うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
「先ほどは失礼いたしました。
不快な思いをさせてしまいましたね」
与えられた客間にて、某(それがし)たちはベナウィ殿を迎えた。
客人は合わせて四名。
侍大将(オムツィケル)たるクロウ殿と、他に二人の女性がいた。
垂れた長い兎の耳を見るに、シャクコポルの民であろう。
「いやいや。
大老(タゥロ)も難しいお立場なようだし、ね」
「ここではどうか、その立場はお忘れ下さい。
アルルゥ様を前にして
威を張ることはできませんので」
「そうかい?
それじゃベナウィ殿。
まあ気楽にやっておくれ」
頭を下げるベナウィ殿を前に、ティティカ姉はいつもの調子で応じていた。
賢大僧正(オルヤンクル)を相手にまったくの対等を貫く人だ。
某(それがし)も今さら気にするつもりはない。
応じるベナウィ殿の振る舞いも、謁見の間での対面に比べ、ずいぶんと丸みを帯びていた。
横に向けた目には、二人の女性とクロウ殿を相手にはしゃぐアルルゥとカミュの姿が映る。
元皇女という話は本当だったらしい。
「あるー、かみゅー」
「んー、クーやん。
ひさしぶりー」
「ホントホント。
サクヤさんも、元気だった?」
「はい、おかげさまで、
よくしていただいております」
「そっか。
むふふ、ベナウィ兄様ともうまくいってるんだ」
「そ、それは、その、あの……
はい……」
長耳の女性二人とじゃれあっている様を見ると、どうしても疑いを捨てきれなかったが。
「トウカ殿もお元気そうでなにより。
武勇の数々は伝え聞いております」
「は、恐縮です。
申し訳ございません。
すっかりご無沙汰してしまいまして」
「いえ。貴女ほどの方を一つ所に留めていては
世の損失というものでしょう。
それは聖上も理解していたはずです」
「……はい」
語りながら、ベナウィ殿は昔を懐しむように目を細めていた。
トウカ姉も同じ感慨を覚えているようだ。
交わる視線の中に、両者を繋いだ人物の影が見えるような気がした。
どうしようもない羨望が胸をよぎる。
この二人にそこまで想われる人物に、某(それがし)も一度お目にかかりたかった。
「ところで、
さっきから気になっていたんですがね」
横から聞こえた野太い声。
クロウ殿が首を捻りながら問いかけている相手は、きょとんとした表情のカリンだ。
「あら、わたし?」
「ええ。
どうも、見知った顔によく似ているんですがね」
「確かに。
……思わず酒蔵の警備を固めたくなります」
「ああ。
こちらはカリン殿。
カルラの娘さんです」
簡潔に答えるトウカ姉の言葉に、絶句の気配が瞬時に広がった。
「……本当ですかい?
確かに、よく似ていやすが」
「父親は、やはり聖上なのでしょうか……」
「それはもちろん、秘密ですわ」
目を見開いたベナウィ殿とクロウ殿に、カリンは可愛らしく片目をつむって見せた。
広がる気配は笑みを含み、室内を和ませていく。
ただ、某(それがし)は表情をゆるめられずにいた。
ベナウィ殿の鋭い眼に、まっすぐ見据えられていたからだ。
穏やかながらも緊張を孕んだまなざしに、どうしようもなく背筋が伸びてしまう。
「貴方も、エヴェンクルガの方ですか」
「は、はい。
タイガと申します。
まだまだ未熟な身ではありますが、
どうぞお見知りおきを」
「いえ、
覚えるほどの者ではありませんので、
聞き流してやってください」
「トウカ姉っ」
ティティカ姉たちの影響か、あるいは心からの本気なのか。
トウカ姉の言葉は、どんな時でも遠慮がない。
こんな場面ぐらい、弟分の顔を立ててくれてもよかろうに。
情けなく慌てる某(それがし)に、それでもベナウィ殿はまっすぐなまなざしを向け続けてくれていた。
「いえ、澄んだ目をしています。
やや素直すぎる向きはありますが、
よい武士(もののふ)になるでしょう」
「あ、ありがとうございますっ」
「そうでしょうか。
ウルトリィ殿といい、
どうも皆さんこやつに過大な評価を
し過ぎている気がするのですが」
「トウカ姉……」
「そりゃまあ、
エヴェンクルガの目から見れば
厳しくもなるんだろうけどね」
からかうようなティティカ姉の言葉を、喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか、それすらよくわからない。
ただ、賢大僧正(オルヤンクル)の名を聞いたベナウィ殿が、緊張をとり戻したことだけはわかった。
「ウルトリィ様の信頼も得られているとは。
なるほど、ただの護衛として雇われた、
というわけではないのですね」
「おや、
そろそろ本題に入ってもいいのかい?」
「本題、ですか」
「もっとも、別段オンカミヤムカイに
そう頼まれたってわけじゃないから、
あくまでアタシたちが勝手にお近づきになっただけと
解釈してもらいたいんだがね」
ややこしい言い回しは、つまり、あくまで雇兵団(アンクァウラ)『ティティカルオゥル』として話をするということであり、オンカミヤムカイの干渉ではないと、念を押しているのだろう。
政(まつりごと)の世界はどうにもややこしい。
ベナウィ殿は、当然のようにその意を汲み取っていた。
「……そうですか。
ウルトリィ様のご配慮であれば、
ありがたくお受けいたしましょう。
ちょうど、信頼の置ける者を
探していたところでもありますので」
「つまり、
そういう状況に置かれている、と」
「ええ。街の様子からも、
多少は察していただけたとは思いますが、
事態は遥かに緊迫しています」
ベナウィ殿の落ち着いた言葉に、某(それがし)たちは自然と耳を寄せていた。
「城下ではこの所、
不特定多数の屋敷や商家を狙った
大規模な破壊行為が行われています。
目標も目的もはっきりとはしていません。
賊の規模や手口もです」
語られる話を聞きながら、途中で見た破壊の跡を思い出した。
あれほどの行為が日常的に行われているのであれば、なるほど、剣呑な雰囲気も理解できる。
「我々も兵を動かし対処してはいるのですが、
問題は、明確な説明を人々に伝えられないことです。
元からの民は他国から流れてきた者を疑い、
流民たちは自分たちへの迫害だと考える。
疑心暗鬼ばかりが膨らみ、
街では無関係な暴力沙汰が後をたちません」
「国の兵が介入することで益々こじれる、ってわけだ。
でも、いくら目的不明の悪党どもったって、
対処できないもんかい?
ベナウィ殿がその程度に
手こずるようには思えないんだけどね」
「ええ、そうですね。
問題が城下のみであるのなら、
私も速やかに片づけたいのですが」
「なるほど。
他の場所でも似たような状況になってるわけだ」
「お察しの通りです。
元々このトゥスクルは
数多の藩主、豪族が参入し形を成した国。
各地の統治は各々の裁量にまかせ、
主導をこの都から下していたのですが、
この情勢ではそれも正常には機能せず……。
とらえた賊はその場で自害する潔(いさぎよ)さ。
いや、どこか病的な意思に動かされているとのこと。
どうも背後に大きな影を感じるのですが、
煩雑な諸事に追われ、
いまだその尾をつかみかねている有様なのです」
「そもそも周りの連中が
大将に頼りすぎてたんでさぁ。
まったく、ちいっと厄介に巻きこまれただけで
どいつもこいつも嘆願ばかり持ちこみやがって」
ベナウィ殿の苦悩も、クロウ殿の憤(いきどお)りも、急激に規模を広げた国にはよくあることであった。
優れた統治者が統べている間はよいが、一人に頼りきった体制は、崩れるのもまた早い。
戦乱の世に入り、その傾向が顕著に現れたのだろう。
「苦労してるねえ。
御家臣がたの足並みが揃ってないのも
そんな関係からかね」
「……ハクオロ皇が去られた後、
トゥスクルは皇(オゥルォ)を定めていません。
いずれは、還ってこられる方ですので……」
つぶやきは願いのようでもあり、確かな定めのようでもあった。
そう。今、トゥスクルには皇がいない。
理由はベナウィ殿が語った通り。
後を任された大老(タゥロ)自らの、また、多くの民が望んだからの措置であると聞く。
皇女であるアルルゥが継ぐことには、ならなかったらしい。
そもそも、親子の関係が内々のものであり、対外的には知られていなかったのだとか。
どうにも彼らの関係性はややこしい。
一度、きちんと整理して聞きまとめた方がよいかもしれぬ。
ともあれ、政(まつりごと)の理屈において、皇の不在は認められたそうだ。
細かな軋轢は今もあるそうだが、オンカミヤムカイの後ろ盾もあり、大きな問題にはなっていないとか。
あるいは、定められないのかもしれない。
「元より独裁の体制は望む所ではありませんでしたから。
統治の役を能力ある者に分け与え、
それぞれの任を務めさせようと考えたのですが」
「使える奴がまっとうな奴ばかりではありませんでね。
賭場色町の管理はおろか、
国の収支まであやふやになる始末。
一応、時おり大将が確認はしているんですがね、
これがまたあっちの分が足りないだの、
こっちの分が消えただのと」
「やはり聖上は偉大なお方でした。
すべては私の力量不足によるものです」
「そんな、
大将は悪くありませんぜ」
「まったくです。
ベナウィ殿に務まらぬのであれば、
他の何者だとて適わぬでしょう」
溜息を吐くベナウィ殿に、トウカ姉が慰めの言葉を向ける。
まなざしはいつもの通り一点の曇りもない。
嘘が苦手というより語れないことは、某(それがし)が一番よく知っている。
トウカ姉にそこまで言わせるベナウィ殿を信じるに、迷いの一片も浮かびはしなかった。
「某(それがし)もそう思います。
ベナウィ殿は名君の器をお持ちのお方。
足りないのは手足となる臣でしょう。
及ばずながらこのタイガ、
その一端を担わせていただきたく思います」
強い意を込めた言葉に、ベナウィ殿も表情をやわらげてくれた。
「……ありがとうございます。
皆さんには、街の治安をお願いしたい」
「まあ、アタシたちにできるのはそのぐらいか。
雇兵団(アンクァウラ)としてじゃ逆に反感買いそうだね。
トウカの名を借りるとしようか」
「よろこんで。
エヴェンクルガの名に恥じぬ成果を
お約束いたしましょう」
「アンタもがんばんな。
エヴェンクルガの名を落とさないようにね」
「うぐ……」
そこで引き合いに出しますか? ティティカ姉……。
立ち上がるベナウィ殿の微笑みが、妙に嬉しくない。
「よろしくおねがいします。
後の指示はクロウにお訊ねください。
私は全力をもって
背後関係の特定に当たりますので」
「はいっ」
かけられた期待の大きさに、答える声も自然と弾む。
某(それがし)だけではない。
アルルゥやカミュや他の皆も、同じように意気を上げる。
本来あるべきトゥスクルの姿が、そのとき確かに見えていた。