うたをつぐもの―うたわれるもの・After―   作:根無草野良

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~第四幕・22~ 闇の宮・谷底

 

 二つの山と一つの野、道なき道を切り拓き、歩を進めること早三日。

 重い沈黙の空気を背負いながら、『ティティカルオゥル』は可能な限りの速さをもって、石くれの地を駆けていた。

 アルルゥの行方を追い、ニコルコの導きに従って。

 

 当たり前のことだが、唐突に現れたニコルコを、某(それがし)たちは信じなかった。

 よくぞ生かしておいたものだと、我ながら思う。

 先にテルテォが槍を向けていなければ、某(それがし)が刀の錆(さび)にしていただろう。

 幸か不幸か、リネリォ殿の一声はテルテォの刃をニコルコの頭頂で止めさせていた。

 だからといって許されたわけではない。

 物言わず端座するニコルコに、一同からは容赦のない罵詈雑言が浴びせられた。

 感情の昂ぶりと共に、時には制裁の一撃も。

 止めることはできなかった。

 怒りよりは悲しみから振るわれたそれらの手には、与える以上の痛みが返されることがわかっていたから。

 某(それがし)の拳にも、同じ痛みが残っている。

 与えられる罵りの言葉を、ニコルコは甘んじて受けていた。

 日頃の軽薄をすべて捨て、抜き身の心身を曝け出して。

 その態度からは反省とも違う、より深い覚悟が感じられた。

 某(それがし)が抱いたのと同じ、己が命を賭す覚悟だ。

 口の端から血を流し、それでも淡々と語るニコルコの言葉を、某(それがし)たちは自然と聞いていた。

 追い求めるアルルゥの行方に関する話だ。

 たとえ悪意に満ちていたとしても、聞かずにはいられなかっただろう。

 心から信じたわけではない。

 なにしろ、捕らえた張本人の口が語る、あまりに都合のよすぎる話だ。

 不審の念はいまだ尽きず、警戒の思いは手足と首に嵌(は)めた枷(かせ)という形で現れている。

 それでもニコルコは文句の一つも言わず、従順に道を示してきた。

 

 そして今、某(それがし)たちは一寸先も危うい濃霧の中、岩壁に刻まれた切り立った渓谷の道を下っている。

 崖道は、一歩を進めるほどに小さく崩れた。

「ぬおっ、おぉ……」

「テルテォ、静かにしろ。

 落ちるのならば他を巻きこむな。

 こんな所で敵に発見されては

 一たまりもないのだぞ」

 ウマ(ウォプタル)一頭が怯える余地すらない細道の上で、もはや馴染みとなったリネリォ殿の言葉が響く。

「は、はい。しかし……

 おい、ニコルコ。

 このような悪路、

 よもや罠ではあるまいな?」

 三日の時を歩んでも、テルテォの怒りはまるで落ちつく様子を見せていない。

 言葉にこそ出しはしないが、カリンもまた同様だった。

 いや、無言な分だけ想いのほどは深く見える。

 カミュの目には、いまだ疑念の方が強い。

 隣のムティ殿は一層のこと。

 正反対な性格の主従であるが、だからこそ分かり合えるものがあったのだろう。

 ニコルコを見るムティ殿のまなざしは、誰よりも悲しげだ。

 比べ、リネリォ殿は平素と変わらぬ冷静を保っていた。

 さながら氷の彫像だ。

 威圧は以前にも増して鬼気迫るものがある。

 むしろそれが、内心の怒りを示しているようにも見えたが。

 いずれにせよ大したものだ。

 某(それがし)はそこまでの平静を保つことはできなかった。

「そう思うなら、

 どうぞこの首、お刎(は)ねください。

 みなさんに散らされるのなら本望です」

 答えたニコルコの自虐的な笑みを見ては、なおさらに。

 昨夜のやりとりを思い出す。

 彼らの目的と共に聞き出したアルルゥの様子と、そこで語られたニコルコの生い立ち。

 淡々と告げられた半生は、某(それがし)が聞いてきた中でも、最低のものだった。

 親に捨てられ、人として扱われもせず、それを当たり前だと受け入れざるを得なかった生。

 人を恨み、世を恨み、その終わりを願うことも、あるいは止むを得ないのかもしれない。

 そう思わせるほど、ニコルコの過去は悲哀悲惨に満ちていた。

 同じ体験を経ていて、某(それがし)は今の某(それがし)でいられるだろうか……

 いや、意味のない妄想だ。

 例えどのような過去を負っていようと、『ティティカルオゥル』の一員には逃げることなど許されない。 

「そう簡単に死なせるか。

 どうしてもと言うのなら

 アルルゥを取り戻してからだ」

「……そう、ですね、ハイ……

 ぜひ、アルルゥ様に……」

 口からこぼれた空ろな声には、どこか安らぎを求める響きが含まれていた。

 それは心と体の疲れの果て、断罪を求める弱さと脆さ。

 カリンが忌々しげにつぶやく。

「……そういえば、

 まだ理由を聞いていませんでしたわ。

 なぜアルルゥを連れていったんですの?」

「アルルゥ様は大人しくさせる保険でした。

 ハクビ様が必要としているのは

 ムックルさんの方です」

「ムックルを?」

「ハイ、ハイ。

 なんでも、地獄(ディネボクシリ)を開放するには

 森の主(ムティカパ)の心血を

 贄として捧げる必要があるのだと」

「地獄(ディネボクシリ)を開放、ね。

 そして、この世(ツァタリル)を死で埋め尽くすと?

 それが人を苦悩から解放する唯一の手段だから?」

「ハイ、ハイ……」

「つまらないですわね。

 考えた方の程度が知れるというものですわ」

「そんなの、そんなのってないっ。

 ひどすぎるよ!

 どんなに辛くたって、死んだほうがいいだなんて、

 そんなこと、絶対に……」

 途中からはカミュまでもが、荒ぶる心を抑えようともせずに涙ぐんでいた。

 侮蔑にも憤慨にも、ニコルコは反応しない。

 ただ、再び出会った当初から、その瞳は揺れ続けたままでいる。

 いや、恐らくは、その遥か以前から。

「……ワタクシには、

 それがごく自然な考え方でした。

 自分だけでなく、

 他の人まで救える唯一最善の方法だと。

 でも……わからなくなったんです。

 アルルゥ様と話してから、

 いえ……ティティカ様に出会い、

 みなさんとすごすようになってから……」

 崖の道を降りながら、ニコルコの独白は続く。

「あの人は、ワタクシを家族と言ってくれました。

 こんな、ワタクシを……

 ティティカ様は、気づいていたはずなんです。

 ワタクシが何者なのか、

 なにをしているのか、

 すべて……

 すべてを知っていて、それでも……」

 そうかも、知れない。

 いや、きっとそうだったのだろう。

 いつでも酔いどれていながら、ティティカ姉は事のすべてを見通していた。

 少なくとも、必要なものを見定めていたのは間違いない。

 思い返すのは、過ぎた日々。

 もう、戻ることのない時……

 戦わされ、からかわれ、惑わされ、こき使われながらも、笑いが絶えたことはなかった。

 人が増え、場を移し、季節が幾度巡っても、それだけは変わらなかった。

 積み重ねてきた思い出の中には、ニコルコもいる。

 胡散臭さは変わらずとも、その顔は確かに笑みを浮かべていた。

 辛く苦しい想いでも、いつかは笑って語れるようになる。

 そう教えてくれたティティカ姉の生き様を、ニコルコも見てきたはずだ。

「……本当に、わからないんです。

 ワタクシは、どうすればいいんでしょう……」

「そんなこと、決まっているだろう」

 だから、某(それがし)は力強く答えた。

 仲間の、家族の迷いを払ってやるのは、『ティティカルオゥル』にとって当然の日常だから。

「ティティカ姉の言葉を忘れなければいい。

 それさえ覚えていれば、

 いくら悩んでも構わないだろうさ」

「タイガ様……」

「勘違いするなよ。

 某(それがし)たちはお前を許すつもりはないからな。

 謝罪したいのならアルルゥに言え。

 きっとムックルに食ってもらえるだろうよ」

「ハイ……ハイ……」

 うつむいた声と共に丸い小さな背が震える。

 それまでもが偽りであるのなら、ニコルコは稀代の詐欺師になれるだろう。

 某(それがし)が見たところ、この小男はとてもそんな器量の持ち主ではない。

 皆の見立ても同じ結論に達したようだ。

 囲む一団のまなざしは、冷たいばかりのものではなくなっていた。

 そう感じられたのも、岩壁を降りている間だけであったが。

「お喋りはそこまでだ。

 着いたようだぞ」

 緊張のこもったリネリォ殿の声に、道が尽きたことを知る。

 辿りついた谷の底には、途上よりも遥かに濃密な白霧が立ち込めていた。

 うっすらと浮かぶ黒い影が岩なのか人なのかも判断できない。

 広いのか狭いのかもわからない、どこか悪夢めいた光景に、しかし戸惑っている暇などない。

 岩陰に身を潜め、先んじたリネリォ殿の視線を追うと、たゆたう白のその奥に、一際深い闇が見えた。

 

 縦に割れた岩壁の狭間に、影よりも黒い石の宮が。

 

 積み上げられた角石には、なんの装飾も刻まれていない。

 埋まるように建てられた宮は全体を見渡すこともできなかったが、垣間見える造詣は、ゆるやかな球状を成しているように見えた。

 まるで巨大な卵だ。

 地の底で白い霧に埋もれながら、黒き念が渦を巻いているのがわかる。

 動かぬはずの石の宮が、不気味に胎動している様も。

 なるほど、地獄(ディネボクシリ)を開くには相応しい場所だ。

 しかし……

 警戒は崩さぬまま、率直な疑問をニコルコに問う。

「……いかにも怪しげな所だな。

 敵の本拠に間違いはなさそうだが、

 見張りの一人もいないとはどういうことだ?

 あの女を擁するお前たちが

 これほど無警戒であるとは思えんのだが」

「そんなはずは……もしや」

「なんだ?」

「イエ、まさかとは思うのですが、

 すでに儀式が始まっているのかもしれません。

 そうでなければ、守りがこれほど手薄になるはずは……」

 眉を寄せるニコルコの後ろで、カリンが剛剣を肩に担ぐ。

「確かに、世界が終わるのならば

 もう守る必要なんてありませんものね。

 それが本当ならですけど」

「……ハイ」

「でもさ、見つからずに入れるなら

 ちょうどいいんじゃない?

 アルちゃんがあの中にいるのは間違いないんでしょ?

 だったら早く行かないと」

「向かう先は敵の本拠だ。

 軽率な判断では動けん。

 まずはアルルゥ様の居場所を確かめねば……」

 今にも羽ばたきだそうとするカミュを、リネリォ殿は冷静に押しとめた。

 だが、それで止まるほど、皆の焦りは浅くない。

「そんな暇ないよっ。

 ぐずぐずしてたらムックルだって

 どうなるかわからないんだよっ」

「だからこそ、的確な行動が必要になるのだ。

 勢いだけでなんとかなるほど

 世の中は甘いものでない」

「だからって、待ってるだけじゃ

 どうにもならないじゃないっ。

 暴れてれば向こうからなにかしてくるよっ」

「愚かなことを言うな。

 敵の本拠地だと言っているだろう。

 敵の戦力もわからぬのに

 陽動などしても警戒が増すだけだ」

「じゃあどうするの!

 なにもしないの?

 リネリォ姉さまはアルちゃんが

 どうなってもいいの!?」

「そんなわけがあるか!

 アルルゥ様の身を案じているからこそ、こうやって――!」

「あー、二人とも。

 楽しそうな所を邪魔してすまないのだが」

 白熱するカミュとリネリォ殿の議論に、某(それがし)はやむなく水をさした。

 悪いとは思ったのだが、そうも言っていられない。

 邪魔だと凄む二人のまなざしを、某(それがし)は見ることができなかった。

 

 目は既に、迫る巨鳥を捉えていたから。

 

 剣を握る某(それがし)の動きに、場が一際の緊張に張りつめる。

「生憎と、考えている暇はなさそうだ」

 つぶやきをかき消したのは、もはや馴染みとなった羽ばたきの音。

 白き混沌を渦巻いて、怪音奇声と巨大な大鷲の姿が落ちてくる。 

『キィィイイイイイイ!』

 響き渡る雄叫びが、戦いの幕開けを告げた。

 望むところだ。

 ここでならば逃れられることもない。

 元より『ティティカルオゥル』の戦い方は、すべてが臨機応変だ。

 迫りくる風の壁に向け、抜いた刃を振り上げる。

 斬撃の威は大気を裂き、黒宮への道を切り拓いた。

「行くぞ!」

「「「応!」」」

 応える声を後ろに率い、某(それがし)は霧の間を駆け抜けた。

 途中の障害はただ一つ、翼を広げる大鷲のみ。

『キィィイイイイイイ!』

「オオオ!」

 迫る爪と嘴(くちばし)を、振るう刃で迎え撃つ。

 邪魔をするというのなら、何者だとて斬り捨てるだけだ。

 今はただ、一刻も早くアルルゥの下へ。

 その想いを貫くべく、再び大気を斬り裂いた。

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