うたをつぐもの―うたわれるもの・After―   作:根無草野良

100 / 235
~第三幕・3~ カルラゥアトゥレイの礼・後

 

 慌(あわただ)しい城を抜け、騒ぎの気配を追い、走る。

 こんな時、少数である雇兵団(アンクァウラ)は機動力の点で圧倒的に有利だ。

 個々好き好きに進路をとった某(それがし)たちは、整然と進む軍の兵を追い抜き、逸早(いちはや)く現場に辿りついていた。

 咆哮に震える深緑の森、巨木の群れを前にして、思わず足を止める。

「この、森は……」

 人の齢を遥かに越える黒々とした木々。

 神代の森は独特の霊気を放ち、排他的な気配に満ちている。

 濃密な空気は水のような、あるいは毒のような重さを伴い、一歩を踏みこむ事すら躊躇わせた。

 それでも、進まぬわけにはいかない。

 折り倒される木々の悲鳴と共に、獣の咆哮が確かな戦いの気配を運んできているからには。

 わずかな気がかりに隣を見る。

『――クェセ、アルルゥ、ポトゥム、ソトゥカイ――』

 森の母(ヤーナマゥナ)は静かな祈りを捧げた後、凛としたまなざしを闇の奥へと向けた。

 それだけで、少しは気配の禍々しさが薄れた気がする。

「トラ、いく」

「よし」

 覚悟は決まった。

 アルルゥを乗せたムックルと共に、森への一歩を強く踏む。

 更に一歩、また一歩。

 歩みが疾駆に変わる頃、重い水のようだった森の気は、身の内で燃える炎に変じていた。

 進むほどに流れていく木々と枝葉。

 耳を過ぎていく風の音は、自らが切り出したもの。

 その中で、さらに強くなる咆哮と衝撃の響き。

 刹那で飛び去っていく緑色の風景には、明確な変化が現れていた。

 巨大な爪と、巨大な刃による傷跡が。

 ――近い――

 思い、気を締めた次の瞬間、

 目に飛びこんできた光景に、勢いのすべてを止められていた。

『ヴオオオオオオオ!!』

 一つは巨大な獣の姿。

 その巨躯は、ムックルをも凌ぐ灰色熊(グルィボゥ)。

 吼える巨獣は赤い瞳に怒りを燃やし、巨木のような双腕を振り回していた。

 触れるもののことごとく、神代の齢を経た木々を、枯れ木のように打ち砕く。

 圧倒的な破壊の力は自然の猛威そのもので、人の身で近づくなど考えにすら及ばせない。

 ――にも関わらず。

 もう一つの姿は、その前に立ちとどまっていた。

「ハアアアアアアアアア!!」

 獣の咆哮を打ち消さんばかりの叫びを上げ、襲いかかる暴力のすべてと向き合っている。

 小さな人影は豪腕の一撃一撃を、鉄塊でもって打ち払っていた。

 いや、それは、巨大な剣だ。

 身の丈の三倍はある剛剣を、少女は灰色熊(グルィボゥ)に負けぬ威力で繰り出している。

「すご、い……?」

 幻想的というよりは悪夢めいた光景に、力を揮うその主が小さな女の子である違和感を、一瞬本気で忘れていた。

 身の丈などユズカ殿ほどもない。

 見ているものは未だ信じられないが、現実であることは間違いのない事実だ。

 ようやく思い至った加勢の念に、足を前へと持ち上げかけたその瞬間、

『ゴアアアアアアア!!』

 少女の一撃に弾かれ、獣の巨躯が某(それがし)の上に降ってきた。

「のわ?」

 慌てて避けたその場所に、灰色熊(グルィボゥ)が沈み、潰れる。

 意識を失いでもしたのか、そのままピクリとも動かない。

 あまりといえばあまりな光景。

 声を失くした某(それがし)に、前から声が飛んでくる。

「そんなところにいると危ないですわよ」

 幼くも軽やかな声は紛れもなく、剛剣を振るっていた少女から放たれたものだった。

 短い黒髪に円(つぶ)らな瞳。

 虎を思わせる大きな耳。

 歳の頃は七か、八か。

 幼いながらも大人びた笑みは、立ち振る舞いにも似つかわしい。

 何故か首には、剣奴(ナクァン)がするような鋼の輪がはめられていた。

「い、や、某(それがし)は……」

「カルラ、おねーちゃん?」

 放心した言葉は、ほぼ同時に。

 横から聞こえてきたアルルゥのつぶやきは、多分に疑問を含んだものだった。

 自分でも信じられない、という響きだ。

 無理もない。

 剛剣を肩に担いでいるとはいえ、少女の姿はアルルゥが姉と呼ぶには幼すぎる。

 だが、当人はそのつぶやきに、某(それがし)たちとは異なる反応を示していた。

「あらあなた。

 お母さまをごぞんじなの?」

「おかーさん?」

「ええ。

 カルラはわたしのお母さまの――」

「カリン!」

 自慢げな声は、叫ぶような呼びかけに遮られた。

 後ろに現れたのは、怒りの相を顕(あら)わにしたデリホウライ皇。

 そのまま某(それがし)たちを気にもかけず、少女の前へと進んでいく。

 途中の獣も踏み越えて。

「お前はまた、勝手にそんなものまで持ち出して」

「そんなものとは失礼ですわね。

 お母さまからの大切なおくりものですのに」

「まったく、姉上も余計なものを」

「そんなことより叔父さま。

 そんなところにいると危ないですわよ」

「なに――」

 デリホウライ皇が疑問を結ぶより先に、その意味が背を襲う。

『ゴアアアアアアアアア!!』

 再び立ち上がった灰色熊(グルィボゥ)が、咆哮に続いて鋭い爪を振り上げていた。

「デリホウライ皇!」

 慌てて剣を握るが、既に遅い。

 刃を疾らせる意識よりも遥かに速く、獣の凶爪はデリホウライ皇を貫いていた。

 ――場に残された気配だけを。

「フンっ!」

 神速の身こなしは、事も無げに振り返り様の一撃を叩きこんでいた。

 鋼鉄の手棍が容赦なく灰色熊(グルィボゥ)の腹へと吸いこまれ、その巨躯を木々の狭間へ弾き飛ばす。

 尾を引いた苦痛の叫びは、そのまま闇へと消えていき、そして、返ってこなかった。

「な……」

「しまった。

 殴りすぎたか」

「はあ。また逃がしましたわ。

 叔父さまのせいで」

 声も出せぬ某(それがし)の緊迫を、二人はやはり気にもせず、気軽な言葉を交わしていた。

 場所の神妙さも無関係に、日常の雰囲気を漂わせている。

「……あのなぁカリン。

 元はといえばお前が勝手に

 飛び出してきたからだろうが。

 もう少しで包囲も完成していたものを」

「知りませんわ、そんなこと。

 あとはトドメだけでしたのに」

「そう簡単に仕留められる相手でない事は

 わかっているだろう。

 お前は城で大人しくしていればいいんだ」

「そんな退屈なことしてられませんわ。

 だいたい叔父さまは――」

 繰り広げられていく口喧嘩。

 次第に団の皆が集まってきたが、説明のしようもない。

 二人のやりとりが終わるまで、某(それがし)たちにはただ黙って見ている事しかできなかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。