恋ぞ積もりて 淵となりぬる   作:鯛の御頭

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1か月って過ぎるの早いですね。毎日のように更新されている方とか、どんなスピードで書いているんでしょうか…。

ここからはシリアスというトラックに砂糖を積んで行きます((((っ・ω・)っ
原作から乖離してくる部分もあるので、ご了承ください。

今回はお待ちかねの壁を叩きたくなるほど甘い話はありますが、本文に都合で入れられなかったので、あとがきに長々と書いてあります。さて、コーヒーの準備はよろしいでしょうか。



四葉継承編
四葉継承編1


魔法とは、おとぎ話の産物から属人的かつ先天的な才能ではなく体系化された技術となってからおよそ100年の物である。

近代魔法の黎明期から絶えず現在も魔法研究は国を挙げて行われてはいるが、魔法にまつわる事故というものは決して少なくない。

 

元々兵器利用や軍事目的での開発が主立っていたことも原因の一つではあるのだが、どこの魔法科高校でも魔法技能を損なうほどの障がいや魔法に対する不信感から魔法を行使できなくなる者が毎年出てくる。

重力制御魔法で体を浮かせていたら魔法力を切らせて落下したり、戦闘系の魔法技能を鍛えている際に当たり所が悪かったり、身を守る必要に駆られ、自身の許容量以上の魔法を一気に行使しようとしたり、事故例は様々だが、ほんの些細な失敗や油断で魔法という才能を失う可能性は誰にだってある。

そのため事故事例を基にした魔法使用におけるリスクマネジメントも魔法師の教育には組み込まれている。また飛行魔法のようにCADへの想子の供給量が減少した場合、減速魔法が発動して安全に着陸できるようプログラミングされていたり、もっと単純に命綱を使用したりするなどソフト、ハードの両面から安全対策は取られている。

 

ただ、事故は何時だって望んで発生するものではない。例え、それがいかに優れた魔法師だとしても魔法に関する事故というのは魔法師である限り、一生存在するものであるのだ。

 

 

 

 

 

 

11月中頃。

 

論文コンペを終え、生徒達の熱気はひとまず収束したが休む間もなく月末には期末テストというものが差し迫っていた。ある者は魔法理論の確認を同級生と話し合い、ある者は出題の予測を立て復習に余念がないなど、学校のあちらこちらで熱心にテスト対策を行う生徒の姿が見られる。

 

魔法科高校は中間テストというものが存在しないので、期末考査の結果で成績が大きく左右される。例え魔法実技の成績が優れた一科生であったとしても、魔法理論の知識は十全とはいえず、最新の研究の時事的な知識から魔法工学など複雑な理論、魔法幾何学や魔法薬学などの選択科目も覚えることは多い。成績上位者は魔法科大学への推薦もかかっているため、上位をキープしていると言って安心はできない。さらに赤点という悲惨な結果を取ると冬の短い休みであっても補講に駆り出されることになっている。つまり、クリスマスは親しい友人や家族とのパーティではなく勉強漬けのしょっぱさを味わうことになる。

 

 

朝早くから学校に来て図書室や教室で自習に励む生徒もおり、一科生で成績の上位10番以内に常に入っている雫も家より学校の方が勉強しやすいタイプであったので、いつもより少し早く登校してきていた。

 

「おはよう、雫」

「おはよう」

 

席の順番は名前の順となっており、『北山』と『九重』で二人は前後の席だ。雅は日によって来る時間が異なるが、早い時は真面目に予習や試験勉強をしていることが多く、今日もその日なのだろうと早い登校に雫はそれほど気に留めなかった。

 

「雅、手首怪我?」

 

雫が席に着くと、雅の左手首に普段はしていない黒いサポーターが目についた。

 

「稽古中に捻ってしまったの。体育は種類によっては見学だけど、利き手でもないから日常生活に支障はないわ」

 

雅は左手首に視線を落とした後、溜息交じりに答えた。

忍術使いを叔父に持つだけあって雅の人並み以上の運動神経の良さを目の当たりにしていたが、弘法も筆の過りというべきか雅でも怪我をするんだと、思い出したかのように雫は一人納得していた。医学の進歩によって薬剤で治療できる疾患や予防できる病気は格段に増えているが、こういった外傷は魔法治療で誤魔化しても安静が一番の薬になる。

 

「お大事にね」

「ありがとう」

 

雅が操作している端末を覗き込みながら、雫は話題を次の期末考査に切り替えた。

 

 

 

 

その日の実習は手元のモニタに指示された色を20m先の的に投射するという光学系の魔法だった。一分間に照射できた個数とその正確性と発動速度が評価され、間違った色を照射すると回数は1回分マイナスでカウントされる。

これはあくまで初級レベルのものであり、カリキュラムが進んでいくにつれ、指定の色が同時に二色に増えたり、壁の向こう側に的を置いたり、カウントの読み上げなしの60回/分のリズムで正確に的に照射させたりと、難易度が徐々に変化する。

 

今回の合格の基準は1分間に60回以上の記録を出すことだが細かな制御はあまり得意ではないと言う雫も、優等生らしく1分間に80回をクリアしていた。

このような単一系の魔法であれば一回当たりの魔法発動速度が0.5秒をコンスタントに切り続ける深雪や雅に至っては、普段から120回はサラリとやってのけていた。

 

「なにかあった?」

「雑念が入ったわ」

 

だがこの日、雅の1回目の結果は90回に留まっていた。ミスこそないが、魔法の発動速度がマチマチでありリズムが崩れていたのが見受けられた。

珍しいこともあるのだと思ったが、魔法は精神的な部分に左右されることが大きいので、なにか頭を悩ませる問題でもあるのだろうと雫は考えた。

雅の実家は日本でも指折りの歴史の長い家であり、古式魔法の大家である。雫も北山家という大企業の娘であり、自分が望もうと望まざろうと名前に伴う責務もあることは理解している。

テストに関わらず、雅は日々神楽の稽古にも励んでいるため、年末年始に向けてそちらの方も追い込みをかけているのだろう。多少疲労やペースの乱れが見られても不思議ではない。

 

雅は休憩を挟まずに2回目を行い、回数も120回を超えていたのでそれほど雫は気にしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

放課後の生徒会室。

 

期末試験が近づくにつれ部活動は原則、自主練習という名前の休暇に入るところが多いが、生徒会は終業式の準備や年末の資料やデータ整理など仕事があるため、完全に休みにはなっていない。生徒会に所属する生徒は学内でも指折りの成績優秀者であるので、試験前に慌てるようなことは無いが、それでも仕事を切り上げる時間はいつもよりずいぶんと早い。

 

「深雪、ちょっといい?」

「ええ、大丈夫よ」

 

生徒会業務が終わるころを見計らって雫が生徒会室を訪れた。風紀委員会本部は生徒会室と中でつながっているが、雫はそちらには寄らなかったのか、一般生徒も使用する廊下側の入り口から許可を経て入室した。

 

「少し話があるから風紀委員会本部なら今誰もいないから、来てもらってもいいかな」

「分かったわ。時間になったら泉美ちゃんたちは片づけて帰ってもらって大丈夫よ。試験前だから無理して残る必要もないわ」

「いえ。深雪先輩と一緒ならむしろ息抜きになります」

 

泉美にしてみれば、テスト期間は麗しい深雪といられる時間が短くなるので、テスト自体の煩わしさよりそちらの方が問題だった。

深雪はいつも通りの泉美に愛想のいい社交的な笑みを浮かべた後、雫の後に続いて風紀委員会本部に向かった。単なる憧憬を通り越して崇拝にも近い泉美の態度も、入学から半年もすれば深雪にも多少なりともあしらい方も分かってくる。

 

 

 

部屋は以前のように備品や書類が乱雑に置かれ、顔を顰めるような状態ではなく、また書類を誤って捨ててしまったかもしれないと慌てる委員長がいるわけではないため、整理整頓がきちんと行われている。

風紀委員長である幹比古の性格上、物の場所は分かりやすく仕分けされているだけではなく、今までの委員長と違って率先して掃除まで行っているため、本部はいつ来客があろうとも見苦しくないように整えられている。

 

「それで、話って?」 

「……一応、念のため遮音壁張ってもいい?」

 

雫は一瞬ためらったが、いつになく真剣な目をしてそう提案した。

 

「ええ。構わないわ。大切な話なのでしょう」

 

風紀委員である雫はCADの携行が許可されているため、素早く端末を起動し、二人の周りだけに遮音壁を作り出した。

この時期は部活動が自主練習期間であるため、風紀委員の見回りもいつもより簡単に済むため、風紀委員会本部を訪れる生徒もほぼいない。それでも周りに聞かれるには差しさわりのある内容なのは間違いなかった。

深雪は達也のように異能に近い知覚系の魔法に適性があるわけではないので、雫の提案は深雪としても有難いところだった。

 

「まだ確信はないし、余計なお世話かもしれないけど、雅の怪我って魔法が原因?」

「神楽の稽古とおっしゃっていたから、おそらく魔法使用時のことだとは思うわ」

 

神楽の稽古と言っても九重神楽の演目の中には殺陣のようなものが含まれている場合もあり、繰り返し行う動作に手足の肉刺が破れたり、タイミングがズレて打ち身ができたりするような怪我を負うことはあると深雪も聞いている。今回の怪我も不安定な姿勢からバランスを崩して手を突いた時に捻ってしまったらしい。

 

「ちょっと実習で雅らしくないことが続いていたから気になって」

「お姉様らしくない?」

 

思いもよらない雫の言葉に深雪は声を一段落とした。

 

「十分高レベルの合格範囲内だし、気にしすぎかもしれないけど、気になって」

 

雫も最初はそこまで気にしてはいなかったが、光学系の実習以外にも雅のわずかな異変は続いていた。

移動系の魔法では移動対象の指定の範囲が甘かったり、全体的な発動速度が今までより遅れたり、威力の調整が不十分だったりと、雅らしくないミスが起きていた。無論、どれも合格の範囲内であることには変わりなく、2回目にはほぼ完ぺきに修正していたのだが、ペアを組んでいる雫以外にも首を傾げるクラスメイトがいるほど、雅の魔法はやや不安定だった。

勿論、今までと比較すると、という話であり、文句なしの一発合格であるのだが、その微妙なズレが雫には気にかかっていた。

 

「確かに珍しいで済ませていいのか気になるわね」

「雅だから話せない事情とかもあるかもしれないけど、本人は特に何もないって」

 

雅自身が一番不調については自覚しているだろうが、すぐに修正ができているだけあって雫は深く話を聞けていない。

雫は雅を友人だと思っており、雅が話してくれるならばどんな重たい内容でも受け止められるくらいの気概でいるが、当の雅に話す気が全く見られないこともあり、今は静観している。深雪ならば何か話しているかと思ったが、深雪も初耳のようで驚きと戸惑いを隠せないでいる。

 

「そう。私の方からもそれとなく伺ってみるわ」

 

雅は大したことない風にふるまってはいたが深雪は怪我をした手首を見て、胸が締め付けられる思いだった。

深雪は雅の怪我に敏感だ。

かつて沖縄で深雪を庇って死の淵に立つような大怪我を負わせてしまったことがトラウマとなっているのか、いくら稽古で体を酷使することもあるとは知っていても深雪は気が気ではなかった。ましてやそれが魔法の行使にも影響を与えているかもしれない。

ただの思い過ごしだといいのだけれど、と深雪は願うばかりだった。

 

 

 

 

 

その日の夜。

雅と達也は二人きりで、司波家の地下にある研究室に来ていた。

二人きりで邪魔をされない防音の効いた部屋で密会というわけではなく、CADの調整とそれを行うための測定であり、年頃の男女らしい浮ついた様子はなく、真剣なものだった。

達也の研究室は個人が所有するには十分すぎるほどの設備が整っており、最先端の魔法科学研究所と同等の性能を持つ機器が並んでいる。

基本的にはトーラスシルバー名義で購入したメーカーの純正品ではあるが、ところどころは使いやすいようにカスタムしており、ワークステーション一つにしても高級車が余裕で買えるような値段である。まさか世界的な魔法工学技師の個人ラボがこんな住宅街の地下にあるとは誰も思いはしないだろう。

 

より精密な測定を行うため、肌を覆う布は極力少ない方が良い。

そのため、測定時は深雪や雅は下着姿で測定用の寝台に横になり、測定を受ける。

達也はワークステーションの画面を見ているため、いくら直接肌を見られることは無いとはいっても、週1回、期間にして1年半以上この測定方法を実施しているとはいっても、羞恥心を全く覚えないほど雅も慣れているわけではない。

被測定者の心理状態が測定結果に影響を及ぼすことは達也も理解しているが、そのあたりは微調整で済む範囲内である。

ガウンの衣ずれの音やうっすらと頬を染め恥じらう様子を目の当たりにする達也の気まずさもまた無視するべき範囲内だった。

 

達也は数字で構成された生データである測定結果が表示されたモニターを眺めながらわずかに眉を寄せた。

 

「やっぱり数値に出ている?」

 

雅はガウンに袖を通し、胸元の合わせまで整えると達也の隣に置かれたスツールに腰を下ろした。測定結果が分かっていたように雅の声は落ち着いており、表情にもそれほど大きな変化は見られない。

 

「怪我の影響もあるだろうが、大きく設定を変えるほどではないよ」

 

確かに雅にしてみれば調子が崩れているとは言えるだろうが、設定そのものを見直すほど大きな問題ではない。微調整とも言えないが、短時間で調整ができることに違いはない。

 

「実習の結果もイマイチだったから、調子が悪いのは分かっていたわ」

 

自分に苛立つ様子を隠しながら、雅はため息を零した。

1年半以上、達也の隣で調整を見てきており、自分でもある程度CADの調整はできるので生データの段階で数値的な不調は見て取れるのだろう。

 

「稽古の疲れもあるだろう」

「今までで一番難しい演目だからね。焦りもあるのも確かよ」

 

新春に行われる九重神楽の演目は『鳳凰』。

1000年前の文献に残っていた演目ではあるが、理論としては成り立っていたがそれを実践できるだけの術者がおらず当時も実演はされていなかった演目だ。それを悠が再検討し、実演可能なものに昇華させたものだ。

 

いくら技術的な発展は著しいとはいえ、九重神楽の原則は機械的な補助を一切行わず、あくまで刻印魔法や詠唱、精霊魔法などといった古式的な媒体を元にした魔法であり、CADを使用した魔法に比べれば安定性も高速性も劣る。さらに複雑な魔法をいくつも組み合わせるため絢爛な羽を模した衣装は九重の数ある舞台演目の中でも一番重く、それを自在に操り優雅に見せるためには体力も魔法力もかなり消耗する。

 

相手役の悠が『凰』、つまり女性役であるため身長の兼ね合いから鉤爪を模した足は踵の部分が不自然に見えないぎりぎりまで上げられており、雅はかなり不安定な体勢で舞い続ける。2時間の稽古が終わればしばらくは座り込んで息を整えなければならないほど、見た目の優雅さとは裏腹に苦しい演目だ。

そんな九重神楽の中でも最難関とも呼ぶべき演目に雅は手古摺っていた。全く舞えないわけではないが、何度舞っても納得のいくような練習にはなっていない。難しい演目の中での怪我とあって、動揺と焦りが数値に現れることは無理からぬことだった。

 

「CADの方はフィードバックを少し強めに設定するが、いいか」

「ええ。お願い」

 

達也がちらりと顔を合わせたその瞳には焦りと悔しさが浮かんでいた。

 

 

 

 

 

その後も雅のどことない不調は続いていた。

稽古を重ね、できることは増えていても完成には程遠く、期日も迫る中で焦りは加速していた。焦るべきではないと思いつつも、完全にはその感情をコントロールできず、学校の実習にも支障が見られていた。

深雪も心配していたが、こればかりは本人の問題であるため率先して身の回りの世話を焼くくらいのことしかできずもどかしい日々が続いていた。

 

 

そんな様子を耳にしたのか、ある日曜日に悠が訪ねてきていた。

場所は司波家ではなく、普段雅が神楽の稽古にも使わせてもらっている九重寺の境内の一角であった。部屋の中には精霊除けの香が焚かれ、昼が近づこうとしているのに部屋の中は蝋燭の灯りが無ければ何も見えないほど薄暗い。

 

「稽古は難航しているみたいだね」

「今回の演目が机上の空論と言われなければ、既に再現はされているでしょう」

「確かにそうだね」

 

悠は苦笑いで取り繕うともなく、悠々と用意された茶を啜った。

 

「そちらの方は順調ですか」

「楽師の方も随分と大変なようだけれど、概ね準備は整ってきているよ」

「それで、こちらまで技術指導にいらしたわけではないのですよね」

 

雅は冷静に目的を問う。

悠の一挙手一投足が何を意味しているのか探るように張りつめた雅の雰囲気とは違い、悠はどこまでも穏やかな笑みを浮かべている。

 

「古式にせよ、現代魔法にせよ魔法の発動時に違和感があるだろう」

 

雅はとっさに言葉が出なかった。

確かに不調の原因の一つに怪我はある。だが、それは完治していることに変わりなく、既に動作自体には問題ない。肝心の魔法の発動については、精神的な焦りも影響していることは確かだったが、まだ誰にも話してはいないがずっと抱えてきた違和感を悠は見抜いていた。

 

「小さな魔法でさえ少し肌がざらつくような感じはあります」

「まだ多くを封じているからね。器との釣り合いが取れなくなってきたのだろう」

 

当然だと悠はもう一口茶を啜り、静かに茶托に湯呑を置く。

 

「随分と難儀しているようだから君の枷を一つ外すことになった」

「よろしいのですか」

 

雅は驚きを隠せずに問い返す。

雅の力は幼少期に暴走した経験から、未だに一部が父と兄二人の手によって封じられている。わずか6歳にして見境なく周囲10㎞を停電にした魔法力に、当時の京都は大混乱となった。

幸いにして町中の想子センサーごとお釈迦にしたので、魔法的な形跡は残らなかったが、正しく己の力を使えるようになるまで制限を掛けることになっていた。今までその枷を外した経験は片手で足りるほどであり、すべての封が解かれたことは無い。

 

「君も成長しているからね。今なら一つ外したところで問題はないだろうという判断だったよ」

 

神楽が演じきれない根本的な原因が封じられた力にあるならば、それを解放してしまえば魔法力的な余裕はできる。

封じられている力というのは魔法力そのものに制限を掛けているので、扱える力が多くなった分、制御力は必要にはなるが、一回の魔法に多量の想子を使う九重神楽においてはタンクが大きいことに越したことは無い。

 

「ただ、リスクも承知しているだろう。君はただでさえ彼方(あちら)に近い」

 

力の使い方を間違えてはいけないと静かにその瞳は語る。

 

 

「深く潜りすぎないことだよ、【鳴神】。まだ人として在りたいのならね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雅の封を解放した悠は、そのまま京都に帰るわけではなく深雪と都内に出かけていた。

雅の状態を心配した深雪が悠に連絡を取っており、報告のお礼ということで悠に連れ出されていたとも言う状態だった。

 

「用事に付き合わせて悪いね」

「いえ、私も少し出かけていたいと思っていたので」

 

悠との外出は深雪にとって予想外のことではあったが、丁度テスト前の息抜きとなっていた。普段から真面目に課題に取り組んでおり、常に成績上位をキープしている深雪は例え明日がテストだろうと問題はない程度に出題範囲程度のことは理解している。

 

「雅のことで随分と気を使わせてしまったね」

「お姉様はよろしいのですか」

「原因は怪我というより、魔法力の上限の問題だったからね。数日は制御に手間取るかもしれないけれど、確実に今より改善するよ」

 

同じ九重神楽の舞台に立つとしても悠は全く制限のない状態で臨んでいるのに対し、雅は枷を付けられた状態で今まで行っていた。器を鍛える意味もあったが、十分に鍛えられた今、過大な制限が負担になっていた以上、それを外してしまえば雅の演者としての段階は一段以上飛躍する。

 

「僕としても楽しみな演目になるのだけれど、君達は今年の正月は本家だから観には来られないんだろう」

「はい」

 

悠の言葉に深雪の少し浮足立っていた足取りが重くなった。

今までは色を付けていた木々の葉が、着々と近づく冬の到来に枝を寒々とさせている。秋晴れの良い天気なはずなのに、心は凍えるような現実を自覚する。

 

毎年、正月は四葉本家に挨拶に伺ってはいるが、今年は例年とは違うことがあった。分かっていてもいざその差し迫った事実を突きつけられると、深雪は胸が苦しく、掻きむしりたくなるような衝動に駆られる。

 

「それで、どちらに向かうのですか」

 

深雪は笑みを浮かべ、悠に行先を尋ねた。

上手に笑えているだろうかと深雪は不安になるが、悠の表情はじっと深雪を見つめたまま変わらない。何度も見ているはずなのに、いざ近くで見ると深雪ですら息を呑むような整った顔立ちに圧倒されてしまう。

 

「おまじないを買いにね」

 

深雪を伺う表情から一転、悪戯に笑う悠の笑顔に深雪の心臓は高鳴った。不意打ちの笑顔は卑怯だと、深雪はグッと言葉を飲み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

都内の大通りから一歩入り、大学や美術館などが多く見られる地域の中で、ひっそりとしたビルの1階にその店はあった。

 

「ここですか?」

「資料館の意味合いもあるけれど、天然の紅を専門に扱うお店だよ。次の舞台用の物が欲しくてね」

 

悠お兄様が言うおまじないを買う店とは、本紅を扱う店であり、日本でも数少ない専門店だった。古来、大陸文化の影響から、神社の門扉や柱などは朱塗りにされていることにも表れているように赤は厄除けや魔除けの意味があるとともに、縁起の良い時にも紅白を用いるように祝い事の色でもあるらしい。

悠お兄様の言うおまじないというのは、神楽で魔除けのために目元にさす紅のことを意味していたのだろう。

 

 

悠お兄様が店に入ると、すぐに店員が対応し、奥の個室に通され、注文していただろう品が運ばれてくる。

悠お兄様はしばらく吟味したいからと従業員を下がらせた。

机の上にはお猪口に入った口紅と、黒い漆の箱に入った顔料が並べられている。

 

本紅とも呼ばれる紅花から抽出された紅を見ることは私も初めてだった。

お猪口に塗られた紅は純度が高すぎるため、光の加減で反対色の金緑色に輝いて見える。

あまり陶器のことには詳しくはないが、おそらくお猪口に描かれた色付けも職人の手作業のものであり、これ一つでも工芸品であった。

 

「紅は女性的な要素の一つだからね。一口に赤と言っても色も毎回悩みどころなんだ。天然の紅は重ね方で色も変わってくるから、面白いところでもあるんだけれどね」

 

並べられた顔料の箱を吟味しながら、説明してくださった。悠お兄様が演じられる演目は女性の役が多く、紅の色には気をつかうところらしい。

顔料が入れられた箱は私にはどれも同じにしか見えないが、悠お兄様の眼にはその純度や品質も微妙に違って見えるのだろう。息が掛からないように口元をハンカチで押さえながら、一つ一つの箱を点検されている。

 

点検が終わった箱の蓋を閉めると、悠お兄様は次に紅の塗られたお猪口を手に取った。

きらりと艶やかな笹紅が光る。

真剣な目つきで品定めをしているそのお姿だけで、まるで一枚の写真のように絵になる光景だった。

 

「深雪ちゃん、付けてみる?」

 

私がじっと見ていたことに気が付いたのか、悠お兄様は紅筆を手にしていた。

 

「ご自分で試されなくてもよろしいのですか」

「僕らが舞台で使うには、少し手間を加えてからじゃないといけなくてね」

 

なんでも本紅は水で溶けやすいので、崩れにくくするために事前準備がいるようなのだが、単体で使った場合と若干色味も変わってくるそうだ。

悠お兄様はすっかり乗り気のようで、楽しそうに紅を水で溶き、筆をこちらに向けている。

筆を受け取ろうと手を伸ばしたところで、細く美しい指が私の顎を捕らえ、少しだけ上を向かせる。

まさか悠お兄様に紅を引いてもらうことになるとは思わず、“自分でします“と口にしようとしたところで黒曜石より美しい真剣な目にその言葉は喉の奥で消えてしまった。

二、三度柔らかい筆が唇をなぞると、悠お兄様は満足そうに微笑んだ。

 

「うん。綺麗だね」

 

心底美しいものを見たかのように目尻を下げたその顔こそ何よりも美しかった。

悠お兄様が非常に整った顔立ちをされているのは理解していたが、こんな至近距離で見つめられると思わず頬に熱が集まる。

 

「悠お兄様、誰にでもそのように言われない方がよろしいですよ」

「鏡を見てごらん。揶揄っていると思った?」

 

クスクスと心外だなと、笑いながら悠お兄様は手鏡を差し出す。言われたように店の方で用意していた手鏡を受け取ると、鏡の中では不満げに色づいた口をとがらせている私がいた。

重ね方で色が変わると言っていた通り、あまり重ね過ぎなかった紅は健康的な血色で唇に自然に馴染んでおり、雪女のようだと称された白い肌ですら映えるようだった。いい紅であることは口に出して言うまでもないことのようだ。

 

「そうは思いませんが、あまり不用意に女性にそのようなことを言われますと誤解されますよ」

「まだ僕の目は曇っていないと思うけれどなあ」

 

クスクスと悠お兄様は舌の上で、やっぱり可愛いねと言葉を紡ぐ。

紅がいいからでしょうとか、可愛くないですなんて皮肉や不満を口にしようとしたところで、言い包められてしまうことが目に見えていたので、口を噤む。

 

「なんだい?」

「いえ、なんでもありません」

 

悠お兄様の視線から逃げるようにもう一度鏡を見ると、不満を隠しもしない幼い私が映る。悠お兄様にはいつも子ども扱いされている気がしてならない。

 

「気に入らなかった?」

「そうではありません」

 

棘のある天邪鬼な言葉が口を突いて出てしまう。悠お兄様からしてみれば私は雅お姉様より年下の子どもかもしれないが、背伸びをしたい私が生意気な口を利く。

 

「じゃあ、これは深雪ちゃんのおまじない」

 

悠お兄様は蓋のついた椿の模様が描かれた器を私の掌に乗せる。

 

「よければ今度の慶春会の時に使ってほしい」

「ありがとうございます」

 

その言葉にこの器が途端に重くなったように感じた。

『慶春会』というのは、四葉本家で開かれる元旦の集まりのことだ。

新年のあいさつに本家にはお兄様と共に出かけてはいるが、例年分家の当主も列席する慶春会への出席を命じられるのは今年が初めてのことだった。

 

 

「あまり気分が乗らないみたいだね」

「呼ばれることが初めてですから」

 

渡された紅の器を両手で包む。

先日届いた叔母様の直筆を添えられた招待状は、これが決して避けて通ることのできないものだということを痛感させた。例えお兄様に分家の当主がどんな不遜な物言いをしても、私がその言葉を遮ることは今のままではできはしない。

 

そして、私は今までどおりの子どもではいられなくなる。

先ほどまで悠お兄様に子ども扱いされることに腹を立てていたのに、今は時が進まず子どものままならいいのにという我儘が支配する。

思っていたよりもその日は早く訪れてしまった。

 

ついに叔母様は私を次期当主として指名するつもりなのだ。四葉家の次期当主は、その時最も優秀な魔法師が当代当主から指名される。

今、次期当主として(ふるい)に掛けられているのは自分を含めて4人。

私とお兄様に『誓約(オース)』を課した津久葉(つくば)家当主の娘であり、精神干渉系魔法全般に強い津久葉夕歌(つくば ゆうか)さん。

諜報を担う黒羽家当主の息子であり、ダイレクトペインという人の感覚に直接痛みを与える系統外の固有魔法を有する黒羽文弥君。

新発田家当主の息子であり、気体、液体、固体に関わらず物質の密度操作を得意とする新発田勝成(しばた かつしげ )さん。

 

それぞれ得意とする魔法を有していたとしても、主観的にも客観的な魔法力で判断しても私が次期当主として選ばれるだろう。

ただ、今の私は四葉家の当主になりたいかと問われても、当主の座が欲しいとは思わない。そして、指名されてしまえばその地位はいらないと投げ出すこともできはしない。

 

12歳のあの日の出来事までは、周りの使用人から「候補者の中で貴方が当主にふさわしい」と言われてその気になっていた。

当主になることで、当主の守護者であるお兄様に浴びせられる不遜な声を黙らせることができるのならば、それに越したことは無い。九重であるお姉様がお兄様と結ばれるならば、私の後ろ盾としてはこの上ない組み合わせである。

 

けれど、私はどうなるのだろう。

当主になったならば私もいずれ、その相手を宛がわれる。病弱でも虚弱でもない私は、おそらく次期当主として次世代を望まれる。それは四葉家の中でも、十師族というコミュニティの中でも、おそらく変わりはしない。

それが何よりも不安で、何よりも不快で、何よりも恐ろしい。

 

「僕なら重たすぎる君の名前を取ってあげることもできるんだよ」

 

悠お兄様は私の両手に手を重ねた。

無意識に事象に干渉して部屋の気温までは下げてはいなかったが、重なった温かさに私の指先は氷のように冷たくなっていたことを自覚した。

 

「……悠お兄様、いくら悠お兄様でもそれは無理なことです」

「そう?」

 

まるで不可能なことではないかのように悠お兄様は問いかける。

今になってそんな夢は見てはいけないと理性が歯止めをかける。

 

「深雪ちゃんの望み次第だよ」

 

深淵のように深い黒の瞳がまっすぐに私を見据える。

私の望みは何だと問いかけている。

 

「悠お兄様、それは―――」

 

 

小さくベルが部屋に響いた。

どうやら店側が店員の入室を求めているのだろう。

悠お兄様は重ねていた手をゆっくりと外し、入室を許可する。

 

あの時、私は何を口にしようとしていたのだろうか。心臓が嫌に早く脈打っている。

私以外の次期当主候補者の中の誰かを九重が推薦し、その人が当主として選ばれる。そうなれば、少なくとも私は当主の責務からは解放される。

そうなった場合、お兄様の待遇がどうなるか不明だが、お姉様の伴侶を今のような立場に追いやることは無いだろう。

 

 

悠お兄様の問いかけは地獄に垂らされた蜘蛛の糸のようだった。

 

 

 

 




尺の都合と話の流れで入らなかった雅と達也のデートシーン




悠は深雪を連れて出かけていた時、心配をかけた深雪へプレゼントを選ぶために雅と達也も出かけていた。12月に入る前だと言うのに、どこのテナントもクリスマス商戦を行っており、クリスマスらしいオーナメントやプレゼントにといったポップが並んでいる。

「時期的にボディクリームとかリップバームとかかしら」

クリスマスプレゼントは別に考えているため、今回はそれほど値段の高くないお礼として気軽に受け取ってもらえるものに雅は焦点を絞っていた。

「この前水波とハンドクリームはどれがいいかと話していたぞ」
「そのあたりで探してみるわね」

現代では店頭に展示品を置いているのはそれなりの値段のする店のみであり、中堅レベルの服飾店でも3D映像による商品展示が主流になっている。試着も合成映像で済ませる店が多数であり、手触りや質感などの誤差はあるが、その点は返品対応ができるようになっている。
ただ、化粧品は本人の体質によるものが大きく、香りや使用感によっても購入は左右されるため、店頭にもサンプルが並んでいることが多い。

「どっちが好み?」

雅はいくつかハンドクリームの候補を見繕い、香り見本を達也に渡す。

「俺に聞くのか?」
「自分が気に入っても達也が不快に思う香りを深雪が身に着けると思えないのだけれど」

当然でしょうと言いたげな雅に達也は呆気に取られた後、苦笑いとともに肩を竦めた。
いくつか達也のチェックをクリアしたものの中から、雅が最終的に深雪に送る物が決まったところで、雅は別の棚に置かれたサンプルの容器が目に留まり手に取った。

「練香水か?」
「これはリップバームだって」

500円玉ほどの大きさの手毬型の入れ物にはリップバームが入っていた。香りも蜂蜜やバラ、ラベンダーと言った定番のものから緑茶や柚子、桜など和をイメージした香りも用意されており、香りだけではなく、実際にその成分も入っているようだ。

「そういえば、保湿力は勿論大事だけどリップバームは見た目の可愛いより、味で選びなさいって言われたのよね」
「保湿力は分かるが、味か?」

雅はサンプルを手に取り、香りを確認しながら言った。達也にもそれを渡してきたので、これも追加で買うかもしれないと香りを確認する。パッケージも深雪が好みそうな可愛らしいものであり、渡された柚子の香りはあっさりした柑橘系の香りでった。次に渡された蜂蜜やバラは随分と甘い香りだと感じたが、上品に作られているため鼻につく嫌さはない。

「だって美味しい方が相手から沢山―――」

嬉々とした表情から一転、そこまで口にしたところで雅は香り見本を棚に戻しながら、達也から視線を逸らした。

「ごめん、聞かなかったことにして」

未だ恥ずかしそうに口元を押さえながら目線を泳がせている雅の続きの言葉が何だったか、達也は思案する。美味しい方が良いと言われた(・・・・)ので、おそらく雅に誰かが助言したことなのだろう。リップバームは食べるものではないが、物によって口に入った時に苦かったり不味いものもあるらしい。
その上でで”相手から”という言葉がある以上、自分だけではなく他人が能動的に関わる事であるはずだ。それも沢山の何かがある。
リップバームがどこに用いる物かということが組み合わされば、導き出される答えは限られてくる。

「匂いはこちらの方がいいな」

達也は棚にある商品見本を、指でトンと叩いた。

「味はまた今晩、教えてくれ」

達也は雅にだけ聞こえるように耳元で囁いた。
一拍おいて雅は、達也の顔を見上げたまま硬直し、“はい“と力なく頷いた。









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その夜、散々味見(・・)されて、達也から「確かに美味しい方がいいな」と、言われて、真っ赤になった雅ちゃんが見たい。_(┐「ε:)_力尽きた



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