うたをつぐもの―うたわれるもの・After―   作:根無草野良

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~第五幕・2~ 地獄・再会

 

 エプカラは、トゥスクルの西に位置する小さな街だった。

 新しい農法や制度をいち早く取り入れる事で収穫を高め、さらには都に通じる街道の新造、宿場周辺の整備、治水整地を率先して行い、皇府から多大な助成を得ることで、ただの農村に過ぎなかった集落を、西域随一の交易街にまで発展させたのだという。

 その努力、その労苦が並々ならぬものであったことは、想像に難くない。

 戦乱の世にあっては尚更だ。

 人々の努力の結実が、この街を形造っている。

 いや、形造っていたのだろう。

 

 一歩を踏み入れたエプカラの街は、見るも無残な瓦礫の山と化していた。

 

「これは……」

「ひどい……」

 矢の群れが刺し立てられた街前の市の先では、巨大な正門が街を囲む丸太の防壁ごと踏み倒されていた。

 広がる血の海はその場だけに留まらず、広く大きな通りまでも濡らしている。

 並ぶ家屋は半ばが薙ぎ倒されていた。

 三の階を有する高屋までもが、こともなげに折り砕かれている。

 その威から逃れた半分が無事というわけでもない。

 場には、鼻をつく獣脂の匂いと、そこから広がった炎の残滓が漂っていた。

 燃え尽き、勢いの盛りは越えたのだろうが、黒炭と化した家屋には、いまだ揺らめく炎の欠片が見える。

 

 喰いちぎられ、それでも蠢く骸と共に。

 

 街を襲った鬼人とやらも『地獄(ディネボクシリ)』の力で蘇った存在だ。

 その顎(あぎと)に掛かった者もまた、歪な生を授かるのだろう。

 やりきれない想いのまま、近づく腕に刃を落とし、両断したその時、

『ギオオオオオオオオオオ!!』

「なっ……?」

 街の中心から、人ならざる者の咆哮が聞こえてきた。

 いや、それは咆哮ではなく、苦痛を伴った絶叫だ。

「今のって……」

「行くぞ!」

 薙ぎ倒された家屋の上を、響き続ける悲鳴に向かって走る。

 獣を思わせる咆哮と、それが屈しているのであろう状況を想像すると、足は自然と速くなった。

 聞こえてくる響きによってばかりではない。

 進むほどに強くなるよく知った気配に、想いは体をさらに急がせる。

 思惑が形を成す前に、終着点へ辿りついた。

『グアアゥゥ……』

 瓦礫と化した焼け野原に、巨人が尻をついていた。

 斬り落された腕を押さえて怒りの相を剥いた表情は、なるほど、鬼と呼ぶに相応しい厳(いかめ)しさをもっている。

 だが、某(それがし)たちが驚いたのは、伝説に語られる鬼人を見たからではなく、その憤怒のまなざしが見ている先の者。

 

 立ち並ぶ、ハクビとリュウガ兄の姿にこそだった。

 

「兄、上?」

「タイガか」

 某(それがし)の名をつぶやきながら、リュウガ兄は手の黒刀を小さく振った。

 刃にまとわりついていた血の穢れが払われる。

「一体、なにを――」

「見れば分かるだろう。

 無法の鬼を斬っている」

 それは一目瞭然だ。

 伝説の鬼を相手にその腕を斬り崩すなど、リュウガ兄でなければ成しえまい。

 鬼人の、燃えるような視線にさらされながら、その佇(たたず)まいには一分の揺らぎもなかった。

 だが、それでは問いの答えにはならない。

 某(それがし)が質(ただ)しているのは、もっと別のこと。

「……なぜです?

 兄上たちの目的は『地獄(ディネボクシリ)』を蘇らせ、

 この世を滅ぼすことなのでは……」

「それは、私たちを利用した方々の目的。

『地獄(ディネボクシリ)』が復活した以上、

 不要な災いは望むところではありません」

 答えは、兄上の隣から返ってきた。

 ハクビは変わらぬ冷静な言葉で、こちらの疑問を余計に混乱させてくる。

 苛立ちは態度に表れていた。

「では、お前たちの本当の目的はなんだ?

 世をこれほどの混乱に陥(おとしい)れてまで、

 なんのためにあんなモノを蘇らせたっ」

「それを貴方に語る必要はありません」

「っ。貴様ぁ!」

 荒げた声にも動じぬ様に、思わず剣を握る。

 だが、アルルゥの踏みだした一歩は、某(それがし)よりも早かった。

「……おまえのことなんて、どうでもいい」

 低くつぶやきながら前に出る。

「アルルゥ?」

「あんなの、ちがう。

 ムックルじゃない。

 ムックルを、ムックルをかえせ!」

 猛る想いは少女の口から、鬼人を凌ぐ咆哮となってほとばしった。

 あまりに鮮烈な怒りを横に、知らずうなじの毛が逆立つ。

 今まで冷静を崩したことのないハクビが、初めて息を詰まらせた。

「……言ったはずです。

 それはできないと。

 森の主(ムティカパ)の魂はすでに失われたのです。

 もはや『地獄(ディネボクシリ)』の力をもってしても、

 その存在を呼び戻すことはできませ――」

「うるさい!」

 アルルゥは泣きながら、千切れるほどに激しく首を振っていた。

 ハクビの語る言葉だけでなく、その存在をも含めたすべてを否定するように。

「おまえのいうことなんか信じない!

 ムックルを、おねーちゃんをかえせ!

 アルルゥの、たいせつなもの、かえせ――」

 激しい怒りは一瞬で燃え上がり、そして即座に消えていた。

 アルルゥが呼んだ姉という言葉は、血のつながりだけを意味しているわけではない。

 残ったものは深すぎる悲しみ。

 場の全員が言葉を失っていた。

 離れ倒れている鬼すら、苦痛の呻きを控えている。

 ただ一人、ハクビだけが感情を残していた。

 それは深い苛立ちと、押し殺すような確かな怒り。

「……貴女たちだって、奪ったではありませんか。

 私の、ジャカウを。

 たった一人の、弟を……っ」

「ハクビ」

 だが、それもまた一瞬のこと。

 リュウガ兄の一言で、ハクビは身の震えを収めた。

 乗り出しかけた体を、静かに元の位置に引く。

 昂ぶる想いを吐き出すように、深くゆっくりとした一息。

 仮面の下、再び開いたその目には、常の冷静が戻っていた。

「……聞きわけなさい。

 貴女だって私と同じ、

 お父様の遺志を継ぐ者ではありませんか」

「?

 おとーさん……?」

「……やっぱり、あなたは……」

「それがわからないと言うのであれば、

 せめて大人しくしていなさいっ」

 それでもわずかに震えた声は、アルルゥとカミュのつぶやきをかき消した。

 聞くこともできぬ響きの呪と、伴い膨らんだ鬼の咆哮によって。

『ギオオオオオオオオオオ!!』

「う?」

「アルルゥ!」

 振るわれる、怒りに任せた鬼の腕。

 迫る威から逃れるため、某(それがし)は隣のアルルゥを抱きこみ、跳んだ。

 転がり落ちた地の先で、即座に後ろを確かめる。

 抉(えぐ)りとられた瓦礫の向こうで、鬼人が腕を戻していた。

「トラちゃん!」

「アルルゥ殿っ」

「っ、大、丈夫だ」

 近づいてきたカミュにアルルゥを任せ、剣を引き抜き、敵に備える。

 構えた切先の向こうに、狂気を剥いた鬼人を捉えた。

 去り行くハクビとリュウガ兄の姿も。

「くっ、兄上!」

「余所見をしている暇があるのか、タイガ。

 手負いとはいえ相手は伝説の鬼。

 油断はするな」

『ギガアアアアアアアアアアア!!』

 呼びかけの答えをかき消すように、鬼の声が再び轟く。

 渦巻く疑問を考える暇など、確かにない。

 他に向ける余裕も、後に残しておく力も。

「トラちゃんっ」

「っかってる!」

 まずは、命を繋ぐことに専念しなければ。

『ゴアアアア!』

「オオお!」

 振り下ろされた巨腕をかわし、意思を戦いへと換えながら、交差する一刀を振り上げた。

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