うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
闇の中から音が聞こえる。
梟(ふくろう)の声を意識した瞬間、
揺れる炎が火の粉を上げた。
「……と、いかんいかん。
某(それがし)としたことが」
頭を振り眠気を払う。
食事の準備と片付け、夜営の仕度。
さらには見張りと立て続けにやらされては
疲れが溜まるのもしかたあるまい。
もっとも、すべてクジで負けた結果なので
文句は言えないのだが。
火に薪を足し、星の瞬く夜空を見上げる。
すでに交替の時は過ぎていた。
重い体を引きずって、
寝ているティティカ殿の傍(かたわ)らへと移る。
「ティティカ殿、交替の――」
肩を揺すって起こそうとして、
その滑らかさに眠気が失せた。
旅の途中で着替える余裕などあるはずもなく、
ティティカ殿もまた普段着のまま横になっている。
日頃から着崩されている艶やかな装束は、
眠りの間により乱れていた。
「ぅン……」
少し苦しげな寝息まで妙に色っぽい。
肩も露な寝姿に、思わず唾を飲みこんでしまう。
それが聞こえたわけでもなかろうが、
ティティカ殿はようやく目を開けてくれた。
「……あぁ、タイガ……なに? 夜這い?」
「ち、違います! み、見張りの交替を」
「ちぇ、なーんだ……あ、たたた……」
身を起こそうとして顔をしかめる。
右手で抑えた額とこめかみには、
うっすらと汗が浮いていた。
「大丈夫ですか?」
「んー、ダメっぽい。ね、代わって?」
だが、甘える声で流し目を向けられては
心配する気にもなれない。
「……大丈夫そうですね。
見張り、お願いします」
「なんだよー、冷たいねぇ」
当然の対応に、ティティカ殿は唇を尖らせ
子供のように拗ねて見せた。
……いちいち人の心臓を弄ばないでほしい。
それが一転、狐めいた笑みへと変わる。
細められた目は、丸くなったムックルの腹で
寝息を立てるアルルゥへと向けられていた。
「そっか、年下の方が好みなんだもんね」
「は?」
「どうぞごゆっくり。
でも襲うのはダメだよ。
ちゃんと同意の上で楽しみな」
「い、一体なんの……!」
文句の声を向けるべき相手は
笑いながら姿を消していた。
気を鎮めようと唸ってみるが、
なにが変わるわけでもない。
一度きっちり話し合わなければ
ならない気がする。
「まったく、ティティカ殿の
悪ふざけもいい加減に……」
つぶやき、からかわれた元を見る。
横になったアルルゥは、
ムックルの息に合わせ揺れていた。
頬に擦りよるガチャタラがくすぐったいのか、
時折むずがゆそうに鼻を鳴らす。
その寝顔は実にあどけない。
だが、ティティカ殿に妙なことを
言われたせいか、
ふっくらとした頬とつややかな唇は
触れればとても柔らかそうに思えて……。
知らず、一歩近づいていた。
音は立てず、気配も殺して。
月の明かりが照らし出す森の少女の寝姿は、
瞬くことが惜しまれるほど美しかった。
包みこむ夜気までが清らかに見える情景は、
この場が常世(コトゥアハムル)なのではと
錯覚させるほど。
幻想を壊したくはない。
しかし、滲み湧くような衝動も抑えきれない。
某(それがし)は我を殺したまま、
静かに、もう一歩を近づいて――
絶対の殺意に射抜かれた。
「……っ」
接近に、当然気づいていただろう。
森の主(ムティカパ)の青いまなざしは、
容赦なく死をつきつけていた。
背筋を上りくる冷たい感覚は、
いまだ鮮やかな恐怖の記憶。
後一歩近づけば問答無用で噛み殺されるだろう
……どこの誰ならこんなのを襲えるんだ……。
音を殺して一歩をひき、
気配を殺してさらに下がる。
つれて殺気も薄れていった。
ムックルは横たわった姿勢を微動だにせず、
母を守りながら目を閉じた。
それだけで、どれほど安堵したことか。
十分な距離が開いた途端、
勝手に膝が折れていた。
身も心もボロボロだ。
一瞬抱いた邪念を反省する余裕もない。
某(それがし)は半ば意識を失うように、
そのまま崩れ、眠りに落ちていた……。