うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
双刃の槍が唸りを上げ、立ち塞(ふさ)がる黒覆面を瞬きの間に斬り裂き、旋風と血の飛沫を生む。
岩肌を削る豪放な槍と、繊細にして無慈悲な槍は、重なりあう事ですべての障壁を打ち砕く威を見せていた。
だがそれも、洞穴の中では絶大な効果とはいえない。
いかに灰色熊(グルィボゥ)が潜むほどの岩穴とはいえ、騎兵二人が並んで刃を振るには広さが足りず、ウマ(ウォプタル)も進みを鈍らせていた。
敵が個々で向かい来ている今はよいが、数が増えれば押し切られぬまでも、膠着(こうちゃく)するのは免(まぬが)れまい。
すでに立ちはだかる人影は、狭い道を埋めつつある。
ましてや、敵には白霊蓮(サラカジャ)の蜜があるのだ。
これ以上足踏みしている暇はない。
焦る想いを持て余しながらも、某(それがし)には刃を揮う姉弟の背を見守ることしかできずにいた。
「クっ……」
「まいったねこりゃ。
迂闊(うかつ)に矢も撃てやしない」
「術でも間に合わないよー」
「むー、通れない」
「ええい、テルテォっ。
邪魔だどけ!」
「やかましいっ。
通りたければ勝手に通れ!」
苛立ちに無茶な返事が返ってくる。
騎兵二人の間は刃の嵐の交錯点だ。
通ったところで、向こう側につけるのは某(それがし)の斬殺体だけだろう。
「それができるなら苦労は――」
「いいですわね、それ。
行ってもらいましょう」
つぶやきかけた文句は、下からの声に消された。
正確には、足から持ち上げられた浮遊感に。
「な、ちょ、カリン?
なにを――」
「道を拓いてくださいま、せっ!」
驚きを現す間もなく、天井に向けて投げ飛ばされた。
天井すれすれの宙を舞い、重なる槍の刃を見下ろしながら、群れた敵の頭上を越える。
かろうじて着地を果たした次の瞬間、頭は混乱したままながらも、体は事を成していた。
「な……」
「なん、だっ!?」
抜いた刃の軌跡をもって、周囲の敵を一閃する。
弧に散る赤い血の飛沫(ひまつ)に、黒覆面たちの間に一瞬の沈黙が生まれた。
その機を逃さず、奥の暗がりへと駆ける。
「ま、まて貴様!」
「追え! 奴を追え!」
「馬鹿、離れるなお前らっ」
「今戦力を分散しては――」
追いくる数はごくわずか。
遠のく声は十分に混乱していた。
一瞬の虚を突いて、上手いこと均衡を崩せたようだ。
生憎と確かめる暇はなかったが、今は皆を信じるしかない。
薄暗くもなだらかな穴の中を、ひた走る。
後ろについてくる気配を振り切るため。
そして、先に潜む敵の首魁を討つために。
途中、頭上を流れる薄い煙に気づいた。
白い霞は進むほどに濃さを増し、強い刺激で目鼻を刺しくる。
荒がりはじめた呼吸にまかせて深く吸いこみでもすれば、意識を根こそぎもっていかれかねない。
「ゴフ、グっ……?」
耐え切れぬ痛みに身を屈めた瞬間、先から声が聞こえきた。
叫ぶような、喚(わめ)くような、一方的な懇願の声。
「……た、頼……命だけ……
……り手ならば……華も……」
それは、目指す闇の向こう。
煙を吐き出す最奥の間から。
いつの間にか喧騒は遠く、追いくる者たちの姿も消えていた。
待ち受ける予感、鋼鉄の壁にも似た重すぎる排斥感に、背筋が凍る。
確かめるまでもなく知れた。
先に、圧倒的な力がある。
……
……
……それが、なんだ。
如何なる相手が居たところで、定めた覚悟に揺らぎはない。
「っ!」
鈍(にぶ)りかけた足をより速め、闇の中へと踏みこんだ。
広がる霞んだ黒と白。
たゆたい広がる闇の上に、揺らぐ毒の白い煙。
これまでの道に比べれば随分と広い、荒い岩壁が囲む球状の場は、さながら墳墓(ふんぼ)の内を思わせる。
中心には二つの人影が、立ち上る煙を前にして向き合っていた。
「ひっ……
き、来たぞっ。
話は後だ、奴を殺れ!」
一人は、喚(わめ)き散らしている覆面の男。
まとう外套(アペリュ)は仕立ても装飾も、これまでに斬り倒してきた者たちに比べてずいぶんと上等だ。
場所と態度から推測するに、首魁かそれに近い立場なのであろう。
「ふ、ふん。
よくぞここを探り当てたものだ。褒めてやろう。
だが、もはや無駄な事よ。
都に白霊蓮(サラカジャ)を広める算段はほぼ完了した。
後はワシが一つ令を下せば
カルラゥアトゥレイは一息に落ちる。
それが終われば隣国よ。
白霊蓮(サラカジャ)の魔力により、
ワシは更なる力を得るのだ。
ふ、ふは、ふはははははは!」
覆面がやかましく騒いでいたが、某(それがし)は聞いていなかった。
戯言に向ける余裕など欠片もない。
もう一人の男。
鉄棍握るラクシャインの、重いまなざしに対するため、神経のすべてを費やしていた。
「…………」
「クっ……」
無言であるにも関わらず、その隻眼は万言よりも雄弁に、唯一つの想いを告げていた。
邪魔をするなら殺す、と。
決した覚悟は微塵も揺らいでいない。
だが、強固な意志をもってしても、それ以上足を進める事はできなかった。
かかる重圧は緊張というより、もはや呪縛だ。
カミュに動きを封じられたとき以上の力が、四肢を完全に硬直させていた。
……いや、たかが雰囲気に呑まれてどうする。
この程度に臆していては、とても兄上とは向き合えない……!
気と緊張を解くために、細く、慎重に息を吐く。
「……フゥゥゥゥ」
「――のラクシャインだけではない。
白霊蓮(サラカジャ)の香を嗅ぎつけ、
じきに灰色熊(グルィボゥ)もやってくる。
ふ、はは。どうだ、
素直に平伏するのならば
我が下で使ってやってもよいぞ。
どうせこの世は終わるのだ。
最期の時を前に自由を謳歌させてやるぞ」
わずかに緊張の解かれた意識が、雑音の意味をようやく捉えた。
奇異な言葉に眉根が上がる。
「世が、終わる?」
「ふん、そうだ。この世は終わる。
あふれる地獄(ディネボクシリ)に覆い尽くされてな」
眉をひそめた某(それがし)の様が、よほど気に召したのだろう。
覆面はそれまでの怯えを消し去ろうとでもするように、饒舌に言葉を続けた。
「我等が策を廻らさずとも、
この世(ツァタリィル)は争いに満ちている。
負の念たる『怨(オン)』もまた然(しか)り。
いずれ地獄(ディネボクシリ)は自ずから姿を現すであろう。
この怨石(オゥ・カゥン)に導かれてな」
誇り、黒い塊を懐から取り出す。
それは、漆黒の外套(アペリュ)より、周囲の闇よりなお黒く、しかし、見る者に確かな形を知らしめる、
幼き子供の左手だった。
瞬間、肥大させられた心の闇を引き千切られる感覚に、それがかつて見たものと同種の存在だと確信した。
間違いなく、仮面の女が手にしていたのと同じ、『怨(オン)』を喰らうという石だ。
知らず、苦い唾を飲みこんでいた。
あの石を前に、何度苦汁を飲まされてきた事か。
某(それがし)の悔恨に、覆面はますます機嫌を上げていく。
手にした黒石を突き出して、禍(まが)き力を大仰に誇る。
「我に従え。
さすれば時の終わりまで
享楽の夢をみせてやるぞっ。
ふは、ふははははは、は――」
そんな不愉快な哄笑も、続いたのはごく短い間だけ。
次の瞬間、黒き石を握る手は、肘の付け根から折り千切られていた。
「は……あ、うああ!?」
飛沫(しぶ)く己の血を見ることで、ようやく痛みを覚えたらしい。
覆面は、地をのたうちながら赤い領域を広げていった。
右腕のあった場所を懸命に抑えるも、流れる血は止まらない。
絶叫を上げながら、もぎとられた自分の右腕を見上げていた。
視線の先にいる者は、表情一つ変えぬ巨漢の男。
「ラクシャ、貴様っ」
「世迷言は十分に吐いたであろう。
これで我の務めは終わりだ。
後は始末を残すのみ」
向けられる言葉を聞きもせず、ラクシャインは丸太のような鉄棍を、見上げくる覆面の頭上に置いた。
黒い布に遮られているにも関わらず、怯えの相がはっきりと知れる。
「ま、待て――」
言葉を聞くこともなく、棍は覆面を圧し潰した。
無慈悲に、無遠慮に、容赦なく。
蟲を潰すような潔さで、一片の感情すら動かさぬ完璧な動作。
迷いのない殺しの技は、真の武人を想わせるもの。
リネリォ殿から聞かされていた印象を強く思い出させながらも、一つが明らかにズレていた。
それがなにか、すぐに思い至る。
悪逆非道と呼ぶような、狂悦の念が、彼にはない。
清冽を思わせる気配にあるのは、むしろ深い悟りと覚悟だ。
浴びた返り血を気にする様子もない。
隻眼に見据えられ、吸いこむ息が果てしなく重くなる。
「若きエヴェンクルガ。
貴様も我の妨げとなるか」
「クっ……」
応じるのに一つ呼吸を要した。
威に負けぬよう気を練り上げ、構えを一つ低くする。
圧倒的な存在感が、無言でも彼我の力量差を知らしめた。
今の某(それがし)では、瞬きの間すら彼の歩みを止めることなどできまい。
一人であるならそれでも構わなかった。
これ程の手練(てだれ)が相手であるなら、結果になど頓着しない。
だが、今は仲間がいる。
後ろに控えた戦友たちが。
優先すべきは個の名誉ではなく、団の目的。
この場で容易く果てるわけにはいかない。
「……一つ、問いたい」
巡らせた考えが、抱えていた疑念を吐き出すように、自然と口を開かせていた。
「リネリォ殿の語った悪行、
真に貴殿の仕業なのか」
その違和感は始めからあった。
リネリォ殿に聞かされた想いに、彼の佇(たたず)まいを重ねた時からだ。
如何にも無骨な武士(もののふ)然としたラクシャインの印象は、とても悪逆非道を尽くしたと語られるようなものではない。
確かに某(それがし)は未熟であるが、人を見極める目には、わずかばかり自信がある。
あまり期待はしていなかったのだが、咄嗟の問いかけは予想以上に彼の気を惹いたらしい。
「リネリォ……
あの、クッチャ・ケッチャの生き残りか」
「答えて、頂きたい」
「あの娘の語った言葉ならば、事実だ。
確かに、我はこの手で、我が子を殺(あや)めた」
語る言葉は、思いのほか饒舌に、求めた以上の答えを返してきた。
いや、答えというよりは独白に近く、むしろ懺悔のように聞こえる。
「惨劇を止めるため、
残された同胞を守るため。
そして、あの子自身を救うために」
「それは、どういう……」
「これが、我が子だ」
促す言葉に示される、手に握られた黒い石。
幼子の左手を、ラクシャインは哀しげなまなざしで見つめていた。
「な、に?」
「『怨(オン)』は負の念。
高き処より堕ちる水のようなもの。
それは集い、澱み、歪を増し、
やがてこの世に穴を生む。
常世(コトゥアハムル)へと繋がる穴。
あるいは、地獄(ディネボクシリ)そのものだ。
一〇〇の年月を通じて一人、
その依代が世に生まれる。
死を撒き、『怨(オン)』を喰らい、
地獄(ディネボクシリ)を現界させる器としてな。
だがそれは、世界のすべてにも匹敵する力。
あらゆる人の業を背負い、
その報いを受けねばならぬ宿命。
並みの者では心を喰われるのみならず、
その身をも凍りつかされる。
ましてや、己も定まらぬ幼子の心身では、
抗(あらが)う術も持ち得なかったであろう」
淡々と語られる言葉には、殺した感情の強さと深さがあった。
「……それが、貴殿の子だと?」
肯定するのは短い沈黙。
まなざしを変えることなく、ラクシャインは語りを続ける。
その目が見た、地獄(ディネボクシリ)の光景を。
「……その日は突然に訪れた。
戦より戻りし我を出迎えたのは、
爆ぜた妻の肉片であった。
血溜まりの中で、あの子は泣き叫んでいた。
周囲に生まれた『怨(オン)』を喰らいながら、
地獄(ディネボクシリ)の刃を撒き散らして」
低く静かに語られる光景は、耳を通して目と心を侵しくる。
某(それがし)の脳裏には、撒き散らされる血肉の色が焼きついていた。
拭(ぬぐ)う事のできぬ、傷のような、色。
「見えざる刃は、
我が左目や駆けつけた戦友のみならず、
集落のすべてをその威に巻きこんだ。
男も女も老人も赤子もない。
彷徨う我が子が生み出していく惨状のすべてを、
我は残された目で追い続けた……」
話自体はリネリォ殿の内容と一致する。
だが、異なる視点が描く心象は、より凄烈を増したもの。
我が子が親しき者たちを惨殺していく光景など、某(それがし)には想像もできない。
ただ、足元が崩れ去り、どこまでも堕ちていくような感覚だけが、心の中を満たした。
だが、語られる地獄(ディネボクシリ)は、それでもまだ生温(なまぬる)い。
「周囲から命あるものが消え去るに至り、
我はようやく覚悟を決めた。
身を刻まれながら我が子に歩み寄り、
その細首を掴み上げ、
……縊(くび)り折ったのだ」
硬く震えた独白がようやく終わる。
それまで殺されていた感情が、その時だけは命を取り戻していた。
あまりに深い悲しみと、悔いの想いを。
胸を襲う苦しさに、息を止めていた事を知る。
思いだした呼吸に合わせ、全身を不快な汗が流れ落ちていった。
「……貴方が何故、
このような事に加担して……」
知らず掛けていた問いに、答える言葉は静かな声で、
「すべては罪を贖(あがな)うため。
我と、我が子の犯した罪を――」
「嘘だっ!」
それは、横からの絶叫に掻き消された。
「リネリォ、殿……」
「嘘だ、嘘だっ、嘘だ!
貴様、ラクシャイン!
己が罪に我が子を巻きこみ、
あまつさえ同族殺しを
その子の仕業に仕立てるとは……」
いつから聞いていたのか、怒りに任せての叫びには、しかし、どこか勢いがない。
某(それがし)が感じたものを、リネリォ殿も心のどこかで認めているのだろう。
彼の言葉が真実であると。
真っ向からの否定を受けて、ラクシャインに動きはない。
その目はただ、洞の口にだけ向けられていた。
「だああ!」
「あ、あれ?
行き止まり?」
「うー、けむい」
そこには、リネリォ殿に続いた『ティティカルオゥル』の一行がいた。
「皆、一体……
敵は、かたづいたのか」
「タ、タイガ様っ。
そんな所に立っていると、
危ないですよ、ハイ」
「危ない?
なんだ、なにが起きて――」
『ゴアアアアアアアアアア!!』
獣の咆哮を伴って、勢いのままに駆けこんでくる。
「なっ?
コイツは……」
「互いに、必要な時は得られたようだな」
ラクシャインのつぶやきに応じるように、岩の口が砕けて広がる。
白煙と砂塵の後ろからその原因、灰色熊(グルィボゥ)の巨大な躯が、ゆっくりと姿を現した。