うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
広すぎる皇(オゥルォ)の間には、濃密な死が満ちていた。
転がる無数の鋼兵たちが垂れ流している、血の匂いだ。
頭を、胸を、胴を、腹を、装甲もろとも貫いているのは、黒く強靭な鋼の矢。
地に伏し動かぬ骸の数は、軽く五〇にのぼる。
死屍累々の只中で、ティティカ姉は白き肌を血に濡らし、黒矢をつがえた姿で立っていた。
腕を裂かれ、脚を斬られ、腹を刃で貫かれているにも関わらず、微動だにしない。
赤と黒の地獄(ディネボクシリ)めいた中で、その姿はまさに死天之神(ヨミノシムカミ)。
鋼の矢は狙いに違(たが)わず、的たる命を貫(つらぬ)くだろう。
鏃(やじり)の先には憤怒の相を浮かべた、短い銃を構える男がいた。
「貴様、貴様っ、ティティカぁ!」
「様が抜けてるよ、グゼイゼ。
父上と交わした忠義の誓い、
忘れたわけじゃないだろう?」
「やかましいっ、このくたばりぞこないがっ!
貴様ら一族がこのオレに味あわせた屈辱、
今こそ晴らしてくれる!」
あれがグゼイゼか。
今の名はネグネウロ。
バンジジェジュの皇(オゥルォ)にして北方の覇王。
そして、ティティカ姉の一族を滅ぼした男だ。
元は、国に仕える臣であったという。
それが、姦計によって力をつけ、民を護る皇(オゥルォ)を裏切り、その一族を根絶した。
奉る神山を切り崩し、その鉱脈を奪うために、だ。
国を捨て、名を変えて、力と才覚を存分に揮い、ネグネウロは今の地位を手に入れた。
それ自体は不義と断じえない。
戦乱の世にあっては、さして珍しくもない話だ。
強者が弱者の上に立つはごく自然な摂理。
エヴェンクルガの裁に照らしても、殊更(ことさら)に罰することではない。
だが、その摂理に従うのならば、踏みにじられることもまた覚悟して然るべきだ。
積年の想いと強さを重ね、復讐の念を晴らそうとするティティカ姉を止めようと、某(それがし)には想えなかった。
エヴェンクルガとしてではなく、今はただのタイガとして、その成就を見守るだけ。
皆も、想いは同じなのだろう。
「ティティカ殿っ」
「抑えろ、テルテォ」
「しかし、姉上っ」
「あれはティティカの因縁だ」
「ぐ……」
「ティティカ姉様……」
いつの間にか集結していた『ティティカルオゥル』の面々もまた、言葉を交わす二人を前に、誰一人、身じろぎ一つしなかった。
わめき散らされる言葉と共に、場には憎悪が高まっていく。
「元をただせば、
貴様の父がすべての元凶ではないかっ。
オレの才を妬み、嫉み、不当に扱い、
くだらぬ端役にしか当てようとしなかった。
軍なり政なりを与えれば、
瞬く間に周辺統一を果たしてやったものをっ」
「だから一族ごと滅ぼしたってのかい?
皇族はおろか、民もろとも国まで」
「そうだ。
無能、愚物、虚飾の皇(オゥルォ)など、この世にはいらぬ。
必要なのは強き皇(オゥルォ)だっ。
オレの行動は必然であり、
貴様らが滅びたのは天の意思に他ならん!」
向ける銃口を揺らしながらも、ネグネウロの叫びは止まらない。
冷ややかなティティカ姉の言葉に煽られて、声はますます燃え上がる。
「貴様が生きていると聞いた時は、
歓喜に震えたぞ。
忌まわしき血の最後の一滴まで、
この手で滅することができるのだからな!
さあ、その弓を下ろすがいい。
さすればその腐った心の臓、
一撃の下に粉砕してくれようぞ」
「おや、知ってたのかい」
指摘された致命的な弱みを、ティティカ姉は苦笑で流す。
「ふん。
貴様の一族のことは調べつくしておる。
貴様の母親も我が手を下すまでもなく
血反吐を吐いてくたばりおったわ」
「……そうかい」
高笑いに対する声は、大人しかった。
怒りと歓喜をあらわにするネグネウロを前に、ティティカ姉は涼風のごとき佇(たたず)まいを崩さずにいる。
そう。
ただその場を吹き抜けるように。
「……アンタの気持ちはよくわかるよ。
殺すだけじゃまだ足りない憎悪。
アタシがアンタに抱いていたものが、
まさにそれだったからね。
行方の知れなくなったアンタを探し出すために、
残り少ない命のすべてを費やしたんだ。
ふふ、我ながら一途なもんさ」
語られる自虐めいた言葉にも、怨嗟の念は微塵もない。
感じられるのは、むしろ真逆の温かな想い。
「でも、今では感謝すらしてるよ。
恨みのまま、憎しみのままアンタを追う日々の中で、
アタシは復讐なんて目的より
大事なものを手に入れることが出来たんだから」
「な、に……?」
「おかしなもんだね。
最初は手段でしかなかったはずなのに。
共に寝て、共に食い、
飲んで、遊んで、戦って。
長い間一緒にいると情が移るってのは、本当だね」
ネグネウロからのまなざしを、その存在ごと完全に無視し、ティティカ姉は某(それがし)たちに笑みを向けた。
「みんな、
今ではアタシの大切な家族だよ」
それは、死天之神(ヨミノシムカミ)の影など微塵も感じられぬ、あまりにもいつもの笑みで、
……涙を堪えるこらができなかった。
「ティティカ、姉……」
「なんだいタイガ。
みんなも、情けないツラ並べて」
「なぜ、今そんなことを……」
「あはは。やっぱりちょいとクサかったかい?
ガラでもないことはするもんじゃないね。
ちょいと照れちまったよ」
「ふ、ふざけるなっ!」
交わされる『ティティカルオゥル』の言葉の間に、割りこみきたのは怒号の響き。
今やネグネウロは銃口どころか全身を震わせている。
「なんだよ、うるさいね」
「それでは、貴様はなぜオレの前に現れた?
家を、一族を、国を裏切り滅ぼしたオレが
憎かったからではないのかっ?」
「それはまぁ、なくはないか。
理由を答えるならケジメかね。
アタシの勝手に巻きこんだ皆に対して、
せめて最初の目的は果たしておかないと
示しがつかないだろう?
これから先やっていくにしても、
色々と気持ちが悪いしね」
「けじめ? 示し?
なんだ、それは。
それでは、このオレは――」
「アンタのことなんか、
今となってはどうだっていいよ。
せっかく偉くなったんだ。
バンジジェジュの皇(オゥルォ)ネグネウロとして死にな」
言葉に偽りがないことは、そのまなざしで知れる。
本当に微塵の興味もない。
ティティカ姉はつがえた矢と同等の冷たさで、ただ殺すだけの相手として敵を見ていた。
それが気に入らなかったのだろう。
「貴様、貴様っ、貴様ぁぁ!」
「なんだよ。
うるさい、ね……っゥ」
激昂に、ネグネウロの構えた銃口がピタリと止まった。
引き金に置かれていた指が動く。
だが遅い。
並みの兵ならいざ知らず、数多の修羅場を抜けてきた某(それがし)たちにとって、欲に肥えた皇(オゥルォ)の動きは、反応できないものではなかった。
いつもならその動きが成される前に、鏃(やじり)が敵を貫いていただろう。
だが、今その矢は、血を吐いたティティカ姉の手から力なくこぼれ落ちていた。
「死ねぇ!」
「っ、ティティカね――!」
『ヴォオウッ!』
大気を割るような銃声が、短い咆哮と共に響く。
「ぬあぁ!?」
『ヴルルウウウゥ……』
撃ち放たれた銃弾を、飛びこんだムックルが腹で止める。
苦悶の呻きを漏らしてはいたが、森の主(ムティカパ)の身に傷の跡は見られない。
鋼の獣毛は弾丸の威力を見事に散らしきっていた。
「ムックル、
だいじょうぶ?」
「っ、すま、ないね。
助かったよ、ムックル、アルルゥ」
『ヴォウ』
ティティカ姉を後ろに庇い、ムックルは一つ前に出た。
そのまま、後ずさるネグネウロを追う。
低いうなりにこめられた怒りは、重さすら伴う威圧をもって、睨む敵を追いつめていった。
一歩、そしてまた一歩と近づいていく。
「な、なんだこのバケモノはっ。
こんなものがいるとは聞いておらんぞっ」
「確かに報告いたしましたが。
お耳に届いておりませんでしたか?」
慌てふためくネグネウロに比べ、かけられた言葉は果てしなく静か。
聞き覚えのあるその声に、思わず後ろを向く。
広き皇(オゥルォ)の間の背後の闇に、白い面が浮き上がる。
現れたのは、想いに違(たが)わぬ仮面の女。
ハクビは動揺するネグネウロを前にしても、いつもと変わらぬ静けさで応じていた。
「その獣は森の主(ムティカパ)。
神代に生まれた古き眷族にして、
大神の子らを護る存在。
そして、天地の力を繋ぐモノです」
「ハクビっ。
貴様、今までどこに隠れていた!
いや、そんなことはどうでもいい……
殺せっ。
こやつらを、殺しつくせ!」
「……お望みとあらば」
少しだけ、その声が質を変えた。
自然と緊迫する空気に応じ、『ティティカルオゥル』の面々は一斉に己が得物を構える。
いつの間にか、周囲は黒い兵たちが埋め尽くしていた。
闇が具現したような鋼の鎧たちは、どこか蟻(あり)の群れを思わせる。
寄せる人波は、その重さだけで某(それがし)たちをたやすく押し潰すだろう。
もっとも、大人しく潰される気などさらさらないが。
「やれやれ、
結局力押しじゃないか」
「構わん。
こちらの方が俺たちらしい」
「ひさしぶりに暴れさせていただきますわ」
「よーし。
カミュもがんばっちゃうぞ」
「ティティカたちを囲んで陣を組むぞ。
敵のすべてを相手にする必要はない。
ムックルが敵の皇(オゥルォ)を噛み砕けば
話はそれで終わる」
率いているのがハクビだとて、連中の頭首はあくまで皇(オゥルォ)。
ネグネウロさえ落とせば、事態は一気に終息するだろう。
リネリォ殿の言葉に間違いはなく、事態は確かにそれで終わる。
――はずだった。
『キシィィィィ!』
きしみ砕けた天井から、巨鳥が舞い降りてさえこなければ。
同時に暴風が荒れ狂う。
それは敵味方の別なくすべての者の動きを止め、場を巨鳥の支配する世界に変えていた。
渦を巻く大気の中で、巨大な翼がゆっくりと下へと降りていく。
ネグネウロの目の前だ。
咄嗟の出来事を前にして、非力な某(それがし)には成す術がなかったが、より強き存在にとっては違ったらしい。
聞こえてきたのは深い唸り。
荒れ狂う風に負けぬ力を、両の脚に蓄える声。
一拍の間をおいて、ムックルは高く跳躍した。
『ヴオオオオオオ!』
『キシャアアアア!』
巨獣と巨鳥は宙で交錯し、咆哮を伴い、床に落ちた。
暴れ狂う巨躯は周囲を巻きこみ、集った重兵たちを事もなげに蹴散らしていく。
ムックルと互角にやりあう巨鳥の姿に、某(それがし)は今さら思い至った。
奴も森の主(ムティカパ)の一つなのだ。
それがなにを意味するのか、想いを巡らせている暇はなかった。
「ぬうん!」
「クッ」
「だあああああ!」
「フッ」
四方からくり出される大槍を相手に、剣を振り続けていたからだ。
重装重器が相手だとて、今ならば某(それがし)も遅れをとりはしない。
前後左右からの攻撃を捌き、躱し、受け流しながら、一人、また一人と斬り伏せる。
だが、いかんせん数が違う。
刃を振るう力とて、いつまでも続くわけではない。
いずれは押し寄せる軍勢に潰されてしまうだろう。
その前に決着をつけたいのだが、どうしても近づけずにいた。
銃を構えるネグネウロと、荒い息を吐くティティカ姉。
そして、その二人の間で両手を広げているアルルゥの下に。
「そこをどけ、小娘」
「や」
「アルルゥ、どきな」
「やだ。
アルルゥ、どかない」
前と後からの命じる声を聞き入れることもなく、アルルゥはかたくなにその場を動こうとはしなかった。
近づいてきたネグネウロの銃を眼前に置かれても、瞬き一つしない。
「死にたいのか?
そんなくたばり損ないの役立たずを庇って」
「ティティカおねーちゃんは、
アルルゥのおねーちゃん。
ぜったいに、アルルゥが守る」
瞳には強い意思が宿っていた。
まなざしは刃となって、対する者の心を斬る。
その真意を汲める者ならば、一歩を退かずにはいられなかっただろう。
だが、ネグネウロが返したものは、高らかな嘲りでしかなかった。
「聞いたかティティカ。
お前の親と同じ馬鹿がここにもいるぞ。
覚えているだろう?
お前の父もお前を庇って死んだのだ。
愚か者の末路など、いつの世でも変わらんな。
弱者は弱者らしく踏みにじられて死ぬのだ。
ハハ、クハハハハハハ!」
「ク……グゼイゼ、
アンタ……」
「余興の礼に慈悲をもって応えてやろう。
せめて苦しめず、
速やかに地獄(ディネボクシリ)へと送ってやるわ。
安心しろ。
精度は低いがこの距離だ。
当たれば確実な死が迎えてくれ――」
「バカは、おまえのほう」
「……なに?」
澱みなく続いていた哄笑が、少女の一言に勢いを失った。
ネグネウロの変化を気にも留めず、アルルゥは言葉をつなげていく。
「人の気持ちもわからない、
わかろうとしないバカ。
人の優しさを笑うおまえのほうが、
よっぽどよわい」
「な、ん、だと?
この、小娘……」
「おまえなんかに、アルルゥまけない。
ぜったい、おねーちゃんまもる」
今度こそ、その瞳に宿る覚悟のほどを知ったようだ。
ネグネウロは一瞬顔から色を消し、次いで新たな表情を浮かべていた。
それは、先に倍する狂った笑み。
「……ク、クク。
そうか、オレが弱いか、小娘。
ならば……!」
もはや御託を語りもしない。
興奮の声は一息に、死の撃鉄を引き落とす。
「その傲慢を抱えたまま、死ねっ!?」
再びの銃声は、先よりも遥かに大きく響き、
爆ぜた火薬の衝撃は相対した両者を弾き飛ばした。
残った者は、アルルゥだけ。
「え?」
「っ、ガぁ!
ティティカっ、貴様ぁ……!」
驚きと憎悪のまなざしが、同じ人物を見る。
ネグネウロを蹴り飛ばしたティティカ姉が、アルルゥの代わりに撃ち飛ばされていた。
「……まったく、
無茶は変わらないね。
怪我はないかい?」
「ティティカ、おねーちゃん?」
「それにしても、
白霊蓮(サラカジャ)の効果はたいしたもんだね。
これっぱかしも痛かないや。
それとも、単に血が抜けすぎただけかな?」
疲れた声が示す通り、ティティカ姉の胸の下、撃ち穿(うが)たれた大穴からは、赤い流れがほとばしっている。
止まることなく、だくだくと。
アルルゥは目を見開いていた。
イヤイヤと首を振りながら、ティティカ姉にまとわりつく。
「おねー、ちゃん……
やあ……だめ、だめぇ……」
「ほら、あんまりひっつくと汚れるよ……」
「やだ、やだっ。
おねーちゃんっ、おねーちゃん!」
アルルゥの呼びかけに応えること無く、ティティカ姉の身は崩れ落ちた。
「ティティカ姉!」
某(それがし)は、白くなった意識のまま剣を振るった。
いや、振るったのだろう。
駆けよる間の記憶は曖昧なままだ。
無我夢中の行動は某(それがし)だけでなく、気がつけば団の全員が揃っていた。
泣きじゃくるアルルゥの下に。
そして、
血の海の中に崩れ伏せる、ティティカ姉の前に。