うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
夜も白み始めた暁時。
秘された戸を潜り、地下の水路を通り抜け、闇に紛れて街を出る。
思わず溜息が漏れた。こんな事にばかり長けてきたような。
ともあれ、『ティティカルオゥル』一同はニコルコの導きに従い、神代の森の奥へと踏み入っていた。
初日、灰色熊(グルィボゥ)とやりあった場所よりも、さらに奥深くへと。
「この先に敵の首魁が潜んでいると?
どこから仕入れてきたんだ、そんな情報」
「蛇の道は蛇と申しますか。
商人には商人の情報網がありますゆえ、ハイ」
「なるほど。
言われてみれば納得できますわね。
森自体は灰色熊(グルィボゥ)を恐れて
監視されていたはずですけれど、
広大なその内にまでは
調べが及ばなかったでしょうし」
声を潜めたやりとりは、闇に閉ざされた森を可能な限りの速さで進みながら。
灰色熊(グルィボゥ)の猛威を警戒しながら、この想いこそが目を眩(くら)ませていたのかと、苛立ちを覚える。
考えてみれば、灰色熊(グルィボゥ)自身が白霊蓮(サラカジャ)の毒に侵されていたのだ。
理由をもっと追及して然るべきであった。
重みを増す空気と深まる緑を掻き分け進み、一つなだらかな岩山に辿りついた。
潜めていた気配を更に押し殺す。
大きく開いた洞穴の手前に二人、黒衣の外套(アペリュ)をまとった人の影を見て。
昇りはじめた暁の光に照らされ、そこには赤い色も浮かんでいた。
「当たり、だね」
「あれは、もしかしたら
灰色熊(グルィボゥ)の巣ではないかしら?
天然の洞窟ならそれほどの深さもなさそうですわね」
「気づかれている気配もないな。
さて、ここからどう攻めこむか」
正面突破でも構わないのだが、万が一灰色熊(グルィボゥ)などが現われでもしたら、応戦している間に首魁を取り逃がすかもしれない。
皇(オゥルォ)を蔑(ないがし)ろにしてまで出張ってきたのだ。
襲撃の時間は少しでも短く、速やかに決着をつけたい。
そこに、一つの提案が上がった。
「ん。アルルゥ、いいこと考えた」
アルルゥはおもむろに、背負っていた荷の塊を解き広げた。
「ん?」
「止まれ」
掛けられた制止の声に、某(それがし)は素直に足を止めた。
内心では汗を流しながら、表面上は努めて冷静を装う。
表情を気にする必要がないのは幸いだった。
目深(まぶか)にかぶった頭巾が、顔をすっかり覆い隠してくれている。
アルルゥが取りだした黒い外套(アペリュ)に身を包み、某(それがし)たちは堂々と二人の番兵の前に歩み出た。
クイナ殿になにか頼みごとをしていたのは知っていたが、こんなものをこしらえていたとは。
いや、苦言を考えるのは後回しだ。
極力緊張を抑えながら、いつでも抜けるように外套(アペリュ)の下で剣を握り、ティティカ姉の交渉を見守る。
「見張りご苦労。
任務の帰りだ」
「そうか……
随分と大所帯だな」
「外部からの増援と合流してな。
連絡を聞いていないのか?」
「? いや、そのような話は――」
「たるんでいるぞっ。
そのような事でどうするっ」
日頃のゆるみはどこへやら。
低く張った声で叱責を飛ばす様は実に堂々としたもので、負い目引け目などまったく感じさせない。
警戒から困惑に変わっていた相手の心に、恐縮を生むには十分な威圧であった。
「す、すまない」
「まあよい。
報告もある。通してもらうぞ」
躊躇いなく進む足取りは、あっさりと洞穴の内へと踏みこんでいた。
とりあえず、ティティカ姉と某(それがし)に関しては。
「お、おい」
「なんだ?」
「なんだ、って、ウマ(ウォプタル)を連れて入る気か?」
続くリネリォ殿とテルテォが、案の定止められていた。
無理もない。
当人たちは外套(アペリュ)をまとっていても、騎乗するウマ(ウォプタル)までをも隠せるわけはないのだから。
だが、強い言葉を向けられても、リネリォ殿の返答は欠片も揺るがなかった。
「新たな策のために必要な装備だ。
検分の必要もあるため連れてこいと命じられている」
「し、しかし、それなら外で――」
「命令に不服でもあるのか、貴様?」
「い、いや、そういうわけでは……」
冷静かつ威圧的な声でそう言われては、問い直す事もできないだろう。
言いよどんでいる番兵の前を、二人は平然と通り抜けた。
さらにその後を追い、白黒の翼がふよふよと続く。
「お、おい?」
「なに?
……じゃないや。なんだ?」
「オンカミヤリューが入るとは聞いていないぞ。
貴様、間者ではあるまいなっ?」
カミュとムティ殿の翼に一際強く反応するのは、ウィツァルネミテアの教えに背くと、自ら自覚があるためだろう。
剣に手をかけた番兵を前に、しかしカミュは余裕を崩さない。
いや、余裕とは少し違うか。
「ふ、わかってないなぁ。
カ……おれたちははぐれなのさ。
色々と悪さもしたが、ここの連中に拾われてな」
「姫さま……
なぜそんなに楽しそうなんですか……」
まったく、ムティ殿のつぶやきはいつでも的確だ。
頭巾がなければ、しとどに流れる涙を晒している事だろう。
そして件(くだん)の姫君は、目を爛々(らんらん)と輝かせているに違いない。
「オンカミヤリューの法術の威力、
知らないわけじゃないだろう?
なんなら教えてやってもいいんだぜ」
「い、いや、いい。
わかった」
怯え退いた番兵の言葉に、なぜかカミュは残念そうに場を離れていった。
続く者たちに出番を譲るように。
「おいっ?」
「なんですの?」
「なんですの、じゃないだろう。
なぜ子供がまぎれているっ?
貴様ら、やはり間者……」
「イエイエ、彼女は優秀な暗殺者なのですよ、ハイ」
カリンへの疑いを晴らそうとするニコルコの饒舌ぶりは、いつも通りだった。
いや、太鼓持ちに相応しい騒々しさと言うべきか。
「暗殺者?」
「ハイハイ。
アナタも聞いた事ぐらいあるでしょう。
子供の身形を利用して標的に近づき、
懐をグサリと一突き。
これにはどれほどの手練(てだれ)も
イチコロなのですよ、ハイ」
よくもまあ、こうも凶悪な事がポンポンと口から出てくるものだ。
日頃から感じている胡散臭さは、やはり間違っていない気がする。
いつの間にか番兵もうなずいていた。
「な、なるほど……」
「あまり機嫌をそこねるような事を仰(おっしゃ)っていると、
知らぬ間にザックリ、なんて事に
なるかもしれませんよ、ハイ」
「ひっ?」
慌てて飛びのいた視線の先では、カリンが覆面越しに微笑んでいた。
「わ、わかった。行け」
「了解ですわ。行きましょ」
「ん」
『ヴォ』
「ちょっとまてい!」
だがさすがに、黒い布を被せた巨獣まで気づかれずには済まなかったようだ。
「なに?」
『ヴォウ?』
「なに、じゃないだろうがっ。
なんだソレは!」
指と剣を向けられ、アルルゥは頭巾越しにもわかる憮然とした気配を放つ。
「ソレじゃない。ムックル」
「名などどうでもいいっ。
そんな怪しげな獣、
一体どんな用で連れこむ気だ!」
「むー、ムックル怪しくない」
いや、怪しいだろう、どう見ても。
むしろここまでよくもった。
確認のために隣を見れば、ティティカ姉も首を縦に動かしていた。
剣の握りに力をこめる。
「や、やはり怪しすぎるぞ、
おまえら……ぁ?」
「敵襲だっ、守備隊――っ!?」
上がりかけた叫びより一瞬だけ早く、某(それがし)は刀の峰で二人の首根を打ち払い、その意識を飛ばしていた。
「惜しかったですわね」
「なにが悪かったんだろう。
色合いかな?」
「うー」
「いや、そういう問題では……」
本気で進めるつもりだったのだろうか?
某(それがし)は、接近するための口実だと考えていたのだが……。
まあいい。後でいくらでも悩んでもらおう。
今は先に片付ける問題がある。
「ここからは、どうします」
「どうもこうも、
一つしかないだろうね」
洞穴の奥から聞こえてくる無数の足音に対し、皆覚悟はできているようだ。
黒い外套(アペリュ)はすでに脱ぎ捨てている。
構え、後は合図を待つばかり。
無論、某(それがし)も同様に。
「ようし、突撃ぃ!」
「「「応!」」」
団長の命に応じる声は、迫り来る叫びよりも高らかに。
戦いの火蓋は、二人の騎兵の刃によって切り落とされた。