うたをつぐもの―うたわれるもの・After―   作:根無草野良

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~第五幕・9~ 地獄・再臨

 

『ヴオオオオオオオオオオオオオオゥ!』

 地を震わせる咆哮と共に、『地獄(ディネボクシリ)』が崖をすべり落ちてきた。

 漆黒の巨躯は勢いを減ずることもなく、そのまま大地に激突する。

 飛び散る石塊。

 舞い上がる砂塵。

 爆発にも似た轟音の中に、『地獄(ディネボクシリ)』が一時消えた。

 本当に一時だけだ。

 不安や期待を感じる間もなく、漆黒は薄闇を掻き分け、這い出でた。

『ヴオオオオオオオオオオオオ!』

「ムックル、ムックル!」

 アルルゥの悲痛な呼びかけも、赤い瞳には届かない。

『地獄(ディネボクシリ)』はただひたすらに獲物を求め、石化の魔眼めいたまなざしで世界を睨(ね)め回す。

 まずは、手近にいたニコルコを。

「ひぃ?」

 足を止めた身の上に、巨大な前脚が落とされる。

 躊躇のない威力は、触れただけで岩をも微塵に砕くだろう。

 人の身が相手となれば、後には骨も残るまい。

「ニコちんっ」

「ええい!」

 怯えすくんだニコルコに代わり、カミュとカリンがその脚を迎え打った。

 鉄鐘じみた獣の手首に、剛剣と法術が重ねられ、脚の落ち先をわずかにそらす。

 潰されるはずだったニコルコは、地を砕いた衝撃に弾き飛ばされていた。

 それでも、『地獄(ディネボクシリ)』の腕には傷の一つも入ってはいなかったが。

『ヴゥゥ……ヴォウ!』

「ぬぅん!」

 続けて向けられた顎に対して、テルテォが槍を鼻先に叩きこんだ。

 さすがに痛みは通るようで、漆黒の巨躯も一つ大きく身をよじる。

 打ったテルテォをも巻きこんで。

『ヴオオオオゥ!』

「グあっ!?」

 なにしろ元の重さが違いすぎる。

 咄嗟の防御も意味はなく、テルテォはウマ(ウォプタル)もろとも地面を転がされていた。

 巨獣の苛立ちはそれだけで終わらない。

『地獄(ディネボクシリ)』は憎悪のこもった鋭い爪を、呻くばかりのテルテォに向ける。

 それは必殺の軌跡を刻む一撃であったが、だからと黙って通しはしない。

「ハァッ!」

 気合一閃。

 踏みこみ振り上げた某(それがし)の一刀は、音と共に大気を斬り、『地獄(ディネボクシリ)』の顔を捉えた。

 撃った衝撃は黒い巨躯を傾げさせ、振り薙ぐ死爪に空を切らせる。

『ヴウウ……』

 鋼じみた獣毛の強さは相変わらずで傷こそ入りはしなかったが、斬打の威力は効果が皆無ではないらしい。

『地獄(ディネボクシリ)』は明らかに某(それがし)の剣を嫌い、唸って身をわずかに引いた。

 ならば、と更に踏みこもうとしたのだが、思わぬ重みにつんのめる。

 振り向き確かめた足元に、首を振るアルルゥがしがみついていた。

「アルルゥ、なにを――」

「ダメっ。

 ムックル、いじめないで……」

 切なる願いは雫となって、黒い瞳からあふれ落ちた。

 護ると誓った少女の涙に、思わず息と鼓動が止まる。

 そう、あれはムックルなのだ。

 例え止めるためとはいえ、痛めつけるわけにはいかない。

 しかし、

「……あいつを、あのままに

 しておくわけに、は……?」

 某(それがし)が躊躇している横を、巨大な気配が通り過ぎていった。

『地獄(ディネボクシリ)』に比べてすら見劣りしない巨大な剣気だ。

 黒刃は宙を疾(はし)り、巨獣の肩へと吸いこまれる。

 一瞬後、

『ヴイイイイイイイ!』

 リュウガ兄の一撃は鋼の肌を苦ともせず、『地獄(ディネボクシリ)』から黒い霞と絶叫をほとばしらせていた。

「な?」

「ムックル!」

『ヴオオオオオオオオン!』

 巨獣は憤怒の雄叫びを上げながら、激しく両の腕を振り立てた。

 砕く足場を気にもせず、自らを傷つけた者を追う。

 だが、地を揺らすほどの猛攻も、リュウガ兄には届かない。

 落ちくる爪に残像を斬らせ、返す刀を走らせる。

 後に残るのは剣風と咆哮。

 影と気配を残しながらの巧みな剣技は獣の野生すら凌ぎ、逆に斬撃を浴びせていった。

 鋼の肌を斬り裂く力は『冥獄』によるものか。

『地獄(ディネボクシリ)』の身は瞬く間に、血の代わりに噴き出す影のような虚ろの気で覆われていった。

「リュウガ兄っ、止めてください!

 リュウガ、兄――」

 呼びかけは届かない。

 漆黒の巨獣を相手に、リュウガ兄は一歩も退かず、むしろ優位に対じていた。

 手にする『冥獄』のためばかりではない。

 赤瞳の睨みすら無意味と斬り裂く斬撃は、明らかに手を抜いたものであるからだ。

 それが、巨獣にもわかるのだろう。

 傷つけられ、憤(いきどお)りを募らせた『地獄(ディネボクシリ)』は、あらん限りの咆哮を響かせた。

『ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオゥ!!』

 同時に、その体から墨(すみ)のような瘴気がほとばしる。

 光の空間に伸び広がった影は、あるいは扉だったのかもしれない。

 その闇からは、『地獄(ディネボクシリ)』の力に引かれるように、蠢く血肉の塊が這い出てきた。

「これは……

 これが、死者を蘇らせる力……?」

 悠長に驚いている暇もない。

 同じ変化は別の場所、光の陣の内でも起きていた。

「いけないっ。

 ダメだよムックル!」

 カミュの息を飲む声は、輝きの奔流に飲まれて消えた。

 

 それは、急速に力を増していく、禍々しくも温かな光。

 

 理解の追いつかぬ状況に混乱するばかりだった心が、不意に温もりに包まれた。

 不思議そうな表情は某(それがし)のみならず、慌てるばかりだった他の面々と、ムックルを案じていたアルルゥまでも。

「……おとー、さん?」

 彷徨っていた少女のまなざしが、光陣から昇った光の柱を捉えた次の瞬間、

 その内に生まれた影が、輝きを割って現れた。

 

 白き巨人の、その魁偉が。

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