うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
旅を続けて早数日。
バンジジェジュの隣国ムサカドのとある街で、『ティティカルオゥル』は日々の営みを行っていた。
声を大にして言えることではないが、今やすっかり慣れた旅一座としての営業である。
「ぬうううううん!」
「よっ、とっ、ほっ、ですわ」
簡単に組み上げた舞台の上で、テルテォが奇声を発しながら大岩三つのお手玉を披露している。
次々と入れかわる岩の上では、カリンが器用な軽業を行っていた。
奇をてらった装いとも相まって、見目にもなかなか派手な出し物となっている。
その隣では、ムックルが火の輪をくぐっていた。
「ひとーつ、ふたーつ、みっつー」
『ヴォウ、ヴォウ、ヴォウォーウ』
アルルゥの音頭に従い軽々と、最後には火の海に飛びこんでみせる。
知らぬ者から見れば確かに大した芸なのだろうが、火を苦とせぬ森の主(ムティカパ)にとっては、ただの遊びでしかないのだろう。
アルルゥに構ってもらえるのが嬉しいらしく、文句も言わず楽しげなものだ。
不本意ながら某(それがし)も、刀を使う曲芸師として舞台に立っていた。
立てた丸太を前に置き、柄を握って、一瞬の静止。
「フッ」
一息ついた後、涼やかに鍔鳴りを響かせる。
後には二度斜に断たれた木の幹が、四つの塊となって転がっていた。
本来なら、薪になっているはずだったのだが。
「もー、ダメだよトラちゃん。
真面目にやらなきゃ」
「いや、そう言われてもな……」
カミュの苦言に舞台下を見やる。
無人の客席を前にしては、やる気を出せという方が無理だろう。
隣国が大規模な戦を展開しているのだ。
民に芸を楽しむ余裕があろうか。
いや、まったく人がいないというわけではない。
場の一角ではニコルコが担当している串焼屋が、酔客を相手に多少の盛り上がりを見せていた。
だいぶ捨て鉢な様子ではあったが。
「まったくよぅ。
戦だ飢饉だ病だと、
ロクでもないことこの上ねぇ」
「ムサカドはバンジジェジュの同盟国だろう?
なんだって命令受けて
兵だ税だともってかれにゃならんのだ?」
「しかたねぇだろ。
機嫌を損ねたらこっちにまで
お鉢が回ってくんだから」
「どこも大変だよねぇ。
まあま、もう一杯」
ティティカ姉は、客に混じって酌取りを務めていた。
「おう、ありがとうよぉ」
「世の中の女がみんなあんたみたいなべっぴんさんなら、
ちったぁ生きやすくもなるんだろうがなぁ」
「まったくだ。
ウチの女房なんか酒どころか
メシも用意しやがらねぇ」
「そりゃテメエの稼ぎが悪いからだろうが」
「顔もあんまりよくはないねぇ」
自身も手酌を傾けながら、客と笑いあっている。
世間話から世相を知るのだとは本人の談であるが、どうにも楽しんでいるようにしか見えない。
今さら文句をつけるようなことでもないが。
「女っていえば、
バンジジェジュにもおっかないのがいるんだって?
仮面の軍師って話だけど」
「へえ、そんなのもいるのかい。
次から次へと、嫌な話ばっかりでてくるな、
あの国は」
「そんなの、も?」
「ああ。俺が聞いたのは、確か薬師だ」
「薬師……」
漏れ聞こえてきたその言葉に、思わず舞台上に視線を戻した。
ムックルの隣に居るはずの少女が、いない。
「俺も聞いたぞ。
近隣の国々から医師薬師を
集めてるとかって、アレだろ」
「いくら戦だからってなぁ。
ずいぶん怪我人にお優しいこった」
「いや、なんでも恐ろしい武器を
作らさせられてるって話だぜ。
その指揮をしてるのが
バンジジェジュの女薬師なんだってよ」
「それ、ほんとう?」
アルルゥは、いつの間にか酔客たちの輪に加わっていた。
置かれた肴にも目をくれず、真剣なまなざしを場に向ける。
その勢いに気圧されながらも、男は話を続けた。
「あ、ああ。
噂じゃ、矢に塗る毒なんざ大人しい方で、
飲み水やら風に乗せて撒こうとしてるとか」
「薬ってのも怪しいそうじゃないか。
兵士の体をいじくって、
死も恐れぬ狂人じみた
バケモノに変えちまうとかよ」
「……うそ。そんなこと
……ーちゃん、しない……」
虚脱するアルルゥの様にも気づかず、酔客は勢いのまま得々と語る。
「いやいや、俺も聞いたぞ。
一つまみで敵を吹っ飛ばす
火の薬なんてのも作ってるらしい。
まったく、とんでもねえ女もいたもんだ」
「人の命をなんだと思っていやがるのかね。
いや、なんとも思っちゃいないんだろうな。
人を戦に駆り出して殺し合わせるような連中は――」
「そんなの、うそっ!」
そんな和やかさも、アルルゥの突然の叫びに吹き飛ばされていた。
「な、なんだよ、いきなり」
「どうした、お嬢ちゃん?」
「いいかげんなこと言うなっ。
おねーちゃん、そんなことしない!」
少女が目を吊り上げる理由を、酔客たちが知るはずもない。
膨らんでいく混乱は迫るムックルの威圧を受け、分かりやすい恐怖に形を変えた。
『ヴォウゥゥゥ』
「お、おいおいおい、
なんだよ、こいつはっ」
『ヴォウ!』
「ひぃ!?」
銅鑼を打ったような咆哮の衝撃に、客たちは慌てて逃げ出した。
まあ、懸命な判断だろう。
不都合な噂が広まるかもしれないが、それを気にしている余裕はなかった。
諌めるべきアルルゥこそが、小刻みに肩を震わせているのだから。
「おねーちゃん、薬をそんなふうに使ったりしない。
毒なんて、つくらない。
おばーちゃんとの約束、やぶったりしない……」
「アルルゥ、落ちつきな。
あの連中だって本気で言ってたわけじゃ、な、い……」
気づかうティティカ姉が言葉を切っても、気づきもしない。
「おねーちゃん、いつも人のこと心配して、
みんなに優しくしてくれる……
怒るとこわいけど、
ぜったい、人のこと傷つけたりしない……」
「アル、ル……」
硬く閉ざした目の端から大粒の涙をこぼしながら、アルルゥはしきりに頭を振っていた。
旅の間、気丈に振る舞ってはいたが、心の中では常に姉上のことを考えていたのだろう。
想いは日々募り続け、触れれば爆ぜるほどに張りつめて、
そして、堪えきれなくなったのか。
泣きじゃくるアルルゥの強すぎる想いを咎めることは、場の誰にもできなかった。
駆け出そうとしたアルルゥの肩を、ティティカ姉がつかみ止める。
「待ち、な。どこに、行く気で……」
状況のせいで、その声が苦しげにくぐもっていることにも気づけなかった。
「おねーちゃんとこ、行く。
ぜんぶ嘘だって言ってくれる」
「アルルゥっ。落ち、つきな……
あんな噂に、踊らされるんじゃ……」
「やあっ、行くっ。アルルゥ行くの!」
「っあっ……」
「行く、の……?」
振り回されたアルルゥの腕を、ティティカ姉は避けなかった。
胸を打たれて尻をつく。
決して強くはない衝撃に、しかし、ティティカ姉は表情の苦悶を深めていた。
それは、赤子のようにわめいていたアルルゥを一瞬で正気に戻すほどの、緊迫と非常。
「っ、グッ、ぅブ……」
「ティティカ、おねーちゃ……」
「ガフゥっ!」
「!?」
口から吐き散らされたおびただしい血の量が、痛みの深さを物語っていた。
「ティティカっ」
「ティティカ姉っ?」
「姉様!?」
皆が集まる間にも、地面の赤い沼は広がっていく。
吐き出され続ける血の量は、今や全身を濡らすほど。
胃の腑が破れたのかと思わせる苦痛を前に、とっさの処置も思いつかない。
場を支配した放心は、リネリォ殿の一喝によって破られた。
「タイガ!」
「は、はい?」
「ティティカの荷を持って来い。
まだ薬が残っているはずだ」
「はっ、はい!」
言われるがままに走っていた。
馬車からティティカ姉の荷をつかみ、駆け戻る。
雑然とした袋の中に、一つ異彩を放つ革の箱。
開き、硬い音を立てる小瓶の群れから、直感的に一本をとり出した。
見覚えのある細い瓶を開けたとたん、強い刺激が鼻をつく。
思い出すのは、灰色熊(グルィボゥ)をしとめた闇の窟(いわや)。
「これは……」
「貸せっ」
リネリォ殿は某(それがし)の不安をもぎとって、躊躇なくティティカ姉の口へ流しこんだ。
吐き続けられる血にも構わず、汚れながらも押しこむように。
疑問は凄惨なその挙動にではなく、飲ませているその液体に対して浮かぶ。
「リネリォ殿、その薬は……」
「最初はツェツェ草を使っていたそうなのだがな。
今ではもう効果がないらしい。
鎮痛作用でこれに勝るものはないのだそうだ」
冷静に、しかし眉をひそめながら、リネリォ殿はつぶやいた。
ツェツェ草といえば、傷を縫う時に使われる痛み消しだ。
それで、効果がない?
投げだされた空の瓶をアルルゥが検分する。
恐る恐る手を伸ばし、その口に鼻を近づけた途端、泳いでいた目が見開いた。
「……これ、白霊蓮(サラカジャ)の蜜……」
愕然とした表情に絶句の気配が満ちた。
凶悪なまでの効果は、場の全員が身を持って知っている。
日頃は見せぬカリンの動揺が、衝撃をわかりやすく物語っていた。
「なんて、なんてことを……
わかっていますの?
白霊蓮(サラカジャ)の蜜は常習性の魔薬。
その毒は身の内に溜まり、消えることなく、
いずれは確実に死を招く――」
「でも、効果は絶大、だからね……」
答えは、血の泡と共に。
リネリォ殿に支えられ、血と汗に塗(まみ)れながらも、ティティカ姉は笑みを浮かべていた。
弱々しく、今にも消えてしまいそうな笑み。
「姉様っ」
「……やー、しくじったね。
もう少し持つかと思ったんだけど」
「ティティカ姉……
一体、これは……」
某(それがし)の問いかけには、リネリォ殿が答えた。
「……体の内の御神(オンカミ)が
腐り死んでいく病だそうだ。
進行を止める術はなく、
常に臓腑をかき回されるような苦痛を伴う、な」
沈痛を隠さない声が、事の重さを伝えていた。
それは、決して覆されることのない真実の重さだ。
押し潰された空気の中、さらなる問いはテルテォから。
「……姉上は、知っていたのですかっ。
ティティカ殿の容態をっ」
「……ああ」
「っ、姉上!」
テルテォがリネリォ殿に怒りを向ける姿を、某(それがし)は初めて見た。
恐らくは、向けられた本人も。
怒髪を立たせる弟を前に、あのリネリォ殿がほんのわずかにたじろいでいる。
怒りのほどは某(それがし)も変わらない。
いや、皆とて同じだろう。
膨らんでいく熱い怒気を冷ましたものは、下からの気だるげな声だった。
「責めてやらないでおくれ。
アタシが頼んだんだよ。
皆には黙っててくれ、ってね」
「ティティカ、おねーちゃん……」
「ティティカ姉様……」
それは、某(それがし)たちを慮(おもんばか)ってのことだろう。
分かるが、分かりたくはない。
想いが一際強いのは、涙を浮かべたアルルゥとカミュだ。
「なんだい。
そろって不景気な顔並べて」
「……アルルゥ、しらなかった。
……自分のことばっかりで、気づけなかった……
おねーちゃん、痛かったのに、
アルルゥ、薬師なのに……」
「そりゃ、そうさ。
アタシは嘘と騙しの専門家だよ?
まだまだアルルゥに悟られるようなヘマはしないさ」
「カミュも、わからなかった……
姉様に、悪い影は視えてたのに……」
「はは。
性根の悪さに誤魔化されたかい?」
「そんなことっ。姉様は――」
汚れた口元を拭(ぬぐ)いながら、ティティカ姉は日頃の饒舌(じょうぜつ)をとり戻していく。
笑みにも力が戻っていた。
まなざしだけは最初からまるで揺れていない。
それでも、血に濡れた装いは、死を予感させてやまなかった。
「さあ、もう落ち着いたことだし、
今日は終いにして明日に備えるとしようか」
「な、なにを言ってるんですか。
こんな、こんなことをしている場合じゃないでしょう?
早く、どこか安静にできる場所で治療を――」
あわてる某(それがし)の言葉にも、ティティカ姉は動じない。
「リネリォの言葉を聞いてなかったのかい、タイガ。
これは治らない病なんだ。
治療なんて、時間の無駄でしかないよ」
「しかしっ……」
「この旅には皆が目的を持っている。
アルルゥも、リネリォも、
タイガ、アンタだってそうだろう?」
「今は、そんな場合では……」
「アタシにもあるんだよ。
バンジジェジュに行かなきゃならない理由がね」
無理を語るティティカ姉のまなざしは、かつて見たことがない鋭さを宿していた。
絶対に退かぬ強い意思が。
放つ言葉にもまた、重ねてきた時の重みが含まれている。
「長い、貴重な時間をかけて撒いた餌に、
ようやく喰らいついてきたんだ。
この機を逃すつもりはないよ」
「ティティカ姉……」
その、死すら厭(いと)わぬ覚悟を前に、それ以上の言葉を続けられるはずもなく。
「アタシの、最後のワガママだ。
つきあってくれるかい?」
『ティティカルオゥル』の一同は、無言を返すことしかできなかった。