うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
「それではみなさん、
お世話になりました」
澄みきったトゥスクルの空の下、旅の荷を背負ったトウカ姉が丁寧に頭を下げる。
対し、礼を向けられたベナウィ殿は、肩を落とし深い息を吐いていた。
「……残念です。
貴女にはクロウと共にトゥスクルの護りを
担っていただきたかったのですが」
「ええ。
トウカが都についてくれりゃあ、俺も周辺の護りに
もう少しは手間が割けるんですがねぇ」
クロウ殿までもが送る心からの惜しみに、小さくない羨望を覚える。
いずれは某(それがし)も、あのように頼られる存在になりたいものだ。
堂々と応えるトウカ姉の姿に、想いはますます強くなる。
「光栄です。
しかし、今は先にやらねばならぬことがありますゆえ、
どうかご容赦のほどを」
トゥスクルの懸念の解消は、同時に、トウカ姉が託されていた本来の任も終わらせていた。
つまり、リュウガ兄と某(それがし)の行方を突き止め、所為を確かめる、という任を。
務めを果たした以上、報は速やかに告げねばならない。
トウカ姉はエヴェンクルガに相応しい潔(いさぎよ)さで、里への帰還を決めていた。
「寂しくなるねぇ」
「トウカおねーちゃん」
「本当に行っちゃうの?」
「急なことで申し訳ない。
某(それがし)も皆と別れるのは辛いのだが……」
一方、『ティティカルオゥル』の面々は、より単純にトウカ姉との別れを惜しんでいた。
「勝ち逃げはズルいですわ。
次こそは一本いただきますから」
「そうだな。
腕を磨いておくことにしよう」
「ああ。
楽しみにしているぞ」
アルルゥやカミュの沈んだ表情に、カリンの示す勝気な憤り。
リネリォ殿に望まれた再戦の約束にも、トウカ姉は笑みで応えていた。
エヴェンクルガが浮かべるには多少なごやか過ぎるかもしれない。
トウカ姉にとっても、この団は特別なものとなったのだろう。
「タイガ」
「はいっ」
ただ、そのまなざしも、某(それがし)に対しては真剣を戻していた。
敵を見るような目に対し、真っ向から視線を返す。
再会の時と変わらぬ威圧に、今は震えることもない。
再び刃を交えると言うなら、喜んで応じてみせる。
示した覚悟は期待に応えられたのだろうか。
少なくとも、伝わりはしたようだ。
息を吐いたトウカ姉のまなざしはいつもと同じ、厳しくも穏やかなものだった。
「無断で里を下りたことに関しては、
問わぬように計らおう。
お前も、リュウガもだ。
武士(もののふ)として認められたくば、
己が力で道を拓け」
「はい」
「だが、宝剣は話が別だ。
リュウガのあの剣、
あの力は、聖上の――」
だが、その穏やかさも束の間だけ。
話題を宝剣に変えた途端、トウカ姉は意識を遠くへ飛ばしていた。
いや、宝剣自体もそうなのだろうが、むしろ、もっと別のことを思い返しているような――
「トウカ姉?」
「……いや、そんなはずはないな。
某(それがし)の思い違いだろう」
自分の内で納得し、すぐに戻っていたが。
次の問いかけは先と同じ、エヴェンクルガの武士(もののふ)としてのもの。
「リュウガについて、
里長がどのような裁を下すかはわからぬ。
わからぬが……
お前は、どうする」
「某(それがし)は――」
少しだけ、考えてしまった。
トウカ姉が長(おさ)に伝えれば、里の手錬(てだれ)が総力をもってでも、リュウガ兄を止めてくれるだろう。
どれほどの時がかかるかは分からないが、行われるのであれば確実に果たされる。
一人の独断先行は、むしろ邪魔にしかならない。
エヴェンクルガとしての理性はそう囁(ささや)いている。
それが正しいと、某(それがし)も理解している。
……だが、それでも。
「――無論、兄上を止めます。
俺が、この手で」
血を分けた唯一人の弟として、リュウガ兄の行いは某(それがし)が止めなければならない。
仮にその命を断つのであれば、是が非でも、この手によって。
肯定も否定もせず、トウカ姉は淡々と事実を、残酷な現実を語る。
「某(それがし)とリュウガの戦いは見ていたな。
それでも想いに変わりはないか」
もちろん見ていた。
いや、いまだ脳裏に深く刻まれている。
見えざる剣閃に、地を割る斬撃。
リュウガ兄の実力は、トウカ姉の刀を斬り折るほどで、某(それがし)など塵芥(ちりあくた)に等しいだろう。
だからといって、今さら覚悟は揺るがない。
口に沸く唾を飲みこみながら、確かな頷(うなず)きをもって応えた。
返されたのは、諦めと納得を合わせたような吐息。
「そうか。
ならばもはやなにも言うまい。
見事に散るのも武士(もののふ)の最期には相応しかろう」
「最期って、散ること前提ですか……」
認めるトウカ姉の言葉は清々しくすらあった。
「アルルゥ様。
骨は拾ってやってくだされ」
「ん。だいじょうぶ。
アルルゥがまもってあげるから」
「なるほど。
それならば心強い。
よろしくお願いします」
アルルゥのなんともありがたい言葉に、トウカ姉は陽気に笑う。
「では」
そして、そのまま笑顔で去っていった。
見送りの言葉に片手で応え、しかし決して振り返らず、後姿は遠ざかっていく。
幼い頃から追いかけてきた背中に、いまだ某(それがし)は触れることも出来ない。
それでも、近づけてはいるのだと、思えた。
数え切れぬ教えのすべてが、今の自分を支えているのだ、と。
震える心が、ただ素直な言葉を紡(つむ)ぐ。
「トウカ姉……
ありがとう、ございましたっ」
エヴェンクルガの武士(もののふ)の背は、それにも力強く無言で応え、遥かな彼方に消えていった。