うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
「う、うああああ!
ひぃいいいいい!」
「ハァ、ハァ、ハァ、ハァ……」
悲鳴を上げて転がり回るマルシェロを見下ろしながら、荒い息を整えた。
我ながら無茶をしたものだ。
爆発を斬るなどという芸当、もう一度やれと言われても出来るかどうか……。
いや、何度でもやってみせよう。
必要とあらば、何度でも。
「う、腕が、俺の腕が、
な、な、ないいいい!」
「やかましいっ」
「ぎふぅ!?」
「腕一本なくしたぐらいで人は死なん。
少し黙って、ろ……」
安心させてやるつもりの言葉は、しかし、相手に届かない。
マルシェロの顎を打った蹴りは、その意識をきれいに飛ばしていた。
まあ、目的は達したから、よいか。
「アルルゥ、こいつの手当てを頼む。
今死なれては元も子もない」
「ん。
トラはへーき?」
「ああ、大丈夫、
だ……?」
「トラっ?」
言葉の途中で膝が落ちた。
「が、っ……!」
焼けた腕、あぶられた肌、筋肉の悲鳴が、今頃になって襲いくる。
耐えがたい痛みは殺しきれず、全身から嫌な汗が流れ出した。
意識を手放してしまいたい衝動に駆られる。
悪夢でもいい、今すぐ眠りに堕ちたいと。
――だが、そうはいかない。
戦いはまだ終わっていないのだから。
「だいじょうぶ?」
「……大丈夫、だ」
顎から汗を滴(したた)らせての言葉は、我ながら説得力がない。
それでも、アルルゥをしりぞけ、立ち上がる。
視線を前に、いまだ続いているエヴェンクルガの戦に向けた。
トウカ姉とリュウガ兄の戦いは場を変えて、屋敷の庭に移っていた。
正確には、庭だった場所に、だ。
美しく整えられていたのであろうその場は、見るも無残な荒地と化していた。
巨大な庭石は割り砕かれ、なかば砂の塊に変じていた。
広く丸い池もまた、たたえていた水の大半をその周囲に散らしている。
壁も、灯篭も、笹林も、触れられたもののことごとくが剣閃の犠牲となり、地に撒かれていた。
あるいは、目に見えぬものまでも。
向きあったまま動き回る二人を、目だけで追う。
静かな動きが辿った跡は、なにもしていないのに削られていった。
剣は構えられたまま動いていない。
いや、そう見えるだけか。
集中すれば剣戟の響きに合わせ、かすかな煌(きらめ)きが見てとれた。
あまりに速すぎる剣閃が、周囲を弾き、砕いていく。
「フッ!」
「ハァ!」
裂帛の気合が響くと同時に、一際の一撃が大地を割る。
十字を刻んだ剣閃は、集中した目にも一瞬の閃光にしか見えない。
高すぎる次元の戦いに感動めいた思いを抱(いだ)きながら、しかし、奥歯を噛み締めていた。
自身とのあまりに大きな隔(へだ)たりに、絶望的な苛立ちを覚える。
瞬きも忘れさせる、静かで激しい争いは、唐突にその動きを変えた。
十間(じゅっけん)ほどの距離をおき、互いに次の一手を探りあう。
「……腕を上げたな、リュウガ。
某(それがし)と互角に渡りあうとは。
流石、ゲンジマル様を超えると称された才だ」
静かな、しかし確かな息遣いの間に、トウカ姉はそう告げた。
対峙するリュウガ兄に、武士(もののふ)として尊敬を向けている。
応える声にこめられているのも、同じ敬意。
「トウカ姉にはまだ及びません。
ゲンジマル様にはほど遠い。
これが人の身の無情でしょうか」
「違うな。
それが生きる喜びだ。
志(こころざし)とは、高みにあるから貴いのではない。
そこに至ろうと想う心こそが貴いのだ」
「……確かに。
やはり姉上には敵いません」
交わされる声は穏やかで、束の間昔を思い出させた。
幼き日々、三人で木剣を合わせていた頃を。
刃を交える二人の姿は変わることなく、某(それがし)の目にまぶしく映る。
その距離もまた、変わっていない。
嬉しさと悔しさに、思わず一歩を踏み出してしまう。
同時に、膠着の空気が崩れた。
「ですが、
いつまでも留まってはおられませぬゆえ、
ご容赦を」
リュウガ兄が、まなざしの鋭さを増したことで。
「っ、
リュウガ、お前……!」
トウカ姉の驚く先、見据える気の質が変わった。
剣気の圧力はそのまま、死を思わせる禍々(まがまが)しさに。
その源は黒い剣。
鞘に収められていた黒刀が、燃え上がる念を立ち昇らせる。
「いざ」
「っ……!」
静かな言葉が告げられた次の瞬間、
澄んだ鈴のような音が、壊れた世界に響いた。
気づいた時、二人は立つ位置を入れ替えていた。
五間(ごけん)程の距離を開け、互いに背を向けていた。
交錯、したのだろう。
踏みこみの動きも、抜刀の技も、某(それがし)には見えなかった。
そして、その結末も。
鍔鳴りの音は、リュウガ兄の手元から。
同時に、二人の中間に、空からなにかが落ちてきた。
それはクルクルと回り落ち、ストンと地に突き刺さる。
トウカ姉の愛刀の、斬り折られた刀身だった。
「……リュウガ。
貴様……」
振り返ったトウカ姉の声は、震えていた。
刀を折られたことにではなく、見据える存在そのものに、だろう。
剣から手を離したリュウガ兄の佇(たたず)まいは、某(それがし)が思い知らされたもの。
すなわち、対峙する者を叩き潰すほどの剣気であった。
「まずは刀を頂きました。
これ以上僕(やつがれ)の妨げとなるのであれば、
次は命を頂戴します」
「ク……」
その威を前に、トウカ姉ですら言葉をなくしていた。
恐怖だけではなく、激しい驚愕に揺れている。
リュウガ兄は、何事もなかったかのように、場から歩き出していた。
残ったままの緊張も、もはや呻(うめ)きもせぬマルシェロも放りだしたままで。
あの時と同じように、リュウガ兄は悠然と去っていく。
場に恐怖を刻んだまま、それを気にすることもない。
だが、某(それがし)は同じではないのだ。
「リュウガ兄っ」
心を恐怖に潰されたまま、それでも、遠ざかる後姿を呼び止めた。
震えはない。
怯えもだ。
突きつけられる恐怖に対し、あるのはただ覚悟だけ。
振り返ったリュウガ兄のまなざしを前にしても、その想いは変わらない。
「タイガか」
「まだ、話は終わっていません……。
某(それがし)の問いに答えていただく。
叶わぬというのであれば――」
「止めろ、タイガ」
刃を上げようとした動きは、トウカ姉の切実な声に妨げられた。
顔には、血を吐くような苦悩が浮かんでいる。
「トウカ姉……」
「お前ではリュウガに敵わぬ。
無駄に死ぬのはお前の信念に反するはずだ」
「し、しかし」
「退いてくれ。
……頼む」
「トウカ、姉……」
それはいつもの命令ではなく、心からの懇願だった。
武士(もののふ)として某(それがし)の想いを十二分に理解しながら、その上でなお惜しんでの。
「トラ……」
そして、後ろからの声に思い出す。
今、アルルゥを守れるのは自分だけで、
己の勝手な行いこそが、彼女を危機にさらしかねないのだということに。
……武士(もののふ)にとって、信念と名誉は命よりも重い。
たとえ絶対の死を前にしても、その想いに変わりはない。
だが、いま某(それがし)の背にあるものは、それらすべてよりも重く――
それ以上、刀を上げていることは出来なかった。
「グ、ゥ……」
「タイガ」
そして向けられたリュウガ兄の言葉は、こちらの葛藤など無意味と断ずる冷徹な響きを宿し、
「これ以上は追ってくるな。
次は、斬る」
腰の黒刀に匹敵する威力をもって、柵(しがらみ)のすべてを断ち切っていた。
城下の騒ぎが制圧されたことを某(それがし)たちが知ったのは、その少し後だった。