恋ぞ積もりて 淵となりぬる   作:鯛の御頭

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その感情の名前は―――






四葉継承編4

崑崙方院が壊滅して数か月。

 

真夜は足繁く譲の元に通っていた。

譲は九重家から明石市にある自宅へ移り、家族の元で療養していた。

 

譲の傷は、表向きの病院にも魔法師を受け入れている病院にもかかることができない特殊な症例であり、四楓院家お抱えの医師が日々の治療を行っていた。責任を感じた四葉からも精神魔法解析の魔法師が出向いた結果、周囲に対し全く反応のない状態から馴染みのある家族の声には多少反応を見せるようになっていた。

 

そして真夜が誘拐されて1年が経とうとする頃。

真夜はいつものように譲の元を訪れていた。

 

譲が負った傷の全ては、本来ならば真夜が受けるはずのものだった。

空木家は真夜に恨みを覚えることも、責めることもせず、面会を許していた。

ただ、謝罪も受け入れてはもらえなかった。

 

真夜としてはそれがなにより心苦しかった。

恨むべき諸悪の根源は、父と一族の者たちによって処断された。

だから真夜は怒りや悲しみをぶつける相手すら既にいない。

背負う必要のない傷を真夜の代わりに肩代わりした譲に対して声を掛けても届きはしない。

何に対しても心を動かすことも動かされることもなく、淡々とした日々が続く。

世界から自分だけが取り残され、自責だけが募っていく。

 

 

 

幾度か日が昇り、日が沈み。

通い慣れてしまった空木家に真夜はいた。

真夜は変わりはしないと分かりながらも、深夜にも家族にも見舞いは十分ではないかと窘められながらも、空木家を幾度と訪れていた。

 

何が変わるわけでも、何が良くなるわけでも、過去が戻ることもない。

満たされることもない。

言ってしまえば真夜の自己満足だ。

偽善とも言われても仕方のないことだ。

それでも、真夜には願いがあった。

 

 

真夜がいつものように譲のいる部屋に行くと、そこはいつもと違っていた。

そこには抜け殻の布団があった。

途端に頭を殴られたように眩暈がした。

 

譲は一人では歩く事すらままならない状態だ。

今日は部屋にいると聞いているので、療養のためどこかに出かけているという事もない。

そうかと言って部屋に荒らされた様子もなく、誰かが連れ去ったという形跡もない。

 

部屋を見回すと庭に続く障子が開いていることに気が付いた。

フラフラと覚束ない足取りでその先に進むと、縁側に胡坐をかき、庭を眺める譲の姿があった。

 

「よう、元気だったか迷子のレディ」

 

真夜の記憶と同じ声で、真夜が知る彼より少しだけ皮肉に、ひどく懐かしい面影のある笑みで、譲は真夜に問いかけた。

 

「―――馬鹿よね、アナタ」

 

真夜は自分でもぞっとするほど冷たい声が出ていた。

 

「本当に信じられない。自分がしたこと、分かっているのかしら」

「まあ、親不孝な魔法を持って生まれたのは分かっているさ」

 

譲は飄々と眉を顰めながら肩を竦めて見せた。

全く気にもしていない譲の様子に真夜はさらに苛立つ。

 

「いや、そんなに怒るなよ。媒体自体が試作だったし、海外行くなら保険程度になら良いと思っていたんだよ。まあ、不完全な魔法だったが生きていた俺も運がいい」

「運がいいって、そんなこと!」

 

真夜は拳で譲の肩を殴りつけた。

筋肉ではなく、骨と薄い皮の堅い感覚に真夜の手は痛みを感じる。

 

「おいおい。泣くなよ」

 

真夜が大粒の涙をこぼすのを見て、譲は慌てる。

 

「泣いていないわ。貴方が、馬鹿だからあまりに哀れで涙が出たのよ」

「はは、そうかよ」

 

どう見ても意地を張っている真夜に、譲は申し訳なさそうに近くにあったティッシュを渡す。

生憎涙を拭ってやるハンカチはここにはなかった。

 

「馬鹿、馬鹿。本当に、馬鹿。考え知らず」

 

真夜は差し出されたティッシュ箱を掴むと譲に投げつける。

遂には顔を覆うようにして真夜は泣き出した。

 

嗚咽を上げて泣き出す真夜に、譲はバツが悪そうに頭を撫でてやる。

その手すらすぐに下げてしまうほど、譲の腕は力が入っていなかった。

 

誰も真夜を責めない。

まして真夜の代わりに傷を負った譲すら気にしていない。

真夜はどうしたらいいのか、誰も教えてはくれない。

真夜はただ迷子の子どものように涙が枯れ、声が潰れるまで泣き続けた。

 

 

 

 

 

 

真夜が赤い目のまま帰った直後、譲の元にはもう一人来客があった。

 

「深夜か」

 

譲は起き上がるのがつらいのか、座椅子に体を預けながら問いかけた。

訪れた深夜は、部屋の敷居をまたぐことなく、廊下に立ったままだった。

 

「お前の魔法か?」

「ええ、そうよ。貴方の心が死にかかっていたから」

「そうか。情けない所見せたな」

 

譲は申し訳なさそうに眉を下げた。

 

「真夜には?」

「話していないわ。今まで通りのあなただと思っている」

 

深夜は、真夜と何度か譲の面会に来ていた。

譲の心はこのままの状態ではいつ死んでも可笑しくはない状態であり、おそらく何もしなければ数か月も持たないだろうことが分かった。

 

「ありがとな」

「平気なの?」

 

深夜が譲に使った魔法は記憶を知識に変える魔法だ。

譲が真夜の代わりに引き受けたすべての傷の記憶とそれによって苦しんだ記憶を、知識の器に入れ替えた。

ただ部分的に入れ替えることはできないため、譲がこれまで生きてきたすべての思い出は、知識として認識されることになる。

真夜はこの魔法は今まで生きてきた自分を殺す魔法だと言って深夜の魔法を受けなかった。

だが、譲は違った。

 

「大方ウチの両親もそう願ったんだろ。生きながらに死んでいるか、生きてから死ぬのとじゃあ天地との差だ。今までの思い出が記録になろうとな」

 

譲としては、生きていただけ儲けものだった。

なにせ同じ魔法を使える者は譲の他にはおらず、調べようにもあまりに古すぎる記録から果たしてその魔法が正しく発動できるかどうか実際に試すまで不明だった。

 

だが、結果的に真夜も譲も生きている。

それだけは覆しようのない結果だ。

その身体に何が残っても、その心に何が刻まれたとしても、死人に語る口はない。

 

「全ては大漢の変態クソッタレ野郎どもが仕組んだ結果だ。お前に責任はない」

「貴方は真夜が好きだったの?」

 

真夜は少なからず、譲に対して執着していた。それが恋なのか、自責なのか、それとも別の感情なのか。深夜ですら分からない。真夜もその感情には名前を付けていない。

 

だが、譲は命がけで真夜を守ってもいいと思った。自分が真夜の代わりに受ける必要のない傷を負い、心身ともに死の淵に立った。

それは愛と呼ぶに他ならなければ、何なのだろうか。

 

深夜の問いかけに、譲は眉を下げた。

 

「さあな。ただ、俺の妹とお前らって同い年だろ」

 

譲は疲れたのだろうか、静かに目を閉じた。

 

「その時の俺は、俺が代われてよかったと思っていた程度には後悔してなかったぜ」

 

 

 

 

その後、七草弘一と真夜の婚約は破談となった。

真夜が汚されたからだとか、そんな下卑た理由だけではない。

 

真夜は子を自身で産むことができない。

譲の魔法はあくまで相手が負わされた傷を引き受けるが、引き受けきれなかった傷も存在する。

生殖機能が完全に失われたわけではないので卵子提供による代理出産ができる可能性はあったが、あの惨状を横目で見ていた真夜には到底受け入れられなかった

体には傷は存在していなくても、傷を負ったという事実は変わらない。

むしろその状態で真夜が正気だった方が不思議なほどだ。

 

真夜の譲への思いは、恋とも違えば、愛とも違う。

あるのは後悔と寂しさだった。

真夜を助けるために譲は犠牲となった。

いくら深夜の魔法で精神的には回復したとはいえ、体の傷は著しく、20歳を過ぎたところでその生涯を閉じた。

 

四葉家は大漢に復讐を果たし、その結果一族の半数を欠くこととなった。

そして真夜の片割れである深夜とも、譲に行使されたという魔法を聞いてから顔を合わせることも会話をすることも絶え、その隔絶は深夜が亡くなるまで続くこととなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

大漢の崩壊から15年の月日が経った。

四葉家に待望の新しい命の知らせが広がった。

深夜の妊娠だ。

 

計算に計算を重ね、選び出された配偶者から提供された遺伝子を元に、最高の精神干渉魔法師が育む命。

当時は真夜が拉致され、人体実験にされた忌々しい事件の記憶が今より濃く残っており、一族にとって新しい命の存在はそれだけで心を明るくするものだった。

 

あの悲劇のせいで、四葉の者たちにはある一つの妄執に捕らわれていた。

相手が国家であっても、世界であっても、我々四葉を理不尽から守ってくれる最高の魔法師の存在を願っていた。

個人で世界を圧倒する絶対的な超越者をいつか四葉の総力を結集して作り上げるのだと。一族全体がそんな超人願望を抱いていた。

 

四葉の者たちは何度も深夜の元を訪れ、無事に生まれてくるように、非道で理不尽な世界からの魔手を退ける力をこの子に与え、強い子が生まれてほしいと願い続けた。

そして四葉の子どもたちを守る力になってほしいと、如何なる悲劇も寄せ付けない絶対的な守護者になってほしいと。

時には口に出してそう願い、深夜もそんな子が生まれてほしいと肯定していた。

最初こそ真夜に対して遠慮もあったが、その真夜が誰よりも深夜の懐妊を喜んでおり、周りの者たちも再び姉妹の仲が回復することを願っていた。

 

しかし、生まれてきたのは世界から四葉を守るための守護者ではなく、世界に復讐するための魔法師だった。

深夜の真の願いは、世界に対する報復だった。

真夜を傷つけ、深夜を傷つけ、自身の父を殺し、一族の者の大半を殺した世界への復讐だった。

世界を断絶せしめる復讐者こそ、彼女の心が真に願っていた存在だった。

 

生まれたばかりの赤子は『世界を破滅させる魔法』を背負い、生まれてきたのだ。

なぜそう分かったのか。

四葉家先代当主であり、真夜や深夜、黒羽貢の叔父である故・四葉栄作は他人の魔法演算領域を解析し、潜在的な魔法技能を見通す精神分析魔法の使い手だった。

栄作により作り出された術式は、四葉の魔法演算領域分析系魔法の基礎となっている。

 

誰もが子どもの持つ魔法が何か告げられるのを待ち望む中、栄作は重苦しく口を開いた。

『この子は世界を破壊する力を秘めている』と。

 

情報体を壊す力と全ての情報体を24時間以内であれば復元する力。死なない限り蘇り、蘇らせる力。

『分解』と『再成』の魔法を宿した子だった。

それは四葉の者たちが望んでいた力ではなかった。しかし無関係ではかった。

 

全てを修復する力。それは守れなかった者たちの傷をなかったことにする力だ。

そして(たお)されない力。戦力の補充がなくとも、個人が世界を相手に戦えるための必要条件だった。

 

そこで四葉の者たちは自らの罪を自覚する。

自分達が一体何を望んでしまったのかということを、その時になってようやく思い知ったのだ。

 

一人の赤子の命を捻じ曲げ、何を生み出したのか。

生まれてきた赤子に罪はない。むしろ赤子は被害者だ。だが、世界を破壊しうる力を持った子を生かしておくべきなのか、我々の罪を生かしておくのかと。

 

魔法は本人の激しい感情で時に暴走する。

理性の整わない赤子ならば猶更、気づく間もなく世界が滅んでしまうこともあり得る。

 

どうするべきなのか、四葉家の者たちはひと月以上議論を重ねた。

その議論に、黒羽貢も加わっていた。

そして、議論の結果、赤子は死なせてやるべきだ。否、殺すべきだという結論に至った。

 

 

 

 

しかし、その結論に待ったをかけた者がいた。

四葉栄作と九重千代の二名だった。

 

 

「殺めるのでしたらが、こちらにくださいな」

「アレが持つ魔法を知っているのだろう」

 

渋い顔をする栄作に、千代は柔らかい笑みを浮かべたまま、首を縦に振った。

 

「ええ、勿論」

 

四葉家を訪れた九重千代は全てを知っていた。

千里眼ならば四葉に魔法師が生まれ、その者がどんな魔法を持っているのか見ていても驚きはしなかった。

 

「アレは兵器として育てることにした。それに、そちらに遣る理由はない」

「四葉のための最強の人間兵器ですか」

「そうだ」

 

四葉家の多くの者たちが出した赤子を殺すという結論に対し、栄作は世界を相手できる切り札を手に入れたのだ。罪の意識に溺れるより、有効活用すべきと周囲の者たちに言い聞かせた。

その点も千里眼には筒抜けのようだった。

 

「守る心すら育たなければ、人形にしかなり得ませんよ」

「深夜の魔法でそのあたりは調整させる」

「基礎的な情操教育すら魔法に頼ると」

 

感情の暴走によって魔法が無意識に発動されるのならば感情を荒立てないように、喜怒哀楽を徹底的に抑え込む訓練を施す。

『分解』と『再成』に魔法の演算領域が取られているならば、魔法なしでも血路を切り開いていけるよう戦闘訓練を施し、最強の魔法師にする。

生まれた時から適正な栄養を与え、歩けるようになるころには適切な体の動かし方を体に染み込ませる。

 

それが四葉当主として、四葉栄作がその時下した判断だった。

 

「アレが生きていくには他に道はあるまい」

「兵器以外の道も如何様にでもご用意できますよ」

 

穏やかな笑みを携えたままの九重千代に、四葉栄作はそれだけではない裏を感じ取っていた。

 

「私どもにお預けください」

「寄越せではなく、預けろと?」

「丁度我が家にも女児が生まれましたので、都合がよろしいかと」

 

つまり九重はその赤子の婚約者としての立場を望むと言っているのだった。

当然、四葉としては育てると決めた以上手放すつもりはなく、その申し出は断った。

いくら九重には大恩があろうとも、到底受け入れられない要求だった。

 

「それに、その子の枷になる者を考えていらっしゃるのでしょう?」

 

喜怒哀楽を押し込んだところで、四葉に忠誠を誓うわけではない。

だから四葉から離れられないように、決して逆らえないようにするための枷が必要だった。

裏切れない理由を作り出さなければならなかった。

だが、現時点ではまだ計画段階も初期であり、それを知る者はごく僅かった。

そして、その枷の一つに九重もなると申し出ているのだ。

 

「…………どこまで見えているのだ」

「黄泉平坂のその先、彼の方が御座(おわ)しますその場所まで」

 

九重千代の笑みは最後まで、崩れることは一切なかった。

 

 

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「そこから先は君も知るとおりだ。3歳までは九重家の下で育ち、その後は四葉で訓練を行った。分家の中には四葉から出すべきではないと苦言を呈した者もいたが、九重が君の訓練の基礎は作っていたようで、その出来上がりに表立って文句を言う者はいなくなったな。そして6歳の時に真夜さんと深夜さんによって、君は人造魔法師計画の被験者となり、深雪さんのガーディアンとなった」

 

憑りつかれていたように淡々と語っていた貢は顔を上げ、ようやく普通に話し出した。

 

「その頃のことは自分でも覚えています」

 

人造魔法師実験以前の記憶も明瞭にあったが、どこか達也にはそれがあまり自分のこととは実感できていなかった。

実験の前の記憶は、朧げに九重で育てられたことも、四葉で受けた訓練のこともどこか映画を見ているような印象があった。四葉で受けた血の滲むような訓練への恐怖心や反抗心も、九重から受けた人としての慈愛も、おそらく母である四葉深夜の手によって全て記憶から知識へと書き換えられていたのだろう。

そうでもしなければ、先天性の魔法をいくら兼ね備えていたとしても達也の精神は今以上に歪んでいたはずだ。家族愛という感情すら持てないまま、世界に対する色を知らないまま、夢を抱くことすらないまま、ただ体のいい兵器として機械的に生きるしかなかっただろう。

 

「まあ、そうだろうな。六歳以降の話だ」

 

貢は途中、女中が持ってきていた水差しから水を注ぎ、コップの半分以上を一気に飲み干す。

 

「栄作伯父上が亡くなっても君の訓練は続いた。成長期が訪れて過度の訓練が身体の成長を妨げると判断されるまでな。深夜さんも反対はしなかった。彼女にとって君はいずれ世界へ復讐を果たす存在であり、君には生きてもらわないといけなかったからな」

 

貢は残っていた水を飲み干した。

 

「君は深夜さんの世界に対する復讐の体現者。四葉が作り出してしまった罪の象徴。だから我々は君を四葉の中枢に置くことはできないし、国防軍からも切り離さなければならない。我々もこれ以上罪を重ねるつもりはない」

 

貢はようやく其処で口を噤んだ。どうやら彼の話したいことは終わったようだ。

 

「よく分かりました」

「それが真実ならば、すぐさま深雪さんのガーディアンを辞退したまえ。あの子も君の言う事ならば聞くだろう」

 

冷笑を浮かべる貢に達也は首を振った。

 

「自分が分かったというのは、自分に対する貴方がたの理解できない行動の動機が、センチメンタルな罪悪感によるものだということです」

「何っ!」

 

貢はソファの肘掛けを叩き、立ち上がった。

達也も同じく立ち上がる。

貢には達也を殺しうる隙が見えはしなかった。

達也には貢を倒しうるいくつもの手が浮かんでいた。

 

「……帰りたまえ。私から話すことはもうない」

「失礼いたします」

 

貢はハンドベルで家政婦を呼び、達也を玄関まで案内するよう命じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

午後6時55分。

 

水波に案内される形で、奥の食堂に達也と深雪は招かれた。

達也は当主候補が勢ぞろいし、事前に次期当主について説明があると予想していたが、用意されている席は三つだけだった。

 

一つはホストである真夜の席。

そしてそれと向かい合うように用意された二つの席は、水波が座りやすいように背もたれを引いている。

状況から見て達也は護衛ではなく、招待されたという事は間違いないようだ。

 

部屋にはまだ達也、深雪、水波の三人しかいない。

 

「水波、呼ばれているのは俺と深雪だけか」

「はい。奥様が招待なさったのは深雪様と達也様だけでございます。どうぞ、お掛けください」

 

深雪は達也に戸惑いの視線を向けるが、達也はしばし沈黙した後席に着くことにした。

深雪も達也が席に着いたのを見て、静かに席に腰を下ろす。

水波は給仕役のようで、二人を席に案内した後、壁際で待機している。

 

「お兄様」

 

隣に座る深雪も三人での食事とは予想外だったようで、心配そうな目を達也に向けている。

深雪だけではなく達也も招かれている以上、なにかしら達也にも伝えるべき内容が向こうからあるはずだ。

それも他人を介したものではなく、真夜直々の命令に近いだろう。

関わっている使用人の少なさからも秘匿的な内容であることは間違いない。

 

そして時刻は7時を迎える。

食堂の奥にある当主専用の扉が開き、四葉真夜が葉山を従えて現れた。

当主の登場に、椅子に掛けていた深雪は椅子の高い背もたれを水波に引かれ、達也は自ら椅子を引き、静かに立ち上がる。

 

「こんばんは、二人とも。今日は急な招待だったにもかかわらずようこそ。どうぞ座ってくださいな」

 

葉山が引いた椅子に真夜は優雅に腰を下ろすと、二人もそれに順じた。

 

「まずお食事にしましょう。明日が和風のおせちなので、今日は洋風のコースにしてもらいました」

 

食事はフレンチの体裁をとっていたが、あまり格式ばったものではなく、話題もしばらくは世間話的なことが大半だった。

いっそ不気味なほど、真夜は本題を話に滲ませることは無い。

達也も表面上は話を合わせてはいるが、真夜の真意を図りかねていた。

食後のデザートと紅茶が出た後、真夜は本題を切り出した。

 

「さて、そろそろ本題に入らせてもらうわね」

 

真夜は艶然と微笑んだ。

黒に近い真紅のドレスが彼女の笑みを彩る。

 

「おそらく耳に入っていると思いますが、明日の慶春会ではいくつかの発表があります。二人にも無関係ではないことですから、驚かせないように事前にお話をしておきますね」

 

真夜の発言に深雪は体を固くする。

表情こそ変化はないように努めていたが、膝で重ねられていた手は白くなるほど握りしめられていた。

 

「まず今回の慶春会で次期当主指名が行われると耳にしているかもしれませんが、今回の慶春会では次期当主の指名はしません」

 

真夜の発言に二人とも声こそ出さなかったが、その内容には驚くしかなかった。

なぜなら分家は真夜の周囲の動きから当主指名の場になることを見越して、深雪や達也の足止めを行っていたからだ。

当主の指名自体が行われないということは、できない理由ができたからということに他ならない。

達也の予想していなかったことが次々に起きており、頭の中では急速に状況を整理していた。

 

「実は深雪さんに縁談が来ているの。四葉家としてはそれを受けようと思います」

「…………分かりました」

 

瞳が絶望に染まった後、一度目を伏せ、深雪は粛々と一礼した。

力強く握られていた手は小さく震えている。

当主の指名だったら深雪にもまだ覚悟ができていた。

少なからず予想はしていた。

 

だが、それよりも先に婚約者を決められるとは思ってもみなかった。

少なからず自由に相手を選べないことは分かっていたが、今日、こんなにも唐突にたった一人とも呼べる相手を宛がわれるとは夢にも思わなかった。

 

「念のために聞くけれど、深雪さんは意中の方はいるのかしら」

「……いいえ」

「不安よね。突然のことですから」

 

真夜は深雪の心情を慮ったように、ゆるりと柔らかく微笑んだ。

 

「安心なさって。貴方も良く知っている方よ」

 

真夜はそしてその名前を告げる。

 

 

 

 

 

「お相手の名前は九重悠さん。貴女は九重家に嫁ぎ、次期当主の伴侶となるの」 

 

 

 

 

 




予想通りの人も、予想外の人も、いかがでしたでしょうか。
でも、ちゃんとこの結論にも意味があります。
また、十師族会議編で語るつもりです。
それに伴い、ちょっとずつ原作から設定が乖離していきます。


感想ありがとうございます。
お返事は大概返すの遅いですが、お待ちいただけると嬉しいです。

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