うたをつぐもの―うたわれるもの・After―   作:根無草野良

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~第三幕・53~ トゥスクルの動乱・幼皇

 

「さて、後はカリンカを刻んでっと。

 ……ん?」

 厨房を借りていつもの揚げ団子を作っていると、背に熱い視線を向けられているのに気がついた。

 振り返り、確かめる。

 金の髪と長い耳を揺らす少女が、そこにいた。

「クーヤか。

 どうしたんだ?」

「とらー。

 あそぼー」

 声をかけると、クーヤは嬉しそうに近づいてきた。

 どういうわけか、この少女は某(それがし)になついている。

 見た目はアルルゥとさほど変わらないのだが、クーヤの言葉と行動は、幼い子供そのものだった。

 それも、無理のないことだろう。

 

 サクヤ殿から語り聞いたその委細。

 己の夢を、親しき者を、守るべき国のすべてを一瞬にして失う痛みなど、某(それがし)の拙(つたな)い心では、とても想い量ることはできなかった。

 誇り高き、しかし幼く儚い皇(オゥルォ)は、もういない。

 クーヤは今、ただ一人の少女として、あるべき生を謳歌している。

 幸せそうに、楽しそうに。

 

 それが正しいことなのか、それとも哀しいことなのか、某(それがし)には分からない。

 ただ、少女の無邪気な笑顔には、自然と笑みを返していた。

「もう少し待っていてくれ。

 今おやつを作っているところだから」

「えー、あそぼー」

「ほら、近づくと危ないぞ。

 包丁を使っている時は

 近づかないって約束しただろ」

「やだー。とーらー」

「のわっ?」

 背に圧しかかってきた衝撃が、そのまま腕を回してきた。

 遠慮のない力で背と腹を締めつけてくる。

 完全に油断していた。

 腕まで固められては包丁を放すことも叶わず、当たり前だが力任せに撥(は)ねのけるわけにもいかない。

「こ、こら、クーヤ。

 ふざけてないで放さないか」

「わー。

 とらー、とらー」

 こちらの困惑を気にすることなく、クーヤは楽しげにまとわりついてくる。

 本当に子供であれば、まだ戯れで済ませられるのだが、いかんせん、彼女の体はきちんと成長しているのだ。

 それも、アルルゥなどより遥かに立派に。

 押し付けられてくる柔らかな感触は、いやが上にも邪(よこしま)な想いを掻き立てる。

「いや、本当にっ、

 勘弁してくれ!」

「わーいわーい」

 某(それがし)がためらっている間に、クーヤはますますしっかりと張りついていた。

 おぶさったまま首に手を回し、頬をすりよせてくる。

 いかん、こんなところを誰かに見られでもしたら……。

 瞬間、厨房の入口に目を向けていた。

 この手の悪い予感が外れた試しだけは、ない。

 案の定、目を平めたアルルゥが立っていた。

「ア、アルルゥ?

 違うんだ、これは――」

 引きつる顔を意識しながら、無駄だとわかっている言い訳を口にしてみる。

 半身を壁の向こうに隠したまま覗きこんでいる視線に、容赦はない。

「……ベナにいちゃんに言いつける」

 不穏なつぶやきをポツリと残し、去っていた。

 背中に冷たいものが走る。

 溺愛という素振りはまるで見せていなかったが、ベナウィ殿のクーヤに対するまなざしは、ユズカ殿を見るオボロ殿にも通ずる光を感じていた。

 なにか、武とは異なる恐怖だ。

 あわてて後を追おうとして、状況がまったくよくなっていないことに気づく。

「ク、クーヤ。

 いいかげん、放してくれっ」

「むふふー、とーら」

 結局、クーヤを貼りつけたまま走り回ることとなった。

 

 その後は、まあ、散々な目にあったのだが、クーヤはとても楽しそうで、

 滂沱(ぼうだ)の涙に暮れながらも、某(それがし)は少しだけ自分を褒めてやった。

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