うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
オンカミヤムカイの城には、一本の桜がある。
長き年月を、人々と共に越えきた桜だ。
舞う春の精を身にまとい、水に見立てた砂紋の上で、大樹は見事に咲き誇っていた。
散り行く花は、緩やかな風に従って、静かに地へと落ちていく。
唄いながら、舞いながら、短い生を誇るように。
月夜に浮かび上がったその姿の、なんと美しいことか。
「まるで常世(コトゥアハムル)の光景だね」
「地獄(ディネボクシリ)かもしれんぞ。
血を吸った桜は美しいと言うからな」
「酒が美味いなら
アタシはどこでも構わないけどね」
リネリォと二人、洒落こんだ夜の酒会で、ティティカは盃を空けた。
夜景の他に肴(さかな)はない。
純粋に酒の味だけを楽しむ二人は、度々(たびたび)このような宴を開いていた。
皆の前では語れぬような、裏の話を交わすためにも。
「ニコルコが色々と動いてはくれてるんだけど、
どうにもかんばしくないねぇ。
アタシも雇兵(アンクアム)のつながりで
ネタを集めちゃいるんだけど、
正直な所、キナ臭い話が多すぎてさ。
どれに仮面の女が関わっているのやら。
組織的な相手だとすりゃ、
黒幕の個人を特定するのは
もっと時間がかかるだろうし。
まずはどっかを片付けてみるしかないかねぇ。
こないだみたいになっちゃ意味がないけど。
……っと、この話はまずかったかな」
「いや、気にするな。
急がせるつもりもない。
その間にしっかりと腕を上げておくさ」
「おや」
怨敵ラクシャインに触れたにも関わらず、リネリォは表情を曇らせもしなかった。
いつもの冷静を保ったまま、静かに盃を傾けている。
常なら、特にこの宴の時には、激しい気性を露(あらわ)にしているのだが。
「ずいぶん丸くなったもんだね。
昨日までは、らしくもなく気落ちしてたってのに」
「……表には出していないつもりだったのだがな」
「ティティカさんを甘く見るんでないよ。
嘘いつわりに関しては右に出る者なしさ」
「フ。あまり誇れたものではないな」
「そうかね?
便利な芸だと思うけどな」
しばし、酒を酌み交わす。
静寂の夜の世界、聞こえてくるのは夜鳥の声と、自然のささやきだけ。
散り行く桜の花弁が、二人に死の世界を実感させていた。
肉体が意味を失う世界では心が直に通じ合うのか、両者の意思は沈黙によって交わされる。
「昼間は皆で孤児院に行ってたんだっけ。
なにかあったのかい?」
「ああ、まあ、そうだな。
……忌むべき怨敵に対する感情が、
少しだけ揺らいでいるようだ」
言葉を伴えば尚のことだ。
夜と酒のせいもあるのだろう。
語る声は、静かで、素直。
「オンカミヤムカイの皇(オゥルォ)ですら
心に闇を抱えている。
私如きが悟りきることなど
出来ぬということか」
「そりゃそうさ。
誰にだって暗い感情はある。
どんな悪人だって、
一片の光は失わないのと同じようにね」
それは、答える声もまた。
逃れえぬ人の業を、ティティカは酔いを孕んだまま、語る。
「生きてるってのはそういうことだろ?
心も頭も揺れるからこそ酒だって美味いのさ」
それはつまり、いつもと同じ姿ということだ。
ティティカはいつも揺れたまま、誰よりも確かに生きている。
そんな親友(とも)の生き様に、リネリォは小さな笑みを浮かべた。
「お前はいつも変わらんな。
強く、柔らかく、華やかだ」
「おだててもなにもでないよ。
ま、その方が楽しいのは間違いないやね」
言いながら盃を空ける。
今日は、散りゆく桜だけを肴にして。
時には月を、時には星を。
雪を、蛍を、無明の闇を。
森羅万象を肴にして、ティティカは何時でも飲んでいる。
この世のすべてを愛でながら、酔いの夢に浸るように。
あるいは――
「しょせんこの世(ツァタリィル)は泡沫(うたかた)の夢さ。
なら、せめて皆には楽しんでもらいたいからね」
その夢が、壊れぬように。
リネリォはふと、そんなことを考えた。
「ティティカ、お前……」
「アンタにもだよ、リネリォ」
問いかけに対する答えは、そんな酔ったままの声。
「覚えておいておくれ。この夢を」
「ティティカ……」
盃を空けて桜を見るまなざしは、いつもと同じものだった。