うたをつぐもの―うたわれるもの・After―   作:根無草野良

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~第五幕・10~ 地獄・打倒

 

 大地を踏みしめる、岩の塊じみた脚。

 蟹の鋏を思わせる、硬く鋭い巨大な腕。

 強靭な隆起をもつ巨躯の背は、肩ごと鎧に覆われている。

 いや、そう思わせる白い甲殻に。

 あらゆる命を内包しながら、そのいずれとも似ていない。

 そう思わせる魁偉の中で、一際目を引くのは白い貌。

 それはどこか、ハクビの鬼面を彷彿とさせるものだった。

「っ……」

 知らず唾を飲みこみながら、体が震えているのに気づく。

 神聖にして不可侵な存在だと、魂が理解を強制していた。

 動かぬその姿を前に、体は自然と膝を折ろうとする。

 どこか懐かしい感覚に、しかし、浸っている余裕はない。

『ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオゥ!!』

 咆哮を絶やさぬ『地獄(ディネボクシリ)』は、変わることなく暴れ続けているからだ。

 その周囲に生まれた血肉の群れに、さしものリュウガ兄も数歩の後退を余儀なくされる。

「ぬっ」

「ムックルっ、ダメっ!」

 漆黒の巨躯は、その隙を逃さず跳んだ。

 自らの生み出した地獄(ディネボクシリ)を越え、ただの一歩で光の下へと至る。

 鋭い爪と牙が迫るのは、光柱に佇(たたず)む白き巨人だ。

「このっ……!」

 そうと認めたときには、思わず斬撃を飛ばしていた。

 四肢が、自らの判断よりもなめらかに動く。

 一刀の生んだ大気の歪みは巨人を護る壁となり、『地獄(ディネボクシリ)』の巨躯を押し返した。

 それほどの力が、心の底から湧き上がってくるのがわかる。

 響く『地獄(ディネボクシリ)』の唸りに混じり、別の声が嫌にはっきりと聞こえてきた。

 ぐずる赤子の泣き声と、場に似合わぬ丁寧な礼だ。

「ありがとうございます。

 その調子で『地獄(ディネボクシリ)』を

 押さえておいてください」

 今や柔らかきものを抱くハクビの声は、相も変わらぬ平静を保っていた。

「っ、貴様に言われる筋合いは――」

「リュウガ、『冥獄』の用意を。

 大神(オンカミ)の御霊(みたま)は

 すぐお戻りになられます」

「ああ」

 某(それがし)の苛立ちを気にもせず、ハクビは淡々と言葉を続けていた。

 指示を聞いたリュウガ兄が、当然のように剣を構える。

 見る先は、禍々しい漆黒と憎悪を燃やす『地獄(ディネボクシリ)』。

 静かな動きは、後ろに佇(たたず)むエルルゥ殿も同様だった。

「……ハクオロ、さん……」

「エルルゥ様、最後の用意を。

 私たちの長い旅も、

 これでようやく終わります」

「…………はい」

 悲痛を深める声も謎を深めるばかりだ。

 ええい。一体なにが起きている? 

「大神(オンカミ)? 『冥獄』を……?

 待て、貴様、なにをするつもりだ?

 その巨人に、一体――」

 次から次へと変化していく状況に、理解がまるで追いつかない。

 口から漏れる疑問の数々に、当然答えは返ってこなかった。

 あるのは押しよせる漆黒と、血肉の威圧のみ。

 脅威は『地獄(ディネボクシリ)』ばかりでなく、そこから生まれた赤い肉塊の群れも同じ。

 不条理が支配する悪夢の中で、許されているのは足掻(あが)くことだけ。

『ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオォ!』

『地獄(ディネボクシリ)』の咆哮の下、白き巨人へと群がろうとするおぞましき血肉の塊を、某(それがし)はただただ剣で斬り散らした。

 心の底からは、「護らねばならぬ」という観念が湧き出し続けている。

 それがハクビの思惑通りなのだと分かってはいたが、斬らぬわけにはいかなかった。

 止めれば自らのみならず、場にいるすべての命が危険に曝されるのだから。

 抱く想いは同じらしく、『ティティカルオゥル』の皆も困惑しながら、各々の力を揮っていた。

「っ、ええい、なんだ、この有様は!?

 あのデカブツは一体なんだ?」

「おじさまの、大神(オンカミ)の体を再生させたの?

『地獄(ディネボクシリ)』はそのために……

 ……ううん、封印を解くだけなら、もっと簡単にできる。

 他にもなにか――」

「ひ、姫さまっ。

 今は、それどころじゃ!」

「まったく、いつものことですけどっ」

 刃が、光が、炎が、闇が、押しよせる血肉をただの飛沫(しぶき)へと変えていく。

 混乱には慣れたもので、『ティティカルオゥル』は無差別な破壊を撒き散らし、肉片の一片たりとて光の下へは届かせない。

 だが、血気を猛らせる一同の中にあって、一人だけが混乱から抜けていない。

 巨人と獣の狭間に立ちつくしているアルルゥは、いまだ視線を彷徨(さまよ)わせ続けていた。

 身に迫る血肉の脅威にも気づいていない。

「アルルゥ?

 ええい!」

 某(それがし)の伸ばした剣先は、辛うじてその腸(はらわた)を潰していた。

 腐臭を放つ体液を浴びながら、それでもアルルゥは気を戻さない。

「アルルゥ、

 おい、アルルゥっ。

 しっかりしろ!」

「トラ……」

 肩を掴んで揺さぶると、空ろだった黒い瞳にようやく意識の光が宿る。

 強い混乱を残したまま、それでも訴えてくる切ない意思は、子を想う母のものに他ならない。

「ムックル、たすけて。

 おねがい……」

「それ、は……」

 抗(あらが)いがたい願いを前に、しかし、目は残酷な現実を捉えてしまう。

 波打ち蠢く血肉の中、足場を斬り裂き進みながら、リュウガ兄は単身で『地獄(ディネボクシリ)』を圧倒していた。

 不規則に振り回される腕をかいくぐり、宙を駆ける跳躍をもって黒い刃を走らせる。

 もはや加減はみられない。

『冥獄』は一撃ごとに、巨獣から闇をほとばしらせていた。

『ヴウウウウウウウ!』

 響く絶叫すら意に介さず強大な敵を制する様は、正に英雄と呼ぶに相応しい。

 血潮の代わりに飛沫(しぶ)く瘴気は時と共に密度を増し、今や周囲に満ちた光を侵し、崖の姿を完全に覆い隠している。

 代わり、本体は見る間に力を失なっていた。

 勝敗はもはや明らかだ。

 某(それがし)たちがなにをせずとも、『地獄(ディネボクシリ)』は滅せられるだろう。

 世のためを思うなら、それを妨げる理由はない。

 

 だが、それでは、ムックルを救うことはできないのだ。

 

 躊躇いは一瞬で消えていた。

「トラ……」

「……っ」

 アルルゥのつぶやきを背に、某(それがし)は走った。

 血肉の群れを斬り拓き、ムックルの下へと駆けつけ、叫びと剣を振り下ろす。

「リュウガ兄!」

「ぬっ」

 リュウガ兄は、トドメのためにと備えていた一刀で某(それがし)の一撃を受け止めた。

 わずかな驚きを示したが、それすら一分の隙にもならない。

 軸すら崩れぬ振るまいに、見据えられただけで到底敵う相手ではないと悟る。

 だが、それでも。

「なんのつもりだ、タイガ」

「っ……」

 間合いを計り、剣を構えた。

 切先をリュウガ兄に向け、背に『ムックル』を庇う。

「なにをしているのか、

 わかっているのだろうな」

「無論。戦友(とも)を守るは

『ティティカルオゥル』の掟にして絆。

 某(それがし)は命に代えても

 ムックルを救ってみせます」

「……それがすでに魂を失っていることは

 お前も分かっているはずだ。

 本質が見抜けぬほど

 心が曇っているわけでもあるまい」

 投げつけられた無情な言葉を、背に浴びせられる唸りが肯定する。

 四肢を刻まれ、地に伏しながらも、漆黒の巨獣は猛る憎悪を失っていなかった。

 血の様に赤い瞳には、理性の欠片もない。

 卑しくも誇り高かった青い瞳は、もはや――

 視線を戻し、答える。

「……それでも、

 守ると決めたのです」

「そうか……」

 返事は短く、むしろ態度で返された。

 歪むほどの気をまとったまま、リュウガ兄は黒刀を静かに構え直す。

「邪魔をするというのであれば

 それでも構わん。

 僕(やつがれ)はただ斬るだけだ」

「っ……」

 膨らむ剣気、身を圧する大気の重さ。

 何度味わっても慣れることのない重圧の中、某(それがし)はそれでも刃を持ち上げた。

 その時、

「ぐあっ?」

 余りにも唐突に、背後から岩塊じみた巨大な腕に殴り飛ばされた。

 無様に地面を転がりながらも、辛うじてその勢いを殺す。

「ムックル、おま――」

『ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオォ!』

 こちらの意図など気にもせず、漆黒の巨獣は眼前で佇(たたず)むリュウガ兄に報復の顎(あぎと)を向けた。

「フ……」

「やめろ、ムックル!

 兄上っ、待――」

 張り上げた制止の声の中、二つの闇が交差する。

 刹那の間に、ゆっくりと。

 迫る牙、憎悪の赤を前にして、リュウガ兄は跳んだ。

 向かいくる鼻と額を踏み、相手の勢いをそのままに、逆手に握った剣を刺す。

             

 それは無慈悲に、正確に、『地獄(ディネボクシリ)』の眉間を貫いた。

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