うたをつぐもの―うたわれるもの・After―   作:根無草野良

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~第五幕・11~ 地獄・喪失

 

『ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオォ!』

「っ――」

 振りたくられる首の動きに、リュウガ兄が撥ね飛ばされる。

 だが、深く突き刺さった黒刀は、『地獄(ディネボクシリ)』の眉間から抜けなかった。

『冥獄』はその名に相応しい禍々しさで、血の代わりにほとばしる暗黒の瘴気を喰らいながら、悲鳴をも搾り取り続けていく。

『ヴオオ、オ、ゥ、ゥオオオオオゥ……』

 断末魔の咆哮は、次第に力を失っていった。

 四肢から、胴から、額から、漆黒の霞を噴き流し、ゆるやかに動きを落としていく。

 血のように赤かった瞳まで、くすむように色を失くしていった。

 濁った眼の奥に、懐かしい青の色が光る。

 地に崩れた『地獄(ディネボクシリ)』は、ゆっくりと形を変えていった。

 見上げるほどだった体が縮んでいく。

 釣鐘の太さを思わせた腕も、削られるように細っていった。

 勢いを失った憎悪の咆哮は呻(うめ)きとなり、やがては喘(あえ)ぎすら聞こえなくなる。

 断末魔が尽きた時、漆黒の巨躯は元の姿に還っていた。

 森の主(ムティカパ)たる白き虎、

 我が友ムックルの姿に。

「ムッ――」

 駆け寄ろうとしたが、足が出ない。

 残酷な現実は呼びかける声はおろか、進む力すら奪っていた。

 いつか、どこかの戦場で見た光景を、どうしようもなく思い出してしまう。

 かつて、貴き誇りと限りない畏怖を抱かせた、猛々しくも美しい姿は、

 

 流れあふれる血の海に沈んでいた。

 

「いやああああああああああああ!」

 響き渡る絶叫。

 喉を裂いたようなアルルゥの声が、鉄槌のような衝撃となって心を抜ける。

「ムックルっ、

 ダメっ、ムックルっ!」

「いけません、アルルゥ様っ」

「やっ、いやあ!

 ムックル!」

 背から引き止められながら、それでも血肉の群れに飛び込もうとするアルルゥの叫びに、しかし、応える動きはない。

 無論、某(それがし)の無言にも。

 脳裏に、出会いの光景が蘇る――

 

 白き虎の巨躯に刃を向けて覚えた震えは、恐怖によるものだけではなかった。

 大気を斬るほどの鮮烈な殺意、猛々しく圧倒的な存在に、某(それがし)は、強い尊敬も向けていた。

 自分の矮小を知るのと同時に、高みを望む気概も改めさせられたのだと思う。

 森の主(ムティカパ)と共に進む旅は、常なる緊張を強いらるものだった。

 アルルゥに向ける和(なご)やかさとは裏腹に、ムックルは某(それがし)を警戒し続けていたからだ。

 野生の牙は戦場とは異なる殺意に満ち、気の休まる暇を与えなかった。

 視線で、気力で、存在で、どれほどせめぎあっていただろう。

 ――同じものを守るため、どれほど信じ、力を合わせただろう。

 長い旅のはじまりから、彼は某(それがし)の心を鍛え続けてくれたのだ――

 

 そのムックルが今、首を支える力までをも黒き刀に喰い尽くされ、気高き命を終えていた。

「っ、ムックル……」

「終わったか」

 握る拳に血を滲ませて身を震わせる某(それがし)に、リュウガ兄は一瞥すら向けなかった。

 なんの感慨もうかがわせることなく、黒刀を引き抜かんとムックルの頭を踏む。

 瞬間、某(それがし)の中でなにかが切れ、

「リュウガ兄っ!」

「っ?」

 白んだ視界が元に戻ったときには、リュウガ兄と鍔を合わせていた。

「貴様、貴様っ、貴様ァァ!」

「っ、止めろ、タイガ。

 この剣は――」

 技量の違いも顧(かえり)みず、力任せに押しまくる。

 憤怒のおもむくまま、身にかかる重圧も忘れていた。

 かつて経験したことのない怒りに、技のすべてを忘却する。

 エヴェンクルガにあるまじき醜態に、しかし、感情を御する意思は浮かばない。

 あるのは、狂うほどの怒りだけ。

 このまま身を裂かれようと、念は『怨(オン)』となり敵を討ち滅ぼすだろう。

 内に宿る憎悪は、今や呪にすら匹敵する。

 もはや彼我の命をもってしても、この想いを払うことはできまい。

 だが、血を沸かすほどの昂ぶりは、

 

 次の瞬間、消え去っていた。

 

「……え?」

 火花を散らす黒き剣、『冥獄』から伸びた闇の手に触れられて。

「な、ん――」

 剣を握る右手の感覚が、消えていた。

 いや、右手だけではない。

 消失の感覚は、血の通うすべての部位に及んでいた。

 胸に燃える怒りごと心臓を喰われる致死感に、力のすべてが無に帰る。

 同時に、鍔迫り合いの力に押され、跳ね飛ばされていた。

 無様に尻から倒れ落ち、まだ心臓が動いていることを確認した途端、貪(むさぼ)るように呼吸をくり返していた。

「なん、だ、今の……。

 その、剣は――」

「不用意に近づくな。

 今の『冥獄』は死そのもの。

 振るう者の命を喰らい、

 あらゆる存在を殺す楔(くさび)だ」

 流れ落ちる汗の不快を感じている余裕もない。

 リュウガ兄の静かな声を、某(それがし)は必死の思いで聞いた。

 彼の手に握られた、黒霧に霞む『冥獄』を睨む。

 触手のような蠢きは、その闇が生みだしたものだった。

「あらゆる存在を、殺す……?」

「そうだ。

『地獄(ディネボクシリ)』の力を喰らい、

『冥獄』は真の姿を取り戻した。

 この黒き刃に刻まれた死からは

 何人たりとたて逃れられぬ。

 たとえ、相手が神でもな」

 語る言葉は静かなまま。

 まなざしは某(それがし)の遥か後ろを見据えている。

 

 先にあるものは、光の中に佇んでいる白き巨人の御姿。

 

「……神?

 あの、巨人が……?」

「お前も理解しているだろう。

 心が、体が、魂が、

 真実を告げているはずだ」

「そして感じているはずです。

 自らが、従うべき運命(さだめ)にあることを」

 にわかには信じがたい語りかけを、後ろからの声が強く支えた。

 ハクビの声は唄うようで、どこか幻想をまとって聞こえる。

「このお方こそ始まりの皇。

 我等が父たる大神(オンカミ)ウィツァルネミテアなのです」

「ウィツァルネミテア、だと?

 馬鹿な、そんな――」

 否定しようとして、できなかった。

 頭ではなく体が、理性ではなく本能が、偽りを知らぬ魂が、その言葉を認めていたからだ。

 鬼にも似た魁偉を目にし、感じるものは畏怖と敬愛。

 それは、父上に対するものと同じか、それ以上の想い。

 周囲に散った皆からも、同様の戸惑いが感じられた。

 妄想じみた話に対し、誰の口からも否定の言葉は出てこない。

 広がる沈黙の中で、ハクビは唄を続けていく。

 祈るように両手を合わせ、動かぬ大神(オンカミ)を仰ぎ見て。

「我が一族千年の、

 そしてお父様の願いが、

 今こそ叶う……」

 苦労を偲(しの)ぶその声に、背骨を抜かれるような戦慄が走った。

 用意されたこの状況が、唯一つの結論を導かせる。

「大神(オンカミ)を前に、

 死の剣をもって……

 貴様は、まさか――」

「そう、その通り……」

 大神(オンカミ)への畏敬を自覚した今、口にするのもはばかられるその答えを、ハクビは静かに返してくる。 

 

「お父様に真なる死を与える為に、

 私は此処(ここ)まで来たのです」

 

 鬼面の上からでもそれとわかる喜びに満ちた笑みと声に、体が瞬時に強張っていた。

 父を殺される確かな幻視に、理屈ではなく本能が爆ぜる。

「貴様、なにを……

 そんなことを!」

 

「“動かないで下さい”」

 

「ぬぅ?」

「くっ?」

 だが、飛びかろうとした動きは、その一言で止められていた。

 足に枷(かせ)がはめられたように、一歩たりとも進めない。

 皆も同じような状況らしく、呻(うめ)くばかりで動きはなかった。

 体を止めているのは力ではなく、心。

 絶対の服従を強いる意思が、動こうとする力を働かせない。

 某(それがし)たちの苦悶を前に、ハクビは冷静なままだった。

 誇るでもなく、嘲(あざけ)るでもなく、挙動はただ純粋に、一つの目的を遂行するためだけに行われる。

「私の意志はお父様の意思。

 そして貴方がたの。

 今しばらくそのままでいて下さい」

「……神を、殺そうというのか?」

「ええ。

 それこそが、お父様の唯一つの望みなのですから」

 大神(オンカミ)を背に、白き鬼面は微動だにもしなかった。

「そんな、そんなの、うそ。

 そんなこと――」

 

「……そんなことは、させません」

 

 アルルゥの悲痛を引き継いだ声が、その真横から聞こえてくるまでは。

「え……?」

 初めて、ハクビの表情が動いた。

 隠されていた顔が顕(あら)わになる。

 白き鬼面は彼女の隣、横に控えていた者の手に掴まれ、引かれるがままに外れていた。

「そんな――」

 疑問の言葉を遮って閃(ひらめ)いたのは、広げられた鉄の扇。

 輝きはハクビの胸を斜めに裂き、鮮血の華を飛沫(しぶ)かせる。

 宙に舞い散った血は、いやにゆっくりと弧を描き、

 

 白き鬼面を手に佇(たたず)むエルルゥ殿を、赤く、赤く汚していった。

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