うたをつぐもの―うたわれるもの・After―   作:根無草野良

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~第三幕・24~ トウカ参上・制裁

 

 板張りの床に板張りの壁。

 磨き上げられた古い木々は独特の重さと冷たさを醸し、緊張に満ちた城の中でも一際の鋭さを漂わせている。

 武芸の指導にも使われるその静かな間で、某(それがし)は居住まいを正し、座していた。

 同じように張り詰めたトウカ姉を前にして。

「……なるほど。

 リュウガと宝剣を追い、

 謎の女を捜して、か」

「は、はい。

 わずかな痕跡をたどり、

 長い旅をへて、

 このオンカミヤムカイの助力を

 仰いでいる次第です……」

 向かい合い、これまでの経緯を語る。

 可能な限り脚色なく、事の重さを伝えながら。

 某(それがし)の行いが世の不穏とも無関係ではないと知れば、多少は理解も示してくれるだろうと期待して。

 だが、未熟な某(それがし)と違い、トウカ姉は純粋なエヴェンクルガの武士(もののふ)であった。

「ハクビという女が義に反する行いを

 続けていることはわかった。

 だが、お前が里を下りてもよい理由にはならぬ」

「そ、それは、ですから、

 リュウガ兄がそやつに従っているからで――」

「それ以前の問題だと言っている。

 里の掟は未熟なお前も理解しているはずだ。

 武士(もののふ)として認められていない者が

 下界に降りることは許されていない」

「し、しかし……」

「世の不穏は某(それがし)も感じている。

 だがそれは、未熟なお前に独断を許すことではない。

 いや、未熟であるからこそ、

 そのような大事に関わるなど言語同断。

 お前は自分の我侭(わがまま)で

 エヴェンクルガの名を汚しているに過ぎんっ」

「……ぁぅ」

 トウカ姉の言葉は逐一もっとも。

 某(それがし)も幼き頃から叩きこまれた観念である。

 言われずともその道理は解していた。

 自分の行いが間違っていることも。

 それでも、この道だけは譲れない。

 返す言葉を失った某(それがし)を前に、トウカ姉はゆっくりと立ち上がった。

「大人しく里に帰れ。

 今戻るのならば、

 某(それがし)が長に計らってやろう。

 とがめはあるだろうが、

 誠意を尽くせば理解は得られるはずだ。

 だが……」

 底に想いを覗かせながら、しかし、無慈悲に刀の鍔を鳴らす。

「従わないというのであれば、

 容赦はせぬ」

 向けられたまなざしが、背に戦慄を走らせた。

 込められた殺気は、追われていた時とは比べものにならない重さと深さを具えている。

 いや、かつて感じたいかなる殺意にも勝っていた。

 ラクシャインや灰色熊(グルィボゥ)はおろか、リュウガ兄をも上回る必殺の意。

 身を襲う絶望的な恐怖はそれ以上だ。

 視線を向けられているだけで鼓動は自然と跳ね上がり、心臓は今にも爆発しかねぬほどに暴れている。

 全身は熱いとも冷たいともつかぬ汗に濡れていた。

 不快であるとも感じない。

 瞼(まぶた)を越えて目にしみるも、それをぬぐうことにすら思い至らなかった。

 蛇に睨まれた蛙どころではない。

 まるで、狼に喉笛を喰らいつかれているかのよう。

 突きつけられた絶対の死を前に、だが、それでも……。

「む……」

 震える身を無理やり抑え、某(それがし)は立ち上がった。

 定まらぬ手で剣を握り、刃をゆっくりと引き抜く。

 揺れる切先を見据えるトウカ姉の視線には、微塵の変化も生じなかった。

「その態度がどういう意味か、

 理解しているのだろうな」

「むむ、む、無論っ」

 心の震えに奥歯が鳴る。

 砕かんばかりに一度噛み締め、渇いた唾を飲み込んだ。

「そ、某(それがし)にも、信念があります。

 己に誓った信念が。

 たとえ掟に逆らうことになろうと、

 一度定めた信念を曲げては

 二度と武士(もののふ)は名乗れない。

 死を向けられたとしても、

 これだけは譲れません……」

 張り上げたつもりの声は、自分で聞いても泣きだしそうなものだった。

 だが、外面の情けなさを気にしている余裕など、もはや無い。

 

 今から、生涯最大の敵と戦わねばならぬのだから。

 

「……なるほど。

 覚悟はできている、というわけだな」

 某(それがし)の想いに、トウカ姉は真っ向から応じていた。

 広げていた殺意を収め、ただ一刀に集束させる。 

「今から、お前を斬る」

 刃のような一言は、決別の餞(はなむけ)だろう。

「見せてみろ。

 お前の培(つちか)ってきた剣を」

「……はい」

 今や迷いはない。

 体の、心の、魂の震えも消えた。

 構えは下段から動かさない。

 千刃にも似た殺意を前にしては、わずかな動きすら死に繋がる。

 ただ、待った。

 トウカ姉が動くのを。

 これまで重ねてきた某(それがし)の剣による、それが唯一の道と信じて。

 

 永劫のような沈黙。

 あるいは刹那。

 なんの予兆も変化もなく、

 トウカ姉は閃光を放った。

 

 頭上に刃が落ちてくる。

 神速の一撃に対し、こちらも刀を振り上げた。

 だがそれは、光のような剣に比べ、あまりに遅く、あまりに鈍い。

 己の未熟を噛みしめながら、それでも全力をもって刃を重ねる。

 

 衝撃を感じた次の瞬間、

 某(それがし)の剣は斬り弾かれていた。

 

 心が折れるような痛みは、しかし覚悟していた事。

 重さを失った刀を手に、勢いだけは殺さず進む。

 剣を斬ることで生まれた、ほんのわずかな速さのゆるみ。

 

 そこに、残された鍔根を叩きつけた。

 

 掛ける力は落とされた刃の腹に。

 必殺の威力をわずかに逸(そ)らす。

 脳天を断ち割るはずだった剣閃は、少しだけその軌道を変え、某(それがし)の左肩に落ちた。 

「ぐあっ!」

 衝撃に吹き飛ばされ、後頭部から床へと打ちつけられた。

 そこから伝わる痛みを確かめるより先に、右手が左の肩を探る。

 断たれたはずの腕はそのままそこに、血にも濡れずに繋がっていた。

「……腕が、ある」

「命があることに驚け。

 まったく、あんな無様な剣は見た事が無い」

 掛けられた声に顔を上げる。

 トウカ姉が振り下ろしたはずの刃は、描くべき軌跡の途中で止まっていた。

「刀を斬らせて囮にするとは、

 それでもエヴェンクルガの末席に名を置く者か。

 恥を知れ」

「ク……」

「某(それがし)が剣を止めなければ、

 お前は左腕を落としていた。

 剣士としては致命的だ」

 息は嵐のように荒く、体は指一本動かない。

 すべてが雑音のように聞こえる中で、反論のしようもない言い分だけは正しく聞き取れた。

 同時に、わずかな力が蘇る。

 向けられた言葉を、このまま受け入れることはできぬという意地が。

「……右腕一本でも、剣は振れます」

「……なに?」

 体の内で肉の筋が千切れる音を聞きながら、砕けた刃を持ち上げた。

 左腕が落とされた後も、残っているはずの右腕だけで。

 某(それがし)は、まだ戦える。

 上を見るまなざしに、残された意思のすべてをこめた。

「誇りを守って散ることは、

 確かに正しいのかもしれません。

 ですが、某(それがし)は信念のためならば、

 恥を晒しても生き延びてみせます。

 たとえ、トウカ姉が相手でも……」

「っ……

 生きて、か……」

 見下ろすトウカ姉のまなざしが、一瞬だけ驚きに揺れた。

 なにか、大事なものを思い出したように、

 正しくはわからない。

 視線に宿る想いはすぐ、別のものに変わっていたから。

「……強がりだけは一人前だな」

「トウカ、姉?」

「その命、今しばらく預けておく。

 使い方をよく考えてみることだ」

 背を向け、トウカ姉は立ち去った。

 それはエヴェンクルガに相応しい、潔いふるまいで。

 後に残された某(それがし)は一人、ただただその場で呆けていた。

 右手に残った愛刀の、失われた重さを思いだすまで……。

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