うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
『ギシャアアア!』
「フッ!」
飛びかかってきた奇声、頭上に落ちくる鋭い爪を、一歩だけ退いてやり過ごす。
交錯に奔らせるのは渾身の一閃。
刃は狙いに違いなく、醜いサルの歪んだ貌を横一文字に断ち割った。
地に沈んだキママゥは、もう動かない。
断末魔すら残すことなく、その身は転がり骸と化した。
だが、気を緩めている暇はない。
見回す必要すらなく、新たなキママゥはすぐそこにまで迫っているのだから。
『ガアアア!』
『グシャア!』
一つだけ息を吸い、飛び来る新たな殺意に構えを直した。
怒りのまま、流されるまま、けっきょく某(それがし)はキママゥ退治などという安い仕事を引き受けてしまっていた。
一時の感情を制することもできずに、なんとも浅はかな選択を下したものだ。
いや、己を省みるのは後にしよう。
一度約定を交わした以上、それは守られなければならない。
エヴェンクルガの名にかけて。
村へと続く道の上、囮に用意された荷馬車を狙い、キママゥどもはやってきた。
血走った目に牙を剥きだし、怯える様子の欠片もなく、だ。
本来は狡賢くも臆病な獣であるはずなのだが、凶暴化しているという話は真であったらしい。
その力、素早さはヒトを遥かに上回り、なるほど、村の狩人では返り討ちにされるのがオチだろう。
だが、武士(もののふ)には遠く及ばない。
向けられる爪や牙を、捌き、躱し、
流れる動きのまま剣を振る。
円を描いた刃の軌跡は獣の腹と背を斬り裂き、
宙に真っ赤な華を咲かせ、散らした。
――よし――
我ながら会心の剣に心の内で快哉を叫ぶ。
と同時に、慌てて周囲を見渡しアルルゥを探した。
彼女も某(それがし)と共に、この退治行に加わっているのだ。
いかに森の母(ヤーナマゥナ)とはいえ少女の身、戦う力は持ち合わせてはいないはず……
荒ぶる息を整えながら、気配を追ったその先には、
血肉の海が生まれていた。
「な……」
中心にいるのはムックルだ。
四方から襲いくるキママゥの群れを、振り薙ぐ爪と剥きだしの牙をもち、瞬きの間で血溜まりに沈めている。
白い体に鮮血をまとった巨大な獣の荒ぶる様は、見ているこちらの肌を粟立たせた。
それは、日頃アルルゥに叱られて身を縮めている姿とはかけ離れた、森の主(ムティカパ)と呼ぶに相応しい雄々しさ。
自然と出会いの恐怖を思い出す。
戦慄に心がギシリと軋む。
だが、真に息を飲んだのは、
森の主(ムティカパ)にまたがり、血に濡れながら、
それでも覚悟を崩さない森の母(ヤーナマゥナ)の姿にこそ、だった。
気を取られたのはほんの一瞬。
だが、戦の場ではそれが致命に至る。
背後に、キママゥが迫っていた。
『キイイイイ!』
「!?
しまっ――」
敵はすでに眼前、伸ばされる爪に、かろうじて刃を重ねる。
だが、一瞬だけこちらが遅い。
思う間もなく、肉を貫く鈍い音が響く。
「ぐっ
……う?」
『ギ、ギゲェ……』
覚悟した熱い痛みは、しかし伝わってはこない。
代わり、迫っていたキママゥが、横に落ち断末魔の残りを吐いていた。
太い矢に貫かれ、大地に深く縫いつけられて。
「これ、は……」
キママゥの突撃、対する某(それがし)の剣振る動きまで、読みきった横からの一射は、寒気がするほどの正確さで敵を屠っていた。
「余所見してんじゃないよ、
エヴェンクルガのお侍さま」
遠くからの声は晴れやかで、確と耳に届いた。
弓を備えた傾き女だ。
確か名は――
「ティティカ殿」
「ほらほら、まだいっぱいくるよ。
いいトコ全部もってかれてもいいのかい?」
礼を返すべきなのだと、思いつきすらしなかった。
軽い言葉の向けられた先、深い森の奥からは、さらに無数の眼光が近づきつつある。
『ヴォウ』
迎え討たんと、ムックルが一歩を前に出た。
手足を真っ赤に染めながら、気力体力ともに、まるで衰えていない。
アルルゥを背に佇む姿の、なんと堂々としていることか。
……なぜか、無性に悔しさがこみ上げてきた。
「まだまだ。某(それがし)はこれからだっ」
「ムリしなくていい。
トラ、ヘタっぴなんだから」
「無理じゃない!」
失礼極まるアルルゥの言葉を斬るように刃を振り、ムックルよりさらに前へ出る。
森からは、一斉にキママゥどもが飛び出してきた。
「いいねぇ。
熱い子は嫌いじゃないよ、アタシ」
楽しげな声と共に放たれた新たな二矢が、それぞれに二匹のキママゥを貫いた。
気に留める様子もなく、群れはさらに迫りくる。
ええい、待つのも面倒だ。
「オオオオオ!」
燃える心を叫びに変え、敵の只中へと飛び込み、迫りくるモノを端から刻む。
浴びる血も、鈍る刃も、漂う鉄の匂いも忘れ、ただ一振りの刃と化す。
遠慮も配慮も必要としない獣じみた戦いの中では、時の流れも曖昧となり、
――それから、果たして何匹を屠っただろう。
日が暮れ始める頃には、凶暴なサルの群れも、すべて討ち果たしていた。