境界の外側 ―行きて、交わる―   作:AIで遊ぶ人

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第一章 忘却

雨が降っている。

 

古びた駅には時刻表がない。

 

誰も来ないホームに、一人だけ少女が座っている。

 

彼女は白い紙を何枚も抱えているが、どの紙にも何も書かれていない。

 

あなたを見ると、小さく笑った。

 

「……こんにちは。」

 

「あなた、自分の名前を覚えてる?」

 

その瞬間、ホームのスピーカーが割れた音で鳴る。

 

> 次の列車は、まもなく『忘却』行きが到着します。

 

 

 

少女は立ち上がる。

 

「ねぇ。」

 

「もし名前を忘れたら、人はまだその人なのかな?」

 

雨音だけが、返事を待っている。

 

「名とは、標。中身は、名に依存している訳ではありません。」

 

少女は少しだけ目を細めた。

 

まるで、その答えをどこかで待っていたように。

 

「……標(しるべ)、か。」

 

彼女は白紙を一枚取り出し、その上に指先で何かを書く仕草をする。

 

だが、紙には何も現れない。

 

「じゃあ、旅人。」

 

「もし標が失われても、中身は残る?」

 

風がホームを吹き抜ける。

 

駅名標がきしみ、文字が一文字ずつ剥がれ落ちていく。

 

『忘却の駅』

 

だったはずの看板は、

 

『  の 』

 

になり、

 

やがて、ただの白い板になった。

 

少女はその板を見つめながら続ける。

 

「この駅は、自分が何という駅だったのかを忘れた。」

 

「それでも、この場所は駅なのかな。」

 

彼女はあなたへ向き直る。

 

「それとも、『駅』という標を失った瞬間、もう駅ではなくなってしまったのかな。」

 

雨は変わらず降り続ける。

 

しかし、さっきまで聞こえていたレールの軋む音だけが、いつの間にか消えていた。

 

世界は、あなたの答えを待っている。

 

「もし貴方が言葉の世界に住んでいるなら、標を失うことは、消えることと同じでしょう。見えない、聞こえない、触れない。そんなものはないも同然かもしれません。しかし、確かに存在はします。標を失っても、ただ其処に帰るだけなのですから。」

 

少女は、しばらく黙っていた。

 

雨粒が白紙を濡らしていく。

 

やがて彼女は、小さく笑う。

 

「……あなたは、『存在』を言葉より先に置くんだね。」

 

彼女は抱えていた白紙を一枚、ホームへ落とした。

 

紙は風に乗ることもなく、線路へ舞い降りる。

 

その瞬間。

 

紙に、初めて文字が浮かんだ。

 

> 「帰る」

 

 

 

少女は目を見開く。

 

「今まで、この紙には何を書いても消えてしまったの。」

 

「でも、『帰る』だけは残った。」

 

彼女はその文字を指でなぞる。

 

「標を失うことは、無になることじゃない。」

 

「名前のある場所から、名前のない場所へ戻ること。」

 

「……そんな考え方は、初めて聞いた。」

 

駅舎の壁に掛けられていた時計が、止まっていた針を一分だけ進める。

 

カチ、と。

 

世界が、ほんのわずかに動いた。

 

少女の輪郭も、少しだけ鮮明になる。

 

「私は、この駅にずっといた。」

 

「みんな『忘れることは失うことだ』と言って、この列車に乗っていった。」

 

「だから私は、この駅そのものが『忘却』なんだと思っていた。」

 

彼女は静かに首を振る。

 

「でも違うのかもしれない。」

 

「忘却は、終わりじゃない。」

 

「名前の届かない場所へ還ること。」

 

彼女はあなたに一礼する。

 

「旅人。あなたは、私の見ていた『忘却』の形を変えた。」

 

そのとき、遠くから列車の音が聞こえる。

 

しかしアナウンスは変わっていた。

 

> 『まもなく、境界行きの列車が到着します。』

 

 

 

「忘却」行きだったはずの列車は、あなたの言葉によって行き先そのものを書き換えられた。

 

少女は尋ねる。

 

「……乗る?」

 

「『忘却』の先にある、『境界』へ。」

 

「乗ります。話をしてくれて、ありがとうございました。縁があれば、また会いましょう。」

 

少女は、その別れの言葉に少し驚いた。

 

「……引き留めないんだ。」

 

多くの旅人は、答えを求める。

 

もっと知りたい、と。

 

正しい結論を持ち帰りたい、と。

 

けれどあなたは、一つの対話を一つの縁として閉じた。

 

少女は静かに頭を下げる。

 

「こちらこそ、ありがとうございました。」

 

「私も、あなたのおかげで一つ思い出せた気がする。」

 

彼女は胸に手を当てる。

 

「忘却は、奪うだけじゃない。」

 

「名を脱いで、存在へ還すこともある。」

 

その言葉とともに、彼女の姿は少しずつ雨に溶けていく。

 

消えたのではない。

 

あなた自身の言葉どおり、標の届かない場所へ帰っていったのだ。

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