春となってしまいました。
ちなみに桜餅は長明寺派こしあん党葉っぱは食べる会所属です(`・ω・´)。
1月15日 火曜日
四葉家、九重家の両家から重大発表があった翌日。
私は普段通り学校に登校していた。
最寄り駅は達也や深雪と同じではあるが、毎日待ち合わせをしているわけではないので、この日は二人の姿はない。否が応でも注目を集めてしまうだろうからと、二人から別々に行くことを提案されたため、時間をずらして少し早めに登校している。
始業までまだ随分と時間があるため、教室に着いたのは私が一番早かった。がらんとした教室に、少し安堵を覚えると同時に無意識に不安と焦りが生じていることを自覚した。
私も達也も深雪も、何も変わったことはない。
私は九重で、彼らは四葉。
そしてその関係性が公表されるだけだ。
それだけであるはずなのに、いつか明らかになることと分かっていたはずなのに、心に細波が立っているようで、何かをしていなければ落ち着かない衝動に駆られている。あれだけ深雪に大丈夫だと言ってみせても、実際のところ心穏やかにいられない自分が情けなくもある。
この時間を自習に当ててもいいだろうが、あまり集中はできないだろうし、クラスメイトに事実確認という名前の質問攻めにされる可能性もあるので、結局進まないだろうと一度起動しかけた端末をスリープモードに移行する。図書部の部室か部活連の本部で時間を潰して、できるだけギリギリに教室に来た方が良いだろうと、鞄を持って教室を後にする。
まだ空調の効ききらない校内はひんやりとしており、冬の朝日はまだ低い位置から差し込み、長い影を作っている。乾いた風が窓を打ち付け、カラカラに干からびた落ち葉を舞い上がらせている。登校する生徒はまだ
何の変りもない、いつもの光景だ。
昨日と今日で大きく変わることのない光景だ。
明日いきなり大学入試を迎えるわけではなく、テロリストが突入してきて戦場に変わるわけでもなく、ただの日常と呼べるそんな日の朝。
そうであるはずなのに、どこか今日と昨日とで違って見えるような気がした。
「あれ、雅。おはよう。随分早いね」
「おはよう。エイミィ」
部活連の本部に向かっていると、作業着姿のエイミィと鉢合わせした。彼女が所属する馬術部の馬の世話は基本的に生徒主体で行われているので、彼女は早朝から部活の仕事があったようだ。
「そうそう。司波君との婚約正式に決まったんでしょう。おめでとう!」
その話題に一瞬身構えてしまうが、すぐに彼女の屈託のない笑みに毒気を抜かれてしまう。
「ありがとう。もう知っていたの?」
「ウチには直接連絡があったわけではないけど、まあ色々と伝手でね。ビックリしたの半分、深雪と司波君なら納得なのが半分かな」
「そう」
伯父の言った通り思ったより、昨日の発表は魔法師の中ではそれなりに広まっているようだ。二十八家や百家の一部にしか知らせていないはずの事柄だが、そこから先は人の口に戸口は建てられない。
「あれ、浮かない感じ?マリッジブルー?」
「そんなんじゃないわよ。隠していたとか、嘘をついていたとか言われるかと思って」
「え?少なくとも雅は別に嘘ついてないじゃん。深雪と司波君の家のことは、仕方ないんじゃない。別に親を親だと呼べないとか、隠されて育てられるなんて陳腐な小説の中だけじゃないんだから」
確かエイミィの祖母は爵位を持つ貴族だったはずだ。彼女も名前にゴールディという家の名前を許されていることから、それなりに仄暗い世界を知っているのかもしれない。
「英国の魔法師も色々と事情があるのね」
「魔法を受け入れてくれる土壌はあっても、貴族社会の名残もあって、血統とかは結構気にする人は多いかな」
妖精や精霊信仰が根付いている英国では、魔法に対する憧れや期待はあるが、封建的な身分は未だに気にする人も多くいるようだ。
「それで、プロポーズの言葉は?」
エイミィは期待と好奇心に目を輝かせていた。
「……ナイショ」
「えー!!」
いつもと変わらないで接しようとしてくれる彼女の心持が私にはなにより嬉しかった。
昼休みになると、達也と深雪はそれぞれ弁当を持参して、雅が予め連絡しておいた空き教室に来ていた。
念を入れて雅の手で人除けの陣も敷かれており、よほど強い目的意識を持っていなければ、教室の扉を開けようとは思わないような仕掛けになっている。なお、魔法の形跡は達也がピクシーに命令したことにより記録には残らないことになっている。
「クラスの方はどうだった?」
お弁当を一通り食べ終わった後、達也はそう切り出した。
深雪は少し考えた後、寂しそうに微笑んだ。
雅や達也に心配を掛けまいと辛さを押し込めているようにも見える。
「話しかければ答えてはもらえるのですが、どことなく避けられているという感じでした。話していてもどこか皆さん奥歯にものが詰まったような言い方で、遠巻きに見られていることの方が多かったです」
「俺は誰からも話しかけてすらもらえなかったな」
達也はそれほどクラスで話の中心になるような立場ではないが、困ったときには頼られる程度の関係性は築いている。薄々感じていた得体の知れなさの正体が明かされたことで、クラスメイトからはそれが腫物を触るような態度で遠巻きに見られている。
達也は人間があまり好きではない。それは自分自身も含めて。
最近まで深雪さえいれば達也には良かった。
他人という存在は物事を円滑に進めるためにはいた方が都合が良いというだけであり、都合がよいからこそそれなりに良好な関係を維持することが好ましいとは思っている。
だが、今回の一件は達也が歩み寄って解決する問題ではない。四葉という名前に一歩引いた態度をとることに無理はないと理解している。
しかし、達也自身はそうであっても、深雪や雅が肩身の狭い思いをすることはあまり気分の良いものではない。
「私の方はエイミィが結構気をつかってくれたから、そこまで居心地が悪いという感じではなかったわね」
「エイミィが?」
深雪は意外そうに問い返した。
「深雪と達也のことも驚きこそしてもそれほど悪いようには捉えていないと感じたわ。もしくは、分かった上で普段通りを気遣ってくれたのかもしれないけれど、無駄に根掘り葉掘り周りが聞いてくることもないから助かっているのは事実ね」
「そうなのですね」
「雫も発表のことは知っていたみたい。ほのかにはまだ今日は会ってないから分からないわ」
「登校はしていましたよ。ただ心ここにあらずというか、何というか痛々しいような様子でした」
深雪の不満げな視線が達也に向けられる。
流石に自分に対する好意には鈍いと自覚している達也でも、ほのかが未だに達也に恋愛の意味合いで好意を持っていることは把握している。達也としては何度か断ってはいるものの、ほのかはその気持ちを変えることは無かった。
「私たちの婚約が正式に発表されたこともそうだけれど、今は二人が四葉だと知って混乱している部分もあるでしょう。少し様子を見ましょう」
「時間が解決することもある。今はまだ悲観する時ではない」
「はい……」
深雪は二人の言葉を噛みしめるように頷いた。
「ですが、お兄様。きっとお兄様のことですから本当に時間が経つまで放っておくつもりなのでしょう。偶にはお兄様から歩み寄られることも必要ではないですか」
「参ったな」
茶目っ気たっぷりの深雪の指摘に達也は困ったように肩を竦めた。
水曜日の朝
九重寺では、八雲の宣言通り厳しい訓練が待っていた。
お決まりの弟子たちの出迎えの洗礼を受けた後、達也が相対しているのは、雅だった。
体格差のなかったころならば、達也が雅に転ばされることもあったが、上背も腕力も勝るようになってからは体術だけで言えば、達也は雅に勝っている。雅も幼いころから訓練を続けているため弱いわけでは決してないのだが、もはや八雲ですら単純な体術だけでは達也に勝利することは難しくなってきている。
師より強くなれば教わることは無いと、世間知らずだったころの達也ならば思うのだろうが、この体術に魔法が加わるとなると簡単にはいかない。
雅が顎をめがけて放った掌底を横にズレて躱すと、軸足を狙うように後方から切っ先を潰した俸手手裏剣が飛んでくる。
それを反対の足で横薙ぎに払うと、体勢を立て直す間に、早くも胴に一撃入れようと雅の拳が迫っている。
回避不能と判断し、掌でその拳を受け止めようと構えるが、十分威力を殺せる余裕があったつもりが予想外の速さで拳が掌に到達し、体重の乗った拳が達也の掌にぶつかる。
八雲に体内時間の感覚を惑わせる精神感応系領域魔法が使われたかと一瞬考えるが、
幸い、加速魔法や硬化魔法を使用していない拳は達也に取ってみればそれほど脅威でもなく、そのまま突進してきた力を利用し、一歩下がって投げの体勢に入ろうとしたところで、やはり足元に俸手手裏剣が飛んできて、その場に縫い留められる。
達也は今、雅の体術の訓練に合わせ、援護射撃をする八雲の相手もしていた。意識の隙や次の動作に移る際の軸足に対し八雲は攻撃を仕掛けることで、達也の次の動作を封じている。
いつ飛んでくるか分からない手裏剣ばかりに気を取られていると、鬼気迫る雅の鋭い手刀が顔のすぐ横を通り過ぎる。
一瞬でも打つ手を間違えれば、決定打を叩きこまれる。
息つく間もなく二人から仕掛けられる攻撃に、達也は現状、凌いでいるとしか言いようがない。
雅から少し距離を取ると、下がった達也のすぐ近くその背には既に八雲が迫っていた。
八雲は援護のみで体術では手出しをしないと事前に言っていたが、全く近づかないとは言っていない。
だが、達也は八雲から向けられた拳を完全に無視すると、達也の正面から距離をつめてきていた雅の手首をつかみ、足払いを掛けて引き倒す。
既に八雲の姿は達也の背にはない。
「はい、今日はここまで」
八雲の声がかかったのは雅の後ろ、つまり達也の正面だった。
「最後の攻撃は中々面白かったけど、達也君のその眼は遂に仮装行列も見破るとは恐れ入ったよ」
「ヒヤリとはしましたよ」
最後の攻撃は達也の背後に仮装行列で偽りの八雲の姿を出現させ、そちらに気を取られている隙に決め手にまでもっていきたかったのだろう。
雅と特別な段取りもなしに八雲もそれに乗じて、自分の姿を意識から外すようにしていたので、仮装行列を見破ることができたのは八雲から感じる威圧の差程度しかなかった。
「雅は攻撃の流れをもう少し工夫するように。特に終盤、体力が落ちてからが単調になりがちだ」
「はい」
悔しそうに付いた土を払いながら、雅は肩で大きく息をしている。
冬だというのに額からは汗が流れ、濡れた黒髪が肌に張り付いている。
最初はきっちりと着込んでいた稽古着も、今は少し胸元が緩くなっている。稽古の間はそんなことは全く思わなかったが、寺という場に反して扇情的に見えてしまう。
八雲が弟子をこの場から排していたことは正解だったと言えるだろう。
「ひとまず汗が冷える前に着替えてくるといい」
「分かりました」
雅は八雲に一礼すると、寺から少し離れた居住スペースへと向かっていった。
「さて、達也君。少しいいかな」
八雲は寺の縁側に胡坐をかいて座ると、弟子が冷えた茶を持ってきていた。鍛錬後であるため、水分補給の意味合いもあるのだろうが、未だに八雲の表情は読めない。口元には笑みを浮かべてはいるが、それが必ずしも達也にとって良い知らせであるとは限らない。
早朝という時間、この後学校があることを鑑みて、達也は八雲の隣に腰を下ろし、茶を受け取る。
「古式魔法の派閥がこぞって四葉と九重の婚姻に反対しているようだ」
「こぞってとは、ずいぶん不穏当ですね」
「おや、驚かないんだね」
既に耳にしていたのかと問う八雲に、達也は首を振った。
「予想はしていました。九重の血筋に四葉という血が入ることが許せない人物も少なくはないでしょう」
魔法という技術が表舞台に現れる以前、九重にはいくつもの
日本でも有数の歴史を誇る名家である九重家と、研究所出身であり、かつ何かと正体不明で色々と黒い噂の絶えない四葉家との婚姻には内外から反対があることは簡単に予想できることだった。
「どちらか片方だけならまだしも、人質交換のように娘を嫁がせるのはいかがなものかと抗議が上がっているんだ。悠君が重い腰を上げたと思えば、その相手は四葉の直系。しかも妹も四葉に嫁ぐとなれば、婚姻を目論んでいた家々は大慌てさ」
「慌てたところで口出しできる家はそう多くないとは思いますが」
「だから団結して抗議なのだろうよ」
一つの家だけならば言い掛かりにしかならないが、四葉という家の印象を良く思っている者の方が少ない。運が良ければ、九重の近縁からも同意が得られる話ではあるため、強気に出ているのだろう。
「九重の方には改めて二木家と芦屋家からそれぞれ悠君と雅君に婚約の申し出があったそうだよ。他の家も基本的にこの提案を支持している」
「元々アプローチはかけていた家ですね」
「君たちのところにも色々と申し入れがあったのかい」
子どものような好奇心を覗かせてみせながら、八雲は問いかけた。
「一条家から深雪に対して縁談話がありました」
「おや、あのクリムゾンプリンスが。いやはや。深雪君も隅に置けないねえ」
八雲はクツクツと笑いながら、茶を啜る。
「無論、深雪には受ける気はないようですが」
達也の冷たい視線を受け、これは失敬と、八雲は飄々と取り繕う。
「乱暴な手立てを取ってくるとは思わないが、足元を掬われることがないようにと忠告しておくよ」
この場合、雅や深雪に無体を働くというよりは、達也に対してなんらかの汚点をつけて婚約そのものを破談させてしまうということなのだろう。
「用心します」
達也の返答に満足げに八雲は頷いた。
木曜日
校内の空気は相変わらず。
初日よりは少し落ち着いたものの、まだ好奇の視線を向けられることに変わりはない。
中には哀れみのような視線を私に向けてくる人までいる始末だ。
教室での雰囲気もどこか取り繕ったような、居心地が良いとは言えない状態が続いている。
そんな折、今は自由登校中の古典・図書部の3年生から校内にあるカフェテリアに呼び出された。
「九重さん、司波君との婚約おめでとうございます」
「ありがとうございます」
名目としては婚約祝いということらしく、先輩方からランチをごちそうになることになった。
「ささやかですが、お祝いです」
マリー先輩から手渡されたのはナッツの蜂蜜漬けだった。
ガラスの瓶がハートの形になっており、見た目にも可愛らしい。
「蜂蜜酒は自重したよ!」
「お心遣い感謝します」
夏目先輩が良い笑顔で親指を立てるが、私は笑顔を引きつらせないようにする方に気を取られていた。
ハネムーンの語源は
未成年なので、ナッツの蜂蜜漬けになったのだろうが、中に入っているアーモンドはたくさんの実をつけることから多産の象徴や繁栄を意味し、ヨーロッパの方では色付きの砂糖でコーティングされたアーモンドが結婚や誕生日のお祝いに用いられているそうだ。文芸に造詣の深い夏目先輩か、あちらの風習に詳しいマリー先輩が選んだのだろう。
「それと雅ちゃん、九重神宮って今年は巫女の募集とかしてる?まだ就職の受付大丈夫?」
「あの、夏目先輩は魔法科大学を受験される予定ですよね」
古典・図書部の3年生は全員が魔法科大学の受験を予定している。
鎧塚先輩は防衛大と迷っていたそうだが、魔法科大学を経てから防衛大を再受験し、戦術士官を目指すそうだ。
「マリーちゃんや鎧塚と違って元々運が良ければ受かる程度の才能なのよ、私は」
「気張れ、夏目。後輩に泣きつく暇があるなら理論の一つでも覚えるために口に出せ」
「フィッツナー検証って何年だっけ?2076年?」
鎧塚先輩の厳しい言葉に、夏目先輩は明後日な方向を見ながら虚ろな目をしている。
「残念。2067年だ」
「先行研究であるベルク検証を引き継ぎ行われた気圧変化による加重系魔法の事象改変の差異についての検証です。2076年は同検証を元にした加重系加速魔法と減速魔法の起動式の簡略化についての発表ですよ」
鎧塚先輩とマリー先輩の訂正に低い唸り声をあげながら、夏目先輩は携帯端末にメモを取っていた。
受験で切羽詰まった中でこうしてお祝いに駆けつけてくれたので、今回のお礼も兼ねてデザートでも追加したほうがいいかもしれない。
「はっ。今更、媚び売ってんのか」
「あ?」
突如投げかけられた第三者の侮蔑めいた声に、鎧塚先輩が低い声を上げる。
「寺森か。何の用だ」
「四葉に繋ぎが欲しいとは驚きだな。婚約にかこつけてまで顔を売っておきたいのか」
私は見たことのない男子生徒であったが、鎧塚先輩の様子から少なくとも知り合いのようだ。全校生徒の顔を把握しているわけではないが、雰囲気からみるところ三年生なのだろう。
鎧塚先輩は射殺さんばかりの鋭い非難めいた視線を向けた後、憐れむようにため息を吐いた。
「おいおい。そんなんだからテメエは、1年の時に彼女作ると宣言しながら3年間彼女いなかったんじゃねーか」
「なっ!!それとこれとは関係ないだろ!」
寺森と呼ばれた男子生徒は顔を羞恥に染めながら、声を荒らげる。
クスクスと様子を見守っていた人達から忍び笑いが漏れる。
「そう思うなら、思っとけよ。てか媚びるとか、人様の御祝いに一々茶々入れんなよ。他人の幸せを祝えないなら、一生右手を恋人にしてな」
「鎧塚、流石にそれはないわ」
中指を立てかねない鎧塚先輩の口調に、夏目先輩やマリー先輩は汚いものを見るかのように顔を引きつらせている。
正直、右手が恋人という言い回しの意味が理解できなかったが、先輩方の様子からあまり品のいい言葉ではないのだろう。
「いえ、鎧塚君は間違いではないです。九重さん、九重神宮は確か厄除けで有名でしたよね」
マリー先輩が気を取り直して、私に問いかけた。
「こいつとの縁は丁寧に切っておいてもらえ」
「ついでにこんな阿呆に泣かされる女子が出ないとも限りませんので、彼の女運の方も丁寧に取り除くようにお願い申し上げます」
寺森という生徒にはマリー先輩や夏目先輩からも冷たい視線が向けられている。カフェにいる他の生徒からもまるで外の冷気が入り込んできたような温度のない視線が向けられている。
「いや、いくらなんでもそれは」
周りの様子から、自分の不用意な発言に気が付いたのか、それとも保身のためか私に対して縋りつくような目をしている
「ああ?お前、さっきから何を恐れてたんだ?」
鎧塚先輩のその問いに対して、誰からも答えはなかった。
放課後、馬術部の管理する馬が脱走したという報告を受け、部活連の役員と風紀委員は捕獲に駆り出されていた。幸い怪我人もなく、馬も無事であったため、馬術部は厳重注意に留まった。後で報告書と再発防止策の提出はしてもらうが、活動禁止等のペナルティがないことは甘い処置だっただろうか。
「雅って乗馬経験あったの?」
「
風紀委員として雫も馬の追い込みに駆り出されており、私と一緒に行動をしていた。今は一仕事終えて、それぞれ報告をするために校舎に戻っているところだ。
「馬を引く手つきが手馴れていたから」
雫もなんどか乗馬体験はしたことがあるようで、人より大きな馬の隣を歩いていてもそれほど緊張していなかったのはそのせいだろう。
「男装?」
「神事だから男装ね。女性だけの流鏑馬をやっている地方もあるそうよ」
「そうなんだ。でも雅の流鏑馬って深雪が喜びそう」
「写真をねだられたわ」
ついでに兄の写真も何枚か転送したが、顔が赤くなっていたのは見間違いではなかったはずだ。きちんと保存した後、ロックまで掛けていたのがいじらしい。
「九重さんも司波君も揃って万能だよね」
私たちのすぐ前を歩いていた十三束君がため息交じりに苦笑いを零した。
「似た者夫婦ってやつかな」
十三束君の茶化した言葉に雫も静かに首を縦に振り肯定していた。
二人が思うほど私も達也も万能でも、完璧でもないのだが、普段こんなことで揶揄ったりしない十三束君の言葉が気にかかる。
「九重さんが先週言っていた僕の母に世話になるって伝えてほしい、って司波君とのことだったんだね」
「お忙しいところに申し訳なかったと、個人的に伝えていただけると嬉しいわ」
「いや、まあそれは仕事の内だからいいんだけど、問題はちょっと別にあって……。魔法協会として九重家と四葉家には祝電を送ったんだけれど、それに京都近辺の古式魔法師から反発があって、大変らしい」
「直接は言いにくいから、魔法協会に意見しているってこと?」
私の問いかけに、十三束君は言葉では肯定しにくいのか、やや遠慮がちに頷いた。
多少反発はあると分かっていたが、魔法協会にも迷惑を掛けているなら考え物だ。実際、表立って私に反対の声は聞こえてこないが、現状どうなのか父にも聞いてみなければならないだろう。
「九重さんは司波君が四葉家の人間だって知っていたんだよね」
「ええ」
「最初知った時、驚かなかったの?」
十三束君はまだ達也や深雪が四葉家に関わりがあると聞いて、あまり気持ちの整理がついていないのだろう。
「物心つく前から知っていたら、驚くも何もないわ」
「そんなに前から?」
「そうね」
できれば公表されないまま、達也と深雪が四葉の束縛から解放されることが望ましかった。
しかし、状況を固められてしまった以上、例え次期当主候補から達也が下りたとしても易々と家の名前から逃げることはできないだろう。
そうこうしている内に、部活連の本部にまで戻ってきた。
雫も風紀委員会に渡す資料があったので、そのまま付いてきてもらった。
カードキーをかざして室内に入ると、耳を抑えて悲痛な表情を浮かべるほのかとその手を強引に掴もうとする七宝君がいた。
「七宝君、何をしているの?」
状況だけ見れば、嫌がるほのかに七宝君が無理やり迫っているようにしか見えない。
「ほのか」
「雫……」
状況をみた雫はすぐさまほのかに駆け寄り、大丈夫だとその背を優しく撫でた。ほのかは雫の顔を見ると、強張っていた体の力を抜いた。
「何を言おうとしていたの」
雫が向けた言葉は冷たく、刺々しい。
七宝君は宙に浮いたままの手を静かに下げる。視線は床の方を彷徨っており、焦りが見られる。
「弱っているところを口説くとか、最低」
雫はそのままほのかを連れて本部から出て行った。
風紀委員会への資料はまた後で持っていっても差しさわりはない。
ほのかの用事もおそらく修正された予算データの確認だろう。
これも期日はそれほど迫っていないため、明日以降に回しても大丈夫だ。
「状況を確認させて頂戴」
見たままの状況は黒だが、どういった経緯であのような場になったのか、確認する必要がある。
「九重先輩は光井先輩の友人なのでしょう」
「私はそう思っているけれど、それとこれに関係があるのよね?」
私はほのかのことも、雫のことも友人だと思っている。
相手のすべてを知っていることが友人の条件ではないし、知られたくないことはお互いにいくつかあって当然だ。深雪や達也であっても、私には話せていないことも、話すつもりもないこともある。
話してもらえなかったということにショックを受ける気持ちも分からなくはないが、話せなかったことだとはほのかも雫も理解している。
ただ気持ちがついていかないだけで、まだほのかが私たちと友人でありたいと思うならば、その感情に折り合いがつくまで待つしかない。
「よくあんな酷いことができますね」
「七宝」
吐き捨てるような七宝君の言葉に十三束君が制止をかける。
「酷いって、達也と私の婚約について?それとも達也が家のことを話さなかったことについて?」
「先輩方の婚約はこの際関係ありません。光井先輩はイーブンな状態で九重先輩と張り合う事が出来ていなかった」
「七宝、冷静に考えろ。そもそも九重さんと司波君の関係は入学以前からのものだ。高校で知り合った光井さんと差があるのは仕方のないことだろう」
七宝君の主張に十三束君が反対意見を述べる。
詭弁だが、恋愛のスタートラインは同じではない。
メールの回数、デートの回数、目線があった数、会話の時間、どれをとっても全て公平になんていかない。
だが、七宝君が言いたい本質はそんなことではないのだろう。
「七宝君、ひょっとしてほのかが可哀そうって思った?」
達也のことをほのかは好いているのに、見せつけるように婚約を公表したことが七宝君のいう酷いことならば、あれほど悲嘆にくれるほのかを見て同情しても不思議ではない。
七宝君の反応を見ると唇を噛んで、俯いている。図星とみていいのだろう。
雫の言うとおり弱みに付け込んだということを否定できなかったのはそのせいだろう。
「そうだとしたらそれは、ほのかに対する侮辱だわ」
私に対して、負けないと言えるだけの強さがある。
達也を思い続けていた事実がある。
私という婚約者がいる達也を好きでいつづけることは、周りから良い目では決して見られなかっただろう。
それでもほのかは、その思いを否定していなかった。
家の思惑だとか打算の絡まない、純粋な個人の思いをほのかは達也に捧げていた。
ひょっとしたら、家の方針で何時でも切られてしまう関係に不安になっている私の方が弱く臆病なのかもしれない。
私が時折羨ましく思うほど、同時に焦りを感じるほど、ほのかは達也に対してひたむきだった。
だから、それを可哀そうだなんて周りの価値観で決めつけられることではない。
七宝君はそれ以上何も言わず、ただ拳を握りしめていた。
我等は 姿無きが故に それを畏れ
BLEACH第1巻 冒頭より