うたをつぐもの―うたわれるもの・After―   作:根無草野良

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~第四幕・29~ 闇の宮・地獄

 

「ハアアアアアア!」

 振り下ろされたカリンの剛剣が、大地を砕き四散させる。

 石塊は砲弾めいた勢いを得て、周囲の黒衣たちを吹き飛ばした。

 寸前で足を止めて難を逃れた一団にも、猛威は平等に襲いかかる。

「「『土の陣(テヌ・トゥスカイ)』!」」

「ヒっ」「ぐお」「がっ!」

 カミュとムティの呪に従い、無数の岩塊が球堂の一角に降りそそいだ。

 拳大の飛礫は次々と集団を打ち倒していく。

 さながら、鎌で薙がれる雑草のようだ。

 一掃された場には、動かなくなった黒装束が人形のように転がった。

 だがその光景も、束の間しかもちはしない。

 人波は臆する様子もなく、さらに続々と押しよせてくる。

 倒しても倒してもキリがない。

 手応えのなさは、体よりも心を疲弊させていた。

「まったく、

 なんなんですか、この人たちはっ」

「いくらなんでもおかしすぎるよ。

 もしかして、『怨(オン)』の瘴気にあてられてる?」

「白霊蓮(サラカジャ)の匂いもしますわね。

 さすが、地獄(ディネボクシリ)を現界させようなんて考える

 おバカさんたちですわ」

 ぼやきの間も勢いが止まることはない。

 呪詛めいた響きもまた同じ。

 六つの怨石(オゥ・カゥン)からは今もまだ、散らされる以上の『怨(オン)』が吐き出され続けている。

 その中央から聞こえてくるムックルの咆哮は、周囲の騒乱すべてを凌駕するほどに高まっていた。

「ムックル!」

「アルちゃんっ。

 ニコちんも、大丈夫?」

「ハ、ハイ、どうにか……」

 混乱の場を這い進み、アルルゥとニコルコはなんとかカミュたちと合流していた。

 だが、状況は一息の間も許さない。

「まだ動けますわね?

 トラがあそんでいる以上

 あなたにがんばっていただきますわ。

 わたしたちが道を拓きますから、

 あなたがあの女を――」

「クハハハハハハっ。

 無駄な足掻きはやめよ、愚物共」

 策を交わす短い言葉も、蠢く群れの向こうから聞こえてきた老漢の声に遮られた。

 それは、味わってきた辛酸労苦をいやが上にも思わせる、しわがれた声。

 個性を殺した黒装束の中にあり、一際小さな身形から発せられていた。

 見た目こそ矮小なれど他を圧する気配の持ち主は、一目でその身分を知らしめる。

「あなたがこの集団のお頭ですの?

 とてもそうは見えませんけど」

「好きなようにほざくがいい。

 我等が悲願は、今叶う……」

 奇妙なほどに爽やかなつぶやきは、より一層の咆哮にかき消された。

『ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!』

 わだかまる『怨(オン)』の中心で、ムックルの躯は明らかに、その大きさを増していた。

 膨らむ巨躯は、捕らえらていた鋼鉄の檻を内から破壊し、さらに膨張を続けていく。

 ほとばしる、苦痛の絶叫。

『ヴウウウウウウウウウウ!!』

「ムックル、ムックル!」

 アルルゥの叫びに応えはない。

 地に刻まれた巨大な陣は、今や五倍にも増したムックルの巨躯に覆い隠されていた。

 変化はそれだけに止まらない。

 場からは、わだかまっていた滅紫の瘴気が、急速に消え去りつつあった。

 巨大化したムックルの、その体に吸い込まれて。

 白かった獣毛が見る間に色を変えていく。

 周囲の闇に侵されるように、次第に暗く、どす黒く。

『ヴウウウウウウウゥ……

 ヲオオオオオオオ……』

 いつしか、咆哮からは苦痛の響きが消えていた。

 代わりに聞こえてきたものは、知性の欠片もない獣の声。

 それは、次第に落ちつきをとり戻していき、

 唐突に、閉ざされていた目が開かれる。

「おお……」

「ムッ、クル……」

 

 そこには、美しい青玉(ワゥ・カゥン)の輝きに代わり、濁った血の色が宿っていた。

 

『ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!』

 一つ高らかな遠吠えは、まるで自由を喜ぶように。

 応じて上がる歓声に、漆黒の巨獣はその赤い瞳を向けた。

「素晴らしい、素晴らしい!

 これこそが我等が求めたもの!

 この世に生まれし『地獄(ディネボクシリ)』よ!」

「『地獄(ディネボクシリ)』?

 この、獣が……?」

「ちがう!」

 感動に震える老漢と、愕然とするカリンの声を、アルルゥの悲痛な声が否定した。

「アルルゥ……」

「あれは、ムックルっ。

 そんなヘンな名前じゃないっ。

 ムックルっ、アルルゥの言うこと聞くっ」

『ヴォルルルルルルル……』

「ムックル!」

 母の呼びかけに、巨獣は応えない。

 赤い瞳でただ世を見下ろし、低い唸りを響かせているばかり。

 右腕が上がっていった。

 ゆっくりと、力強く、その重さを確かめるように。

「フハハハハ!

 無駄なことよ。

 この世に現れし『地獄(ディネボクシリ)』が求めるものは、

 生を超越した死あるのみ。

 さあ、我らが悲願よ。

 我らに救いを与えたま――」

 そして起こした行動は、彼らの望みを聞いてのものだったのか。

 地を滑るように薙いがれた巨獣の右腕は、老漢もろとも黒衣の集団を千切り飛ばしていた。

 

「なっ……?」

「ムックル……っ」

「「「オオオおおお……」」」

 飛び散る鮮血にも、黒衣の群れは怯えを見せない。

 むしろその威を身に受けるべく、我先にと『地獄(ディネボクシリ)』に向かっていき、ことごとく打ち散らされていく。

 それは、一方的な虐殺の光景だった。

「こんな、こんなの……」

「ひ、酷すぎ、うぷ……」

 腕の一振りごとに撒かれる血が、黒の球堂を塗りかえていく。

 あまりに凄惨で圧倒的な殺戮の様は、確かに『地獄(ディネボクシリ)』の名を冠するにふさわしい。

 だが、アルルゥたちを待っていたものは、それを遥かに上回るおぞましさだった。

 腕の鮮血を一度舐め、『地獄(ディネボクシリ)』は一つ咆哮を響かせる。

『ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!』

「ツっ……」「うあぁっ?」「ムッ、クル……」

 それは闇の気を震わせて、聞いた者すべての魂を揺さぶった。

 生者も、そして死者までも。

 

 地に生みだされた赤い海が、響きに合わせて波を打つ。

 腕を、足を、頭を、体を。

 形を失った骸の動きにあわせて。

 時間を掛け、ゆっくりと、それらは起き上がっていた。

 こぼれる臓腑を脈打ちながら、死に絶えたはずの姿のままで。

 

「な、に?」

「なんですの、これ……」

 四肢を失い、たどたどしくも、それは確かに動いていた。

 始めは地をのたうつようだった挙動も、次第に自然さをとり戻していく。

 あまりに歪(いびつ)、あまりに邪悪。

 負の力に満ち満ちながら、しかしそれは紛れもない命。

 あくなき生への執着こそが、その証に他ならない。

 敵味方、生者死者の区別すらなく、そのモノは喰いあい始めた。

 目を、耳を、脳を撒き散らしながら、互いの喉笛に歯を立てる。

 餌を取りあう肉食の魚じみた食欲を前に、『ティティカルオゥル』の一同は声を失うばかり。

「な、なに?

 なにが起きてるの?」

「そうか。

 存在が地獄(ディネボクシリ)そのものであるのなら

 死も生も意味がない……

 死者を生き返らせること、

 死後の復活こそが、彼らの望み……?」

 ムティが放心したまま洞察するも、それを確かめる術はない。

「これ、は、

 生き返ったって、言えますの?」

「こんなの、どう考えたっておかしいよっ」

 いかな理屈、いかな嫌悪、いかな否定をもちだしても、前にした現実が変わるわけではない。

 一度死した者たちは、その力で再びカミュたちに襲いかかってきた。

「ひっ?」

「こ、のっ!」

 せまる歪(いびつ)な脅威を、一同は懸命に打ち払った。

 先以上の手応えのなさとおぞましさに苛(さいな)まれながら、それでも止まることは許されない。

 逃れる先も見えぬまま、ただ戦場を走りまわる。

 いつの間にか、黒衣の者たちには敵と味方の区別すらなくなっていた。

 生者を、死者を喰らうほどに、歪な命は元の形をとり戻していく。

 失った四肢、裂かれた腸(はらわた)、砕けた骨や肉はおろか、落とされた頭までも形を取り戻しつつあった。

 そのまま食事を続ければ、あるいは本当に蘇るのかもしれないと思わせるほどに。

 だが、それを確かめている余裕などなかった。

 感じる生命の危機以上に、追わなければならないものが多すぎた。

 アルルゥは血の海を駆けながら、襲う危険のすべてを忘れ、漆黒の力を揮い続ける巨獣を呼び続けている。

「ムックル、ムックルっ。

 ダメ、そんなことしちゃダメ!」

「無駄なことはおよしなさい。

 あれはもはや、

 貴女の知っている森の主(ムティカパ)ではありません」

 それを制する静かな声は、遠く離れた堂の口から。

 ハクビは佇(たたず)まいを変えぬまま、極めて自然に、そこにいた。

「おまえ、なにした!

 ムックルを元にもどせ!」

 激しい怒りを向けられても、白き鬼面は揺るがない。

 ただ、いつものように涼やかに、自らの当然を語るだけ。

「ご覧の通り、

 貴女の森の主(ムティカパ)には

『地獄(ディネボクシリ)』の依代になっていただきました。

 その魂はすでにありません」

「うそ、そんなのうそ!

 ムックルをかえせ!

 ムックル、を――」

 ますます猛るアルルゥの怒りは、堂の口から現れたもう一人の影を見て、勢いを失う。

「ハクビさん。

 ウマ(ウォプタル)の準備ができました。

 はやく、でましょう」

「おねー、ちゃん……」

 呼びかけの声は控え目に、挙動はどこかよそよそしく。

 可能な限り存在を消そうとし、しかし、それで隠れられるわけもない。

 

 それでも、エルルゥは悲しげなまなざしを、決してアルルゥに向けようとはしなかった。

 

「なんで、おねーちゃん……

 ムックルが、あんな……なのに……」

「アルルゥ……」

 揺れるアルルゥの言葉にも、つぶやくだけで、答えない。

 妹の、切なる想いのそのすべてから、エルルゥは必死に目を背けていた。

 無言のやりとりの間にも、事態は刻々と進んで行く。

「姫。

 怨石(オゥ・カゥン)も回収いたしました。

 他に御用は」

「いえ、もう。

 ここでの支度はすべて整いました。

 後は……」

「済んだのなら早急に出るぞ。

 まだまだ成すべき事は多い」

 ハクビの下にラクシャインが、次いでリュウガが集う。

「待、て……」

 立ち尽くすアルルゥの隣にも、追い来たタイガが這いよっていた。

 どのような死闘を経てきたのか、荒い息を漏らして剣を杖にしたその全身は、流れる血によりべったりと濡れていた。

「兄、上……。

 俺は、まだ……」

「トラっ」

 つぶやいた最後の一声は、崩れ伏した血溜まりから。

 アルルゥの声にも反応せず、タイガはその海を広げていく。

 その様の深刻さは、同じように駆けつけた騎兵の姉弟にすら、息を飲ませるほどだった。

「これは、まずいな。

 アルルゥ様、早急に血止めを」

「う、ん……」

「まったく、どこまでも手間のかかる」

 悪態を吐きながらも、テルテォはタイガに代わり、堂の口に揃った一団へ凶悪なまなざしを向けた。

 それで態度を改める者は一人としていなかったが。

「さようなら、みなさん。

 貴方がたにも随分とお世話になりましたが、

 もう役目は終わりました。

 後はどうぞ、ご自由に」

「なん、だと?

 貴様、ふざけるな!」

 それが自然なハクビの無感情を、挑発とでも受け取ったのか。

 テルテォは爆発する怒りのまま、消え去り行く一団に突撃をかけた。

 当然、周囲の状況など見えてはいない。

「この俺が、アルルゥ殿を傷つけた貴様らを

 見逃すとでも思ったかっ。

 そこになおれ、槍の錆にしてくれ――」

「テルテォ!」

「るぅぅぅ!?」

 疾駆の途中、テルテォは『地獄(ディネボクシリ)』の腕に殴られ、真横に弾き飛ばされた。

 辛うじて槍を備えてはいたが、果たしてどれほどの効果があったのか。

「無事か、テルテォっ」

「な、なんとか。

 こいつ、見境なし、かっ?」

 文句の間に、二度目の腕が迫る。

「クっ?」

「あぶないっ」

「ですわ!」

 その勢いを防ごうと、法術と剛剣が重ねられた。

 咄嗟の、しかし渾身の一撃に、万雷を凌ぐ轟音が響く。

 威力も相応か、それ以上。

 交わった場の大気はおろか、空間すら砕かんばかりの力は、真正面から『地獄(ディネボクシリ)』の腕を打ち、

 ただ、その勢いを止めただけだった。

「な?」

「無傷、ですの……?」

 漆黒の巨獣は不思議そうに、ただその甲を舐めていた。

 毛並みの乱れを整えるように、それ以上の関心も示さない。

 力の主たちが呆気に取られても、それはやむを得ないことだろう。

「全然、効いてないよ……」

「……『地獄(ディネボクシリ)』の名は

 伊達ではありませんわね」

「ちがう。そんなのじゃ、ない……」

 二人のつぶやきを、それ以上の虚ろな声が否定した。

「アルルゥ……」

「アルちゃん……」

「ムックル……

 アルルゥのこと、わすれちゃったの?

 ほんとうに、アルルゥの、こと……」

 静かに涙を流しながら、空虚な問いは遥かな頭上へ向けられる。

 切なる母の呼びかけに、巨獣は、応えようとはしなかった。

 赤い瞳は下すら見ず、その巨躯は天井に開いた大穴へと、しなやかな跳躍を果たす。

 後には欠片の未練もない。

『地獄(ディネボクシリ)』の消えた場には、深い瘴気だけがわだかまっていた。

 できることなどなにもない。

 アルルゥはその様を、ただ呆然と見送るばかりで、

「ムックル……」

「アルルゥ様っ」

 肩を引かれた理由すら、すぐには理解できなかった。

 眼前を、血に濡れた腕だけが通り過ぎる。

「ひぅ?」

 慌てて周囲を見回し、アルルゥは今さら驚愕を思い出した。

 いつの間にか、蠢く骸の人垣に囲まれていた。

 流れる血潮を滴らせ、腸(はらわた)を振りながら近づいてくるその中に、もはや真っ当な生の気配はない。

『地獄(ディネボクシリ)』が場から離れても、堕とされた修羅場にはなんの変化も起こらなかった。

「なんだか、状況が全然よくなってないよぅ」

「ほったらかしにしては、

 ダメですわよね、やっぱり」

「うー。

 トラちゃんとニコちんが動かないよー」

「まったく。

 こんな時に限って役に立たん奴らめ」

「使えぬ者に期待をするな。

 アルルゥ様、こやつらはお任せします」

「う、うん」

 ぼやきも、呆れも、泣き言も、地獄(ディネボクシリ)においては意味がない。

 必要なのはただ強さ。

 押しよせる力に抗(あらが)う技と、逆境に負けない強い意思だけ。

 それは、一堂に会した『ティティカルオゥル』にとって、ごく自然なもので。

「こんなモノが外に溢れだしては一大事だ。

 ここで殲滅しなければな」

「まあ、遠慮する必要はないのが

 せめてもの救いですわね」

「そういうことだ。

 行くぞっ」

「「「応!」」」

 一行は、囲む地獄(ディネボクシリ)にすら臆することなく、その力を持って挑んでいった。

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