うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
午後の務めに備えるため自室へ戻ろうとした途中、別室の気配に足を止めた。
「ん?」
女性陣に貸し与えられた部屋の前である。
誰かが居ることは問題ではない。
問題は、中から感じる気配の質にこそある。
それは、戦場では見慣れた死の気配で、某(それがし)は思わず戸を開け放っていた。
「どうし……っ?」
まず気づいたのは、どこかで嗅いだ喉を突く匂い。
そして、床に倒れた姿。
抱えるように身を丸め、苦しげに体を震わせているのは、
荒い息を吐くティティカ姉だった。
「ティティカ姉!」
慌てて屈(かが)み、顔を覗きこむ。
蝋のように白い肌が、溶けるように濡れていた。
流れる汗と息の荒さが尋常ではない。
一体どれほどの間苦しんでいたのだろう。
それでも、某(それがし)の姿を認めた表情には、薄い笑みが浮かんでいた。
「……ああ、タイガか。
なんだい、女の部屋に断りもなしに……」
「冗談言ってる場合ですかっ。
待っててください、
すぐにアルルゥ、を……?」
立ち上がろうとして、腕を取られた。
思いもよらぬ強い力は、他ならぬティティカ姉の手から。
某(それがし)の体をたぐり、無理やりに息を整えながら、ゆっくりと上体を起こしていく。
「ティティカ姉?
一体、なにを――」
「もう、大丈夫だよ。
アルルゥに余計な心配かける必要はないさ」
「し、しかし……」
躊躇(ちゅうちょ)している間にも、ティティカ姉はいつもの調子を取り戻していた。
息の荒さはすでになく、肌も生気を取り戻しつつある。
汗をぬぐい、服の乱れを整える様など、実に手馴れたもので、
――逆に不安をかき立てさせる。
「……今回が初めてではありませんね?」
「おや、
ずいぶん察しがよくなったね」
軽い笑みが推測を肯定する。
腹が立った。
黙っていたティティカ姉と、気づけなかった自分が、許せない。
「笑いごとではないでしょうっ。
一体いつから、どんな状態なのですかっ」
「そんな、大袈裟に騒ぐことじゃないってば。
ちょっと昨日飲みすぎただけだって」
「茶化さないでくださいっ。
なにを隠しているんですっ」
「騒がしいぞ、タイガ」
知らぬ間に声を荒げていたらしい。
後から入ってきたリネリォ殿は、部屋の様子を一瞥(いちべつ)すると、戸を閉ざし、気配を遮断した。
周囲の様子を窺(うかが)いながら、鋭いまなざしで某(それがし)の動きを制する。
「リネリォ殿。
ティティカ姉が――」
「わかっている、騒ぐな。
ティティカ、薬は」
「ああ、まだなんとか」
「よし。
……少し場を変えるぞ」
そしてティティカ姉に肩を貸し、その身を静かに持ち上げる。
手際の良さには強い信頼と、悲壮な覚悟が見て取れた。
このやりとりもまた、一度や二度のことではなさそうだ。
「ちょ、ま、待ってくださいっ。
一体なにがどうなって……
ティティカ姉っ」
思わず縋(すが)るような声を上げてしまう。
我ながら、置き去りにされる子供のような弱々しく情けない声だったが、そんなことはどうでもよい。
「タイガ」
対し、答えは確かな言葉で返された。
いつもの屈託のない声と、頼りがいのある笑顔が、痛々しい。
「もう少し待っておくれ。
必ず、説明するからさ」
「ティティカ、姉……」
騙(だま)しや誤魔化しのない言葉を渡され、それ以上のなにが言えるだろう。
元より、出来ることなど一つしかないのだから。
去っていく二人の姿を、某(それがし)はじっと見送った。
残された言葉を、ただひたすらに信じながら。