うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
「本気でいきますわよ。
死なないでくださいませ?」
「来い」
ギシギシと低く聞こえてくるのは、絞り上げられる握りの音か。
剛剣を背まで引いたカリンを前に、某(それがし)もまた覚悟を決めた。
ギリヤギナの渾身が目の前で高められていく。
幼いとはいえ、カリンの全力はテルテォの膂力すら凌ぐ。
まともに喰らえば、痛みすら感じる間もなく肉片と化すだろう。
振り下ろされることが分かりきっている剣を前に、しかし逃れる道はない。
逃げては意味がないのだ。
某(それがし)は、自ら頼みこんでカリンに剣を握ってもらったのだから。
握りの絞られる音が止む。
練りに練られた全力が、立ち昇る闘気を炎に変えた。
カリンの言葉に偽りはない。
一撃は、某(それがし)を殺す気で落ちてくる。
絶対の死を前に硬直しようとする筋肉を、静かな呼吸で速やかに解いた。
視るべきは剣ではなく、心。
まずは、向けられた殺しの意を察することに集中する。
ゆるやかに進む刻の中、
緊張に脳を焼かれながら、落ち来る刃の軌跡を捉えた。
まっすぐな剣閃は躊躇いなく某(それがし)の頭蓋を砕き、そのまま首から胸と胴を縦に分断するだろう。
そうさせぬための軌道を、脳裏に描く。
刻む閃きは真の円。
剛剣の力をわずかに逸らし、必殺の意から身をかわすように。
刹那の乱れも許されぬ弧を定めた時、すでにカリンは動いていた。
ゆっくりと、しかし瞬きの間で、剛剣が頭上に落ちてくる。
恐怖による混乱が起きるより先に、剣を抜いていた。
ゆるやかな時の中、ゆるやかに落ち来る鋼の塊に向け、円を描く刃も、またゆるやか。
そして重なる、互いの一撃。
衝撃と轟音は一瞬にして通り抜けた。
いや、恐らくは抜けたのだろう。
某(それがし)には、そのいずれを感じることもできなかった。
刃を交えた瞬間に伝わりきた重さ、そのあまりの重量に両腕の感覚は一瞬で奪われ、全身は痺れに支配されていたからだ。
残る五感もまた同じ。
半ば失いかけた意識の中、悪夢めいた虚脱感に襲われていた。
ゆえに、自身の因果を知ったのは、事が終わった数拍後。
自分の鼓動に気づいた瞬間。
「あら、
本当に捌かれましたわ」
安堵と不満をないまぜにしたカリンのつぶやきを聞いた後だった。
割られるはずだった頭はまだ在り、振り上げられていた剛剣が、今はない。
ほとんど無意識で放った剣が、正しく軌道を逸らしたようだ。
「や、やった、のか……?」
「ええ。お見事ですわ。
わたしは少し残念ですけど」
「残念てことは、ないだろう……」
自分の声を聞いた途端、右側の痛みに気がついた。
こそぎ落とされた肩の肉と、剛剣に抉(えぐ)られた地の穴にも。
その深さたるや、某(それがし)が二人は埋もれられるだろう。
滝のように流れる汗を自覚したのと同時に、剛剣がひょいと担がれる。
カリンは平然と再びの構えを取っていた。
「さあ、もう一発いきます?」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれ。
少しだけ、休憩しよう。な?」
「……まあ、しかたありませんわね」
心底不服そうなつぶやきを一つ漏らし、カリンは軽く素振りを始めた。
身の丈の三倍はある剣を軽々と、先の不備を反省しながら。
どうも目的を見誤っているような気がしてならない。
某(それがし)の肉片を前に高笑いでもしたいのだろうか……
「ずいぶんとまた、無茶な特訓始めたね」
「あら」
「ティティカ姉」
いつの間に来ていたのか、ティティカ姉が呆れた声を向けてきた。
近くの木に座り背をもたれ、変わらず手酌で飲んでいる。
「訓練はいいけどさ、こんな所で死なれちゃ困るよ?
カリンも、その辺は手心加えてやんないと」
「だって、本気でやれとしつこいのですもの。
ですからわたしも、
イヤイヤながら殺す気でやっているんですわ」
「イヤイヤ……?」
とてもそうは見えなかったが、しかし、手加減をされては意味がないのも事実だ。
兄上のまとう死の剣気は、カリンの全力でもまだ足りないのだから。
「ティティカ姉の言葉でも、
それは従えません。
某(それがし)は、
もっと強くならなければなりませんので」
多少は修羅場も抜けてきたが、まだまだ足りぬのは明白だ。
いつまでも未熟を言い訳にはしていられない。
次に見(まみ)える時は、死をもってしても止めてみせる……
「……そうか。
成長したね、タイガも」
覚悟を決める某(それがし)の耳に、聞こえてきたのは安堵のつぶやき。
今までに聞いたことがないほど安らかな声。
「ティティカ、姉?」
だが、気だるげに立ち上がったティティカ姉の表情は、いつもと変わらぬ笑みでしかなかった。
「ま、死なない程度にがんばんな」
「あ、はい……」
そして、ふらふらと離れていった。
千鳥足もいつものことで、どう判断したものかよくわからない。
酒に酔っているだけなのか、それとも……
「なんだか変でしたわね、ティティカ姉様。
いつものことと言えばそれまでですけど」
「ああ……」
首を傾げるカリンの問いに、某(それがし)は答えることができなかった。