うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
バンジジェジュへの旅の途中、立ちよった宿の一席で、ティティカ姉とニコルコが向きあって話しこんでいた。
日頃なら嫌な予感しかしない組み合わせなのだが、今日は少し様子が違う。
ティティカ姉が盃を傾けているのはいつものことだが、そのまなざしは不自然なほどに鋭かった。
少しだけ、声をかけるのを躊躇ってしまう。
「おや、なんだいタイガ。
アタシになにか用かい?」
「い、いえ。
そういうわけではないのですが。
なにをしておられるのかなと」
「ああ。
ちょっとニコルコに頼んでたものをね」
「エエ、エエ。
バンジジェジュについて調べてまいりました、
ハイ」
「バンジジェジュの……」
言われてみれば当然のこと。
敵の本拠が割れているのだ。
事前に分かる情報を手に入れておかない理由はない。
がぜん興味が沸いてきた。
日頃は迷惑きわまりない存在であるが、ニコルコの探ってきたものならば、信用はできる。
「アンタも聞いとくかい?
ちょうど今からだ」
「ええ、ぜひ」
「よろしいですか?
それでは」
某(それがし)の神妙な声に、ニコルコは少し弾んだ口調で北の強国の詳細を語り始めた。
「バンジジェジュが生まれたのは四年ほど前。
新興の国ですが、近年急速に力をつけ、
今や四強の一角となっております。
主な産物は鋼鉄と、それによる武器防具ですね。
戦乱の時代に圧倒的な需要を受け、
自国もまた強大な兵力を手にしております」
「武器、というと、
あの火薬を用いたものか?」
「イエ、重兵がまとっていた鎧や槍の方です。
あの砲筒の方は、これまでに聞いた事がありません、ハイ。
恐らく、今回のために用意したのではないかと」
ティティカ姉が盃を舐めながら、つまらなそうに訊ねる。
「用意、ねぇ……
皇(オゥルォ)のことはどうだい?」
「エエ、エエ。
ご注文の通り、入念に調べさせていただきました、ハイ。
皇(オゥルォ)の名はネグネウロ。
グィズロ族の偉丈夫(いじょうふ)で、
一族の名に恥じぬ巨躯と膂力(りょりょく)の持ち主だとか。
ですが、彼が皇(オゥルォ)の座にあるのは
力のみが理由ではありません。
典型的な独裁政治だそうですが、
新興の国を強国の一角にのし上げたことからも
政(まつりごと)の手腕は確かなものでしょう、ハイ。
そういえば、調べを進めるうちに
面白いことがわかりました」
「面白いこと?」
「エエ、エエ。
過去の経歴まではまだ洗いきれていないのですが、
この男、皇(オゥルォ)となってから名を変えているのです。
以前の名は――」
「グゼイゼ」
「グゼイ……
おや、ティティカ様、ご存知だったので?」
得意気に語っていたニコルコが軽く驚き、言葉を止めた。
調べるのにだいぶ苦労したのだろう。
非難にも似たまなざしをティティカ姉に向ける。
応じる笑みには、悪気の欠片も感じられなかったが。
「昔の知り合いにそういう奴がいてね、
話を聞いてて思い出したのさ」
「知り合い、なのですか?
バンジジェジュの皇(オゥルォ)と」
「どうやらそうらしい。
うん、グゼイゼの国だと言われれば
納得できることもたくさんあるよ。
火薬とやらも鉄と同じように、
他者から奪ったものなんだろうさ」
「エエ、エエ。
確かに、バンジジェジュの前に置かれていた国では、
鉱脈のあった山を霊峰とまつっていたようですが……
それをネグネウロ皇が奪ったという話は
聞いておりませんが」
「奪ったんだよ」
「ハア、そう、なのですか……」
他者を圧する強い響きには、確かな真実がうかがえた。
たとえ天地が返っても、その事実だけは曲がらないとでも言うように。
その強さが、気に障る。
「色々と、某(それがし)たちに
隠していることがあるのですね」
問いかけにも、知らず反抗の意がこもった。
いや、反抗というほど強くも確かでもない。
自分でもよくわかっている。
拗ねているだけだ。
いつまでも頼りにならない自分が悔しい。
でも、だからこそ、まっすぐに問うことしかできなかった。
「もちろんだよ。
女には秘密が多いもんさ。
女心もわからないアンタたちにゃあ
まだまだ理解できないだろうねぇ」
「わからないから、教えて欲しいんです」
心に生まれた言い知れぬ不安は、消えることなく蠢き続けている。
苦悶の表情を見たあの日から。
ティティカ姉のことは信じている。
信じているからこそ、きちんと教えてほしいのだ。
いつまでも、某(それがし)の姉でいてほしいから。
「まだ、話しては頂けないのですか?」
「タイガ……」
ティティカ姉のまなざしから酔いと、はぐらかすような笑みが消えた。
交わすのは沈黙の視線。
呼吸も忘れた一瞬に、抱えた不安を互いに知る。
だが、それも一瞬のこと。
「……そうだね。
きちんと話すよ。
そう……」
気負いをなくしたティティカ姉の表情からは、今にも消えてしまいそうなほどの儚(はかな)さと、それでも消えない強い意思が見てとれた。
「バンジジェジュに着くまでには、全部」
「ティティカ姉っ」
「わかってる。
でも、もう少しだけ待っておくれ」
返されたのは再びの笑み。
それは、初めて出会った時と何一つ変わらないもので、
……なにも、言い返すことができなかった。
「エエと、あの、ティティカ様……」
「ご苦労だったね、ニコルコ。
これはお礼だよ」
眉を寄せたニコルコに、ティティカ姉は包みを手渡した。
片手にはあまるほど膨らんでいる。
「ハ、イエ、イイエ。
こんなに頂くわけには」
「だいぶ無理なやりくりしてるんだろう?
いいからとっときな。
また無茶聞いてもらうんだからね」
「ハ、ハア……」
ニコルコは重さを両手で持てあましながら、去り行くティティカ姉を見送っていた。
横で、某(それがし)もまた同じように。
それは、あまりに自然な立ち振るまいで、束の間見せた憂いの表情も、偽りだったのではないかと思ってしまう。
そうであれば、どんなによかっただろう。
「……あのう、タイガ様。
その、ティティカ様のことですが」
「言うな」
「で、ですが」
「ティティカ姉が自分で話すと言ったんだ。
これ以上、詮索するつもりはない」
「そう、ですか……」
「そうだ」
揺れるニコルコの問いかけに、強い語気で言葉を返した。
どれほど心に痛くとも、それを貫くと決めた。
自らを偽るたびに言い知れぬ吐き気を覚えながら、
それでも、毅然たる態度を崩すことはできなかった。