うたをつぐもの―うたわれるもの・After―   作:根無草野良

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~第五幕・5~ 地獄・聖地

 

『大神の眠りし地(オンカミヤムカイ)』。

『始まりの國』の中枢たるその入り口は、言葉にし難い神妙な様式をもって組まれていた。

 無駄な装飾の一切ない四角い部屋に、自ら発光する高い天井。

 呪の刻まれた白い壁はあまりにもなめらかで、今まで見たどのような石とも違っていた。

 この先に大神(オンカミ)が眠っているのだと言われれば、なるほど、それに相応しい荘厳さであるとも言える。

 だが、そんな悠長な感想を抱けていたのも、カミュが呪を唱え終えるまでのこと。

「むぐ?」

「な、なんだ、この匂いは?」

 上下左右に割れ開いた扉の内、そこから溢れだす腐臭と瘴気に、某(それがし)たちは思わず一歩を退いていた。

 似た光景が脳裏を過ぎる。

 白霧の渓谷に置き散らかされた、地獄(ディネボクシリ)の残骸だ。

 見える先の様式は、今居る場所と大差ない。

 だが、五感に感じるこの禍々しさはなんだ?

 無明のせいばかりではないだろう。

 あまりに強い腐肉の匂いは、戦場に慣れた身でも粟立(あわだ)つほどで、とても神聖不可侵たる聖域とは思えない。

 だが、足を踏みだしかねる光景を前に、二人だけは覚悟の歩みを進めていた。

「お、おい、アルルゥ、カミュっ」

「不用意に進んではは何があるか――」

「ここはまだだいじょうぶ」

「うん。

 匂いだけはどうにもならないから我慢してね」

 顔を見合わせる某(それがし)たちを気にせず、アルルゥとカミュは平然とその場に踏みこんでいった。

 妙に慣れた印象だ。

 どうやら過去に訪れた経験があるらしい。

 オンカミヤムカイの姫であるカミュはともかく、アルルゥまでがなぜ……。

 ともあれ、二人がそう言うのであれば、進むことに躊躇はなかった。

 それでも警戒は怠らぬまま、おぞましい聖域を早足に通り過ぎる。

 奥へと進むほどに濃くなる瘴気。

 頭に痛みを覚えるほどの臭気。

 だが、感じる強い違和感は、そのせいばかりではなかった。

 異世界に迷いこんだような錯覚は、むしろ目に飛び込んでくる光景からもたらされている。

 通りすぎる部屋には、割れ砕かれたガラスのような壁がならび、奇妙な鉄の箱がへしゃげ転がっていたりした。

 果たしてどういう意味があるものなのか、それともただの置物なのか、そんなことすらわからない。

 抑えきれない好奇と不安を先行く二人に問おうとしたその時、横手から現れた赤い影が、先頭のカミュに襲いかかっていた。

「カっ、ミュ……?」

 彼女の手に生まれた赤い刃に、こともなげに斬り散らされていたが。

「……えーっと、大丈夫、か?」

 わかってはいたが、一応聞いた。

 地に転がった肉塊の欠片、蠢きつづける腸(はらわた)のようなものを見る。

「なんだ、これは?」

「……オンヴィタイカヤン。

 ウィツァルネミテアの怒りに触れ、

 永久(とわ)を与えられた可哀想な人たち……」

「え?」

「ううん、なんでもない。

 大したことないけど、

 ここからたくさん出てくると思う。

 かまっても無駄だから一気に行こう」

「あ、ああ……?」

 釈然とはしなかったが、足を急がせるカミュを前に、それ以上話を続けることはできなかった。

 予告の通り、襲いかかってくる肉塊どもを蹴散らす羽目になったためもある。

「く、のっ」

「こいつらは、

 確かに、手応えのないっ」

「油断はするな。

 数だけは尋常でないぞ」

 それまでの沈黙と異様を忘れるように、肉の波は絶えることなく現れてきた。

 気迫をもって刃を振るうも、恐怖を知らぬモノが相手では効果が薄い。

 臓物を思わせる赤い塊は、斬られる端から動きを止め、新たな肉塊に飲まれていった。

 互いに互いを喰らうその様は、今や見慣れた地獄(ディネボクシリ)を思い出させる。

 体よりも心に痛みを覚えながら、それでも刃を振り先へと進んだ。

 

 

 

 どれほどの間、その苦行を続けていたのだろう。

 気がつけば、某(それがし)たちに近づこうとする肉塊はいなくなっていた。

 周囲には斬り散らされた肉片が山のように積み上げられている。

 半ばは某(それがし)たちが刻み潰したものだが、残る半分は元から置かれていたものだ。

 先んじた者たちの戦果なのだろう。

 

 つまり、前に立つ者の。

 

「貴様は」

「やはり来たか」

「ラクシャイン……」

 大きく開いた奥への口の前に、隻眼の武士(もののふ)は立ちふさがっていた。

 左右に蠢く腸(はらわた)を山と積みながら、それを意に介する様子はない。

 黒いウマ(ウォプタル)にまたがり、汚れた鉄棍を構える様が、ここから先は通さぬと、無言の警告を放っている。

 高まる気迫はリュウガ兄にすら匹敵するほど。

 それは見えざる壁となり、某(それがし)たちの前を塞いでいた。

 だが、それで止まれるはずもない。

 刃の汚れを拭い落とし、緊張と弛緩を身にまう。

 静かに歩みを進めながら、見極めた間合いまで、後三歩。

 その二歩を縮めた所で、隣から割り入ってきた白いウマ(ウォプタル)に足を止めさせられた。

「リネリォ、殿……?」

「奴は私たちの獲物だ。

 お前たちは先に行け」

「ですが――」

「文句は言わさんぞ。

 貴様もだ、ラクシャインっ」

 同じく前に出てきたテルテォの呼びかけに、ラクシャインは無言で応じた。

 駆るウマ(ウォプタル)の手綱を引き、クッチャ・ケッチャの血族に向き直る。

 決着を望んでいるのは、姉弟だけではないらしい。

 某(それがし)は行くべき道を確かめながらも、わずかな不安を漏らしていた。

「……大丈夫、なんだな?」

「貴様に心配されるいわれはない。

 小物は小物らしく、

 自分のことだけ考えていろ」

 返ってきたのはいつもと同じ、小憎たらしい悪態だった。

 確かに余計な世話だったか。

「テルテル……」

「リネリン……」

 不安をにじませる一同の中で、リネリォ殿は某(それがし)に目を向けていた。

 それは、冷たく、鋭く、そして強いまなざし。

「タイガ。後は任せる。

 アルルゥ様を任せたぞ」

「はい」

 こめられた意思に頷(うなず)きで応える。

 返す言葉には、与えられた以上の信頼を。

「では、また後で」

 小さな驚きは一瞬だけ。

 冷静を崩さなかったリネリォ殿の表情が、ほんの少しだけ笑みを作る。

「……そうだな。

 語るべきことは後で語るとしよう」

 言いながら、彼女の目はラクシャインへと向けられていた。

 テルテォの挙動もまた、戦で敵を見据えるものへと変わっている。

 もはや交わす言葉はない。

 某(それがし)は戦いの行方を見届けることもなく、躊躇うアルルゥたちを促して、ラクシャインが譲り拓いた奥の口へと踏みこんだ。

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