うたをつぐもの―うたわれるもの・After―   作:根無草野良

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~第四幕・19~ 闇の宮・目覚め

 

 ――水底のような闇の中、たゆたうがままに身を揺らしていた。

 体がまるで動かない。

 手も、足も、頭も、心も同じ。

 自由になるものなど何一つない。

 そう、自分に出来ることなど何一つないのだ。

 大好きな人の死を前にしても……

 

 なにもない世界の中で、遠くから音が聞こえてくる。

 小枝を折るような小さい音は、心を揺らすように近づいてきた。

 否応もなく意識が覚めていく。

 いっそのこと、ずっと沈んでいたかったのに。

 音は少しずつ数を増やし、耳ざわりなほどに大きくなった。

 なにかが燃えているようだ。

 爆ぜる炎の合間からは、打ち鳴らされる鐘の音や、腹を震わせるような爆発まで聞こえてきた。

 不安を煽られるその響きに、自然と恐怖を思い出す。

 蘇るのは、闇に落ちる直前の光景。

 覆(くつがえ)しようのない血色の別れは、夢などではなく……

「……おねー、ちゃん……?」

「オヤ、

 気づかれましたか、アルルゥ様」

「……ニコ、ちん……」

 ニコルコに呼びかけられ、アルルゥはゆっくりと身を起こした。

 薄暗い周囲を見て、ぐったりとしたムックルと小さな檻に捉えられたガチャタラの姿に気づく。

 

 自身が置かれているのもまた、鋼の格子の中であった。

 

 朦朧とした意識のまま、アルルゥは光を求めて首を巡らせた。

 顔を向けた左側は、聞こえてくる音の源でもある。

 星の見えない夜空の下、生を感じさせない都の中で、赤い炎が揺れていた。

 黒い煙は爆発と共に膨らみ、広がり、逃げまどう人々の恐慌を掻き立てている。

 赤と黒のきらめきを増して、バンジジェジュの街はそこにあった。

「……街が……燃えてる……」

「ネグネウロ皇の死によって混乱しているのでしょうね。

 火薬蔵の爆発ともあいまって、

 事態は一向に収拾される様子がありません。

 無論、広げすぎた版図も同じ末路を辿るでしょう。

 各地に散らされた兵たちが

 どのような暴挙に出るかは

 予想もつきません、ハイ……」

「皇(オゥルォ)の、死……」

 実感したばかりのその言葉に、悪夢が夢ではないと知る。

 この目の前の光景こそ、自分たちが起こした行動の結果なのだと。

 城に侵入し、皇(オゥルォ)と対じて、そして――

 とても、悲しいことがあった。

「……おねーちゃん。

 ニコちん、

 ティティカおねーちゃんは、どこ……?」

「……ティティカ様は……」

 欲しかったのは否定の言葉。

 すがるような想いをこめて、答えに一縷(いちる)の望みを求める。

 だが、しょせんは叶わぬ願い。

 ニコルコは沈痛な面持ちのまま、決して目を合わせようとはせず、

「……ティティカ様は、

 お亡くなりになりました……」

「…………うそ……」

 アルルゥに現実を突きつけていた。

「そんなの、うそ……

 ニコちん、うそつきだから……

 トラ、トラは?

 カミュちーや、カリリンや、みんなは、どこ?」

 混乱し、温もりを求めて視線をさまよわせる。

 だが、暗く狭い檻の中には、脱力した二頭の子しかいない。

 彼らの温もりにすら近づけなかった。

 アルルゥの四肢は鉄の枷に捉われたまま、身じろぐことすら出来ずにいたから。

「ゃぁ、なんで。

 ニコちん、

 アルルゥ、どうして……」

 散々わめき散らしながら、ようやく理解が追いついてきた。

 皇(オゥルォ)を追いつめた闇の間で起きたことを思い出す。

 悲しみを晴らすために覚えた、ドス黒い感情も。

 そして、檻の向こうでうなだれている少年に、背後から薬を嗅がされたことも。

「……ニコちん、なんで……」

 愕然とした問いかけに、しかし答えは返ってこない。

「……すみません……」

「ニコちんっ」

 ニコルコは幽鬼にも似た面持ちのまま、低いつぶやきだけを残し去っていった。

 逃げるような足取りで、振り返ることもなく、結局、一度たりとてアルルゥと目を合わせはしなかった。

「ニコちん……」

「オヤ、

 お目覚めですか、アルルゥ様。

 お機嫌はいかがなものでしょうかね、ハイ」

 代わり、陽気な声が聞こえてきた。

 アルルゥにも覚えのある、どこか人を食ったようなその主は、

「チキナロ……

 その、格好……」

 見覚えのある漆黒の外套(アペリュ)をまとっていた。

 紅蓮の刺繍に彩られたそれは、嫌でも地獄(ディネボクシリ)を思わせる。

 アルルゥは顔をしかめた。

 前後の事情は分からずとも、本能が危険を伝えてくる。

「……ヤなにおいする。

 ムックルも、きらいって言ってる」

「悲しいですねえ。

 そう嫌わないで下さいよ。

 ムックル様にはこれから

 大変お世話になるのですから、

 手厚くもてなさせていただきたいのですよ、ハイ」

 薄く開かれた細い目が、予感を確信へと変える。

 小さな瞳には邪(よこしま)な意思が宿っていた。

「ムックルに、なにするの」

「それは後のお楽しみということにいたしましょう。

 アルルゥ様も大人しくしていてくださいませ。

 余計な面倒は好む所ではありませんので、ハイ」

 それも一瞬で消えてしまった。

 発せられるのは常と同じ、人を食ったような陽気な声。

「さあ、それでは参りましょうか。

 ラクシャインさん、御者役はお願いしますよ」

「フン」

 囲む鋼の格子と共に、アルルゥの体はガクンと揺れた。

 どうやら檻ごと馬車に乗せられているらしい。

 御者台で、見覚えのある巨漢の武士(もののふ)がウマ(ウォプタル)に鞭を入れていた。

 気がつけば、横手にもまた一人。

「あ……」

 よく知る匂いの主がいた。

 いや、とてもよく似た匂いだが、まとう気質がまるで違う。

 刃を髣髴(ほうふつ)とさせる妖刀めいた雰囲気は、タイガには到底宿しえないだろうし、宿しても欲しくもない。

 それも、願望に過ぎないのだろうか。

「トラの、おにーちゃん……」

「…………」

 無言で通り過ぎていったリュウガを見ていると、ありえないと否定することはできなかった。

 二人は、同じ血を分けた兄弟なのだから。

 考えまいとするほど、嫌な想像が頭の中を埋めていく。

 だんだん気分が悪くなってきた。

 収拾のつかない感情が、出口を求めて瞳を潤ませくる。

 だが、アルルゥの心に生まれた憂鬱は、続いて現れたハクビを見て、吹き飛んだ。

「お怪我はありませんか」

「おまえ……!」

 その顔を覆う白い鬼面の、なんと違和感のないことか。

 父を穢されたような感覚に、アルルゥは思わず格子に顔を突きつける。

 当然届きはしない。

 派手に鳴った鋼の音に、ハクビは揺るぎもしなかった。

「暴れたりはしないでください。

 まったく意味がありませんから。

 貴女の命は森の主(ムティカパ)を従えるために

 置いているだけのもの。

 無駄な労力は掛けさせないでいただけるよう、

 お願いします」

「うるさいっ。

 おねーちゃんを、おねーちゃんをかえせ!」

 噛みつかんばかりの訴えに対し、ハクビは首を傾げていた。

 特別な感情の動きもなく、心の底から不思議そうな顔を見せる。

「貴女は分かっているはずです。

 なぜいつまでもご自分を偽っているのですか?」

「っ、

 アルルゥ、うそなんか、ついてない……」

「エルルゥ様は私たちの同志。

 その手腕には大変お世話になっております。

 白霊蓮(サラカジャ)の魔薬の精製、

 バンジジェジュの錬鉄、

 火薬の調合、

 新たな拡散毒の生成……

 彼女の協力なくしては、

 今日という日をこれほど早く迎えることは

 できなかったでしょう」

「うそ、うそっ。

 そんなこと、おねーちゃんそんなことしない!」

 揺れる否定を歯牙にもかけず、ハクビは感謝を示し続ける。

 それは偽りの欠片もないもので、余計にアルルゥを困惑させた。

 彼女の濃密な生の中でも、これほど純粋な心に出会ったことはなかったから。

「エルルゥ様の妹君に

 手荒な真似はしたくありません。

 不自由だとは思いますが、

 どうか大人しくしていてくださいませ」

「……うそ、うそ……

 おねーちゃん、ぜったいそんなことしない……

 うぅ……トラ……カミュちー……みんな……」

 去っていくハクビを引き止めることも出来ず、否定は空しく響くばかり。

 助けを求める声に対し、返ってくるものは、なにもない。

 胸を締めつける切なさは、八年前と同じか、それ以上。

「……ティティカ、おねーちゃん……」

 泣き疲れ、堕ちていった二度目の闇は、先のものより遥かに暗く、遥かに深いものだった。

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