うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
魔の薬に侵された者たちは、規模の小さな村や町のみならず、万全の守りを備えている皇都城下の周囲にまで現れていた。
住まう者が増えるほど、その数に従うように。
魔薬などと呼びはしているが、毒は過剰な薬に他ならない。
白霊蓮(サラカジャ)の蜜も微量であれば、沈痛作用を持つ麻酔としての効果をもつ。
もう少しだけ量を増せば、悲痛悲哀を忘却させる薬にも。
その服用を重ねてしまう人の弱さは、責められるものではないのかもしれない。
だが、堕ちた者にまで情けをかける事はできなかった。
心を失った者たちに、生の営みを奪う権利はないのだから。
理性をなくした狂者の群れ、もはや言葉の通じぬ者どもを前に、某(それがし)に与えられる救いは唯一つ。
斬り、滅することだけだ。
報せを聞き、駆けつけた末端の街区。
牙を剥き、爪を伸ばして襲い掛かってくる民であった者たち。
それを、今はただ斬るべき敵として捉え、
瞬時に五つの剣閃を叩きこむ。
『ギオオオオオ!』
『グルゥゥゥ』
『ガアア!』
閃きは、向かい来る三人の歩みを束の間止め、ただそれだけで終わった。
胸を裂かれ、腕を飛ばされ、腿(もも)を深く抉(えぐ)られたにも関わらず、痛みに竦(すく)む素振りも見せない。
狂った叫びを上げたまま、ただ前へと進み来るばかり。
迫り来る亡者にも似た狂気にあてられ、思わず数歩を退いていた。
「くっ。
相変わらず、手応えのないっ」
「まったく、
斬りがいも殴りがいもない連中だっ」
隣り合うテルテォが同じようなボヤきをこぼす。
魔薬に侵された者たちの脅威は、何度切り結んでも慣れるという事がない。
いや、脅威というよりは不気味さというべきか。
力こそ強いが歩みは遅く、愚鈍な動きなど油断さえしなければ後れを取る事はない。
恐るべきはその執念。
あるいは妄執と呼ぶべきものだ。
痛みを忘れた狂者は躊躇いや恐怖もなく、ただ生あるものを滅するためだけに動き続ける。
腹を裂かれ、頭を割られ、心の臓を貫かれても、だ。
その姿と数こそがもっとも恐ろしい。
恐怖や驚愕による硬直は、油断以上の隙を生む。
まるで手応えのない斬撃にも、動揺している暇などない。
「ボヤいている暇があるなら斬れ!」
「「応!」」
気勢に背を押されるように、退いた倍の間を踏みこんだ。
リネリォ殿の闘気は常と変わらず、ますます鋭さを増している。
なにか当り散らしているようにも見えるが、成果が伴っているのならば問題はないだろう。
旋風の刃は斬撃に合わせて衝撃を生み、群がる亡者を散らしていた。
放たれる鋼の射と共に。
「援護が薄いっ。
サボるなティティカっ」
「戦いとなると人づかいが荒いねぇ、
相変わらず」
片膝ついて息を荒げながらも、ティティカ姉は要望に応え、矢を番(つが)えた。
山なりに、まっすぐに、鏃(やじり)は風を切って走り抜けていく。
矢は鋼の重さをもって敵を貫き、壁に、地にへと縫いつけていった。
カミュたちの法術や、ムックルの爪牙も、着実な成果を上げている。
元々『ティティカルオゥル』の一行には、相手を想定した戦術というものがない。
だからこそ、こんなワケのわからぬモノが相手でも、躊躇いなく対する事ができているのだろう。
カルラゥアトゥレイの兵たちは苦戦していた。
よく統率された軍隊ではあるのだが、いかんせん、個の実力と経験が伴っていない。
迫る恐怖に竦(すく)む足では、日頃の訓練も存分には効果を発揮できないのだろう。
それでもかろうじて形を維持しているのは、突出した戦力が率いているためか。
「怯えるな。
恐れさえ払えば打ち勝てぬ敵ではないぞっ」
「躊躇は不要ですわ。
叩き伏せなさい」
手棍と剛剣の唸りの合間に聞こえてくる、鼓舞の声。
デリホウライ皇とカリンは、ギリヤギナの名に恥じぬ猛威を揮っていた。
自ら最前に立つ皇(オゥルォ)の姿は、それだけで士気を高めている。
もっとも、語る内容に兵たちがついていけるかは別問題だ。
一撃で敵の四肢を粉砕する己の膂力が規格外である事を、デリホウライ皇はきちんと理解しているのだろうか。
「足を潰せば随分おとなしくなりますわよ」
「そんな、簡単に言われても」
「一本ぐらいなら薪を割るようなものでしょう?」
某(それがし)がカリンの軽口に即答できずにいると、デリホウライ皇が言葉を向けてきていた。
「その程度もできんのか?
役に立たん奴だ」
「む……」
それは、嘲(ののし)りを含んだ冷やかしの言葉。
某(それがし)とてエヴェンクルガの端くれだ。
戦の中で馬鹿にされ、黙ってはいられない。
ただし、返答は行いによって。
血に濡れた刃を腰に戻し、一拍ためて抜き放つ。
「ハッ!」
踏みこみと共に疾(はし)らせた閃きは、大小あわせて十と八。
重い斬撃は瞬きの間で、亡者の一つを数え切れぬ肉片に変えた。
聞こえてくる、感心と憮然の声。
「なるほど。
それでも動きは止まりますわね」
「ふん。
まだまだ来るぞ。気を抜くなよ」
息を切らせた某(それがし)にも、細切れにされた同胞(はらから)の末路にも気を止めず、亡者の群れはまだまだ押し寄せくる。
気を抜く暇などありはしない。
一つ大きく息を吐き、新たな力を腹に溜め、さらなる一歩を踏み出した。