日中、パソコン作業が増えて帰ったら目が死んでるのでしばらく執筆できませんでした_(:3 」∠)_
今回は2話投稿です。こちらから先にお読みください。
「私が、悠お兄様の?」
深雪はまるで
「ええ。お話はあちらから持ちかけられたものよ」
「そう、ですか」
深雪は改めて真夜の言葉を聞き、その意味を理解すると体から少しだけ力を抜いた。その目はまだ戸惑いに揺れているように見えた。
「あら、満更でもなさそうね」
だが、真夜はそうは捉えなかったようで、まるで少女と見紛うばかりの好奇心に満ちた笑みを浮かべた。
その指摘に深雪が体を震わせ、先ほどとは違った緊張が走った。
単に真夜の決定が意に沿わないという態度を示した失態に震えているという意味ではなく、まるでそうあることを望んでいたかのように恥じらいを必死で隠そうと努めているようだった。
その証拠に、隣にいる達也の表情を伺うどころか視線すら合わせることがない。
達也にしてみれば確かに悠は深雪を猫可愛がりしていたが、まさか九重家に迎え入れるほど深雪を思っていたとは露とも知らなかった。深雪も雅の兄である悠に対して、少なからず憧憬や尊敬の念はあるとは感じていたが、突如として挙がった婚約話に拒否感がないということはつまりそういうことだ。
深雪が幸せに思える相手ならば達也としてはこの上なく幸いな事ではあるが、その相手が悠というのは複雑な部分はある。
達也は深雪の幸せを心から願っているが、単に深雪の望む相手で真夜が認めているからと言ってこの婚約が簡単に成しえたものだとは思わない。
深雪は四葉家にとっても大きなカードだ。魔法力を鑑みても、当主としての気質を取っても、現状深雪以上に相応しいといえる次期当主候補はいない。
「合わせて、達也さんは次期当主候補の一人として加えます」
深雪の婚約話の衝撃が収まりきる前に、真夜はもう一つの大きな決定を告げた。
「それは、深雪のガーディアンから外れるという事ですか」
深雪が嫁ぐことが決まった以上、達也は遅かれ早かれガーディアンの任を解かれていた。今の達也は次期当主候補の深雪のガーディアンとして、命令権の最上位は形式上、深雪である。
それが次期当主候補という立場を手にした結果、達也は深雪の傍にいて彼女を守らなければならないという誓約はなくなる。自分の立場が次期当主候補に置かれることはひとまず保留にしておいても、深雪の安全が保たれるかどうかは達也にとっては最優先だった。
「水波ちゃんに引き続きガーディアンとして働いてもらいますので、達也さんはその監督をしてもらいます」
つまり対外的に達也は深雪のガーディアンから外れたことになるが、まだガーディアンとして未熟な水波の指導と補佐がてら護衛に着くことは構わないということだ。
「現状では深雪さんが九重に嫁ぐことはまだしも、達也さんが当主の座に就くことを分家の当主の方々は納得しないでしょう。だから、達也さんは雅さんを迎えるその日までに分家の皆さまから次期当主としての承認を取り付けなさい。本来ならば私の決定だけで十分なのだけれど、家の中に火種が燻ぶっているのは見苦しいでしょう。幸い、ライバルらしいライバルではないですからね」
「これを機に分家が結束することは無いのですか」
達也がなぜ分家の当主だけではなく、使用人たちにも忌避されている理由は先ほどの黒羽貢からの話で分かった。
今回、深雪が次期当主に指名されないように画策していた分家の者の多くが、達也が当主候補に挙がることすら納得はしないだろう。
仮に次期当主候補であることは容認したとしても、何が何でも達也以外の候補者を次期当主に指名させたがるはずだ。
達也は四葉家当主の地位どころか四葉家自体になんら執着もなく、分不相応な地位だと辞退を申し出ても構わないが、雅が達也の婚約者である以上、対外的にも内部的にも相応の地位が必要にはなる。
残念ながら達也が単独でその地位を確保することは難しく、そのための次期当主候補への格上げだとは理解しているが、さきほどの発言からも分家の反発を買ってまで真夜が達也を次期当主にしたがる理由がまだ理解できていなかった。
「あら、次期当主候補の皆さんへの根回しは終わっているわよ」
婚約のための露払いは終わっていると真夜はにっこりと微笑んだ。
「新発田勝成さんはガーディアンの堤琴鳴さんとの婚姻承認、津久葉家には新当主の元での安全の確約をそれぞれ取り付けました」
「安全の確約ですか?」
深雪が真夜に津久葉家との密約について詳細を求めた。
次期当主候補である新発田勝成のガーディアンの一人に
真夜がそれを承認するという事は、言外に新発田勝成を次期当主にするつもりはないと告げているも同然だ。分家当主にそれが理解できないほど疎いものはいない。
しかし、津久葉夕歌については特に次期当主を降りるメリットはない。女性であるため魔法戦闘力こそ高くはないが、『マンドレイク』という恐怖を引き立てる精神干渉系の魔法を得意としており、深雪には劣るが総合的な魔法師としての優秀さであれば達也より上である。頭の回転も悪くなく、必要な犠牲を割り切れるだけの気構えもある。
「姉さんの死後、私の決定により津久葉家現当主は『
達也としては『誓約』についても、自身の力を四葉家が管理するための一つにすぎず、深雪の魔法力が使われていることにこの魔法の厄介さを覚えることがあっても、その魔法が使われていることについて逆恨みするという考えすらなかった。
津久葉家とはそれほど親交はないが、夕歌を含め現状、達也と敵対するつもりはないとみていいだろう。
「深雪の婚約、並びに自分の次期当主候補への参入について、分家の当主の方々はご存じなのですか」
「いいえ。まだ知っているのは私と葉山さんだけよ。このことについては明日の慶春会の場で発表します。達也さんだけだと反対意見も出るでしょうから、亜夜子ちゃんも次期当主候補の一人とします。達也さんには明日、次期当主候補の一人として慶春会に出席してもらいます」
「分かりました」
達也は真夜の言葉に素直に頷き、真夜はその反応に満足げに笑みを深めた。
だが、素直な態度とは反面、達也には気がかりがあった。
達也を最終的に四葉家当主としたいことを軸とした真夜の意向は確認できたが、その真意までは読めていない。
なにかしら裏があったとしても状況は達也が断ることができないように整えられているため、この場で次期当主候補の地位返上という事も迂闊には出来ない。
「深雪さん、明日は深雪さんの婚約発表と達也さんの次期当主候補指名の日よ。晴れ舞台に備えて今日はしっかり自分を磨いてらっしゃい」
「お心遣い、感謝いたします」
深雪は深々と頭を下げた。
固く握りしめられていた手はもう震えてはいない。
「葉山さんは深雪さんの入浴に何人か手配して。水波ちゃん、深雪さんをお部屋にお連れして。それからお風呂の準備が出来たら連絡させるから案内して頂戴」
「かしこまりました」
葉山は深く一礼し、今まで静かに壁際で立って控えていた水波も一礼する。
「達也さんはもう少しお話をしましょうかしら」
「ええ、お願いします」
深雪が水波に案内され出て行ったのを確認し、真夜が立ち上がる。
葉山が奥へと続くドアを開ける。
達也が真夜の後に続いて扉をくぐる。
達也に対して葉山が恭しく一礼する。
それがこの部屋で達也の待遇において最大の変化だった。
達也が真夜の後に続いて入った部屋は応接用のソファもある書斎だった。
達也がこの部屋に入ることはこれが初めてであり、部屋の内装から普段司波家に連絡を入れる時とは別の部屋のようだった。
しかしここは執事の葉山以外は家具屋と
「達也様、コーヒーはブラックでよろしかったでしょうか」
葉山から“様”を付けて呼ばれる事は甚だしく違和感があるが、それを気にしてはいけないのだろう。達也が葉山の提案に了承すると、先に真夜の前にハーブティが置かれ、達也の方にはブラックコーヒーが置かれた。
真夜が口を付けるのを待った後、達也もコーヒーに口を付けた。
それは達也にとって誠に遺憾ながら深雪が淹れたものより美味しいものであった。どうやら淹れる時にちょっとした魔法を使っているらしい。
「さてと、何からお話しましょうかしら」
「そうですね」
達也は一度カップをソーサーに置いた。
「叔母上は何を望んでいらっしゃるのですか」
「私の意向は先ほどお伝えしたと思っていたのだけれど」
「意向は伺いました。しかし、深雪の婚姻と俺の次期当主候補への参入について、どのような目的があってのことでしょうか」
真夜の意向は理解できた。
しかし、それだけでは両家の婚姻の目的が弱い気がしていた。
十師族という家柄である以上、法律はどうあれ婚姻は自分の自由にできるとは達也も深雪も考えていない。それでも九重との関係を考えるならば達也が雅を迎えるか、深雪を悠に嫁がせるのかどちらかだけで良いはずだ。
そうしなければならない、もしくはそうしたほうが四葉家にとってメリットがある、あるいは真夜個人の目的があっての今回の婚約発表に至ったと達也は考えていた。
真夜は優雅な微笑みを崩し、諦めたように息を吐きだした。
「本当は、深雪さんを四葉次期当主とし、貴方を私の息子として迎え深雪さんの婚約者にするつもりでした」
達也は眼を見開いた。
「兄妹間での結婚は不可能ですが」
色々と聞きたいことを飲み込んで達也はひとまず質問を投げかけた。
法律上も達也の倫理観としても、達也には深雪との結婚など考えられなかった。仮に真夜の言うように達也を真夜の養子にしても、法律上、三親等以内の血族間の婚姻は禁じられている。そもそも真夜が近親間での婚姻による遺伝子異常を理解していないはずがない。例え肉体的には完全に調整しても、九島光宣のように霊体に異常をきたす場合も考えられる。
「だって達也さん、貴方は私の息子だもの。『あの事件』の前に冷凍保存していた私の卵子を人工授精して、姉さんを代理母として生まれたのが貴方なの。父親はもちろん龍郎さんではないわ。深雪さんとの関係は従妹になるから、結婚は可能なのよ」
「あり得ません」
達也は断言した。
「あら、そう思う根拠は確かなの?戸籍だって私たちにはいくらでも用意できるし、DNA鑑定の結果だってあなたが実際に調べてみたわけではないでしょう」
真夜の言葉は確かに嘘ではない。しかし、達也の眼にはそのような社会的な証明や科学的な根拠というものは必要なかった。
「叔母上」
達也は語気を強めた。
「俺を誰だと思っているのですか」
誤魔化しは聞かないと言わんばかりに真夜を見据えた。
「俺は物質の構造と構成要素を認識し、任意の構成段階に分解することができる異能者だ。物質の構成要素を認識するという事は、それの素が何からできているのか理解できるということです」
「貴方の時間遡及性は24時間が限度だったと思うけれど」
達也の追及に真夜はおっとりと小首を傾げた。
「構成要素に関する情報は現存するものの中にあります。時間遡及は関係ありません。だから分かるのですよ。俺と深雪の肉体の素となっているのが、同一女性の卵子と同一男性の精子の受精により発生したと分かるのです」
真夜と葉山にとって達也の回答は思いがけないものであり、真夜には若干の焦りが、葉山には純粋な感嘆が浮かんでいた。
「あらあらあら…………。貴方って本当に人間離れしているのね」
「お褒めに頂き光栄です」
「褒めているつもりはなかったのだけれど」
達也も皮肉と分かっていての返答だったが、困惑気味に微笑んで真夜は一度カップに手を付けた。
「いいわ。確かにあなたは姉さんの子で、私の卵子から生まれたという事は嘘です。でも貴方が私の息子だということも全くの偽りではないのよ」
全く悪びれずに真夜は先ほどの発言は嘘だと認めた。
「では、なぜそのようなことをおっしゃったのですか」
「その前に一つ、深雪さんと貴方が実の兄妹ではないという事も完全な誤りではないのよ」
真夜の返答は達也の質問の回答にはなっていなかったが、達也にとっては聞き逃せないものであった。
「だって、深雪さんは調整体だもの」
再び達也は絶句することになる。すぐさま次の言葉が出てこないほど、達也にとってもその衝撃は大きかった。
「深雪が遺伝子操作をされているということですか?しかし、そんな兆候は」
「事実よ。深雪さんが調整体の歪さ、不安定さが見られないのは、彼女が四葉の“完全調整体”というべき四葉の最高傑作だからね」
「何故……」
「何故って貴方のためよ、達也さん」
真夜が当然とばかりに口にした内容に、達也は完全に口を閉ざした。
思考が停止するほど、達也にとってはまさに青天の霹靂だった。
「貴方の力は万が一にでも暴発させてはならないものだった。最悪、命を懸けて力づくで止めなければならないものよ。精神干渉系の魔法を持つ姉さんだったら、相手の無意識領域に干渉して“ゲート”を一時的に閉じることは可能だったでしょう。けれど姉さんは確実にあなたより早く寿命を迎える。だから常に傍にいて、貴方を止める魔法師が作り出された」
先ほどとは異なり、真夜はこの上ないほど真剣な目つきで達也を見据えた。
「大体、あんなに綺麗な女の子が自然に生まれてくるはずがないでしょう。あれだけ完全な容姿、完全な左右対称の身体の持ち主なんて自然に生まれてくるはずがないわ」
恐ろしく均整の取れた顔というと、深雪のほかにも悠や九島光宣が思い浮かんだが、彼らは完全に左右対称というわけではない。九重光宣は調整のミスがあったせいか、体調を崩しやすく調整体としては不完全であり、悠は左右対称に見えるが、実際体にある黒子などは非対称であったはずだ。
「もっとも同じ手順を繰り返したとしても深雪さんみたいな子が作れるとは思わないのだけれど。そういう意味では神の悪戯か奇跡と称するのでしょうね」
真夜は自分の発言に嫉妬が混じっていたことに気が付いたのか、少し芝居がかったような言葉を選んだ。
真夜によると深雪はこの事実を知らず、四葉家内部で知っているのも存命しているのは片手で数えるだけに留まるそうだ。
「ねえ貴方と深雪さんとの縁は親子より強いものかもしれない。けれど、遺伝的なつながりでいえば、深雪さんより貴方と私の方が繋がりは強いのよ」
真夜は達也の機嫌を伺うような少し甘えたような声で話しかける。
「しかし」
「叔母と甥の関係ではあるけれども、精神的には達也さん、貴方は私の息子なのよ」
「精神的に?」
達也は真夜の発言の意味が理解できず、素直に話の続きを待った。
「貴方に宿った魔法を聞いて、叔父様たちも貢さんも、多くの者たちが失望し、恐怖した。でも私は嬉しかった。それこそ裸足で駆け出してしまいそうなほど、心が震えたわ。だってあなたの魔法は私の願いを叶えるものだったから。貴方の魔法はこの星に死をもたらすことができる。この世界に復讐できる。私の大切な人たちと未来と女としての小さな幸せを奪った理不尽な世界に報いることができる」
真夜の表情は恍惚とした艶を帯び、甘い声色でいて言葉には狂気が混じっていた。
「貴方をこの世に生み出したのは姉さんではなく、この私の願望なの。貢さんたちはその点を勘違いしていたようね。貴方を世界の破壊者にしたのは私の願い、私の祈り。私の思いによって貴方は生まれてきてくれたの。肉体的にあなたを望んだのは姉さんだけれど、貴方の魔法をそう形作ったのは私なのよ」
「叔母上は精神干渉系魔法が使えないはずですが」
「ええ、確かにそうよ。けれど私と姉さんは双子だったからかしら。私の強い願いが魔法の理さえ動かし、姉さんの魔法を私が動かすことができた。姉さんの我が子に対する思いより、私の願いの方が強かったから、姉さんの魔法は私の願いを実現したのではないかしら」
真夜は熱っぽく言葉を紡ぎ続ける。
まるでこのことを語ることを幾千日待ち続けたように、まるでお伽噺を夢を見ている少女のように、焦がれ続けていた思いを微笑みながら熱っぽく語った。
「姉さんはそれを知っていた。自分の胎が乗っ取られ、自分の魔法がいつの間にか妹に乗っ取られていたことを。でもね、姉さんは貴方を愛そうと努力していたのを分かって頂戴」
言葉では慈愛に満ちた慰めを口にしながら、その実、眼にはまざまざと実の姉に対する嘲笑が浮かんでいた。
「人造魔法師計画は貴方が感情的に暴走して魔法を暴発させることがないように計画されものだったの。最も不安定な幼少期は九重が上手にコントロールしていたし、姉さんは最後まで渋っていたけれど、貴方が世界を壊すことがないように貴方に手を掛けた。本当は感情をすべて白紙にしてしまう方が簡単で、姉さんの負担も少なかったんだけれど、それが自分の寿命を削ることを知っていてなお、貴方の強い感情だけを消し去った。生まれる前に私が捻じ曲げた貴方の精神を姉さんは注意深く手を加え、暴走しないように改造したのよ」
真夜は一呼吸置くと、達也に質問をさせるわけでも自分がカップに手を付けることもなく、話を続けた。
「深雪さんが貴方に対して無関心だったのも姉さんの教育の賜物ね。関心がなければ嫌うこともない。万が一、癇癪を起して貴方を
「深雪の力が暴走するのは『誓約』のせいですよ」
「あら、仲がいいのね」
くすくすと笑う真夜に達也は居心地の悪さを感じる。
「つまり、深雪は肉体的にも精神的にも調整されているため、仮に自分と結婚したとしても子どもに遺伝子異常が出ることはないということですか」
「ええ、そうよ。四葉の持つ遺伝子工学技術だけではなく精神干渉系魔法によって肉体的にも精神的にも、完全に調整されているわ。あの子は調整体の持つ欠陥を完全に克服し、人間以上に人間として完成された完全調整体よ」
確かに、深雪が調整体だと告げられた時の衝撃は大きかったが、達也には全く思い当たらない点がないわけではなかった。
達也と深雪は同一の父母の生殖細胞を構成要素としている。しかし、それだけは説明がつかない要素があったことも事実だった。達也に分かる範囲で深雪に害のあるものではないと分かっていたが、達也と深雪の構成要素の差異も調整の結果だと言われれば不本意ながら合理的に解釈できる。
「では、その計画を破棄させてまで、九重との婚約を取った理由はなんですか」
「それが最善と判断したといっても貴方は納得しないでしょうね」
真夜は先ほどの狂気的な饒舌とは打って変わって、困ったように微笑んだ。その困った様子も仕方がないと言わんばかりだ。
「私もまさか予想外だったわ。貴方が深雪さん以外を大切に思えるだなんて」
真夜の発言に達也は瞬時に思考を巡らせる。
達也の雅に対するこの感情は、四葉家に知られてはならない類のものだ。
達也は魔法演算エミュレーターを埋め込む代償に深雪以外のことについて強い感情を抱くことができないと思われている。
そうであるからこそ、四葉家には深雪という人質があり、達也は他人に対して煮え返るほどの憎悪も我を忘れるほどの怒りも感じることができないため、分家は達也を排除しない。
だが、その前提が崩れてしまえばおそらく危ないのは達也ではなく、雅だった。
「俺から深雪以外に抱く激情を白紙化させ、人工魔法演算領域を埋め込んだといったのは叔母上です。激情を他人に向けるには、そもそも領域がありません」
「そんな怖い顔をしないで頂戴。咎めるつもりはないのよ」
真夜は達也の反応が面白いのか、口元を手で押さえながらこらえきれない笑みを浮かべている。
「どんな強力な魔法であっても愛の力には敵わなかったということかしら」
「良好な関係は維持していますよ」
「あらあら、照れ隠しかしら」
真夜は恋話に色めき立つ少女のように目を輝かせた。
まさか
葉山が場の空気を換えるためか、すっかり冷めてしまったカップを下げ、新しいハーブティに取り換えた。
達也にも珈琲のお代わりを聞かれるが、結構だと断った。
真夜は葉山に一言礼を言うと、運ばれてきた新しいカップに口を付ける。
「貴方は私の復讐のために生まれてきた。貴方が世界を滅ぼしうる力を持ち、けれどもそれを暴走させないように多くの枷を課したのは四葉だけれど、きっと貴方が生まれた時から、千里眼はこうなることを見ていたのよねえ」
真夜の瞳には狂気が燻ぶってはいるが、どこか寂し気に見えた。
黒羽貢や真夜自身の話から、亡くなった空木譲と真夜は恋人関係とは言わなくても少なからず相手のことを想っていたと推測している。
世界から自分だけが取り残されたような、殺されながら死にきれなかった真夜の思いは、消化されずに今でも心の底に居座り続け、今でも時折その傷をのぞかせるのだろう。
人でなしと言われ続けた達也にもそのくらいの真夜の心の機微は理解できた。
「明日もあることだし、そろそろ終わりにしましょうか。達也さん、まだ聞きたいことはあったかしら?」
「では、あと一つだけ。深雪の婚約発表と自分の次期当主候補への認定が明日になった理由は何でしょうか」
諸々の発表が明日ではなければならない理由はないようだ。
達也が力をつけ、完全に四葉から離別するための下準備の時間を与えるより、不本意ながら達也や深雪が目立ってしまったので、早い段階で公表してしまった方が良いと判断したのかもしれない。
「本当は今年のお正月に発表したかったのよ。でも、横浜事変の一件から達也さんたらUSNAにちょっかい出されたり、それが終われば九校戦ではパラサイドールを駆除したり、コンペでは伝統派を焚きつけた周公瑾を捜索したりと忙しかったでしょう。だからこの時期になってしまったのよ」
「そうですか。分かりました」
少なからず明日でなければならない確固たる理由はないようだ。
達也は少なくともそれだけ分かっただけで収穫と思うことにした。
「達也さん、お部屋の場所は分かりますか」
「大丈夫です」
「そう。では、案内も付けずに申し訳ないけれど、一人で部屋に戻って頂戴。お風呂の準備が出来たらまた呼びに行かせますから」
「分かりました」
話はこれで終わりだと達也はそう受け取った。
「コーヒーごちそうさまでした」
葉山と真夜に一礼し、達也は部屋を後にした。
続きます。