うたをつぐもの―うたわれるもの・After―   作:根無草野良

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~第四幕・27~ 闇の宮・師弟

 

 呆然とするアルルゥを置き去りにしたまま、事態はさらに乱れていく。

 漆黒の刃を振りかざした黒装束の集団は、千刃と法力のきらめく戦いの場に、ゆっくりと進んでいった。

 一目見て絶対の死地だと知れるその中へと、低い呪言を口ずさみながら躊躇いなく向かっていく様は、まさに地獄(ディネボクシリ)の亡者だ。

 流れゆく心のない影の群れを眺め、アルルゥの心はさらに押し潰される。

 近づいてきた温もりがなければ、そのまま消えていたかもしれない。

「アルルゥ様。ご無事ですか」

「ニコちん……」

 緊張こそしていたが、ニコルコの声はいつもと同じものだった。

 黒装束たちの目を避け、低い身をより低く落とし、しゃがみこんだアルルゥの手を引いて、密かに場を移していく。

「みなさんが助けに参りましたよ。

 この騒ぎもすぐに収まるでしょう。

 さあ、早く……」

「……ニコちんも」

 弾む声に感じるものは確かな望みで、アルルゥは自然と問いかけていた。

「ハイ?」

「ニコちんも、助けに来てくれたの?」

「それ、は……」

 その望みの中に、語る彼も含まれていることを期待して。

 短い沈黙。

 そして逡巡。

 迷い揺れるニコルコのまなざしを、アルルゥはじっと見続ける。

 祈り、願いながら、

 しかし、答えは確信していた。

 戸惑いを許されぬ混乱の中、わずかばかり止まった時は、すぐに動きを取り戻す。

「……ハイ。

 ワタクシも、アルルゥ様のために」

 返されたのは小さな溜息。

 諦めたような、ほっとしたような柔らかな響きに、アルルゥは少しだけ心を軽くした。

「……そう

 ……ありがと」

「イエ、イエ……

 ワタクシなどが……」

「イヤイヤ、まったく。

 姿が見えないと思っていたら、

 まさか飼い犬に手を噛まれるとは」

 だが、膨らみかけた温もりは、軽妙な声に吹き飛ばされていた。

 日頃と変わらぬ笑みにこめられているのは、尋常ならざる恨みの念。

 逃れ抜けようとした瘴気の先に、黒衣の面を剥がした、流れの商人が立っていた。

 いや、そうだと思いこんでいた男だ。

「チキナロ、様……」

「ここまで手をかけてやった恩、

 忘れたワケではないでしょうね、

 ニコルコ」

 黒衣の炎の紋を揺らし、杖から刃を引き抜きながら、チキナロは音もなく近づいてくる。

 ほとばしる殺意を浴びながら、しかし、ニコルコは逃げようとしなかった。

 足を、肩を、声と体を震わせながら、それでも務めを果たさんと、アルルゥの前に立ち続ける。

「……ハイ。

 もちろん、覚悟はできております。

 足りるなどとは思っておりませんが、

 どうぞこの首お納め下さい」

「当然でしょう。

 お前の素っ首などになんの価値があります。

 せいぜい苦しみながら死になさい。

 それが地獄(ディネボクシリ)への道を開く、

 せめてもの供物とな、り……?」

 感慨なく振り上げられ、そのまま落とされようとしていた刃が、横からの動きに止まる。

 アルルゥは両手を広げ、そのニコルコの前に立ち塞がった。

「ダメ」

「アルルゥ、様?」

「なにか御用ですか、アルルゥ様。

 ワタクシ、今とても忙しいのですがね」

「させない。

 アルルゥ、ニコちん助ける」

 黒い瞳に宿る光は、不撓不屈(ふとうふくつ)の強い意思。

 それは、広げてもまだ小さい身の丈に、鋼以上の強靭さを与えて見せる。

 挙動は、絶対に退かないと語っていた。

「いけません、アルルゥ様。

 ワタクシのことなど、もう……」

「ニコちん、アルルゥたすけてくれた。

 アルルゥもニコちんたすける」

 それは、答える声もまた。

「家族だから、ぜったい助ける」

「アルルゥ様……」

「それはそれは、

 なんとも心温まるお話ですね、エエ」

 交わされる短いやりとりを、嘲りの混ざった声が切る。

 底知れぬ恨みの節に、言葉を解する気配はない。

「とても虫唾(むしず)の走る話ですこと。

 つまり、先に死にたいというわけですね、ハイ」

「チキナロ様っ。

 どうか、それだけは!

 やるならばワタクシを――」

「退きなさい。

 お前の命にもはや価値などありません。

 そんなに早く死にたければ、

 自分で喉でも突きなさい」

「チキナロ、様……」

 心無い言葉を吐いた後、チキナロは構えた刃をアルルゥへ向けた。

 必殺の意はそのままに、笑みの形を微塵も変えず。

「それでは、アルルゥ様。

 お待たせしましたね。

 寂しがる必要はありませんよ。

 すぐにみなさん後を追いますので、ハイ」

 刃は、躊躇いなく振り下ろされた。

 音もなく、光もなく、瞬きをする暇もない。

 にも関わらず、アルルゥは自身の頭に落とされた刃を見ることすらできなかった。

 ただ、鋼の響きだけを、飛びこんできた背と荷の後ろで聞いた。

「……なんの真似です?

 ニコルコ」

「……ア、アルルゥ様にだけは、

 手を出させません。

 タイガ様と、約束いたしましたので、

 ハイ」

 ニコルコは逆手に握った短刀で、チキナロの刃を止めていた。

 体と声を震わせたまま、それでも、迷いは一切ない。

「約束?

 約束など、お前にとって

 なんの価値があるというのです。

 せいぜいが、利用し裏切りの意味を

 深めるためのものでしょう。

 それを、死の淵においてまでワタクシの邪魔をするために

 今さら守ろうというのですか?」

「っ……」

 その言葉が正しいと、歯を噛む音が答えていた。

 揺れる肩の苦悩を前に、アルルゥはその痛みを知る。

 幾度も約束を交わし、幾度もそれを違えてきた、

 ――違えなければならなかった、痛み。

 だが、そんなものは、もう要らない。

「……それでも、これだけは破れません。

 ワタクシ、『ティティカルオゥル』の一人ですので」

「ニコちん……」

 少なくとも、心の通じた家族の間には、なんの意味もない。

 もう、ニコルコの背は震えていなかった。

 伝わってくるものは、わずかながらも確かな温もり。

 離れていても感じられる絆が、そこにある。

 それすら、チキナロには理解できないらしい。

「なるほど、なるほど、なるほど……

 つまり、お前は、ワタクシたちの敵に

 成り下がったというわけですね――」

「っ……」

「ならば、もはや容赦は不要っ。

 その身、その顔、その心臓を切り刻み、

 至上の苦痛を与えてあげましょう!」

「っ、アルルゥ様っ」

「うぎゅっ?」

 響く、一際高い声。

 アルルゥは、ニコルコの背負っていた荷物ごと、後ろに飛ばされていた。

 なにを、と問いかける必要はない。

 すでに戦いは始まっていた。

 一瞬前まで睨みあっていた二人の姿が、今は霞んでしか見えない。

 地を滑り、気配を殺し、ただ相手の背後を狙う。

 両者は、静かながらも激しい攻防をくり広げていた。

 それはタイガやカリンとは意図を違(たが)える、相手を密かに殺すための剣。

 虚に潜み、虚に忍び、不意を突くことだけを追求した、暗殺者の用いる技。

 本来ならば交わるはずのない両者の剣は、しかし、この場においては相応しく見えた。

 瘴気に満ちた黒き宮に、見えざる剣撃の音が響く。

 動き続ける大小の影。

 同じように動きながら、その優劣は明らかだ。

「フフフフフ。

 どうしましたニコルコ。

 その程度でワタクシに逆らったのですか?」

「クッ、痛っ」

「ほらほら、もっと懸命に防ぎなさい。

 息をしている暇などあるのですか?

 その右腕、あと三度も切れば落ちますよ?」

 体ごとの移動を基本とする暗殺者の術を駆使しながら、チキナロは細剣を的確にニコルコへと突き立てていた。

 わざと浅く斬り、手数を増やし、その苦痛を長引かせている。

 扱う刃の短さという有利すら、技量の差を埋める程ではないらしい。

 一合、また一合と重ねるたび、両者の開きは明確になっていった。

 倒れこんだニコルコの右肩に、細剣の切先が突き刺さる。

「クあっ!」

「フフフ……」

 悲鳴を搾り出そうと、右へ左へと捻じ込むように。

「ガアあ!」

「ニコちんっ」

「アア、いいですねえ、その悲痛な叫び。

 もっともっと響かせなさい。

 我らが地獄(ディネボクシリ)のために」

「うるさい、やめろっ」

 嘲笑うチキナロの背に向けて、アルルゥは手にしたものを投げつけていた。

 裂け落ちたニコルコの荷から、硬く掴みやすいものを、手当たり次第に。

 だが、そんなものが当たるはずもない。

「オヤオヤ、無駄なことを」

「グぁ!」

 傷から無造作に引き抜かれた細剣は、そのことごとくを切り落としていた。

「大人しくしていてください。

 すぐに貴女の番ですからね」

「このっ、このっ、このぉ!」

 木の実、獣骨、謎の石。

 手につく端から次々と、アルルゥはものを投げ続ける。

 転がるニコルコを踏んだまま、チキナロは苦もなくそれらを払っていた。

 今や斬るものを見すらせず、アルルゥの懸命を嘲り笑う。

 

 それが、緊迫の中に生じた隙。

 

「えいっ!」

「まだやりますか。

 無駄だというの、がっ!?」

 最後に投げつけられた瓶が、斬られ、盛大に爆ぜ割れた。

 目鼻を突く強い刺激が、周囲一体に振り撒かれる。

「っ、これ、はっ、白霊蓮(サラカジャ)の、

 ぉ……?」

 顔に降りかかった痛みを拭おうとよじられたチキナロの身が、動きの途中で止まった。

 

 その瞬間で跳ね起きたニコルコに、心の臓を貫かれていたために。

 

 驚きのまなざしが、自らに埋まった刃を見る。

「ニコ、ルコ……

 貴、様……」

「すみません、チキナロ様。

 でも……」

 残された恨みの声は、しかし、しょせん一瞬のもの。

 呪詛にも似たつぶやきを、ニコルコは最後まで聞いていた。

 育ててくれた者に対する、それが最後の礼だと尽くし。

「でも、俺は、

 家族を守りたいんです……」

 あふれる涙をこらえもせず、師の亡骸を静かに抱きとめていた。

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