うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
「クソッ、火の回りが早いぞ。
火消し急げ!」
「バケモノはどこだっ。
銃を、いや、砲を持てっ」
「ええい、この忙しい時に。
トゥスクルの連中などさっさと蹴散らせっ」
「し、しかし、敵兵の士気は存外に高く、
銃の威にも撤退の様子を見せぬままで――」
「重兵を出せ、重兵を!」
こもる熱、立ちこめる煙、木々の爆ぜる音の中、状況は目論見(もくろみ)通りに混乱を広げていた。
もはや、異なる気配を気にしようとする者などいない。
某(それがし)は、アルルゥと共に影から影へと身を潜め、砦の奥に進んでいった。
「まだ遠いのか?」
「わかんない。
でも、近づいてる」
頼みの綱はアルルゥの鼻だけだ。
火薬の匂いだけではない。
近づく兵の気配にも某(それがし)より先に気づき、見つからぬように進路を定めている。
この混乱の中で、大したものだ。
これならば一人でも、敵の手に落ちることはないだろう。
そろそろ導火の方法を定めなければ――
走りながらアルルゥを逃がす算段を考えていたのだが、追うべきその足が唐突に止まった。
「アルルゥ?」
「……」
鼻を宙に向けたまま、アルルゥはピクリとも動かない。
黒い瞳を見開いた様は、呼吸すら忘れているように見える。
どうしたのかと問いただす暇もなく、今度はゆっくりと歩きだした。
今までの慎重さもすっかり無くし、他者の目も考えずフラフラと進んでいく。
「お、おい、アルルゥ。
どうしたんだ、おいっ」
「……ーちゃん」
歩みの幅は徐々に広がり、すぐ駆け足に変わっていた。
我を忘れた本気の疾駆に、すれ違う兵が驚きを示す。
「な、なんっ……?」
「がっ!?」
すれ違いざまにそれを斬り伏せ、駆けるアルルゥの後を追った。
「おい、アルルゥ!
一体なにが――」
「……ーちゃんの、匂いがする」
返事はつぶやきの一言だけ。
周りを見ることもなく、アルルゥは一心不乱に走り続ける。
角をいくつか曲がることで、ようやく止まった。
一つ、大きな扉を前にして。
「ここは、どこだ……?」
人気のない奥の間に、火気の気配はまるでない。
埃の積もったその場所は、どう見ても長く使われていない部屋だ。
「アルルゥ、どうしたんだ?
某(それがし)たちの役目は
火薬の保管場所に火をつけることだぞ。
寄り道している暇は――」
問いかけても返事すらない。
明らかな間違いにも構わず、アルルゥはその扉を一息に押し開けた。
現れたのは薄闇の世界。
開いた口から射しこんだ光が、軽薄な黒を少しずつ散らしていく。
中には二人の女性がいた。
その一方を見定め、思わず剣に手が伸びる。
「貴様、ハクビっ」
「……ああ。
やはり貴方たちですか……」
某(それがし)が向けた剣気に対し、ハクビはいつもと同じ、無感動な声を返してきた。
さしたる威は感じない。
だが、視線を合わせ続けていると、言い知れぬ不安が心を締めつけてくる。
それは、親への反抗にも似た罪悪感。
逆らうこと自体が間違っているかのような、根源的な恐れ。
――小さく首を振り、気の迷いを払い落とす。
「やはり貴様が糸を引いていたのか。
兄上はどこだっ」
「リュウガは別用に出ています。
今日の共には、彼女が」
言いながら、ハクビは隣の女性を示した。
丁寧に紹介するような動きに、警戒は解かぬまま目を向ける。
そこにいたのは控え目な、物静かな雰囲気の女性だった。
今までの面々に比べれば、ひどく大人しい印象だ。
優しげな顔立ちは、どこか憂(うれ)いを帯びている。
目を引くような装飾といえば、髪に結んだ環の飾りぐらい。
平凡な服装は、街や村では人々の中に自然と紛(まぎ)れてしまうだろう。
だが、初めて目にするはずなのに、彼女の容姿には、なぜか見覚えがあった。
思わず隣のアルルゥを見てしまう。
佇(たたず)まいや印象こそ異なるものの、二人の服装や面立ちは、ひどく似通っていた。
もしやと思い浮かべた疑問は、すぐ確信に変わる。
「……おねーちゃん」
アルルゥのつぶやきは小さかったが、しっかりと間に響いた。
呼びかけに女性は答えない。
ただ、悲しげなまなざしを浮かべているばかり。
代わり、ハクビから聞こえてきた彼女の名は、
「エルルゥさん。
よいのですか、なにも言わなくて」
「……はい」
間違いなく、アルルゥの姉上のものだった。