恋ぞ積もりて 淵となりぬる   作:鯛の御頭

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感想ありがとうございます。お返事、順次返していきます。

前回、達也が散々味見した話は脳内補完してください。書けたら書きたいですが、今のところ予定は未定です。四葉継承編でも、また今後『ん˝ん˝ーー』と甘さに悶える話を書いていくのでお楽しみに。


四葉継承編2

西暦2096年12月25日 火曜日

 

魔法科高校では二学期最後の日であり、多くの生徒たちは解放感に浸っていた。最終日に合わせて成績も開示されるが、保護者面談が行われるのは進級・卒業が危ぶまれる生徒だけで、成績に一喜一憂しながら画面を保存する生徒たちが大半だ。

 

午前中のみ授業ではあるが、終業式に相当するものはないため、足早に帰る生徒もいれば、部活などのクリスマス会のために残っている生徒も見られた。

 

そんな中、私は終業後に呼び出されていた進路指導室を後にし、一人溜息をついていた。

 

 

「あれ、雅?」

「君が呼び出しとは珍しいね」

 

紙袋やダンボールを抱えたエイミィとスバルが丁度部屋の前を通りかかった。

 

「ああ、進路のことで先生と少しお話があったの」

「そういえば進路調査があったね」

 

期末テスト後に進路希望調査が合わせて行われており、現在の成績と進学先の難易度を含め、合格基準を満たせるかどうか判定される。魔法科高校に在籍する生徒の大半は魔法科大学や防衛大の魔法科、もしくは山岳救助隊や警察学校の魔法科などを志望する生徒が多い。

高望みにしても安全策にしても、自分の実力に合わない学部を希望している生徒については、個別に面談が行われることになっている。これはまだ進級や卒業に関わらないため、生徒と担当教員との二者面談であり、私もその一人に該当するようで、こうして呼び出されていた。

 

「雅が呼び出されるってどんな安全圏書いたのよ。雅なら大手を振って魔法科大学が歓迎してくれるんじゃない?」

「流石に入試も受けずにそれはないと思うわよ」

 

茶化したようにスバルはそう口にするが、そもそも私が呼ばれたのは提出した進路そのものについての確認であり、間違いはないとは言っても、再度両親ともよく話し合うようにと釘を刺された。兄二人も進路では学校側と意見が対立したと聞いているので、私の呼び出しも予想していた範囲のことだった。

 

「二人は大掃除かなにか?」

 

あまり現状では私の進路について広めたくないため、話題を切り替えた。

 

「クラブであったクリスマス会の片付けも合わせてね」

 

スバルは踏み込まれたくないのを察したのか、素直に私の質問に答えた。

 

昨日も各部活動でクリスマスパーティが開かれており、既に期末試験も終わっているため休みを前に羽目を外す生徒が多い。

学校中が浮ついた雰囲気となるため、風紀委員の一部も見回りに出かけたり、普段はあまり顔を出さない部活顧問も一応小言を言って帰ったりするくらいのことはしている。

今年は幸い大きな騒ぎにはならなかったが、剣術部と剣道部合同のクリスマスパーティでは甘酸っぱくイチャイチャと見せつけてくる某カップルに嫉妬の炎が上がったそうだ。

 

「雅はこれから司波君とデート?」

 

ニンマリと期待に満ちた笑みを浮かべながらエイミィが問いかける。

 

「残念ながら、私にクリスマスは存在しないのよね」

 

私の言葉が予想外だったのか、二人そろっては首を傾げた。

 

「実家が神道だからかい?」

「小さい時は人並みにサンタさんを信じていたわよ。ただ今は家の事情でこれから年末まで稽古で予定が詰まっているし、参拝客で年末年始が一番忙しいから、正直デートどころか精進潔斎している身だからケーキも何も食べられないのよね」

 

今の私は一月前から精進潔斎、つまり肉、魚類、乳製品などを摂取しない所謂(いわゆる)菜食主義のような生活をしている。ケーキや七面鳥、ローストビーフなどクリスマスのご馳走と呼ばれるような物は食べることができない。

舞台に参加することが少なく、かつ成長期のころは舞台の前には1週間ほどの潔斎に抑えられてはいたが、今は完全に大人と同じ期間の潔斎を行っている。運動量に対して食事がどうしてもカロリー控えめになるので、体重維持の方に気を割かなければならない。あまり体重が落ちると舞台映えが悪くなり、体力も落ちるため、このところは補食も取りながらの生活だ。

 

 

「それは大変だ」

「それじゃあ司波君からのプレゼントが唯一の楽しみというわけか」

「そういうことにしておくわ」

 

達也や深雪は今日、アイネブリーゼでエリカや吉田君をはじめとした友人を囲んでのクリスマス会と聞いている。

私にも参加のお誘いはあったのだが、食べられないものが多すぎることもあり、舞台の稽古の大詰めであるためこれから直接京都の実家に戻ることになっている。

そのため、達也からのクリスマスプレゼントは昨日の時点で渡されている。

 

「ちなみに何貰ったの?」

「司波君、朴念仁に見えてセンスは悪くないだろう」

「あ、スバルもそう思う?」

「拘らなさそうに見えて、使っている小物はどれも良いものだろう。シンプルが故に際立つ様式美というのがいかにも司波君らしい」

 

エイミィはスバルの言葉に同意するように首を縦に振っている。九校戦で担当エンジニアであったとはいえ、二人とも達也と同じクラスになったことは無いのに、意外とよく見ている。

確かに達也は使っている小物のブランドに拘りはないものの、使い勝手の良さを反映した物は良いものを選んでいると思う。達也が褒められていることは嬉しいが、さり気なくそのあたりまで細かく見られていると思うと私としては複雑だ。

 

「それで雅はなにを貰ったんだい?」

「むしろ雅は、プレゼントはワ、タ、シ♪とか?」

「二人とも、それではよいお年を」

 

茶化して色っぽく言うエイミィに私はさっと背を向けて歩き出した。

 

「あ、ちょっと、待ってよ。冗談だってば、冗談」

 

私の反応に焦ったようにエイミィが私のブレザーを引っ張る。

 

「分かっているわよ」

「雅が真顔で言ったら冗談にならないよ!」

 

エイミィは心臓に悪いと、頬を膨らませる。

 

「まあまあ。これも雅なりの照れ隠しだろう」

「へ?ああ、そっか。やだ、雅かわいい」

 

生暖かい視線の二人に私は溜息をつく。揶揄われるのは性分に合わない。

この様子だと答えるまで突き詰めて話をしてくるだろうから、さっさと答えてしまった方が楽だろう。

 

「ストールとブローチよ」

 

コーラルピンクの大判のストールは柔らかな風合いで、暗くなりがちな冬の服装にいいアクセントになるし、無地だから和装にも使える。合わせて贈られた雪の結晶を模したブローチは、さり気なく魔除けの刻印を意匠化したものであり、とても細かな細工がされている。

ちなみに深雪からはお揃いの手袋、水波ちゃんからはオーガニックのハーブティを貰った。

 

私から達也には、スーツにもカジュアルにも使えるカフスボタンやラペルピン、それとネクタイピンを贈った。達也が持っているスーツは学生が着ても浮きはしない程度の既製品だが、達也が着ると伸びた綺麗な背筋から社会人に見えてしまうらしく、少し遊び心の見られるものを贈った。

牡牛座が刻まれたシルバーのカフスボタンは深雪と一緒に選んだものであり、生まれの星座であることに加えて、トーラスシルバーとしての功績がいずれ堂々と達也が成し遂げたものであると言える日が来ることに願いを込めてある。

 

「ちなみにどんな感じで渡されたの?」

 

もっと話せとエイミィが下から私を覗き込む。

 

「どんなって、稽古帰りに少しだけお邪魔して、深雪にも水波ちゃんにもプレゼントを渡したから、期待しているような話はないわよ」

 

プレゼントといっても、二人きりではなく、深雪や水波ちゃんも同席しているリビングでの話だ。クリスマスイブとはいっても、精進潔斎をしている身であり、翌日も学校だったためそれほど遅くまで騒ぐという事もない。

私がそう話すと、つまらなそうにエイミィは唇を尖らせる。

 

「夜景の綺麗なホテルでディナーとか、そのままお泊りとか、何かこうロマンチックなことは?」

「そのエイミィの妄想は十三束君にお願いすることね」

 

私がそういうと、エイミィはとたんに真っ赤になって手に持っていた荷物を派手に落とした。

 

 

 

 

 

冬休み初日。

 

達也はFLTの第三課の一室で魔法工学技術を最大限利用した新しい大規模システムのアウトラインを作成していた。ある程度見通しができたとはいえ、現状ではプランの企画とシステムの設計までだが、魔法師が経済的に必要不可欠な存在として兵器としての宿命から解放される理想を実現するための構想の一つだった。ループキャストシステムも恒星炉もこの計画のための一部に過ぎない。

達也としては力の入るプロジェクトではあったが、彼の意気込みは開始一時間で中断される事となった。

 

「お久しぶりです、黒羽さん。夏以来でしょうか」

「ああ」

 

元々今日の達也の予定に黒羽貢との面会は入っていない。そもそもFLTは四葉家の純然たる資金源の一つではあるが、その経営や開発において諜報を担う黒羽家は関与していない分野である。多少、黒羽家に対して物資的な融通はしているが、それでもわざわざ訪ねてくるほどの場所ではないため、達也は彼の目的を計り兼ねていた。

 

用事があって呼びつけているのにも関わらず、貢の方は不機嫌な様子を隠しきれていない。達也相手に気を遣うほどでもないと軽んじられていることもあるが、親子ほど年の離れた達也が貢に対して緊張どころか気後れすら見せない様子に苛立ちを感じていた。

 

「ご用件は何でしょうか」

 

達也は貢が自分のことを好意的に思っていないことは重々知っており、無駄口を挟まずに目的を尋ねた。その言葉には作業を中断され、いい迷惑だというニュアンスが含まれている。

 

「慶春会への出席は見送りたまえ」

 

貢は達也が言葉の裏に込めた意味を理解し忌々し気に舌を打つと、体裁を取り繕わずに用件だけを簡潔に述べた。

 

「俺は初めから出席する予定にはなっていません。慶春会への出席はご当主様が深雪に命じられたことです」

「屁理屈を」

 

憎々しく貢は顔を歪める。

深雪が招待されているならば、ガーディアンである達也が同伴することは決まったことも同然であり、そして当主の決定であるから貢が口を挟む要件ではないことも暗に達也は示している。

 

「では、君の方から深雪さんに出席を取りやめるよう説得してもらいたい」

「なぜ本人に直接言わないのですか」

「私が言っても深雪さんは納得しないだろう。だから君に頼んでいる」

 

達也の言外の拒否に、貢の答えは達也の思っていた方向と少し違っていた。

 

「深雪に対してではありません。ご当主様に撤回を進言されないのですか」

 

達也の言葉に、一瞬の間ができる。

 

「……真夜さんには、再三時期尚早だと翻意を促してきた」

「確かに文弥を当主に推すためにはもう少し実績が欲しいでしょうから、時期尚早というのは理解できます」

「邪推だ!」

 

貢は強い声で反論する。

思わず拳を握り、膝や机をたたかんばかりにわずかにその腕が上がっていたが、冷静になったのかゆっくりと前のめりなっていた体をソファ-に落ち着ける。

 

「元々私は文弥を次期当主に据えることは乗り気ではない。あの子は才能があっても当主として四葉を率いていくには気性が優しすぎる。当主候補の中で次期当主として最も相応しいのは深雪さんだと考えている」

「そうなのですか。では時期尚早とは何に対してなのですか」

「君の処遇だよ」

 

貢は口元を歪める。その瞳は深淵のように暗く、目の前にいる忌々しいものをあざ笑うかのようだった。

 

「次の慶春会はおそらく次期当主の指名の場になる」

「そうでしたか」

 

達也は今知ったかのように相槌を打つが、深雪が出席を命じられた時点で当主の指名は予想していた。

 

「しかし君の件が片付くまでは、深雪さんの当主指名を延期すべきだと考えている。これは私一人の意見ではない。椎葉、真柴、新発田、静の四家の当主も同意見だ」

 

四葉家には、椎葉(しいば)真柴(ましば)新発田(しばた)(しずか)津久葉(つくば)武倉(むぐら)の六つの分家がある。

貢を含む四つの分家の当主は深雪が次期当主として指名されることで、達也が少なからず四葉家の中枢に近くなることを避けたいようだ。

 

「あと二年もすれば『桜シリーズ』の桜井水波が次期当主のガーディアンとして十分な力を身に着ける。彼女は四葉が召し抱える調整体の中でも優秀な素質を持っている。そうなれば君はガーディアンとしてお役御免だ」

 

貢は珍しく自分の言葉に酔ったように言葉を重ねる。

 

「ああ、魔法科大学は卒業させてやろう。その後は『トーラスシルバー』として四葉に貢献させてやる。特務士官として国防軍の仕事もする必要はない。それからお前の父が持っているFLTの株の名義を君に変えてやろう。君の存在を対外的に示すわけにはいかないが、それでもFLTの最大株主だ。悪くはない話だろう」

「そんなことには興味がありません」

 

心底うんざりしたように達也は貢の言葉を切り捨てる。

確かに金銭は金銭で問題解決の一つの手段となり得るが、達也には既に特許料として膨大な資金が手元にあり、例えこの先働かなくても生活していくには十分すぎる金銭が、これからも口座に振り込まれていく。

達也の迷惑そうな表情など意にも介さず、貢は鼻で笑う。

 

「無論、九重との婚姻も手を打とう。いくら四葉が九重に大恩があって受けた縁談だとは言え、君が相手となれば彼女も肩身が狭かろう。年頃を考えると新発田の長男に嫁がせるのが適当だな」

「黒羽さん」

 

達也は語気を強める。

 

「今の提案は全て黒羽さんの一存で決めることができることではないでしょう。それでは黒羽家が反逆の意思があると誤解されることにはなりませんか」

 

達也はあくまで淡々と冷静に事実を述べた。だが、この場に深雪がいたならば、その瞳が憤りに満ちていたことを感じ取っていただろう。

 

貢はようやく自分が普通ではなかったと自覚したのか、膝の上で指を組み、押し黙る。

 

「黒羽さん。深雪の出席はご当主様―――叔母上が決められたことで、俺たちの一存ではどうしようもない。その程度、貴方なら理解されているはずだ」

「私は文弥と亜矢子を悲しませたくないだけだ」

 

達也は貢の言葉に目を細める。

 

「本気ですか」

「私は中立だ。心情的には君の敵だが、手を出すつもりはない」

「日和見というわけですか」

 

敵対を宣言する貢に、達也はそれを既知の事実としてとらえる。貢だけではなく、分家の当主や使用人に達也は好意的に思われていないことは既に承知のことだ。今までは陰口程度で直接手を下されることがなかっただけで、心情的には達也の敵であったことに今更変わりはない。

 

「そこまでして俺から深雪を遠ざけたい理由は何ですか」

「……君が期日までに本家に到達できたら答えよう」

 

貢はソファから立ち上がり、あいさつ代わりにそう告げていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

京都 九重神宮

 

新しい年を前に、九重神宮の境内は神職たちの手により一層丁寧に清められ新年を迎える準備が行われている。年の終わりの近づくこの日にはまだ参拝客は少ないが、大晦日から三が日は一年で一番人が集まる時期であり、社務所の方でも警備や人員の確認に余念がない。

神社から離れた地下の稽古場でも、朝早くから元旦に行われる神楽の合わせが行われていた。

 

「形にはなってきたね」

「形には、ですよね」

「まあ細部の美点で言えば、まだまだ改善の余地はあるのは確かだよ」

 

地下に設けられた稽古場には雅と悠だけであるが、兄妹とはいえ稽古中とあって和やかさより真剣さの方が際立っている。

楽師と言っても神職たちは昼間にはそれぞれお勤めがあるため、楽師を入れた全員での本格的な合わせは夜に行われる予定だ。大晦日は慌ただしくなることは分かっており、全員での合わせが行われることも30日までである。

 

雅は週末になると京都に帰って稽古はしていたとしても、悠や楽師を入れた合わせの回数はそれほど多くない。舞自体が安定して舞えるようになっていなかったので、合わせるに合わせられなかったところもあり、朝から熱心に舞の細部を詰めていた。

 

「少し休憩を挟もうか」

「すみません」

 

鳳凰が舞う様子を模した神楽は、魔法力も体力も大幅に削られる。

男性役である雅は特に動きが多く、重く絢爛な衣装を身にまとっていないにもかかわらず、額からは汗が流れている。体を冷やさないように少し暖かい茶を用意し、雅は休憩用の椅子に腰を据える。

 

「こっちも忙しいのは確かなんだけど、今年は達也と深雪ちゃんは慶春会に呼ばれているから大変だね」

「………なにかあるのですか」

 

雅は悠の言葉に含みを感じた。

達也が慶春会で新魔法を披露することは知っているが、分家当主も列席する慶春会に出席を命じられたことは特別なことらしい。

ここ数日の深雪の浮かない表情を見ていれば、自然となぜ出席を命じられたのか雅も予想がついている。

 

「来年は内外共に荒れるよ」

 

悠の眼が細められる。

九重家当主の資格でもある千里眼は文字通り千里を知覚し、情報の海に散らばる星を集め、その正確さから過去、現在だけではなく未来まで見通すと言われている。荒れると明言することから、今までのようなマスメディアが先導するような世論の流れに晒されるだけではなく、問題の渦中に放り込まれることになるのだろう。

 

「九重にも影響があるということですか」

「雅と達也のこともだけれど、7日に主だった縁戚を招いての会があるだろう。そこで僕の星巡りについては話すつもりだよ」

 

九重神宮に連なる者の新年の集まりは、参拝客が一通り落ち着く7日頃に例年行われている。表の神事を司る九重神宮の集まりだけではなく、名を頂いた四楓院としての集まりも同日行われるため、九重本家ではその準備にも追われている。

このところの関心事は専ら悠の意中の相手であり、隙あれば相手が誰であるか聞き出そうとしたり、年頃の良い相手を紹介されたりしている。

その悠がついに相手を明かすとなれば、それがどこの女性だろうと大なり小なり荒れることは間違いないだろう。

 

「雅は相手が知りたい?」

「話していただけるのですか」

「分かっているとは思うけど、当日までは誰であっても口外してはいけないよ」

「承知しています」

 

そして雅は告げられた名前に絶句することとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

貢にほのめかされた通り、本家に向かう道中には足止めが待っていた。

多少血生臭いことはあったが、達也も深雪も傷一つなく本家に到着し、達也と深雪は本家の母屋の二間続きの客間に通された。

 

現在、四葉家本家に達也や深雪の居室はない。

達也が生活を主にしていたのは実験場や訓練場を主体とした施設であり、深雪は深夜が使用していた屋敷に居所を置いていた。当然二人が文字通り同じ屋根の下で生活するようになったのは、母がなくなり父親名義の家に移り住むようになった中学のことだ。

達也はいくら当主の甥とは言え四葉家においてはガーディアンとしての立場しかなく、深雪との待遇にも大きな差があった。それが今日は深雪の兄として遇されていたことに違和感を覚えていた。

 

一緒に来ていた水波はここでは客人ではなく使用人であるため、以前使用していた四人一室の使用人部屋に荷物を置くと、慶春会の準備に駆り出されていた。

 

「失礼します」

 

長袖の黒いワンピースに白いエプロンを付けた使用人スタイルの水波が一声かけてから部屋の襖を開けた。部屋付きの担当も水波のようだ。

 

「達也様、深雪様」

 

水波は畳に額が付くほど深々とお辞儀をし、その顔を上げた。

ここでも達也は水波の言葉に引っ掛かりを覚える

 

「水波、ここではその言い方はあまり良くないのではないか」

 

学校では水波は深雪と達也の『いとこ』という設定で通学しているため、「達也兄さま」、「深雪姉さま」と呼んでいる。無論この場でそのように呼べと達也は言いたいのではなく、自分のことを好ましく思っていない使用人らの前でそのように呼ぶのは、水波がいらぬ非難を浴びるのではないかと懸念していた。

 

「いえ、白川夫人から伝言を預かっております」

 

白川夫人とは四葉家の家政婦を取り仕切る女性であり、水波の上司に当たる。

 

「『達也様と深雪様は七時になりましたら奥の食堂へお越しください。奥様がお待ちです』とのことです」

 

水波は淡々と白川夫人の言葉を告げた。

この言葉に深雪と達也は顔を見合わせる。少なくとも達也の記憶にある限り、達也に「様」を付けられて呼ばれたことは無い。深雪が同席している場では「達也殿」、深雪のいない場では「司波さん」と呼んでいたはずだ。他の家政婦や使用人もそれに準ずる呼び方を使用している。

敬称一つではあるが、少なからず四葉家において変化が起きている。それも達也が絡むことである。少なくとも悪い変化ではないが、見通しの見えない不気味さがあった。

 

「叔母様が奥の食堂でお待ちになっている?本当にそう言われたのね」

「はい」

 

深雪の言葉に水波は淀みなく頷いた。

奥の食堂とは真夜が私的に会食を開く場であり、特に重要な客を招く場所であり、食事をしながら機密性の高い内容を話し合うときに使われている。

 

「事前に話があるのだろうな……」

 

達也は貢とのやり取りから、おそらくこの慶春会で次期当主が指名されることは間違いないと踏んでいる。そうなれば候補には事前に話をしておくということは、配慮としてあってもおかしくはない。深雪も達也の言葉で察したようで、表情に影を落とす。

達也は机の下で深雪の手を握ると、状況を再確認した。

 

「水波、文弥や亜夜子は既に到着しているのだろう。その食事会には勝成さんや夕歌さんも招かれているのか」

「文弥様と亜夜子様は昨日より滞在なさっているそうです。勝成様、夕歌様の出席については存じ上げません」

「そうか」

 

恐らく全体に周知された食事会ではなく、給仕も限定された会であるのだろうと達也は推測していた。

 

「水波、その食事会には俺も呼ばれているのか」

 

白川夫人からの伝言では、ガーディアンとして食堂まで深雪と一緒に来るように命じられているのか、達也も食事会に参加するのか、その両方の意味に取れる。

過去達也が深雪以外とこの屋敷で食事を共にしたことは無く、稀に訪ねてきた九重家の面々と席を共にすることはあっても会話に形式的に茶と菓子が添えられる程度のことだ。

 

「はい。達也様も深雪様とご一緒に御出で願います」

「分かった」

 

水波は再び平伏する。

 

「御用がありましたら、そちらの呼び鈴をお使いください。すぐに参ります」

 

水波は静かに立ち上がろうとしたが、達也が呼び止める。

 

「水波、一つ頼みたいことがある」

「はい」

 

水波は達也に向けて座り直す。

 

「黒羽殿のご都合を伺ってほしい。できればすぐに二人だけでお目にかかりたいと伝えてくれ」

 

ここで言う黒羽殿は黒羽貢を意味する。

 

「承知いたしました」

 

水波は今度こそ襖の奥へと姿を消した。

 

 

 

「お兄様、黒羽の叔父様にどのようなお話でしょうか」

「大したことではないよ。少し訊きたいことがあるだけだ」

「今回の襲撃の件についてですか」

「それも含めて、確かめに行くんだ」

「お一人で向かわれるのですか」

 

深雪はやや不満そうに達也を見つめる。

 

「おそらく深雪がいたら本当のことを話してくれないだろう」

 

達也の中での確信ではないが、直観的にそう思っている。それは達也が黒羽貢に信頼されているというのではなく、達也ならばどんな暴言も聞くに堪えない醜聞もいとわずぶつけることができる相手だからだと達也は考えている。

 

「……分かりました」

 

深雪はしばしの沈黙の後、素直に言いつけに従うことにした。

 

「お話についてはお兄様にお任せいたします。ですが話していただいた内容については、お兄様が良いと思われる範囲で構いませんので私にもお教えいたただけますか」

「分かった。ただ慶春会が終わってからだ。今はお前の心を煩わせたくない」

「はい」

 

二人の話し合いに折り合いがついたところで、水波が再び入室を求めた。

どうやらすぐ都合がついたようで、達也は黒羽家が滞在している離れに向かう事となった。

 

 

 

 

 

達也は黒羽家の離れに通されると、そこにはまだ貢の姿はなく、離れの家政婦が用意した茶を飲みながら待っていた。水波については、達也の案内を離れの家政婦に引き継いだため、既に本宅のほうに戻っている。

 

「待たせてすまない」

 

達也が用意された湯呑の三分の一程度を空けたところで、黒羽貢は現れた。

 

「それほど待っていません」

「そうか」

 

貢は家政婦が新しく入れた湯呑に口を付けると、目配せをして下がらせた。

前回FLTに来た時より貢は随分と落ち着いているように見えた。深雪が既に本家に到着してしまったので、諦めてしまったのかもしれない。

 

「それで私に話とは何の用だい」

 

達也は貢の言葉に目を丸くして見せた。

 

「お約束を頂戴していたはずですが」

「私と君が?」

「はい」

 

貢はどうやら自主的に切り出す様子はないようだ。

 

「FLTにいらした際に、期限内に到着出来たら理由を答える、と約束されましたので」

 

貢は苦々しく舌を打つ。自分の迂闊さに対して苛立っているようだが、残念ながら達也はそれを慮って聞くのを遠慮する(たち)ではない。

 

「聞けば後悔することになるぞ」

「聞かずに後悔するつもりはありません」

 

達也の様子に貢は口を真一文字に結ぶ。

約束を反故にすることはできないことではないが、それを達也の前ですることは彼の気位が許さないのだろう。

 

「君は、空木譲(そらき ゆずる)という男を知っているか」

「……いえ、初耳です」

 

少なくとも四葉の分家にはない名前だ。達也が知る魔法師の家系の中にもない名前でもある。

 

「では、そこから話そう。ただし、質問をされても答えない。私には答えられないからな」

 

貢は指を組み、わずかに視線を落とした。

その目は今ではない、過去へと向いていた。

 

 




次回、大漢事件編から達也の誕生にまつわる話です。

活動報告に書きたい別作品のネタ上げてますので、気の向いた人はそちらもどうぞ。

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