うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
城の執務の間では、別の戦いがくり広げられていた。
「ウティテの治水と開墾に関する
収支のまとめは以上ですか」
「いや、四期分の歳出報告が欠けているな。
算出するとだいぶ余剰な出費が出てくるはずだが」
「こっち、エトロの分は終わったよーっと。
次おくれ」
「ん」
疲れのこもったティティカの声に、アルルゥは揃えておいた書簡の束を差しだした。
ニャムニ藩の政務報告がまとめられたものだ。
山と積まれていた書の山も、いつの間にか半ばまで崩れていた。
もっとも、この作業の後がまだまだ長いのだが。
整理ぐらいしかできない自分をもどかしく思いながらも、アルルゥは懸命に書簡をまとめていた。
「んー、まだ半分か。
先は長いね、こりゃ」
「算術ができる者を探しておいた方がよいな。
信用のおける者を」
「そうですね。
知人に声をかけておきましょう。
しかし、本当に助かります。
お二人ほど的確に処務をこなせる方がいれば、
私ももう少し政(まつりごと)に専念できるのですが」
目を伏せるベナウィの姿に、アルルゥは少し頬をゆるめた。
その姿は、父に逃げられていた頃とまるで変わっていない。
「ほらほら、
落ちこんで手を止めない」
「ああ、すみません。
それにしても、雇兵(アンクアム)にしておくには惜しい。
……お二人とも、どこでこのような手腕を?」
「私は元々、クッチャ・ケッチャの皇(オゥルォ)を
補佐する役の家だったのでな」
平然と答えたリネリォの言葉に、少しだけ沈黙が落ちる。
確かに過去のことではあるが、トゥスクルとクッチャ・ケッチャの対立は、互いに深い傷を残した。
知る者にとっては決して消えることのない傷だ。
アルルゥの胸にも、忘れえぬ悲しみが残っている。
いつも笑っていたオヤジ。
呆れていたソポク姉。
ウーも、ヤーも、ターも皆、あの戦で去っていった。
たとえ姉と共に戻っても、ヤマユラに彼らが帰ってくることは、決してない……。
国を失ったリネリォや、失わせたベナウィも、同じような想いを抱えているのだろう。
「……そうでしたか。なるほど……。
ティティカ殿は?」
それでも静かに受け流せるのは、やはり大人なのだとアルルゥは思う。
比べ、話を振られたティティカは、妙に落ちつきをなくしていた。
「アタシ?
アタシは、えーっと、ほら、
こういう芸もあった方が
名が売りやすいと思ったんでね。
ちょいと面白半分に」
「面白半分に、政務書記を?」
「あー、うん。
まあ、若気の至りっていうか、ね」
受け答えにも張りがない。
どうにも歯切れが悪いのは、疲れているというよりは、なにかを隠しているような……。
「……そうですか。
まあ、よいですが」
「そうしといておくれ。
いやー、なんか喉かわいたねぇ。
タイガはこっちに置いとくべきだったかな」
それも、次の瞬間にはいつもの調子に戻っていた。
話にのぼった名を聞いて、アルルゥも無性に甘いものが欲しくなる。
「お茶、いる?」
「そうだね。
どうせなら酒の方が――」
「おー、ちゃー」
機をうかがっていたのだろうか、クーヤが盆を持ってきた。
上に四つの湯飲みを乗せ、こぼさぬようにゆっくりと近づいてくる。
身形(みなり)こそ年相応に成長し、見目麗しい少女となったものの、クーヤの心は昔とまったく変わっていない。
別れたときとまったく同じ、幼い子供の純粋さが、少しだけアルルゥの心を痛ませた。
「クーやん、ありがと」
「おー。
さくのー、おちゃー」
「悪いね、奥方様」
「い、いえ。
私には、その、
これぐらいしかお手伝いできませんから……」
湯飲みを受け取ったティティカの礼に、後ろに控えていたサクヤが大袈裟に恐縮する。
恥じいった様子でうつむき、ちらちらと視線を戻しながら。
向けられている先は、茶を飲み長い息を吐いているベナウィだ。
気づいたティティカがにんまりと笑う。
「大丈夫だよ。
とりゃしないから」
「そっ、そんなつもりは……」
からかいの言葉に、サクヤは真っ赤になっていた。
いつまで経っても初々(ういうい)しいが、アルルゥは逆に不安を覚えた。
ちゃんと進展しているのだろうか?
ハクオロが世を去った後、クーヤとサクヤはトゥスクルにその身を保護された。
余計な柵(しがらみ)を残さぬためにと、過去の身分はすべて秘されて。
過去の悲しみを忘却したクーヤは、サクヤの献身とベナウィの後見により、健やかに成長した。
愛し子を育てる二人の間に、尊敬以上の想いが生まれたのは、ある意味自然な成り行きだったのだろう。
籍まで入れたのにまるで変わらない二人の態度は、アルルゥにとって釈然としないものではあったけど。
「むふふふふ。
愛されてるねぇ、ベナウィ殿」
「……さあ、
続きを片づけてしまいましょう」
冷やかすティティカの言葉にも、ベナウィはいつものままで、やはりアルルゥは面白くない。
いっそ一服盛ってやろうかと本気で考えたりもする。
「な、なんでしょうアルルゥ様。
なんだかわたし、無性に寒気がするのですけれど?」
「ん、なんでもない」
怯えるサクヤの姿に、想いはますます強くなる。
次の書簡を手に取りながら、アルルゥは処方の材料を思い描いていた。