うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
燃えさかる炎が柱を昇り、天井一面を舐めていく。
灼熱の舌は容赦なく、世界を紅蓮に染めていった。
勢いを増しゆく揺らめきを、もはや止める術はない。
丸太造りの古き砦は、今まさに役目を終えようとしている。
決着は早々に着けなければならない。
タイガは炎熱に羽耳を焦がしながらも、追いつめた男へ切先を向けた。
まだ少年の面影を残す顔立ちに、できるかぎりの威圧を浮かべて。
「ここまでだ。
大人しく投降するなら
罪を贖(あがな)う機会を与えられもしよう。
剣を捨てろ」
「ックショウ!
来るな、来るんじゃねえ!」
男は目を剥いた形相で、視線を斬るように剣を振りたくっていた。
大気を斬るばかりの剣閃は、間違っても届くようなものではない。
タイガは思わず息を吐く。
「姑息な盗賊風情が自惚れるな。
貴様ごときが頭領で、
よく村一つを脅すようなマネができたものだ」
旅の間に寄った小さな村。そこで受けた盗賊の討伐依頼。
聞いた話では地の利、天の理を駆使した兵(つわもの)どもである筈だったのだが。
しょせんは田舎の狭い見識であったのか。
路銀が尽きたからといって、あまりにもつまらぬ相手に当たってしまったものだと、いまさら思う。
十数人からなる徒党の力量は、誉れ高きエヴェンクルガの武士(もののふ)が斬り結ぶに相応しいモノではなく、村人有志の力を借りずとも、根城としていたこの砦を、苦もなく攻め落とすことができてしまった。
タイガはより強い意をこめて、さらに深く切先を突きつけた。
「刀を穢したくはない。
これが最後だ。剣を捨てろ」
「う、うるせえ! テメエが、テメエがいなけりゃ……
あいつらにそそのかれさえしなけりゃあなあ……!」
その意図にすら気づけぬのか、あるいはすでに錯乱しているのか、盗賊の首領は変わることなく刃を振り続ける。
「あいつら? 誰のことだ。
お前たちを操っていた者がまだいるとでも――」
「死ねえ!」
その内容を問う前に、男は地を蹴っていた。
周囲の炎より熱く、手負いの獣より獰猛に。
本能が放つ生への執着は、時として一流の剣士すら凌駕する。
加減を考える余裕を、タイガはまだ持ちえていない。
腰を沈め身を落とす。
直前まで頭のあった宙を、横薙ぎの刃が通り過ぎた。
わずかに遅れた尾髪の一筋が散らされるのを感じながら、
タイガは男の左胴を断ち裂いていた。
それが、鼓動一つの間に起きたすべて。
「ガフ! ゥ、ァ――」
次の瞬間、男の発した断末魔は熱い血の飛沫となって、炎以上の赤で世界を濡らしていた。
致命に至る手応え。
確かめるまでもなく、男はもう二度と口を開けないだろう。
タイガは返り血に濡れたまま、それより強い苦い味に顔をしかめた。
己の剣がより高みにあれば、殺さずに口を割らせることもできたろうに……
だが後悔している暇はない。
燃えさかる炎は今や極限にまで達し、砦はいつ崩壊するかも知れないのだから。
早く逃れなければ。
思い、踵を返そうとした瞬間、
炎の先、そこに立つ人影に気がついた。
火の赤がわずかに色を薄める。
すべてを焼き尽くす業火の中にあって、直立する姿には微塵の揺るぎもない。
白と藍の装束は男の纏うものであったが、長身の割りに華奢な身と、流れるような黒髪が、その性を女と示していた。
面立ちはわからない。
その顔は、白い鬼の面に覆われているからだ。
戦の枢要たるこの場において、その存在はあまりにも怪しい。
「な、ん……」
にも関わらず、佇(たたず)まいの不気味さや、まとう鬼気迫る雰囲気から、誰何の声すら上げられずにいた。
それは、無条件に思い知らされる支配者の器であり、本能が発する従属の念。
かつて感じたことのない、悦びにも似た感情が、心の奥から湧き上がってくる。
まったく別の、もっと単純な想いと共に。
タイガの向ける沈黙のまなざしを正面から受けながら、鬼面の女はものも言わず、ただその場に佇んでいた。
左手に抱えた黒い石に、不規則な脈動を刻ませながら。
揺らめく炎の中にあり、影に飲まれているにも関わらず、その形だけはなぜかはっきりとわかる。
それは、幼子の頭に違いなかった。
浮かんでいるのは泣き叫ぶような表情。
歯も生えていなさそうな小さな口は、周囲を取り巻く熱とともに、なにか別のものをも喰らい、飲みこんでいる。
目には見えぬ、耳には聞こえぬ、ヒトでは感じる事の出来ぬ「ナニカ」だ。
業火の中にたゆたう闇。禍々しい毒の華。
地獄(ディネボクシリ)を思わせる光景の中にあり、
それでも、いや、だからこそ、
「……美しい」
知らず、タイガはつぶやいていた。
だが、今この場は戦の中であり、対じているのは明らかな敵。
エヴェンクルガに連なる者が看過してよいわけがない。
自らのつぶやきを払うように頭を振り、タイガは再び刃を上げた。
「う、動くな女!
貴様、何者だ。
この砦に巣食っていた賊の一味かっ」
震えそうになる声を無理やり張り上げた言葉にも、仮面の女はさしたる反応を示さなかった。
焼け落ちる木々の悲鳴が渦巻く火中にあり、透き通るような声で淡々と言葉を返す。
「この規模ではもう限界ですか……
これ以上の試行は無駄ですね」
「な、に……?
貴様、一体なにを言っている?」
それは、返事ではなく自答。
紡いだ短い呪に従い、幼頭の黒石は蠢きを潜めていく。
仮面の女はタイガの存在など気にもかけず、ただ自らの行為にのみ関心を向けていた。
続く言葉からも明らかだ。
「戦は終わりです。これ以上の干渉は意味をなしません。
貴方がたの勝利です。早くお逃げなさい、若き侍。
私たちは無駄な殺生を好みません」
抑揚のない声が語る、どこか悲しげにすら聞こえる言葉。
それが意味する内容は、弱者に向ける憐憫に他ならない。
「なん、だと……」
よりにもよって、エヴェンクルガの武士(もののふ)を志す自分に向けて、だ。
己の未熟を十二分に理解しているからこそ、タイガは侮辱屈辱の言葉にことさら強く応じてしまう。
浅薄とわかってはいても、この激情は抑えることができない。
「貴ッ様ぁ!」
先に感じたすべてを忘却し、大きく踏み出していた。
手にした刃を一度引き、返す動きで斬りつけていた。
それは周囲の熱を裂き、発した声すら追い抜く速さ。
わずかな弧を描き、白面へと向けられた必殺の剣閃は、
しかし、
横から突き出された鉄棍に弾かれていた。
「な、ぁっ!?」
続けて放たれた一撃に、体ごと撥ね飛ばされる。
「ガフ……!」
床にしたたか叩きつけられながら、タイガはかろうじて姿勢を立て直した。
逆流する胃液にムセつつも、荒い息を整える。
腹から伝わりくる衝撃の余韻に、その部位を殴られたのだと、ようやく知れた。
目で確認することはおろか、攻撃の兆しすら感じとれなかったのは、彼我の実力にそれほどの隔たりがあるためか。
辛うじて手から離れずにいた剣を、一撃の主へと向ける。
いつの間に現れたのだろう。
鉄棍を備えた巨漢の武士(もののふ)が、仮面の女の前に立ち塞がっていた。
鍛え上げられた巨躯はまさに巌(いわお)。
潜り抜けてきた修羅場の激しさは、その顔を見るだけで明らかだ。
彼の右の半面は瞳もろとも、大きな古傷に斬り潰されていた。
威圧されるタイガの様を気にもとめず、男は背へと言葉を向ける。
「姫、お早く。
この砦、もう長くは持ちますまい」
「そうですね。参りましょう」
やりとりは簡潔で、足の運びには気負いもない。
焼ける大気すら意にも介さず、仮面の女は燃えさかる砦の奥へと進んでいった。
後を顧みることもない。
「ま、待て! 逃す――!?」
追おうとしたタイガより先に、巨漢が鉄の棍を振るった。
円を描く、天地を分かつような一撃を。
それは瞬間の風を生み、軌跡に触れることごとくを砕いた。
つまり、燃える砦の床板と天井を。
「ぬ、ぐぁっ」
タイガが気圧された一瞬後、砕かれた部位をきっかけに、ついに砦はその全体を崩落させ始めた。
いや増す炎は壁となり、もはや先へは進めない。
揺れる紅蓮の連なりは、すでに他の色が存在することを許さず、消えた二人の存在もまた、痕跡もろとも飲まれていた。
まるで、初めからなにもなかったかのように。
だが、そんな筈はない。いまだ残る腹の痛みと、脳裏に刻まれた女の姿が、その考えを否定する。
だからこそ、不可解さは増すばかりだ。
「……なん、だったんだ、一体……」
だが、悠長に考えこんでいる暇はない。
「タ、タイガ殿!
ご無事ですか!」
飛びこんできた農兵の切羽詰った呼び声に、タイガはいまさら状況を思い出した。
天井や柱はもはや燃え尽き、落ちる火の粉は光の塊と化している。
「あ、ああ。
盗賊の首領は討ち果たした……」
「こちらも、残党の大半は討ち取りました!
我らの勝利です!
さあ、早くここから出ましょう!」
「そう、だな……」
いつの間にか、外からは勝鬨(かちどき)の声が聞こえている。
どこか遠くから響くその音を導きに、タイガもまた砦の外へと逃れた。
燃え崩れ行くその場所に、わだかまる想いを残したまま。