをしているようだ。

 

「七宝君、それは私じゃなくて兄夫婦のことなのだけれど」

「えっ」

「新婚の兄夫婦の話を私のことと勘違いしたんじゃないかしら」

 

兄夫婦の第一子が来年2月に生まれてくる予定だ。

まだ安定期には入っていないため、悪阻で義姉が参っていると話を聞いていた。ベビー用品のことや、予定日の話は確かに学校でもしていた覚えがあるので、それを七宝君が一部分だけ聞き、間違った方に解釈してしまったのだろう。

 

「え、じゃあ。先輩がわざわざ九校戦の出場を辞退するのは、なぜですか」

「それは舞台が立て込んでいる、と説明したと思うのだけれど」

 

彼は怒りからか、羞恥心からか顔を真っ赤に染め、ようやく自分の勘違いを思い知ったようだ。

なんだ、そんなことかと、周りも安堵していた。

しかし、勘違いとは言え、妊娠なんて言われて私は正直気分がいいものではない。

 

「九校戦を蹴ってまで政治家に媚び諂う舞台が大切ですか!」

 

だが、私の回答に納得しないのか、七宝君は半ば叫ぶようにそう言った。

自分の過ちを謝罪しないあたり、4月からあまり成長していないのかもしれない。なぜこんなにも私を目の敵にするのか知らないが、彼には良い感情は持たれていないようだ。

 

「招待した方の中には政治に関わる方もいらっしゃるけれど、大半が九重の氏子さんたちよ。近世以前でもないのに、そんなインターネットに広がる陰謀めいた俗説に振り回されているのかしら」

 

ネット上の掲示板には、寺社仏閣に纏わる眉唾な話やオカルトめいた話が溢れており、歴史の古い九重神宮に関する発言もある。中には事実もあるだろうが、どこまでが虚構でどこまでが事実なのかわからない情報に振り回されるなんて、幼稚すぎる。

七宝君に対して白けた雰囲気が広がる。時間もそろそろいいだろう。

 

「すみません。空気を悪くしてしまいましたね。私は先に失礼します。応援には行けませんが、九校戦での活躍を楽しみにしています」

 

私は鞄を持って、一礼して部活連の部屋を後にした。

 

 

 

 

 

 

静まり返った部屋で、一言も謝罪をせず、勘違いで雅を貶した七宝琢磨には当然、上級生たちから厳しい目が向けられていた。

 

「蒸し返すようで悪いけれど、七宝君の発言はセクハラに取られても当然の言葉だから、気を付けた方がいいよ」

「九校戦だけれど、自分の言葉としてではなく、一高の発言として取られるからね」

 

雅が出て行った後、上級生女子からの冷ややかな視線を浴び、七宝は委縮した。琢磨は女子を敵に回すと面倒だということは理解しており、特に集団の女子は恐ろしい。一人に話したことが、翌日にはクラス中を超えて広がっているなんてことは往々にしてあることだ。

琢磨がしでかしたこの失敗も、面白おかしく尾鰭を付けて、吹聴されるだろう。

 

しかも相手はあの九重雅。

学年を超えた有名人を相手に、七宝は自分がとんでもない発言をしたことを棚に上げ、リカバリしなければと考えていた。またしても恥をかいたと、七宝は歯を食いしばった。

 

やることなすこと、雅に関してはすべて裏目に出ているような気がしていて、つい威勢を張ってしまう。

謙虚さがないと馬鹿にされることはあったが、それは自信の表れでもあったし、琢磨は間違いなく自分は優秀な魔法師だと思っていた。

司波兄妹や十三束の実力を目の当たりにし、その柱が揺らいでいたが、最近では少しずつ周りの意見も聞くようにしていた。先輩からの信頼も少しずつ築いていると感じていた。

しかし、崩すのは一瞬だった。

 

 

「司波と九重は確かに婚約関係にあるが、外野が邪推していい話ではなかったな」

 

一言も言葉を発しない琢磨の場の空気を持つように、服部がため息交じりに漏らした。

 

雅と達也の関係は上級生の中ではよく知られた関係だ。二人でいてイチャイチャと目立つことは某バカップルのようになく、むしろ深雪と雅や深雪と達也の方が普段は目につくので、目立ちはしない。なので、一年生の間ではあまり知られていない事実だった。

 

「えっ、婚約者なんですか?!」

 

あれだけ大口を叩いてそんなことも知らなかったのかと、上級生はさらに呆れた目をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一応今日からは夏休みだが、達也も深雪も昨年同様、九校戦にかかりきりになるため、あまり休みという感じはない。

今年は8月3日に前夜祭があり、比較的会場に近い一高は昨年度と同じく、3日の朝に出発となっている。

今年の大会日程は前夜祭を含め、全12日間の予定だ。

競技変更の影響も考慮してか、今年は2日遅い開催となった。

雅は明日の早朝の便で実家に戻るため、司波家でゆっくりとしていた。

部屋着のコーディネートから深雪お手製の手の込んだ夕飯を食べ、水波も内心たじろぐほどの甲斐甲斐しさだった。

 

深雪が背中を流したいという申し出をしてきたときは、思わず雅も即決で断っていた。司波家のお風呂は一般家庭より広々としているだろうが、公衆浴場でもないので、狭い浴室に二人きりというのは気が引けた。

今は達也の部屋に避難している。

深雪も達也と一緒ならば邪魔をするのは無粋という考えが先に立つようで、コーヒーを持ってきた後の突撃は今のところなかった。

 

「深雪が随分と世話を掛けたな」

「生徒会の仕事で大変だったみたいね」

 

深雪はもともと、世話焼きの方だ。ストレスが溜まると逆に甲斐甲斐しくなり、今回は一段と手伝いなど手をかけていた。

雅も達也も慣れているが、あまりに近しい様子に水波は完全に我関せずの状態を貫いていた。明日からしばらく会えないとはいえ、恋人以上に近い距離に、もしかしてこっちの方がデキているのでは?と水波が邪推するほどだった。

 

「達也はどうなの?」

 

達也には深雪以上に負担が掛かっている。

昨年度より多い選手のCAD調整に加え、作戦スタッフも兼任している。

昨年度からの競技変更に加えてパラサイドールのこともあり、九校戦に入る前から気を揉んでいるはずだ。

後輩である一年生の技術スタッフの指導も行っているようで、いくら達也が人並み以上に色々できるとはいえ、限度がある。

 

「疲れた、と言って休むわけにはいかないからな」

 

達也には深雪を守る使命がある。

それは単に家族だからという理由だけではなく、妹しか家族として愛するということができない魔法の枷であり、四葉家で達也が生かされている理由でもある。達也だから、の一言で片づけられてしまうことが雅は嫌だった。しかも今回ばかりは手を貸すことはできない。

 

 

達也は雅の迷いを感じつつも、明日早い出発のために、もう寝るようにと促す。雅は若干、迷った後、小さく腕を広げた。

 

「えっと、その……。ハグをしてもらうと、ストレスが軽減されているという結果があってね、その…しばらく会えないし………」

 

雅は懸命に言葉を探すが、徐々に言葉尻が小さくなっていく。

雅は何をしてしまったんだと内心思いながらも、手を広げてしまった手前、今更引っ込めるのもおかしい。これで達也が何か言えばいいのだが、生憎笑い出しもしないので、雅は居たたまれない気持ちになる。雅の視線は恥ずかしさを誤魔化すように彷徨っている。

 

達也は一歩距離を詰めると、ゆっくりと雅の肩に顔を埋めた。

 

「ありがとう、雅」

「どういたしまして?」

 

少しだけ戸惑いながら雅は、優しく達也の髪を梳いた。いつもとは逆のパターンだが、達也には予想以上に照れくさいものだった。

 

四葉にいた際に、誰かに頭を撫でられることは、達也の記憶の中でおよそない。子どもにするような労りの動作の感覚は、おそらく九重に預けられていた幼少期に受けたものだろう。

自分が深雪を守るだけにプログラムされた兵器ではなく、人として育ててくれた九重に達也は感謝している。九重へ達也が預けられたのは、人として基本的な感情を育てるためだった。

 

四葉の中の教育だけでは、達也はおそらく歪んでいた。生まれた時から忌避されて育ったとしたら、深雪を妹として愛する心すら育たないだろう。

感情のコントロールも人との関係づくりも、親との関わりで学ぶものである。無条件に大切にしてくれる存在は心の安寧にもなり、幼少期の子どもには欠かせない存在である。

 

そして、道徳観の基礎はおよそ3歳ごろに築かれる。おそらくその時期に、九重から切り離されたのは躊躇なく人を殺すことができる兵器としての訓練を積むためだった。別れ際、痛まし気に顔を歪ませ、達也を抱きしめた雅の母の顔は未だに記憶している。

これから自分が歩く道を、自分の子どものことであるかのように、心を痛めてくれた。それがどれだけ幸運だったか、どれだけ今の自分に重要なことだったか、今になって思い知る。

 

達也の胸に宿る感情の名前の土台は九重から与えられ、雅が芽吹かせた。

あるかないかの感情は、温かく、愛おしく、そして少しむず痒い。

 

達也は一度雅から離れると、今度は達也から抱きしめる。

達也にはやはり、こちらの方が落ち着いた。雅はその背中に縋るように小さくシャツを握る。

 

「ごめんなさい」

 

依頼をされているとはいえ、九島の一件を達也に片づけさせてしまうこと、傍に居られないこと、深雪を危険な目に合わせる可能性があること。

何に対する謝罪か、達也も聞かなかった。

 

「謝る必要はない。雅は雅のなすべきことをしてくれればいい」

「無理はしないって言える?」

「約束はできないかな」

 

達也は苦笑いをした。雅も顔は見えていないが、それは感じ取っていた。

 

「俺はそういう風にできているから」

 

諦めのようなつぶやきに、雅の心は締め付けられる。

冷静に状況を判断できるが故、達也は自分ができることとできないことを理解している。

できないことにできる可能性を見出し、できるようにすることは可能だが、自分の体の安全については無頓着な部分がある。

『再成』という魔法の存在がそうさせている部分もあるが、間違いなく彼の考え方には四葉の洗脳と狂気じみた戦闘訓練が大きな影響を及ぼしている。

雅も戦闘訓練や諜報訓練はなされているが、それでも人に行う範疇である。

 

「それでも、私は嫌よ」

 

身勝手なわがままだと理解している。

矛盾していると理解している。

それでも雅は達也を傷つけ、死線に向かわせる運命に抗いたかった。

 




次回、ようやく九校戦に入ります。
懐かしい去年の面々が登場予定です。

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