うたをつぐもの―うたわれるもの・After―   作:根無草野良

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~第四幕・17~ 北の国・報い

 

 死が、世界に静寂を堕としていた。

 冒(おか)しがたい静けさと、寂しさを。

 耳には何も聞こえてこない。

 少女たちの泣き声も、戦友たちの息づかいも、自分自身の鼓動すらも。

 音のない世界の中で、ただ温もりだけを感じていた。

 消えていく温もりを。

 胸を吹き抜けていく冷たさを。

 欠け崩れていく、心を。

 

 それは、痛みもなく四肢をもがれていくような恐怖。

       

 見えざる手が腸(はらわた)をかき乱し、心臓に爪を突き立てる。

 痛みはない。

 ただ、苦しさだけが満ちていく。

 喚(わめ)くべき声はでない。

 深すぎる悲しみと重すぎる切なさに、喉などすでに焼き尽くされていたから。

 それでも時は流れていく。

 心は無情にも、次第次第に常の落ちつきをとり戻させていた。

 戦の場にあっては、いつまでも忘我のままではいられない。

 それが、某(それがし)の培ってきた武士(もののふ)の在り方であったから。

 自らの非情に歯噛(はがみ)みしながら、それでも某(それがし)は現世(ツァタリィル)に立ち戻っていた。

 最後まで残った喉の熱さだけは、いつまでも忘れずに。

「……ククク、ハハハ。

 死んだか?

 死んだか!

 フハハハハハハ!」

 聞こえてきたのは低く震える声。

 狂喜を浮かべたネグネウロの口から、それは時と共に高らかに響いていく。

 神聖なる静寂を打ち破って。

「ようやく、

 ようやくあの忌まわしき血を潰えたぞっ。

 この、オレの手で!

 ハーッハッハッハ!

 哀れ、なんとも哀れな姿だな、ティティカ!

 教えて欲しいものだな、今の気持ちを。

 オレに殺されるために生きた生涯をな!」

 耳の後ろで雑音が聞こえた。

 砂嵐を思わせる、耳ざわりな音だ。

 膨れあがる感情は怒りでも憎しみでもなく、ただの嫌悪。

 不愉快な存在を一時も早く消し去りたい。

 その想いが、『ティティカルオゥル』全員の首を一斉に巡らせる。

 一点に集った睥睨(へいげい)の視線は鋼の塊すら貫くほどで、ネグネウロの狂った笑みをその形のまま凍らせた。

「フ、フン。

 クズのとり巻きも所詮はクズよ。

 たかが数匹がいきがった所で、なにができる。

 見るがいい、我が力をっ」

 腕を振って示した後ろに、黒き鎧の群れが並んでいた。

 鋼の重兵は音すら立てず、静かに槍を構えている。

 いつの間にか、すっかり囲まれていた。

 左右はおろか後ろまで、まさに一分の隙もない完璧な包囲だ。

 一騎当千の猛者であろうと、突破することは敵わないだろう。

 だが、それが今さらなんだ。

 威圧してくる軍勢を前に、『ティティカルオゥル』は誰一人として反応を示さなかった。

 皆一様に、無言のまま、ただ前だけを見据えている。

 苛立ちを募らせる敵の皇(オゥルォ)を。

「……なんだ、その目は。

 貴様ら、置かれた状況がわからぬほど愚かなのか?

 自分たちの危機すら知れぬようなクズが。

 フン、

 ティティカの死に様も当然の結果であったな。

 むしろ今までよくぞ生き存(ながら)えてきたものよ。

 貴様らのような者どもが下部(しもべ)で、は――」

 饒舌に答える声はない。

 無言の視線は無言のまま、下劣な言葉を斬り捨てるばかり。

 一際の死線は白き獣とその母から。

 アルルゥの澄みきった黒い瞳は、絶対の殺意に燃えていた。

 ネグネウロが竦(すく)む。

「よ、よかろう。

 言いたいことがないのであれば、

 今すぐ刻み殺してくれる――」

 アルルゥの無言に従って、ムックルが一歩を踏み出した。

 ネグネウロの言葉を聞く様子など、まるでない。

 ゆるやかな、しかし一歩が大きな歩みは、その距離を見る間に縮めていた。

 緊張に声と表情を引きつらせながら、それでもネグネウロは高らかに語る。

「フン、森の主(ムティカパ)か。

 刃も炎も通じぬらしいが、

 化物同士ではどうかな?

 よい見世物だ。試してやるぞ。

 ハクビっ」

 声は背後の仮面の女と、後ろの巨鳥に向けられた。

「さあ、その化物の力を思い知らせてやるがいい。

 奴の腸(はらわた)を引きずり出し、

 特大の速贄(はやにえ)を我が前に供じてみせよっ」

「……」

 朗々たる命令に、しかし女は動かない。

 ハクビは巨鳥の前に立ちながら、ただムックルの歩みを見守っているばかり。

「?

 なにをしている。

 さっさとせんか!

 ハクビ!」

 呼びかけに苛立ちがこもりはじめても、やはりハクビは動こうとはしなかった。

 代わりに言葉が紡がれる。

 

「貴方の役目は終わりです。

 お疲れ様でした」

 

 それは、いつもと同じ無感情な言葉。

「なに?」

「戦の種は蒔き終えました。

 合戦を始めるより混乱を広めた方が

 疑心と疑念が育つでしょう。

 そう、

 戦を統率する皇(オゥルォ)の死など、ちょうどよい」

「な、ん、だと……?

 貴様、オレを裏切るつもりか」

「最期は見届けましょう。

 どうぞ、怨敵の後をお追い下さい」

「ふ、ふざけるな!

 貴様らっ、

 こやつを、こやつを斬り捨てろ!」

 怒りは周囲の兵への采となり、ハクビの討滅を言い渡していた。

 唾を撒き、腕を振りたてての指示は、しかし、ただの妄言と成りさがる。

 ネグネウロの言葉に従う者など、その場には一人としていなかった。

「な、なんだ、

 なにをしている、貴様ら。

 オレの、皇(オゥルォ)の命に従わんか!」

 怒鳴りがわめきに変わっても、やはり状況に変化はない。

 黒い重兵たちはまっすぐに槍を構えたまま、微動だにもしなかった。

 壁のようなその様は、むしろ別の意思を感じさせる。

 さながら、退路を断つ鋼の壁だ。

 周囲を見渡し、ネグネウロもそれに気がついたらしい。

 己が力と信じていたものが、今やなんの役にも立たぬ、むしろ自らを追いつめるものだということに。

「ひ……

 ひぃ!?」

 近づくムックルの姿を前に、ネグネウロの表情は明確な恐怖へと変わっていた。

 握ったままの短銃が、その脅威に向けられる。

「く、来るなっ、来るなぁ!」

 絶叫と共に響く破裂音。

 複筒式の銃身からの弾丸は、二度、三度と連続で放たれ、その度に、迫るムックルが小さく揺れる。

『ヴ、ヴゥ……』

 だが、怒れる森の主(ムティカパ)に、それ以上の変化はない。

 鋼の獣毛は、衝撃をすべて弾き散らしていた。

 苛立たしげな唸りをこぼしながら、ただ前へと進んでいく。

 その青い瞳の奥に、底知れぬ殺意をたたえたまま。

「く、来るな、

 来ないで、

 た、助け――」

 撃鉄だけを空しく打ち鳴らしながら、ネグネウロは涙ながらに懇願する。

 ムックルは歩みを止めていた。

 願いを聞き入れたから、ではない。

 もはや、進む必要がなくなったからだ。

 振り上げた前足は、すでに届く距離にある。

「や、やめっ!?」

 あげようとした制止の声と共に、ネグネウロは殴り飛ばされた。

 西瓜(シィカ)の潰れるような音は、それでも随分と手加減したのだろう。

 派手に転がり地に打ちつけられながらも、止まったネグネウロはまだ動いていた。

 顔の半分を抉(えぐ)り取られてはいたが。

「ひ、ひぃぃっ。

 た、助けてくれ、誰か――」

 這いつくばって求める助けに、周囲は誰一人応じない。

 黒き兵たちは置物のように佇(たたず)んだまま、ただ壁のようにそこに居るだけ。

 反応のない人垣に、ネグネウロは別の場へと目を向けたが、捉えたものは終わらない恐怖だけ。

 青い眼を燃やしたムックルが、再び背後から迫る。

「わ、わかった。

 オレが悪かったっ。

 謝るから、だか、がっ!?」

 二度目の一撃は胴の横に。

 薪(まき)の束がへし折れるような音を撒き散らし、ネグネウロは宙に赤い軌跡を描いた。

「グボ、ゲボ、グガ……

 ほ、骨が、骨えええ!!」

 苦痛の響きも長くは続かない。

 耐える間もなく与えられた、足を潰された悲鳴に塗り潰されたから。

 ゆっくりと、ムックルは一歩一歩を進んでいく。

 爪先から順に足を潰し、ネグネウロを少しずつ縮めながら、絶叫を搾り出していく。

 声はまるで響かない。

 広すぎる皇(オゥルォ)の間に、すべて吸いこまれてしまった。

 哀れだとも感じない。

 人の生き様、死に様を笑う者には、相応しい末路であろう。

 ただ、囁(ささや)きだけが気にかかる。

「アル、ちゃん……」

 カミュが、揺れる声でつぶやいていた。

 止められていない以上、今のムックルの行動は、そのままアルルゥの意思でもある。

 あの、残虐(ざんぎゃく)極まりない行いが、だ。

 それは、これまでの旅で知っていたこと。

 こと仲間を傷つけようとする者に対し、アルルゥは一切の容赦がない。

 それでも、その時の瞳は感情を殺した、悲哀にも似た色だった。

 ――今は、違う。

 ただ一色、殺意だけに塗り潰された感情を、某(それがし)はよく知っている。

 アルルゥのまとう重い気は、忌まわしき『怨(オン)』に他ならない。

「おい、アルル――」

 その深さに戦慄(せんりつ)した時、ことのすべては終わっていた。

 もう悲鳴は聞こえてこない。

 断末魔も、とうに飲み砕かれていた。

 場に、再びの静寂が広がる。

 先とは似て非なる野蛮な沈黙。

 ムックルの、肉と骨を咀嚼(そしゃく)する音だけが、いつまでも静かに続いていた。

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