うたをつぐもの―うたわれるもの・After― 作:根無草野良
『大神の眠りし地(オンカミヤムカイ)』。
『始まりの國』の中枢たるその入り口は、言葉にし難い神妙な様式をもって組まれていた。
無駄な装飾の一切ない四角い部屋に、自ら発光する高い天井。
呪の刻まれた白い壁はあまりにもなめらかで、今まで見たどのような石とも違っていた。
この先に大神(オンカミ)が眠っているのだと言われれば、なるほど、それに相応しい荘厳さであるとも言える。
だが、そんな悠長な感想を抱けていたのも、カミュが呪を唱え終えるまでのこと。
「むぐ?」
「な、なんだ、この匂いは?」
上下左右に割れ開いた扉の内、そこから溢れだす腐臭と瘴気に、某(それがし)たちは思わず一歩を退いていた。
似た光景が脳裏を過ぎる。
白霧の渓谷に置き散らかされた、地獄(ディネボクシリ)の残骸だ。
見える先の様式は、今居る場所と大差ない。
だが、五感に感じるこの禍々しさはなんだ?
無明のせいばかりではないだろう。
あまりに強い腐肉の匂いは、戦場に慣れた身でも粟立(あわだ)つほどで、とても神聖不可侵たる聖域とは思えない。
だが、足を踏みだしかねる光景を前に、二人だけは覚悟の歩みを進めていた。
「お、おい、アルルゥ、カミュっ」
「不用意に進んではは何があるか――」
「ここはまだだいじょうぶ」
「うん。
匂いだけはどうにもならないから我慢してね」
顔を見合わせる某(それがし)たちを気にせず、アルルゥとカミュは平然とその場に踏みこんでいった。
妙に慣れた印象だ。
どうやら過去に訪れた経験があるらしい。
オンカミヤムカイの姫であるカミュはともかく、アルルゥまでがなぜ……。
ともあれ、二人がそう言うのであれば、進むことに躊躇はなかった。
それでも警戒は怠らぬまま、おぞましい聖域を早足に通り過ぎる。
奥へと進むほどに濃くなる瘴気。
頭に痛みを覚えるほどの臭気。
だが、感じる強い違和感は、そのせいばかりではなかった。
異世界に迷いこんだような錯覚は、むしろ目に飛び込んでくる光景からもたらされている。
通りすぎる部屋には、割れ砕かれたガラスのような壁がならび、奇妙な鉄の箱がへしゃげ転がっていたりした。
果たしてどういう意味があるものなのか、それともただの置物なのか、そんなことすらわからない。
抑えきれない好奇と不安を先行く二人に問おうとしたその時、横手から現れた赤い影が、先頭のカミュに襲いかかっていた。
「カっ、ミュ……?」
彼女の手に生まれた赤い刃に、こともなげに斬り散らされていたが。
「……えーっと、大丈夫、か?」
わかってはいたが、一応聞いた。
地に転がった肉塊の欠片、蠢きつづける腸(はらわた)のようなものを見る。
「なんだ、これは?」
「……オンヴィタイカヤン。
ウィツァルネミテアの怒りに触れ、
永久(とわ)を与えられた可哀想な人たち……」
「え?」
「ううん、なんでもない。
大したことないけど、
ここからたくさん出てくると思う。
かまっても無駄だから一気に行こう」
「あ、ああ……?」
釈然とはしなかったが、足を急がせるカミュを前に、それ以上話を続けることはできなかった。
予告の通り、襲いかかってくる肉塊どもを蹴散らす羽目になったためもある。
「く、のっ」
「こいつらは、
確かに、手応えのないっ」
「油断はするな。
数だけは尋常でないぞ」
それまでの沈黙と異様を忘れるように、肉の波は絶えることなく現れてきた。
気迫をもって刃を振るうも、恐怖を知らぬモノが相手では効果が薄い。
臓物を思わせる赤い塊は、斬られる端から動きを止め、新たな肉塊に飲まれていった。
互いに互いを喰らうその様は、今や見慣れた地獄(ディネボクシリ)を思い出させる。
体よりも心に痛みを覚えながら、それでも刃を振り先へと進んだ。
どれほどの間、その苦行を続けていたのだろう。
気がつけば、某(それがし)たちに近づこうとする肉塊はいなくなっていた。
周囲には斬り散らされた肉片が山のように積み上げられている。
半ばは某(それがし)たちが刻み潰したものだが、残る半分は元から置かれていたものだ。
先んじた者たちの戦果なのだろう。
つまり、前に立つ者の。
「貴様は」
「やはり来たか」
「ラクシャイン……」
大きく開いた奥への口の前に、隻眼の武士(もののふ)は立ちふさがっていた。
左右に蠢く腸(はらわた)を山と積みながら、それを意に介する様子はない。
黒いウマ(ウォプタル)にまたがり、汚れた鉄棍を構える様が、ここから先は通さぬと、無言の警告を放っている。
高まる気迫はリュウガ兄にすら匹敵するほど。
それは見えざる壁となり、某(それがし)たちの前を塞いでいた。
だが、それで止まれるはずもない。
刃の汚れを拭い落とし、緊張と弛緩を身にまう。
静かに歩みを進めながら、見極めた間合いまで、後三歩。
その二歩を縮めた所で、隣から割り入ってきた白いウマ(ウォプタル)に足を止めさせられた。
「リネリォ、殿……?」
「奴は私たちの獲物だ。
お前たちは先に行け」
「ですが――」
「文句は言わさんぞ。
貴様もだ、ラクシャインっ」
同じく前に出てきたテルテォの呼びかけに、ラクシャインは無言で応じた。
駆るウマ(ウォプタル)の手綱を引き、クッチャ・ケッチャの血族に向き直る。
決着を望んでいるのは、姉弟だけではないらしい。
某(それがし)は行くべき道を確かめながらも、わずかな不安を漏らしていた。
「……大丈夫、なんだな?」
「貴様に心配されるいわれはない。
小物は小物らしく、
自分のことだけ考えていろ」
返ってきたのはいつもと同じ、小憎たらしい悪態だった。
確かに余計な世話だったか。
「テルテル……」
「リネリン……」
不安をにじませる一同の中で、リネリォ殿は某(それがし)に目を向けていた。
それは、冷たく、鋭く、そして強いまなざし。
「タイガ。後は任せる。
アルルゥ様を任せたぞ」
「はい」
こめられた意思に頷(うなず)きで応える。
返す言葉には、与えられた以上の信頼を。
「では、また後で」
小さな驚きは一瞬だけ。
冷静を崩さなかったリネリォ殿の表情が、ほんの少しだけ笑みを作る。
「……そうだな。
語るべきことは後で語るとしよう」
言いながら、彼女の目はラクシャインへと向けられていた。
テルテォの挙動もまた、戦で敵を見据えるものへと変わっている。
もはや交わす言葉はない。
某(それがし)は戦いの行方を見届けることもなく、躊躇うアルルゥたちを促して、ラクシャインが譲り拓いた奥の口へと踏みこんだ。