うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
団欒の間に飛びこんできた兵の報から一両日。
某(それがし)は、ウルタイの関から帰還したクロウ殿の元へと駆けていた。
――その負傷が信じられずに。
「なにかの冗談だろう?
あのクロウ殿が、まさか」
「残念ながら本当ですわ。
まったく、なにに気を取られたのか知りませんけど」
報せに来たカリンの珍しく焦った様子に、それが事実なのだと知る。
それでも、まさかという思いを消すことはできなかった。
稽古で見せつけられたクロウ殿の技量はトウカ姉にすら匹敵し、トゥスクルの侍大将(オムツィケル)たる指揮の能力は、他の将など比べ物にならない高みにある。
いかなる軍勢が相手なら、深手を負うような不覚をとるというのか……
飛びこんだ治療の間では、トゥスクルの精鋭たる騎兵衆(ラクシャライ)が、無数の傷口から鮮血を流し、横たわっていた。
「こ、これは……」
古鉄と生薬の匂いの中に、苦痛のうめきが満ちていた。
生にすがる声は地の底から響いてくるようで、踏みこむことを躊躇わせる。
だが、怪我人の間を行きかう医師たちと共に忙(せわ)しなく動いているアルルゥを見ては、臆している暇などなかった。
「アルルゥ。
クロウ殿の容態は」
「だいじょうぶ。
あっち」
呼びかけに短く答え、アルルゥは次の患者に向かっていった。
そっけないとすら思えるいつもの仕草が、事態の深刻さを思い知らせる。
指差された方を見ると、包帯に包まれた一際の巨体が、いつか見た少女に乗られ、うめいていた。
「いてて、
姫さん、痛いですって」
「うるさいっ。
まったく、飛び出していったと思ったら
穴だらけになって帰ってきて。
どんだけ人を心配させりゃ
気が済むんだい、アンタは!」
「はあ、心配していただけたんで。
こりゃすんません」
「し、知らんにゃも!」
「でーーーーー!?」
聞こえてきたのは、いつもと変わらぬ明るい声だった。
少し無理を感じさせる陽気さが、広がっていた陰鬱をわずかに散らす。
それは、苦悶を漏らす兵や切迫した医師たちはおろか、全責を負う大老(タゥロ)にまで、ささやかな脱力を覚えさせたらしい。
「どうやら心配はないようです。
まったく、頑丈さではトゥスクル一ですね」
感心と呆れのこもったベナウィ殿の声には、わかりやすい安堵の響きも含まれていた。
本当に大事はないようだ。
ようやく一息吐きながら、自然と次の懸念を思う。
「しかし、一体なにが……」
「ウルタイの関を落とされました。
バンジジェジュが宣戦布告してきたそうです」
「なっ?」
告げられた事実に息を飲む。
見返してきたベナウィ殿のまなざしは、日頃の真剣さを戻していた。
「バンジジェジュの軍は
我が軍の撤退を追撃する形でそのまま侵攻し、
都への道程を一気に制圧しました。
現在はトパコの砦に拠点を構え、
後続の到着を待っているようです」
「トパコの砦って、
目と鼻の先じゃないですか」
「面目ない。
俺が不甲斐ないばかりに――」
満身創痍の武人から謝罪が聞こえてきた。
包帯に滲(にじ)む無数の血痕は、いまだ広がり続けている。
この姿が不甲斐ないというのであれば、某(それがし)など生涯武士(もののふ)を名乗れまい。
「クロウ殿ほどの方を……
敵は一体どのような計略を?」
「それなんだがな。
見たこともないけったいな武器を向けてきやがって。
こう、槍みたいな筒みたいなモンの先端が爆発したかと思ったら、
えらく離れてたってのに全身ぶん殴られてたって始末よ」
「爆発?」
「ああ。
気がついたら体中穴だらけで転がされてた。
尻尾巻いて逃げ帰ってくるのが精一杯だったぜ」
「いえ、よく戻ってくれました。
おかげで少しは対策を講じられるというものです」
心底悔しげなクロウ殿を、ベナウィ殿が労(ねぎら)う。
声には気づかいだけではない、武人らしい冷徹な思いが含まれていた。
「ベナウィ殿は知っているのですか?
その謎の武器を」
「直接見知っているわけではないのですが……
その爆発とやらは、火薬によるものでしょう。
恐らくは、その力を利用して
無数の鉄片をぶつけてきたのではないかと」
「火薬……
マルシェロが使っていた、あの」
膨れる炎を伴った鞭撃を思い出す。
あの衝撃を利用すれば、なるほど、そのような使い方も不可能ではないだろう。
「ええ。しかし、
聖上以外にあの力を使える者がいようとは――」
ベナウィ殿は眉を寄せていた。
過去を懐かしむようなまなざしで、現状の困難以上の疑問を見るように。
それでも、ベナウィ殿はトゥスクルの大老(タゥロ)であった。
「厳しい相手です。
射程は弓ほどではないにしても、
砦にこもられたこの状況では分が悪い。
敵が体勢を整える前に制圧してしまいたい所ですが、
クロウですら手を焼くとなっては、難しいでしょうね」
求める答えは、あくまで今に対するもの。
過去に捉(とら)われていては未来など掴(つか)めないと、ベナウィ殿は態度で語る。
力になりたいと思う気持ちから、某(それがし)もつたない記憶を懸命に探った。
ガムシャラだった戦いの様を思い出し、なんとかまとめて言葉に結ぶ。
「……確かに敵の破壊力は強大ですが、
反面、防御には脆いところがあります。
懐から突き崩せば、あるいは」
「なるほど。
しかし、相手は砦の内。
懐からと言っても――」
「はいれる」
我ながら現実味のない指針に対し、横から補う言葉が足された。
「アルルゥ?」
いつの間に戻っていたのか。
驚く某(それがし)とベナウィ殿の会話に、アルルゥは当たり前のように加わってきた。
「トパコの砦なら、アルルゥ知ってる。
むかし、橋さがすときに通った」
「ああ、そういえば
そんなこともありましたね」
「お前、昔からそんなことしてたのか」
某(それがし)の呆れを受け流し、言いたいことだけを言い放つ。
「ちょっとの人なら、
見つからないで入れる」
「ふむ……」
ベナウィ殿のまなざしが真剣さを増した。
少しだけ伏せられた目はどこともない場をしばしさまよい、やがて確かな意を決する。
「……お任せして、よいのですね?」
「ん」
向けられた信頼に、アルルゥはそっと某(それがし)の手を引いて、強いうなずきを返した。
「ね」
掌から伝わる温もりで、胸に火が点る。
「……もちろんだ。
ベナウィ殿。某(それがし)たちにお任せ下さい」
期待のまなざしに対しても、緊張は感じない。
たぎる想いのまま、うなずきを返した。