うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
身を隠した山の中、一際大きな樹の下に、少し大きな岩を置いた。
ティティカ姉の墓標の代わりだ。
寒さの厳しい北の山に供えるべき花はなく、歌を奏でる鳥もいない。
寂寥たる場は亡き姉に相応しいものではなかったが、今は霊前を整える余裕がなかった。
格式を持って弔うには、足りないものが多すぎた。
酒も、肴も、人も……
アルルゥが訪れる日まで、ティティカ姉も待ってくれるだろう。
もっとも、今のままではいつになるか知れたものではなかったが。
皇(オゥルォ)死亡の報は瞬く間にバンジジェジュを走り抜け、周辺属国へと広がっていった。
噂と呼ぶにはあまりに正しく、あまりに早く。
恐らく、ハクビがなんらかの手を回したのだろう。
強力な指導力を失った大国は、一夜の内に瓦解していた。
元々が無理に版図を広げていた国は、それが爆ぜるのもまた容易い。
溜まりに溜まった不平不満は、火のついた火薬のように、国の内外に分裂と独立の連鎖を生み出していた。
混乱は、決戦に集った軍も同じだった。
降服、反抗、和睦、敵対。
集団ごとに異なる反応へ対応できる者は多くはなく、強大な力はさらなる不義と不穏を高めていた。
直接に刃を交えるよりも、さらに深く濃い『怨(オン)』の温床となっていった。
その気配は日を追うごとに、我が『ティティカルオゥル』にも色濃さを増していた。
「っええい、
いつまでここでじっとしていればよいのだっ」
「お、落ちついてください、テルテォ様」
「もう十分に落ちついたはずだっ。
一体何日黙り腐っていると思っているっ」
わめきながら、テルテォはムティ殿の襟首を掴み、吊るし上げた。
気持ちは分からないでもない。
バンジジェジュの城から逃れて早五日。
連れ去れたアルルゥの行方は杳(よう)として知れず、某(それがし)たちは街を見下ろす山の裾から動くことが出来ずにいた。
今日もまた、不毛な言い争いが続いている。
「確かに、このまま時を
無為に費やしているわけにもいかんな。
さて、どうしたものか」
「なにを言っているのです、姉上っ。
無論、アルルゥ殿をお救いするのですっ。
今こうしている間にも、
どのような仕打ちを受けていることか――!」
「で、ですから、どうやってですか?
都は皇(オゥルォ)の死で今も混乱したままですし、
隣地隣国だって謀反反乱で大忙しなんですよ?
おまけに、ぼくたちお尋ね者のままじゃないですか。
どうやってアルルゥ様の行方を調べるんです?」
「そんなものは、どうにでもなるっ。
向かってくる者を片っ端から叩き潰してやれば、
いずれことを知る者にも当たろうっ」
「そんな無茶苦茶な。
今のぼくたちに向かってくるのは
捕まえようとする検兵ぐらいなものですよ。
そんな人たちをやっつけたって、
わかるのは自分たちの無力さぐらいです」
「な、ならば……
そう、お前たちオンカミヤリューの妖しげな術を
今こそ役立てる時ではないかっ。
さあ、今すぐ我等を
アルルゥ殿の下へ送り届けてみせろっ」
「で、できませんよ、そんなことぉ」
「ええい、
あれも駄目、これも無理と、
貴様、アルルゥ殿を助けたくはないのか!」
「そんなわけないじゃないですかっ。
ぼくだって、ぼくなりにできることを
探してるんですからっ」
目の前ではすっかり見慣れた光景がくり広げられていた。
テルテォの威勢に負ける事なく、
ムティ殿は反論の声を上げている。
どちらの言葉も、その想いも、
某(それがし)には痛いほどによく分かった。
なにもできない歯がゆさも。
以前であればこのようなやりとりも、遊び騒ぐ種になっていただろう。
だが、姦(かしま)しいはずの娘たちはここ数日、不気味なほどに大人しいままだった。
カミュとカリンは日がな一日、ティティカ姉の墓を前に呆然と時を過ごしている。
無理もない。
大事なものが欠けてしまった喪失感。
某(それがし)が覚えたものと同じ痛みを、二人も胸に刻んでいるのだろう。
だが、嘆いてばかりではいられない。
他の誰が落ちこんでいても、某(それがし)だけは、絶対に。
「……街での調査は
某(それがし)が行ってまいります」
「タイガ?」
静かに告げた申し立てに、リネリォ殿が振り返る。
「某(それがし)は、これでもエヴェンクルガの端くれ。
検兵も話ぐらいは聞き入れてくれるでしょう。
捕らえられることになろうとも、
話の一端ぐらいはつかんでみせます」
「しかし、里に知られてしまうのではないか?
トウカ殿はああ言っていたが、
エヴェンクルガの武士(もののふ)として
認められたわけではあるまい。
不用意に名を出しては、
一族から追われるだけでは
済まなくなるやもしれぬぞ」
その懸念は、確かにある。
エヴェンクルガの名を落とすような振る舞いを、一族は決して許すまい。
最悪、トウカ姉と切り結ぶことにすらなりかねぬ。
だからこそ、これまでは公の場に上らぬよう身分を伏せてきたのだ。
だが、それはしょせん某(それがし)の都合にすぎない。
「だとしても、
アルルゥを取り戻すだけの時は得られます」
「お前……」
覚悟とは、そういうことだ。
先の名誉を守り今の大事を見失うなど、愚の骨頂。
そんな漢(おとこ)を、ティティカ姉が認めるわけはない。
仲間を、家族を、アルルゥを守るためなら、決して高くはない代償だ。
某(それがし)の決意のほどを、リネリォ殿は正しく受け止めてくれた。
皆も一斉に動きを止める。
「トラちゃん……」
「タイガ、お前……」
「……私も、雇兵(アンクアム)連中に
探りを入れてくるつもりだったが、
お前にも任せてよいのだな?」
「ええ。
アルルゥのためになら、
この命に代えましても――」
「イエ、イエ……
そこまでする必要はありませんです、ハイ」
反対の声が一つだけ、後ろの茂みから聞こえてきた。
それは日頃から聞き慣れた、今や決して許しえぬ男の声。
全員が一斉に振り返る。
視線が集まる先は、揺れる木陰から現れた姿。
「アルルゥ様の居る場所へなら
ワタクシめがご案内いたします、ハイ」
久しぶりに見たニコルコの笑みは、少しだけ影を落としていた。