恋ぞ積もりて 淵となりぬる   作:鯛の御頭

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4月の荒波を越え、ゴールデンウィークは遊んでたら、こんな時期になりました(;・∀・)

お待たせしました。今回の話はそんなに甘くはないですが、切ないと思ってもらえたらいいなあ


師族会議編4

 

土曜日

 

「悪いわね。忙しい時に」

「いいのよ。部活の方も少し落ち着いたところだから」

 

部活動の帰り間際、私はエリカに呼ばれ空教室にいた。

この時期は日が暮れるのも早く、鮮やかなオレンジ色の光が長い影を作り出している。

土曜日の今日は平日ほど残っている生徒も少なく、閉門時間も近いため既に部活動の多くが帰り支度を始めているころだった。

 

「それで実際に話があるのは、エリカじゃなくて吉田君?」

「流石にやましいことは無いとしても、密室に二人っきりは良くないでしょ」

「お気遣いありがとう」

 

確かに私にその気がなくても、男子といる二人きりという状況だけで根も葉もない噂を立てられるのは煩わしい。

ただ話をするだけなら部活連や風紀委員の執務室なら差しさわりがないのだろうが、委員や役員がいつでも出入りできる状況で話せる内容ではないのだろう。

学校の生徒がいない喫茶店など誰の耳があるか分からない場所でもまた話しにくい事と考えて良さそうだ。

ただ人除けの結界は張ってはいても、防音障壁までするほど内密な話ではないようだ。

 

「ほら、ミキ」

 

エリカが横に立っている吉田君を肘で小突く。

さっさと本題に入れと言わんばかりのエリカに、吉田君は不満を滲ませながらも何かその目は決意に満ちているようだった。

 

「話というのは私に?それとも九重家に吉田家から?」

「両方だ」

 

短く言葉を区切ると、吉田君は自身を落ち着けるように小さく息を吐いた。

 

「九重さんと達也の婚約は1年生の時から聞いていたことだし、今回の発表で達也の実力も腑に落ちた。情けない話、整理が中々付けられなくて戸惑った部分もあるし、話してもらえなかったことに不満はあっても、二人の婚約が正式に調ったことは友人としては喜ばしいことだと思う」

 

戸惑ったという主張通り、一つ一つの言葉を確認するような、半ば自分自身に言い聞かせるような口振りだった。体をこちらにまっすぐと向け真摯な態度は伺えるが、時折迷いを感じさせるように視線が下を向き、彷徨っている。

 

「ただ、吉田家の人間としては古式の各家からは反発も大きいと言わざるを得ない」

「私は四葉家に対する人質で、深雪は兄を誑かした性悪な魔女かしら」

 

私たちのことが公になって各派閥の出方もおおよそ固まってきており、吉田君の指摘は既に私の耳にも入っていることだった。

 

「残念ながら君たちのことを知らない家が、状況だけ見てそう言っていることは耳にしている。たとえ今回の婚約が義兄弟同士だとしても、法律上問題があるとは言えない。けど、古式の家々としては四葉家を九重家に嫁がせるということが、どうしても許せないと思っている者もいるらしい。僕の知る限り、反対している家々は芦谷家当主と君との婚姻を推し、九重次期当主の伴侶としては二木家を支援すると聞いている」

「え、なにそれ。婚約決まった間柄のところに別の縁談持ち込んでいるってこと?」

 

エリカが目を丸くして信じられないと言いたげな声で口を挟んだ。

 

「そういう動きがあるのは確かだそうだ」

 

吉田君はため息交じりに肯定した。どうやら彼も少なからずこの横槍には思うところがあるらしい。先ほどの喜ばしいと言った言葉が少なくとも嘘だったということはないことに、少し私は安堵した。

 

「反発が大きいのは分かっていたわ」

 

正式に発表される以前から、私と達也の婚約は不釣り合いだという声が上がっていた。それが四葉という家柄が明らかにされてから、一層強くなったと聞いている。

深雪の方にも一条家から縁談があったと達也伝手に聞いたが、古式の派閥の中にはそれを後押しする家も存在しているだろう。

 

「単純な構造だけ見れば、私と深雪はそれぞれの家の人質と思われているのでしょうね。だから望まない結婚を強いられている可能性を見込んで、不躾だと思われようと別の縁談があがるのでしょう」

「人質?」

 

エリカが眉間に皺を寄せ、怪訝な声で尋ねる。

 

大なり小なり魔法師の結婚というものは利権や派閥の絡みが存在する。

魔法師の素養は両親の魔法師としての才能を受け継ぐことが多く、より優秀な次代の魔法師を誕生させるために結婚という体裁をとることは珍しいことではない。

私たちの思いを勘定に入れず、ただ単に私たちに付随する肩書だけを見れば、今回の婚約は随分と他人には非情に映るのかもしれない。

 

だが、脈々と続くこの血脈の中に縁のない婚姻は存在せず、そしてその縁が結ばれた理由はいくつかあっても、ただ一つの変わらない指針に基づいている。私と達也もそうして結ばれた縁の一つである。

 

「九重がどこを意味する言葉で、なんのために置かれ、そしてその意味は今も変わらない」

 

遥か昔、文字が伝わるより以前から九重には引き継がれてきた定め事がある。幾千、幾日、朝と夜を繰り返し、時代がどのように移り変わろうともそのことだけは揺らぐことは無い。

 

「そう言えば吉田君は分かってくれるかしら」

 

私の問いかけに吉田君は、言葉を続けられないまま、ただ立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕方までの冬晴れとは一転、夜になると風が甲高い音を立てて吹き荒れ、夜空を黒い雲が速い速度で流れていく。刺すように冷たい風が乱暴に雨戸を打ち付け、雲の切れ間に月明かりが流れていく。

雨でも降りだしそうな荒れた空模様に反し、板張りの室内ではわずかな物音だけが耳に付くようだった。底冷えのする板の間は部屋の四方に置かれた燭台が室内を薄暗く照らしている。

 

「君が訪ねてくるのは随分と久しいことになるかな」

 

九重寺の一室の中央、風間と八雲は座して向かい合っていた。

 

「中々顔出しできず、申し訳ありません」

「君らが忙しいことは承知の上さ」

 

深々と丁寧に頭を下げる風間に、八雲はさして気にしていないと頭を上げるよう促す。

 

「それで態々出向いて何が知りたいのかな?」

 

八雲は風間の師匠ではあるが、風間にとって味方でも身内でもない。

彼にとっての八雲は文字どおり忍術の師であり、時として貴重な情報源であった。

風間の元にも軍関係をはじめとした各方面の伝手や藤林という諜報に特化した部下はいるものの、古式と言っても十把一絡げにできない流派ごとの情報を一番正確かつ早く手にしている者は、風間が知る中で八雲に並ぶ者はいない。無論、京都の九重家などは八雲より早く情報を手に入れているかもしれないが、そこは風間と接点が無いに等しいため、勘定には入れていない。

 

「今回の九重家と四葉家の婚姻は、四葉家の抑止のためでしょう」

 

風間の問いに、八雲は口角をわずかに吊り上げる。

 

「九重家直系の雅さんが達也の伴侶として四葉家に入る。四葉家としては家系としての箔を得ると同時に、いくら嫁いだとは身とは言え彼女の名前に傷を負わせるわけにはいかない」

「加えて達也君は深雪君を非常に大切にしている。それこそ世界と彼女とを天秤にかけて彼女を取ることを厭わないほどね。それが彼の元を離れて九重という一種の特殊な家系に入るということは、いくら彼であっても簡単に手出しできなくなる。この上なく安全である場所ではあるが、達也君にとって深雪君という竜玉の一つを外部が持つことになる」

 

重々しい風間の言葉に八雲の口元には飄々と笑みを浮かべながらも、糸のように細い目は薄っすらと開かれており、薄刃の刃に似た鋭さを感じさせる。風間にとっては答えてもらえるか期待できない質問であったが、思ったよりも饒舌な口ぶりに安堵より先に緊張が走る。

 

「九重神宮は都の安全と安寧を願って設立されたと聞いています」

「そうだね。そしてその意味は今も変わらない」

 

八雲の九重はその師から継いだ名前だが、京都の九重の本当の意味を知る者は果たしてどれほどいるだろうか。

気の遠くなるほど過去から今に至るまで、そしてこの先もその血が絶えることなく、この国に捧げられてきた。

九重の家に生まれ、四楓院の名を授かった。

そうである以上、彼女もまた安寧の礎となるべく身を投じ捧げられるべくあると言っても過言ではないだろう。

 

「幸いというべきは二組ともこの婚約を望んで受け入れていることだ。しかし、果たしてこれは何時から組まれていた縁なのだろうね」

 

八雲の問いは独り言のように蝋燭の照らさない部屋の片隅の暗闇に溶けて消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

月曜日

 

ほのかは朝一番で雅のいるB組を訪れていた。

一週間ほど経過し、当初ほど司波兄妹と雅の関係について表立って騒ぎ立てる生徒はいなくなったものの、まだ誰もが以前と同じようには振舞う事が出来ていない。どこか遠巻きにみるような、積極的に話しかけることもなく、どこか目に見えてわだかまりがあるようだった。

 

ほのかも先週まではその一人だった。雫に会いに来ることはあっても、ほのかは意図的に雅と話すことを避けていた。無論、話しかけられて無視するような事はしていないが、顔を合わせたくないというのが正直な感想だった。

 

以前はB組に来ることは何ら抵抗もなかったが、今は同情に似た視線がほのかに寄せられている。

失恋した可哀そうな女の子。

叶わない恋をしてしまった子。

四葉家相手に横恋慕だなんて怖いもの知らず。

被害妄想かもしれないそんな視線に足元が揺らぎそうになるが、ほのかは笑顔を意識して雅のところへと向かっていた。

 

「おはよう、雅。今日の放課後時間あるかな?」

「おはよう。今日は部活に顔を出すけれど、時間は頑張れば作れるわよ。予算の事?」

 

少し声の堅いほのかと違い、雅は変わらない自然な態度に見えるが、内容が事務的なものなので周りからはそう見えるだけかもしれない。

 

2年生の中ではほのかが達也に想いを寄せていることは表立って口外しないだけで、比較的知られたことだ。雅という婚約者がいる以上、ほのかにどちらかと言えば良い顔をしない生徒もいる一方、その健気な様子を影ながら応援する生徒もいる。

この一週間、ほのかが自分から雅に話しかけることはほとんどなく、部活連に関わるような事務的なやり取りもメールや深雪を通じて行われていた。

 

B組の生徒の視線が集まる中、ほのかは雅から視線を逸らさなかった。

雫もすでに登校していたが、ほのかの傍に立ったりするようなことは無く、大多数と同じように視線だけを向けていた。

 

「じゃあ、終わった後でいいから少し話ができないかな」

「分かったわ。早めに切り上げられるよう頑張るわね」

 

表面上、なんとか目的の約束を取り付けることができたほのかは、浮足立っていた。

 

「分かった。じゃあ、また放課後に」

「また連絡入れるわ」

 

最初の授業までまだ時間があったのだが、ほのかは足早にB組を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

放課後の生徒会室。

室内には深雪と雫だけであり、他の役員は出払っていた。

泉美は手持ちの仕事が終わっているため深雪から今日のところは帰宅するよう告げられており、達也と水波は突発的に発生した学校近くで起きた一高生徒が絡む厄介事に駆り出されているため不在だった。

 

雫は風紀委員であり、役員ではないのだが今頃決心を告げているほのかを生徒会室で待っていた。

深雪は生徒会室で次年度に向けた細々とした予定を確認しており、風紀委員の雫は特に仕事もないため手持ち無沙汰に深雪を見つめていた。

 

改めてじっくりと見てみると恐ろしいほど均整の取れた顔立ちをしている。入学時から存在していることが信じられないほど美しい人だとは思っていたが、今もその思いに変わりはない。

顔を合わせる機会が多いとはいえ、未だに時折ため息が出そうになるほどその(かんばせ)も所作も絵画になりえるほど洗練されている。

 

「なにかしら?」

 

雫が無言で不躾にじっと見つめていたものだから、流石に疑問に思った深雪は何か言いたいことでもあるのかと尋ねた。

馬鹿真面目に深雪の顔を観察していたと言っても許される間柄だとは思うが、雫は十分に考える間を置いた後、そういえばと思い出したように今行われているだろうほのかと雅のやり取りについて思いを巡らせた。

 

「正直、深雪からほのかに牽制が入ると思ってた」

 

本音を言えば、ほのかには今すぐ達也を諦めてほしいと雫は思っている。

ほのかが選んだ道はほのか自身を傷つけ、雅も傷つける、いばらの道でしかない。

それでもほのかはその道を選んだ。

だから雫は静かにその恋を見守り、親友が疲れた時に休める場所になるだけだ。

 

雫はほのかの恋を見守る立場だとしても、深雪からみればほのかは他でもない敬愛する兄と姉の間に亀裂を入れようとしている。

今、ほのかが雅のところに行っていることは深雪も知っていることであり、事前に苦言の一つや二つ、あって当然のことだと思っていた。

 

「私も全くの無関係という事ではないのだけれど、私が口出しすべき立場でもないでしょう」

 

深雪はさらりと言っているが、その声色は雫にはやや冷ややかに聞こえた。ほのかに肩入れしている自覚があるから雫にはそう聞こえるのか、それとも深雪が微塵も動揺せずにただ待っていることがそう感じさせるのかもしれない。

 

「それに、お兄様がお姉様以外を選ぶことなどありえないのよ」

 

深雪は信じて疑わない、光差し込む聖女のような微笑を浮かべた。

 

 

 

断言しても良い。

深雪はもしかしたら達也以上に、達也が雅を大切に思っていることを理解していた。

兄が唯一、願ったもの。

母の魔法により、世界を滅ぼさないために多くに対する激情を封じられ、深雪のためだけにその強い情動は残され、深雪のためにその身を犠牲にしても盾となり、時として深雪を諫め、導いてくれた。母の死後、兄の庇護がなければ、深雪はもっと孤独だった。

 

本来頼るべき親からの愛はなく、当主の甥であるというのに身内から向けられるのは侮蔑の視線、与えられたのは血の滲むような訓練だけ。家の呪縛から逃れるべく、深雪のせいでこれまでの多くを犠牲にしてきた兄がようやく、自ら欲した人。

無自覚なほどその心の奥底に染みわたり、長く凍り付かされた他人に対する情動を芽吹きの春を迎えて解かすように、一途な無償の愛を与え続けてくれた人。

世界でただ一人、深雪ですら同じ感情を向けられることのない、お伽噺のようなそんな光景を深雪はすぐ近くで見てきた。

敵を作ることを厭わないような無愛想な兄が、本当に大切なものを見るかのように緩く微笑みかけるその姿が、どれだけ尊いものか、深雪は理解している。

姉を呼ぶときにわずかに柔らかくなる声も、無意識のうちに許している距離も、嫉妬や独占欲も、全て姉が芽吹かせた。

 

深淵の魔法に捕らわれた兄を救い出したのは、深雪ではない。

深雪は兄を縛る枷で、重石でしかない。

それも九重の力で深雪は兄を自分から解放することができた。

自分が兄から離れなければならないのは分かっているが、まだどこか寂しい。

それでも兄はもう孤独ではない。

その事実が何より深雪を安堵させる。

 

「お姉様だけなの」

 

世界で唯一、その隣を許されているのは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

放課後の部活連執務室で、ほのかは予算の最終決定を報告しに来ていた。

今日は特別活動がないため、雅以外の部活連の役員はいない。

予算の話は先週の時点で報告できたことなのだが、色々と予期しないトラブルもあったため今日まで延びてしまった。

雅は概ね要求通りの額が各部活に振られていることを確認して、そのまま各部長宛てに来年度の予算についてデータを送った。

 

「わざわざありがとう。お茶でも飲んでいく?」

 

最終の下校時間まであまり時間はないが、雅には本題はこれからだと感じていた。

 

「いいよ。雫を待たせているから」

 

ほのかは雅の申し出を断ると、視線を床に落とした。

その態度に、雅はただ次の言葉を待っていた。

 

「雅、あのね……」

 

意を決し、雅と視線と視線を合わせ、ほのかは逃げ出したくなるような衝動をスカートを握りしめて抑え込んだ。

雅の静かな瞳が、ほのかに自制を促すような、咎められているようなそんな気配すらさせている。

急に口の中が乾いていき、どう切り出すかなんて何回も考えたはずの言葉があれこれ浮かんでは口には出せず、唇を震わせるばかり。

決めたはずなのに、どこか後ろめたい自分を叱りつけてほのかはもう一度、前を向いた。

 

「私、諦めないことにしたから」

 

今更何を、なんてほのかが説明する必要も雅が尋ねる必要もない。

 

「私が『はい、どうぞ』、と言ってあげられないのは分かっているでしょう」

 

淡々とした口調で雅は問いかけた。

ほのかも頭では理解している。

ほのかの決心は、誰から見ても褒められることではない。

それどころか後ろ指を指されても仕方のないことだ。

達也にも、もしかしたら呆れられることかもしれない。

きっと引き返すことができるのはここが最後かもしれない。

 

「うん。今の私じゃ、到底雅に向いている視線を奪うことはできない。だけど達也さんに、二番目でも良いからなんて甘えたことを言うつもりもないよ」

「そこまで分かっていても?」

「私、負けないよ」

 

再度問いかけに、ほのかの声は震えていなかった。

負けないと口にしつつも、最後まで勝負にすらならないかもしれない。

それでもほのかは達也のことを好きでいることに決めた。

必要とされたい、愛されたい、私だけを見てほしい。

あの大きな手を繋いでみたい、抱きしめてほしい、そしてその先も欲しい。

例え友人の婚約者という許されない相手にした恋だろうと、ほのかは達也以外考えられなかった。

 

「そう」

 

雅には眩しくも感じるような強さだった。

あれだけ達也に大切にされながらも、どこかで不安で、臆病に怯えている自分を自覚していた。

報われなかった時期が長かったせいか、どこかいつもまだ自分以外の誰かがその隣を歩く姿を思い浮かべてしまう。

 

「譲らないわ」

 

雅は頭の中に浮かんだ嫌なイメージを決意を持って消し去る。

達也は自分のものだなんて子どもじみた主張はしないが、その隣を明け渡すつもりは更々ない。

 

手放し難いと達也が思ってくれているというだけで、雅はこの場で堂々と前を向いてほのかと向かい合うことができる。最初から決められていた関係だとしても、なにより今は雅自身が彼と歩むと決めた。

この先、ほのか以外にも達也に想いを寄せる女性が出てくるかもしれない。四葉家の次期当主候補というだけで達也との婚約を望む者も出てくることも想定できる。

どのような相手だろうと下を向いてはいけない。

それが雅に向き合うほのかへの礼儀だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すっかり日の沈んだ寒空の下を達也、深雪、雅、水波の四人は自宅の最寄り駅までの帰路についていた。

司波家と雅が住んでいるマンションは駅を基点に反対方向であるため、普段はコミューター乗り場での解散となる。

時には雅が司波家に呼ばれて夕飯を食べたりすることもあるが、部活の後にも稽古事が重なるここ最近はあまりそのような機会には恵まれていなかった。

 

「お姉様、今日は特にこの後ご予定はありませんよね」

「特にないわね」

 

今日の雅のこの後のスケジュールは課題を片づけて時間があれば予習をする程度であり、普段に比べれば時間はある方だ。

舞台を控えていると学校が終わった後、稽古で夜9時、10時までなんてザラにあることだ。

 

「それでしたら、今日はこちらで夕食をご一緒できませんか。なにかと用心しておいた方がよろしいと思いますし、いけませんか?」

 

深雪がやや普段とは固い口調であることには理由があった。

四人は直接遭遇してはいないが、人間主義の団体が魔法科高校の生徒に対し、暴言やストーカー紛いの行為を働いているという報告が何件か上がっている。

警察に行ったところで犯罪として取り上げられるほどのものではなく、精々暴言を浴びせた相手に厳重注意がされる程度だ。魔法師ではない警察官が対応した場合、そもそも生徒側に非があったのではないかと疑われる場合もある。

今のところ被害が大きいのはやはり学校周辺であり、ここから雅の自宅まではコミューターを使うため、ほぼ接触する機会はないと考えられるが、集団で行動するに越したことは無いだろう。

 

「あまり遅くならないうちにお暇するわね」

「朝までお兄様のお部屋でごゆっくりなさっても構いませんよ」

 

雅としては翌日も学校であるため、それほど長居するつもりはないが、深雪は口元を抑えてお邪魔はいたしませんと淑女らしく笑ってみせる。

 

「おませなことを言うのはこの口かしら」

 

雅は照れ隠しに深雪の頬をつまみ上げる。

つまむといっても、指先には力が入っていないので深雪も笑いながら雅の優しい攻撃を甘んじて受けている。

四人は久しぶりに同じ家へと帰ることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夕食の準備ができるまで二人はしばらくゆっくりしていて欲しいと、早々に達也の部屋に押し込まれた雅は久しぶりに訪れるこの部屋に少しばかり緊張していた。

 

達也の部屋は本人の気質もあってか洗練されていると言えば聞こえはいいが、基本的に殺風景だ。

達也自身華美や無駄にごちゃごちゃとした空間は苦手であり、必要最低限のインテリアは揃っているものの、どこかのモデルルームのような生活感のない部屋になっていた。今では多少は深雪の手によって観葉植物などの小物も飾られてはいるが、基本的にシンプルにまとまっている。

二人の戸籍上の両親が別のマンションで生活しているため、部屋も余裕があり、元々割と裕福な家が立ち並ぶ区画とあって一部屋当たりの面積も都心にしては大きい。

 

そして最近になって達也の部屋には二人掛けのソファが置かれるようになった。元々作業用デスク用の椅子と来訪者用のスツールは用意されていたが、深雪がベッド以外にも休めるような場所があるといいですからという理由で買ったものだった。

それなら一人用の物でいいはずなのだが、二人掛けなのは今日のこの日の状況のように達也の隣に誰かが座ることを想定してのことだろう。

 

「なんだか一週間が長かったように感じるわね」

「それくらいたてば話も落ち着くだろう」

 

部屋に押し込まれると同じくして水波が準備していたお茶を飲んで夕食を待っていた。

 

「私は兄と深雪の年齢差が色々言われるかと心配しいたのだけれど、今のところあまりそんな声は聞かないのよね」

「学生の5歳差は大きいだろうが、成人すればそれほど目立つこともないだろう」

 

魔法師の家系は一般的な平均より比較的裕福であり、一世帯当たりの子どもの数は同程度の収入のある家庭より多い傾向にある。

更に結婚年齢も20台前半が平均的であり、30歳を超えて結婚していないのは何かしら身体上の問題があるか、職務上の関係で結婚をしないということが多い。

年の差というものも、5歳程度なら物珍しいこともないだろう。

 

「達也はまだ複雑?」

「整理ができたと言いたいところだが、まだもう少しかかりそうだ」

 

単に深雪が嫁ぐという寂しさだけではない。

 

達也は無意識のうちに深雪に向けられる敵意を把握することができる。

それは『精霊の眼』を持って情報を意図的に取捨選択しているから可能なことであり、魔法のリソースがそれに取られていることも確かだった。

沖縄のあの日の一件より前から、達也は深雪に迫る脅威を二十四時間常時「視」ている。

熟睡中だとしても無意識領域下でそれは機能しており、例え深い眠りにあろうと深雪に危機が迫っているなら達也は覚醒できる。可能性の話ではなく、そうできるよう魔法のリソースを割いている。

 

今は確かにそれで良いかもしれない。

けれど、深雪が九重に嫁ぐとなると自分より優れた千里眼がその身を守ることになる。全く手の届かないとは思わないが、以前より物理的な距離は当然遠くなる。

悠にしても自分がいつまでも深雪に対して『眼』を向けていることを良くは思わないことも分かっている。何らかの方法で達也から深雪を「視」えなくしてしまう方法も、もしかしたら持ち得ているのかもしれない。

それでも今の達也は深雪から『眼』を離すことはできそうになかった。

 

「これほど感情が厄介だと思ったことは無いよ」

 

本来ならば深雪に割いている超知覚的なものの一部を雅にも割り当てるべきだと考えている。

以前なら深雪だけで半分近くの容量を取られていたが、魔法力が若干だが向上している今ならば少なくとも以前よりは余裕がある。

それでも深雪を守るための『眼』の比重を下げることは今の達也には難しかった。

技術的な意味ではない。

深雪を守るための魔法的なリソースを下げた結果、深雪の危険が増すという可能性を達也は感情的に許すことができなかった。

 

「達也の一番は深雪でしょう」

 

雅は単に寂しさと受け取ったようで、達也は曖昧に微笑むことでひとまずこの問題を保留にすることにした。

 

 

「そういえば、部活連の予算の方は問題なかったか」

「そうね」

 

放課後、ほのかが予算を雅に確認してもらったことは知っている。

達也も深雪も内容のチェックはしているのでそれ自体には大きな問題はないはずだ。

ただほのかが雅にしたのはおそらく予算の話だけではなく、こうして深雪が気をまわして達也と雅を二人きりにした理由も達也には分かっている。

 

「ほのかに達也のこと諦めないって宣言されちゃった」

 

雅は静かに達也の肩に寄りかかった。

俯いているため達也からは表情は伺い知ることはできないが、躊躇いがちに小さく達也の袖を指で捕まえている。

 

「私も人の事言えた立場じゃないけど……」

 

やだなぁ、と続けられた独り言のようなつぶやきは、掠れてしまうほど小さな声だった。

雅にどこか不安が付きまとうのは決められた関係が長く続いたことによるものだけではなく、達也の心は随分前から雅に対する想いを気付きながら、なにかと理由を付けては自覚しないように目を背けてきた不甲斐なさから生じるものである。

言葉を尽くすことも、おっ広げに態度で示すことも苦手とする達也の数少ない言葉を雅は一途に信じてくれている。

不安にさせていることに申し訳なさも感じつつも、その嫉妬心をわずかばかり嬉しいと達也は思ってしまう。

 

「雅」

 

どこか縋るように達也の服に掛けていた指をほどき、そのままその左手を取る。

捕まえた指先はいつもと比べてやや冷たい。

 

「雅だけだ。これまでも、この先も」

 

達也は誓うようにその薬指の付け根に唇を落とした。

 





達也にとって深雪は『絶対』であり、雅は『唯一』なのだと思います。

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