うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
エプカラは、トゥスクルの西に位置する小さな街だった。
新しい農法や制度をいち早く取り入れる事で収穫を高め、さらには都に通じる街道の新造、宿場周辺の整備、治水整地を率先して行い、皇府から多大な助成を得ることで、ただの農村に過ぎなかった集落を、西域随一の交易街にまで発展させたのだという。
その努力、その労苦が並々ならぬものであったことは、想像に難くない。
戦乱の世にあっては尚更だ。
人々の努力の結実が、この街を形造っている。
いや、形造っていたのだろう。
一歩を踏み入れたエプカラの街は、見るも無残な瓦礫の山と化していた。
「これは……」
「ひどい……」
矢の群れが刺し立てられた街前の市の先では、巨大な正門が街を囲む丸太の防壁ごと踏み倒されていた。
広がる血の海はその場だけに留まらず、広く大きな通りまでも濡らしている。
並ぶ家屋は半ばが薙ぎ倒されていた。
三の階を有する高屋までもが、こともなげに折り砕かれている。
その威から逃れた半分が無事というわけでもない。
場には、鼻をつく獣脂の匂いと、そこから広がった炎の残滓が漂っていた。
燃え尽き、勢いの盛りは越えたのだろうが、黒炭と化した家屋には、いまだ揺らめく炎の欠片が見える。
喰いちぎられ、それでも蠢く骸と共に。
街を襲った鬼人とやらも『地獄(ディネボクシリ)』の力で蘇った存在だ。
その顎(あぎと)に掛かった者もまた、歪な生を授かるのだろう。
やりきれない想いのまま、近づく腕に刃を落とし、両断したその時、
『ギオオオオオオオオオオ!!』
「なっ……?」
街の中心から、人ならざる者の咆哮が聞こえてきた。
いや、それは咆哮ではなく、苦痛を伴った絶叫だ。
「今のって……」
「行くぞ!」
薙ぎ倒された家屋の上を、響き続ける悲鳴に向かって走る。
獣を思わせる咆哮と、それが屈しているのであろう状況を想像すると、足は自然と速くなった。
聞こえてくる響きによってばかりではない。
進むほどに強くなるよく知った気配に、想いは体をさらに急がせる。
思惑が形を成す前に、終着点へ辿りついた。
『グアアゥゥ……』
瓦礫と化した焼け野原に、巨人が尻をついていた。
斬り落された腕を押さえて怒りの相を剥いた表情は、なるほど、鬼と呼ぶに相応しい厳(いかめ)しさをもっている。
だが、某(それがし)たちが驚いたのは、伝説に語られる鬼人を見たからではなく、その憤怒のまなざしが見ている先の者。
立ち並ぶ、ハクビとリュウガ兄の姿にこそだった。
「兄、上?」
「タイガか」
某(それがし)の名をつぶやきながら、リュウガ兄は手の黒刀を小さく振った。
刃にまとわりついていた血の穢れが払われる。
「一体、なにを――」
「見れば分かるだろう。
無法の鬼を斬っている」
それは一目瞭然だ。
伝説の鬼を相手にその腕を斬り崩すなど、リュウガ兄でなければ成しえまい。
鬼人の、燃えるような視線にさらされながら、その佇(たたず)まいには一分の揺らぎもなかった。
だが、それでは問いの答えにはならない。
某(それがし)が質(ただ)しているのは、もっと別のこと。
「……なぜです?
兄上たちの目的は『地獄(ディネボクシリ)』を蘇らせ、
この世を滅ぼすことなのでは……」
「それは、私たちを利用した方々の目的。
『地獄(ディネボクシリ)』が復活した以上、
不要な災いは望むところではありません」
答えは、兄上の隣から返ってきた。
ハクビは変わらぬ冷静な言葉で、こちらの疑問を余計に混乱させてくる。
苛立ちは態度に表れていた。
「では、お前たちの本当の目的はなんだ?
世をこれほどの混乱に陥(おとしい)れてまで、
なんのためにあんなモノを蘇らせたっ」
「それを貴方に語る必要はありません」
「っ。貴様ぁ!」
荒げた声にも動じぬ様に、思わず剣を握る。
だが、アルルゥの踏みだした一歩は、某(それがし)よりも早かった。
「……おまえのことなんて、どうでもいい」
低くつぶやきながら前に出る。
「アルルゥ?」
「あんなの、ちがう。
ムックルじゃない。
ムックルを、ムックルをかえせ!」
猛る想いは少女の口から、鬼人を凌ぐ咆哮となってほとばしった。
あまりに鮮烈な怒りを横に、知らずうなじの毛が逆立つ。
今まで冷静を崩したことのないハクビが、初めて息を詰まらせた。
「……言ったはずです。
それはできないと。
森の主(ムティカパ)の魂はすでに失われたのです。
もはや『地獄(ディネボクシリ)』の力をもってしても、
その存在を呼び戻すことはできませ――」
「うるさい!」
アルルゥは泣きながら、千切れるほどに激しく首を振っていた。
ハクビの語る言葉だけでなく、その存在をも含めたすべてを否定するように。
「おまえのいうことなんか信じない!
ムックルを、おねーちゃんをかえせ!
アルルゥの、たいせつなもの、かえせ――」
激しい怒りは一瞬で燃え上がり、そして即座に消えていた。
アルルゥが呼んだ姉という言葉は、血のつながりだけを意味しているわけではない。
残ったものは深すぎる悲しみ。
場の全員が言葉を失っていた。
離れ倒れている鬼すら、苦痛の呻きを控えている。
ただ一人、ハクビだけが感情を残していた。
それは深い苛立ちと、押し殺すような確かな怒り。
「……貴女たちだって、奪ったではありませんか。
私の、ジャカウを。
たった一人の、弟を……っ」
「ハクビ」
だが、それもまた一瞬のこと。
リュウガ兄の一言で、ハクビは身の震えを収めた。
乗り出しかけた体を、静かに元の位置に引く。
昂ぶる想いを吐き出すように、深くゆっくりとした一息。
仮面の下、再び開いたその目には、常の冷静が戻っていた。
「……聞きわけなさい。
貴女だって私と同じ、
お父様の遺志を継ぐ者ではありませんか」
「?
おとーさん……?」
「……やっぱり、あなたは……」
「それがわからないと言うのであれば、
せめて大人しくしていなさいっ」
それでもわずかに震えた声は、アルルゥとカミュのつぶやきをかき消した。
聞くこともできぬ響きの呪と、伴い膨らんだ鬼の咆哮によって。
『ギオオオオオオオオオオ!!』
「う?」
「アルルゥ!」
振るわれる、怒りに任せた鬼の腕。
迫る威から逃れるため、某(それがし)は隣のアルルゥを抱きこみ、跳んだ。
転がり落ちた地の先で、即座に後ろを確かめる。
抉(えぐ)りとられた瓦礫の向こうで、鬼人が腕を戻していた。
「トラちゃん!」
「アルルゥ殿っ」
「っ、大、丈夫だ」
近づいてきたカミュにアルルゥを任せ、剣を引き抜き、敵に備える。
構えた切先の向こうに、狂気を剥いた鬼人を捉えた。
去り行くハクビとリュウガ兄の姿も。
「くっ、兄上!」
「余所見をしている暇があるのか、タイガ。
手負いとはいえ相手は伝説の鬼。
油断はするな」
『ギガアアアアアアアアアアア!!』
呼びかけの答えをかき消すように、鬼の声が再び轟く。
渦巻く疑問を考える暇など、確かにない。
他に向ける余裕も、後に残しておく力も。
「トラちゃんっ」
「っかってる!」
まずは、命を繋ぐことに専念しなければ。
『ゴアアアア!』
「オオお!」
振り下ろされた巨腕をかわし、意思を戦いへと換えながら、交差する一刀を振り上げた。