うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
森での討伐行より早数日、街に潜んでいた残党の掃討もつつがなく終わり、カルラゥアトゥレイの皇都は、穏やかな活気に包まれていた。
民の間に蔓延っていた、見えざる恐怖に対する怯えも、今はない。
デリホウライ皇が自らの言葉と行動をもって示した宣言が、彼等の心から不安を拭い去ったのだろう。
傍(かたわら)にいた時はやや頼りなく感じもしたが、民からの信頼こそが、皇(オゥルォ)には最も必要な資質でもある。
国の先行きに不安はなさそうだ。
某(それがし)たちは憂いなく、帰路の支度を進めていた。
「食料は節約していくからな。
アルルゥ、余計なものを積みこむな」
「余計じゃない、おやつ。
あー、おろしちゃダメ」
「水は少し多く必要だな。
ニコルコ」
「ハイハイ。
後一樽で終わりますです、ハイ」
「タイガ様。
こちらは餞別の一つとしてお受け取りください」
「クイナ殿。ありがとうございます。
しかし酒は、そう多く積んでも、
その、歩みが遅くなるだけですので、
少々控えめに……」
「狭量なことを言うな。
戦に臨む者たるもの、
如何なるときも余裕を持つものだ」
「デ、デリホウライ皇?」
馬車へ荷を積む作業の途中、クイナ殿と共に現れたデリホウライ皇の姿に、思わず頓狂な声を上げていた。
皇(オゥルォ)の方は気にもせず、担いできた二つの酒樽を軽々と荷台に放りこんでいく。
いや、そんな事をさせてよい相手ではなかった。
「デリホウライ皇。
そのような事をしていただかなくとも、
某(それがし)たちが積みこみますゆえ……」
「かまうな。
今日は皇(オゥルォ)として
ここに居るわけではないからな」
作業を続けるデリホウライ皇は、今までになく楽しげだった。
働く団の皆に混ざり、穏やかな表情で体を動かしている。
皇(オゥルォ)の重責を担う立場にさえなければ、某(それがし)たちに対する態度も違っていたのかもしれない。
今となっては瑣末な事か。
送別の列が組まれるような事はなかったが、二人の見送りはなによりも嬉しく感じられた。
そう、見送りは二人だけだ。
「お世話になりました」
「う、む。
まぁ、互いにな。
次は余計な用件は抜きで来い。
大した歓迎はしないがな」
「はは、ありがとうございます。是非……
なにしてるんだ、二人とも」
「んー?」
「いやー、
カリリンがいないなー、と思って」
別れを交わす某(それがし)とデリホウライ皇の横で、アルルゥとカミュはきょろきょろと視線を彷徨わせていた。
場に居ない、カリンの姿を捜し求めて。
「昨夜から見かけないのです。
どこに行ってしまったのでしょう」
「放っておけ」
「ですが……」
「こやつらに付いていくなどと言いだしたので
厳しく諌(いさ)めてやっただけだ。
不貞腐れてどこぞで寝こけているのだろうよ」
――直後、デリホウライ皇にアルルゥたちが叩きつけた罵詈雑言(ばりぞうごん)の悪辣(あくらつ)さたるや。
高すぎる声と支離滅裂な内容のせいで、正直半分も理解できなかった。
完璧に受け流したデリホウライ皇は、やはり大人物なのだろう。
「やかましいのが増えずに
お前も助かっただろう?」
「い、いえ、そのような事は。
カリン嬢にも大変お世話になりました。
感謝の意をお伝え下さい」
「ああ。
……なあ、タイガ」
「はい?」
「次に見(まみ)える時までには、
俺も、皇(オゥルォ)としての……」
澱みなく続いていた言葉が、妙な所で止まる。
デリホウライ皇は複雑な表情を見せていた。
なにかを問いかけるような、その解を恐れるような表情を。
あまりに一瞬の事で、真意を読み取る事はできなかったが。
「いや、なんでもない。
次までに手合わせできる程度には
腕を上げておけよ」
「……はいっ。
一層の精進を約束致します」
最後の言葉は武士(もののふ)として。
差し出された右手は大きく硬く、そして強いものだった。
「うぅ~」
「はぁぁ~」
帰路の途上の馬車の上、アルルゥとカミュの口からは気落ちした息がこぼれ続けていた。
時に交互に、時には同時に、鬱陶しい事この上ない。
「お前たち、いい加減にしゃきっとしろ。
ウルトリィ様に任された任務も
しっかり果たしてきたんだ。
なにを不服に思う事がある」
「だってー」
「トラちゃんは寂しくないの?
カリリンとお別れもできなかったんだよ」
「それは、まぁ……」
頬を膨らましての問いかけに、少し感傷を覚えなくもない。
大人びた幼い声を思い出す。
傲慢にして自由、不遜であり奔放。
風のような少女は誰よりも強く、しなやかで、
しかしどこか放ってはおけない可憐さをもっていて……
規則正しく聞こえる馬車の音に、もう居ないのだと、今さらながらに実感する。
「少しは、な」
「あら、少しだけですの?
つれませんわね」
「……は?」
不意に、幻聴が聞こえた。
いや、空耳だと自分を誤魔化すには、あまりにはっきりとした声だ。
思わず振り返り、目を開く。
置かれた水樽の群れの中、端の一つが自分から蓋を開け、中から少女を吐き出していた。
ギリヤギナの可憐な少女を。
「ふう、窮屈でしたわ」
「カリン……お前、どこから……
いや、その水樽は……
ニコルコっ!」
伸びをするカリンの姿と、身を隠していた樽を見て、それを運びこんでいた胡散臭げな商人に目を向けた。
「お、お前は、一体、
なにをしでかしてくれてるんだっ」
「イエイエ、すみませんです。
カリン様からどうしてもと頼まれまして、ハイ」
「あの、なあ……」
反省の色もない。
脱力する某(それがし)の隣では、再会を果たした少女たちが高らかな嬌声を上げていた。
あまりに楽しそうで、声を掛ける事すら躊躇(ためら)う。
救いを求めてティティカ姉に話を向けてみたが。
「……どうします、コレ」
「あはは。
ま、しかたないねこりゃ」
……聞いた某(それがし)が浅はかだった。
笑いの輪は広がるばかりで、常識的な意見など生まれるわけもなく。
某(それがし)には、変わらぬ早さで馬車を進める事しか出来ないのであった。
遠ざかっていく馬車を、デリホウライは見送っていた。
感慨深げに、ただ静かに。
「よかったのですか? デリ様」
「……あれは姉上の娘だぞ。
牢に閉じこめても破っていただろうさ」
クイナの問いに答えながら、声には少しだけ生気が戻る。
なにかを確信したように。
「あの度量は姉上譲りだな。
やはり俺は、皇(オゥルォ)の器ではないのかもしれん」
「そんなことありません!
デリ様がいなかったらカルラゥアトゥレイは――」
「お前のような奴の方が
向いているのかもしれないな、
この国には」
「デリ様……」
顔には、決して弱気からなどではない、小さくも優しい笑みが浮いていた。
クイナが見惚れるより早く、戦を前にした時よりも真剣な表情に変わっていたが。
「クイナ。
一つ、頼まれてくれないか」
「は、はいっ。
私にできることでしたら、なんなりとっ」
「お前以外には頼めぬことだ。
次の皇(オゥルォ)を生み、育てて欲しい」
「はい。
……え、えええええ!?」
語られた言葉の意味に、頷きの声が驚愕に変わる。
「そそそそれは、その、あの、
えええ?」
「……いや、違うな。
俺が言いたいのはそういうことではない」
「そ、そうですよね。
あ、はは。私、また勘違いを……」
だが、コロコロと変わるクイナの表情を見つめたまま、デリホウライのまなざしには一点の迷いもない。
「皇(オゥルォ)のことは今は関係がない。
俺の子を生んでくれ」
「デリ、様?」
「俺は民を導く皇(オゥルォ)である前に、
ただ一人の男として、
お前を幸せにしなければならん」
「デリ様……」
求婚の言葉は男の性格と同じく、飾りのない素直なもので。
「俺の妻になってくれ」
「…………はい。
私なんかで、よろしければ」
受ける言葉もまた彼女に相応しい、慎ましく淑(しと)やかなものだった。
後日、カルラゥアトゥレイは婚礼の儀に沸く事となる。
オンカミヤムカイにその報が届くのは、もう少し後の事だった。